と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

ジジイとお子ちゃまは寝る時間かも。ですから、ボキ、寝ます。

2016年08月28日 20時03分25秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

いろいろやった一日でしたなぁ。Walkingは12000歩(exで)も歩いたし。

 

 

いつかは使うだろうと思って保存していた書籍とか、コピー資料というのは、二年も使わなかったらまず永遠に日の目を見ないだろう。

今日、キタナイ書庫を整理していたら、そういう書籍や資料がわんさと出てきて往生した。

これまでのは、段ボールに入れて、ゴミ焼却場に行って一昨日捨ててきたけど。車ごと入って、捨てた重量分だけの料金を払うシステムになっているからありがたいものである。また今日もゴミが出たから、来週捨てに行かなくちゃならない。トホホ。

こんなボキではあるが、一人前に一部屋を書庫にしてあるのだ。もっとも、能力がねぇからこうやってあちこちの書籍や資料が存在することを前提にしていないと、仕事ができなかった。なにしろ他人のお子様に教えていたからである。

教える以上、オノレも勉強していないとダメだからだ。

当たり前である。質問されたら立ち往生というのでは情けない。即答できないとアカンのである。それくらいの前提は、ボキにもあるのだ。常識として。

なぜ、書庫を整理していたかというと、時々整理をしていないと本が虫に食われたりするからである。シロアリも怖い。紙とインクを好むからである。

で、その時に使っていないものを思い切って捨てることにした。退職後はである。

退職した時点で、かなり捨てた。段ボール50個くらいはなるだろう。あの時だけでも。仕事関係の本とか、ビジネス書とか、リーダー論とか、その他もろもろである。

もう関係ないからだと思った。思ったが、後で必要になって買い戻したのもあったから、笑ってしまう。

そんな程度のものである。

それに、ファンタジーも好きなので、こちら関係もかなり集めて読んでいた。次から次へと。専門の書籍よりも、こっちの方を好んで読んでいた。

推理小説も好きである。名作から現代の推理小説までもだ。

つまり雑書が好きなのである。

だから貯まる、貯まる。

貯金ではない。ゴミのような雑書である。

読めばカードとか、ノートにとっていたから、そちらの資料もギョウサンあった。

で、時々思い立ったように捨てる作業を始める。アタマの中に無理矢理押し込めたら、あとは要らないではないか。

いつまでもこだわっている必要はない。

学者サマや研究者サマではないのだから。こっちは。ただのバカ・基地外である。なんちゅうことはないのだ。どこにでもいるジジイである。

今更気取って、僕の論拠は・・・なんて言っても誰も相手にしてくれんではないか(^_^)。

また基地外がなにかゴミより劣る話をくっちゃべっているぜ・・・ってバカにされておしまいである。

要するにそういうことである。

おとなしくしていればいいだけである。

健康に気をつけて、いろいろと物事を考えてみることでもって惚け防止にする。

それがボキの生涯学習ごっこである。

Wi-Fiの中継機は接続成功した。

やっとできた。

家の中は電波が飛び交っている。テレビもWi-Fiにつなげているので、こちらも快適である。タブレットもである。ベッドルームでは、Kindleを持ち込んで、毎晩ラジコを聞いているからこっちもWi-Fiがないと困る。

さらにAmazonのプライム会員なので、音楽も無限に聴いている。音楽と言っても、落語である。なんだか知らないが、落語が音楽カテゴリーに属しているのである。もっともアレですな。美人歌手の歌かなんか聴いていたら、眠れなくなっちまうですな。これもWi-Fiである。もうWi-Fiがないと生きていけないのじゃ(^_^)。

こういうのをやっていると時間のたつのを忘れる。だからありがたいものである。

20:01である。

ジジイとお子ちゃまは寝る時間かも。

ですから、ボキ、寝ます。

明日早いので。起きるのが。

 

 

オヤスミなさいませ。

 

 

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ボチボチボキも=笑っちゃいけませんです

2016年08月28日 08時36分47秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

ボキは、永遠に生きてられると本当に思っているのか・・・マジに

 

 

先日ちょっとだけ年長の先輩と会話をする機会があった。話題は墓地のことである。ボチボチ、ボキの入る墓地をめっけなくてはならないからである。

「ボキが入るのだから・・・」とふと言ったら、大笑いされた。ボキより年長なのに、まったくと言って良いほどご自分が死ぬのを意識していないのである。このまま、ずっと永久に生きている錯覚にとらわれている。そんなことはあり得ない話である。長寿はあっても、不老はない。しかも、絶体的生はない。そうなのである。100%人間は死んじゃうのである。それを意識していない方々が多すぎる。

ボキはいつもいつも、そのうち死んじゃうのだからという前提で行動している。だからこそ、今現在が大事なのである。よって、生涯学習ごっことは言えども取り組み方は真剣なのである。

だって、今日か明日死ぬかも知れないではないか。だったら、後悔したくないのである。

一年半前に、ICUにいきなり入院させられたときに、そう思ったのである。

「ちょっと病院に行ってきまぁ~す」って気楽に東洋一の巨大病院にクルマで行ったのであった。足がむくんでいるから、ちょっと診てもらおうと思って。

だからドクターの反応にびっくりしたのであった。即刻入院であった。しかもICU。これには(*_*) マイッタのである。

突然であった。突然、死は来る。あっという間に来る。これを油断と言わずシテなんというのだろうか。いつまでも生きていられるわけはない。絶体にない。

ICUから個室に移ってから、三回失神したし。これもまた、予想外の出来事であったのじゃ。

一度は古女房ドノの目前である。失神したのだから、古女房ドノは焦ったらしい。らしいというのは、それを見ていないからである。ボキは。なんといっても、ボキは失神したときに、なんの記憶もないからである。

死んだら、おそらくなんの記憶もなくなって死ぬんだろうと思う。

無である。

なんもないのである。なにもないから、死ぬことは怖いことではない。そこに到るまでの途中経過が怖いのである。あれこれ予想して、あるいは遺した家族等々を心配するから怖いのである。死ぬ当人は、あっと言う間に意識を失うのであるから、怖いもへったくれもない。強制的に、意識を失ってアウトとなるのである。

だから健康学も大事である。生涯学習ごっことしても、最重要課題である。健康でなくては今の人生を充実させることもできない。

他人と競争して、ナンボ儲けたとか、損したとか・・・もうそういうしがらみからは離脱したのである。ボキは。

健康でありたい。そしていきいきと生きていきたい。それしか希望はない。生涯学習ごっこをしながら。

誰にも影響を与えることもない。オノレ一人の趣味であるからだ。

あとは、そっと消え去るのみ。この世から。

だからボチボチ墓地が必要となってきたのである。

わははっはははっはははっははは。

あ、最後にボキも笑っちまったな。

今朝のwalkingはちょっと寒かったが、まさかこのせいではないだろうけれども。

 

Bye-bye!

 

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8月27日(土)のつぶやき

2016年08月28日 05時11分43秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/