と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

忘れる、忘れる、どんどん忘れてしまうのじゃが・・・

2015年09月10日 09時17分41秒 | 生涯学習ごっこで勘違い

記憶力低下から、ささやか生活へと

 

 


・記憶力の低下

・ささやかであっても、そういう生活に自己満足することである

 

 

1 どんどん記憶力が落ちている。落ちているというのは、正しくないな。もともと落ちているのだが、「もっと」落ちているというのが正しいか・・・・・トホホ。

京極夏彦の「巷説百物語」を同時並行読書法でもって、楽しく読んでいた。そしたら、既に読んだ話をどんどん忘れているのである。登場人物すら忘れている。

情けない。

そのときは、つまり読んでいる時は、完全に覚えているのだ。ところがである。一つの話が完結したら、もう忘れていやがる。そうまさに「いやがる」のだ。

アタマにくる。自分のアタマの悪さに。

で、仕方がないから、A5のメモ用紙(100円ショップで買ったもの)に、メモをし始めた。ところがである。忘れているから、もう一度読み直すことになる。あ、そうか。逆に、これでいいんだと思ったよん。忘れていたら、再読すればいいだけだ。どうせ京極夏彦の作品なんか戯作である。それにノートにとるほどの小説ではない。研究しているわけではないからである。忘れていたら、もう一回読めばいいだけである。

そういう割り切りが必要である。それなら忘れていることを、残念がることもない。もともと無い自信を失うこともない。だったらワシにもできることだと思い直すことにした。

何度も何度も繰り返していくことですな。高齢者の学習法は。しょうがねぇけど。

で、問題は英語とか中国語である。

覚える量が半端ではない。しかたがないから、繰り返して学習するしかない。毎日毎日である。たまには、ブツブツと一人で話してみることもある。これに相手がいればもっと楽しいだろうになぁと思うが、そんな相手がいない。マイッタね。

塾に行っているから、たまには高校生相手に英語で話してみることもある。英語科を設置している高校の生徒だから、これはありがたい。しかしである。そういうスーパーエリート高校の生徒であっても、受験英語主体だから、私のような人間とは肌があわない。そういうことになる。あまり関わっていると、嫌われるからいい加減にしないとアカン。いじめられているとなってしまって、それこそ生徒から総スカンをくらってしまうからだ。

それでも、暗記は楽しい。

覚えることが実感できるから楽しい。これが六法全書となるともうダメだけれども。もっとも行政書士を受験したときは、やったっけな。30歳ちょうどくらいに受かったが、今ではもう無理だ。かなり難しくなったらしいから。それに定年退職後にやれるような仕事でもない。行政書士で開業するには、行政書士会に所属して、高い会費を払わなくてはならないし。もう無理である。

 

 

2 今のささやかなバイト生活で十分である。年金生活もしているし。あまり高望みをしているとロクなことはない。

宝クジも当たったら、生活がめちゃくちゃになるらしい。老人大学で、そんなことを聞いた。老人大学には、ライオンズクラブに所属しているようなカネ持ちのじーちゃん・ばーちゃんもたまにいるから、そういう話には実に詳しい。去年だったか、京葉銀行の宝クジつき定期預金でもって、数億円当たった方がいたが、あれが誰だったかライオンズクラブ所属のじーちゃん・ばーちゃんが知っていたのだ。居住地の隣にある市の呉服屋さんだったという。やはりバレるのだそうな。誰が当たったかということがである。その呉服屋さん、とうとう地元に住んでいられなくなって、東京にマンションを買って、移住しちゃったという。

そんなことになったら、かえって不幸だねぇ。

もっともあれか。ワシにそういうことはない。当たるわけもない。宝クジくらい、対費用効果に乏しいものはないからだ。宝クジの券を買っても買っても当たった試しがない。もうやーめたである。夢を買っているという考え方もあるが、夢ならベッドの中で見ていたほうがずっといい。あるいは、大学院で学位をとるという夢。もっとも学位はとれそうもなかったから、断念したが。能力が無くて。学力劣等とも言うけど。

かえってささやかに生活していると、見えることがたくさんある。

自称エリートたちのおかしさがよくわかるからだ。いっぱいいるではないか。自称エリートというのが。なんだか勘違いをしているようなアホたちである。

そういうのはいくらでも見てきた。なにしろいろいろな人間たちと会うのが商売だったからである。そもそも人間を人間らしくするのが仕事だったから。だから、人間に関する識見を磨く必要があった。でないと、子どもを育てるなんていうことはできない。また、やっちゃいけない。人間を観察するだけでは話にならない。人間とはなにか、生きるとはなにか、病気になるとはなにか、死ぬということはなにかということを考えていないと、子どもを育てるというのは危うい職業になる。しかも他人の子どもである。

逆に考えてもいい。

一昨日あたりからマスコミで騒がれている有料老人ホームで虐待をしていた職員の話である。ここもまた深い倫理観と職業意識がないとできないだろう。

報酬が少ないという最大の問題があるが。これはこれでもって解決してあげないといけない。「生老病死」と深く関わるのが、この仕事の方たちである。「生」は、学校の先生たち。「生」と「老」と「病」と「死」が(つまり全部)、介護の方々たちである。学校の先生も「病」に関わることもあるが、それはそれで専門の方々がいる。

経済の追求ばかりが、仕事ではないのである。それはそれで大切な仕事ではあるが。

どちらにしても、ささやかに生きていることでもって、世の中やすべての方々に感謝して生きることである。

これすら忘却の彼方に行っちまっては、アカンですな。オノレに言っていることであるが。

自己満足という言い方もあるかもしれない。

それでもいい。人生なんて、所詮自己満足でしかないからだ。オノレだけが生きている証であるからだ。オノレの人生は自分しか味わえないからだ。

そう思う。

 

今日は、塾がある。夜。

 

それまで教材研究をやる。10冊同時並行読書もやりながら。

じゃぁねぇ~!

(^_^)ノ””””

コメント
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9月9日(水)のつぶやき

2015年09月10日 06時25分17秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

天才と凡人の最大の差は「やる時間」です。短くてもいいから練習を積み重ねましょう。 yusb.net/man/785.html pic.twitter.com/Ff98w9mXbf

Waishan Richunanさんがリツイート | 1966 RT

Retweeted マンガで分かる心療内科?公式?ゆうきゆう (@sinrinet):

天才と凡人の最大の差は「やる時間」です。短くてもいいから練習を積み重ねましょう。 yusb.net/man/785.html... fb.me/7tGiKJZU4


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/