うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

城山三郎の茅ヶ崎を訪ねる

2011年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

晩年の城山三郎のエッセイには度々地元である茅ヶ崎が話題として取り上げられている。最近まとめて城山三郎の本を読んだこともあり、どんな街なのか、尋ねてみようと思い立って行って見た。
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茅ヶ崎には烏帽子岩なんかもあるが、基本的には観光的な施設はなく、普通の郊外住宅地である。相模線も分岐するJRの駅だから、街はそれなりに大きい。
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つばめグリル。お気に入りだったようで、奥様や編集者との待ち合わせにもしばしば利用されていたようだ。晩年の日記(「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」)にあまりしばしば出てくるので、どんな店だろうか、と思ったのが今回出かけたきっかけ。お昼をここで食べたけど、気取らない、感じの良い店だった。

駅前のマンションに仕事場を持ち、奥様存命の頃は自宅から通勤しておられたそうだ。そのマンション、ここかなとも思ったけど、さすがにその写真をここに載せるのは差し控えたい。駅前は山側の方が大きな商店などが多く並び、海側は高い建物はあまりない。少し歩くと、静かな住宅街になる。城山氏の自宅もそんな中にあったのだろうけど、探す気にはならず、街の雰囲気を味わう程度にして、海に向かった。

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あいにくと雨が降ってきてしまい、駅前のヨーカ堂で傘を買った。雨はぱらつく程度で、散歩するのには支障はなかった。砂浜から海を見るのは久しぶりだ(お台場付近なら9月に行ったけど)。
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「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」は城山氏晩年の日記というか、手帳の書き込みを編集したもので、日常の細々としたことや、心の葛藤などが、なまなましく書き込まれいてる。このblogもそうだけど、人に読まれることを前提とした日記はそれなりに心得た書き方になるものだが、これは自分のためだけに書かれた日記だ。日記を書いた人ならわかると思うけど、こういう日記は心を整理するために反省文みたいのを書いたり、どこで何を食べたみたいな些細なことを毎回書いてみたりするものだ。

どうせ、あちらへは手ぶらで行く
 城山氏と言えば、作家として確固たる地位を確立した人であり、また政府、日本を代表する企業のトップから助言を請われるような、強い信念を持った人だった。そんな城山氏が夫人を亡くされて強い喪失感に見舞われたり、忍び寄る老いと闘い自分を叱咤激励しているというメモを残しているということに、ショックを受ける。

 夫人に先立たれたことが、本当に辛かったようだ。人はどんなに努力しても、最終的に辛さ、弱さから逃げることはできないものなのか。
 この本ではなくどこかののエッセイで、関西の高名な老僧が、臨終に際し弟子たちに残す言葉を尋ねられたとき、「死にとうない」と答えた、というエピソードに感銘を受けた、と書いておられた。しかし、弱さを肯定するだけで終わるのではなく、城山氏は政府に対し挑戦し、少しでも仕事を続けようと努力する。だからこそ痛々しく感じられるのだが。

 そういえば、「大義の末」の柿見も、自分の心の弱さを自覚しながら、心を押さえ込むことを拒否して、自らを傷つけてしまう。「小説日本銀行」「官僚たちの夏」の主人公たちも、自分の弱さを肯定し傷ついている。
 僕なども自分への正直さというか、そういう弱みは多分に抱えている。心なんか、なければ良いのにと、ちょっと本気で思ったりもする。

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