クリスマスの夜、外は恋人達や家族連れで賑やかだ。
オフィスにはもう誰もいない。
たしかに浮いた気持ちにはなれないが、こんな夜、別に好きこのんでスクルウジさん的態度を(ちょっと違うと思うけど)とるつもりもない。いろいろあったこの冬だが、少しは自分に褒美をあげても良いだろう。
と思って、雑踏に紛れ銀座山野楽器に向かう。
(以下、結構長いです)
国際フォーラムでは毎年恒例のぬいぐるみツリー。
羊は題材としてはやりやすい方だろう。
帰りに年賀状も買わないとな。
ミキモトのツリー。ちょっとピントが甘いか。
山野楽器でまず買ったのは吉田拓郎の'78年のアルバム、ローリング30。
1978年というのは、思い入れのある年だ。これまで松任谷由実 「流線型’80」、オフコース「FAIRWAY」、ジョー・サンプル「虹の楽園」と聴いてきて、これも是非そろえたいとずっと思っていた。
「外は白い雪の夜」が有名だが、「裏街のマリア」「まるで大理石のように」も好きだった(少年には異次元の世界の女性像)し、タイトルロール「ローリング30」も、子供から見れば、大人達はこうやって自らを励ましながら頑張っているんだなあ、という見方しかできなかった。つったって、当時拓郎は32歳である。僕にとっては今、歌いたい歌だよなあ。
「無題」一言、一言が心にしみる、すばらしい歌詞だと思う。気取りやてらいみたいなものは一切なく、ありきたりの言葉のつらなりがこれほど心を打つのはなぜだろう?
”ねぇ君 それとも男と女には 友情さえも ないんだろうか”
「恋人」と「異性の親友」というのは同じ相手ではないことの方がほとんどなのではないだろうか。この歌詞の人物は、何かの拍子に、恋人にそれ以上の何かを求めたくなってしまったようだ。
考えてみると、「恋する」って一体何なのだろうな?という疑問がわいてきたりするが、いくら考えても答えは出ないだろうし、現実に僕等が体感できることは限られているし、だいいちもうねえ・・。
ダウントン・アビー。以前書いたように、僕は大事なエピソードを見逃してしまっていた。現在放送中のシーズン2は今のところ落としていないが、どうしても気になるのでこれを買って来た。
ちょっと取っつきにくいドラマと思えるかもしれないが、一度はまると心をつかんで離さない。
イギリスの役者はどれも顔がいい。カーソンさん、ベイツさん(僕と同世代らしい。ロバートも)、アンナ、オブライエンさん・・。単純な階級社会の話でもないし、相続争いの話でもない。
何処かのレビュー記事で見たが、特に使用人達のエピソードは、現代の企業社会のアナロジーにも思える。
タイトルの音楽が好きだ。昔のニュージーランド映画?「ピアノ・レッスン」のテーマ(マイケル・ナイマン)にも似ている。切ないというのか、何というのか・・。
Kitteの前というか、裏側にいたミッキー。
で、このあと中央郵便局に行って年賀はがきを買う。夜の8時なのにすごく混んでいて、20分くらい待たされた。
郵便局らしいと言えばらしいけど・・。で、外に出たら、もうミチテラスのライトアップは終わっていた・・。
というわけで、翌日仕切り直し。
先日は遠くから眺めたが、今日はお行儀良く並んで、正面から写真を撮ってみた。
先日は記念スイカの販売で騒ぎがあったりしたが、このイベントの警備はかなり物々しく、通りをぐるぐる回って行幸通り正面にたどり着いた。しかし、街灯が邪魔で、あまり良い写真は撮れそうにない。
行幸は昨日まではもうすこし別の展示があったらしいが、この日はもう駅のライトアップだけで、いささか寂しい感じだった。
数年前、行幸通りに花と水でライトアップしていた頃の方が良かったなあ。
そういえば、あちらの方がよく見えるのでは・・。
と、思って、丸ビルのテラスに行ってみた。こちらの方がよく見えるし、人も少ない。
それにしても、手前の駐車場には警察のバスがたくさんいますね。警備、大変だな。
ま、そんなところで。