焼け野原となった東京(1945.3.10)。この日1日で10万人が死亡。隅田川は死体で溢れてたそうです。
小学生の時に読んだ本 猫は生きている /早乙女勝元著
沖縄に来てから過去の戦争を振り返るようになりました。
土地柄、いまだに米軍基地問題で戦争が終わっていないからでしょうね。イラクへの派遣もあり、ケムトレイルを積んだ民間機を装った飛行機の発着、新たに開発されたインフルエンザ菌を米軍が撒いているという噂も絶えません。そしてワクチンを売って儲けているという。まあ儲からなきゃそんなことはわざわざしないだろうし、そんなことでも雇用を生み出しているんだろうか。
米軍基地近くのアメリカン・ヴィレッジや北谷はハワイのような雰囲気で楽しい場所です。ニューヨークのダウンタウンにあるようなブティックが連なっていて、安くて美味しいステーキ(狂牛病かもしれないけどさ)のお店もいっぱい。来月死ぬと言われたら週2くらいで出かけてステーキを食べてもいいかなと思う。ヴェジタリアン生活は続いてますが、これは少しでも長生きするためなのでね。
沖縄地上戦があまりに激烈だったのと、日本軍による地元民の殺害もあったため、いまだに本土の人間との結婚は反対するという話も聞きます。戦死者のほとんどは米軍による殺害なのですが、やはり味方であるべき日本軍にまで殺されたら恨み骨髄であります。ここが東京大空襲と決定的に違う点ですね。
広島、長崎の原爆は記念日になっているというのに、東京大空襲はあまり弔われていませんよね?3月10日だけでなく何度も空爆されたから記念日が絞り込めないのでしょうかね
ワールド・トレード・センターの9.11の跡地を「グラウンド・ゼロ」とアメリカ人が呼ぶことに何となく抵抗があるのは私だけでしょうか。
あの日はNYからの友人、スコット・ジョンソンを招いて東京の家でパーティをしている最中に電話が鳴って、それでTVを点けて呆然としたのでした。まさかNYであんなことが起こるとは思いもしなかった。
ということが東京大空襲だったんでしょうね。こんなに高度に発達した都市が焦土とされるわけがない。いくらなんでも日本の心臓部は狙わないだろうという思いが当時の東京の住民にはあったようです。
これをグラウンド・ゼロというんじゃないかな? 東京も広島も長崎も。沖縄も。
シリアでアレッポを巡って戦争が激化してるらしいですね。アレッポのオリーブ石鹸を愛用しているので、今後も買えるのか気になるところです。
イランでの地震は(8.11)これまた3.11と同じ人工地震であるという見解が多いですね。
どうしてこういうことを繰り返すのか
この東京大空襲の時点で、原爆より先にHAARPは完成していたというではないですか。
なんで「核」にこの後世界は走ったのだろうか。
おかげで好物だった牡蠣もイカもタコもエビも食べなくなりましたよ。
【世界の核実験地図】Ctbtomedia 2053ByIsaoHashimotoJapan762
「雇用を創出する」という政策や「働かざる者食うべからず」という考え方には以前から懐疑的ではありました。
人類の1%がほとんどの富を独占し、僅かな残りを99%の人間で熾烈に取り合うという構造。何かしら働いて幾ばくかの金を稼ぐ。ということでは戦争はなくならないですよね。働かざる者が食べるべきでないなら、人類のトップ1%こそ断食していただきたい。
世の中のためになる仕事なんてそんなにあるわけじゃなく、残りの「食べていくため」に稼ぐ仕事のほとんどが世の中を悪くしているのではないかと思っています。原発で働いて被爆して稼いで海を汚してエネルギーを作り出すのと、エネルギー自体をフリー・エネルギーに転換して無料化し、汚染のない環境でのんびり暮らすのとどちらがいいのだろうか。電力会社の構造こそが世の中の圧縮図ですよね。現場で働く人は命と引き換えに僅かな金をもらい、トップは事故が起きてもボーナスやら退職金をがっぽりもらって無罪放免(にしては決してならない)。
戦争もずっとそうだった。武器を買わされて殺し合いをさせられていた。軍需産業を支えるために。
銀行もそう。99%の人間が命をすり減らして稼いだ金で博打をし、負ければ「公的資金」という99%の人間の税金で救済され、そのうえローンの利子も取り続けるという2重、3重の罠で人々を囲い込んで搾取している。
「腐敗した銀行制度」カナダ12歳の少女による講演 #keizai #tpp #紫陽花革命
世の中のダーク・サイドに目を向けることは辛いことなのですが、これまでと違い、全ての人間に切迫している気配があります。
先月立ち寄ったパリ市内でも、ホームレスがあまりにも多くて驚きました。もう道路は犬の糞どころか住む場所を失った人間の尿の強烈なアンモニア臭で目がひりひりするほどです。観光名所しか管理できないのでしょう。
髪型とヘア・カラーの状態からして1ヶ月前までは美容院に行っていたであろう金髪のマダムが呆然として荷物(おそらく着替え)を抱えて道に座わっていました。洗濯さえしていれば洒落たカジュアルという身なりも、このマダムを突如として襲った経済的不幸を物語っていました。
景気が悪いから雇用を創出して経済を回そう!ではもう解決出来ない次元になっていると痛感します。
これまで通りのやり方なら戦争しかないわけですからね。
「雇用を作れ」ではなく「富を解放しろ」なのではないかとふと考えたのでした。