と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

昨日、老人クラブに加入した

2015年04月03日 08時52分56秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

ういういしい「最年少会員」である。カミの毛もふさふさの。

 

 

老人クラブに加入した。年会費1200円である。年である。月ではない。昨日老人クラブの役員さんが自宅に来られたので、快諾した。

なんと、「最年少会員」である。そりゃそうだろう。まだ私の年齢では、再雇用をしてもらって働いている方も多いからである。それに、アンチエイジングというのがあって、老人クラブだけは入りたくないという方もかなり多いと聞く。実際、私の配偶者は入会しないとのたもうた。「私は、老人ではないからね」というのである。アンチエイジングの権化みたいなものである。

老人クラブという名称が良く無いというので、あじさいクラブとか名前を変えたらしい。

しかし、私は老人クラブの方がいい。気に入っている。これは老人大学もそうだ。老人大学は、ホントの名称を生涯大学校と言うのだ。しかし、内容はまさに老人大学である。つまり、病気になるほどの厳しさは要求しない。だから入学したのである。気楽に勉強できるからいいのである。そうなのだ。もう気楽に趣味や、勉強や、友達を作っていればいいのだ。もうそういうことが許される時期なのだ。成果とか評価には関係がない。もっとも、老人大学「も」中退させられたりして。笑っちまうのだよ~ん。そうなったら。

ま、それに今入っておかないと、老人クラブの醍醐味を味わうことなく、あっちの世界に逝ってしまいかねない。最年少だろうがなんだろうが、今、入っておくことに意義がある。

老人クラブには、カラオケ同好会もある。歩こう会もある。ゲートボールの会もある。飲み会もある。飲み会だけは参加できなくなったが。老人クラブの飲み会では、二次会に行ってもまさかミニスカートのオネーチャンのいる飲み屋なんかにはいかないだろうから、ある意味枯れススキの集まりであろう。そこがいいのだ。いいけど、もう私は呑めない。呑んだら死んじまう。

カラオケには行ってみたいが、それよりなにより何回参加できるか。そっちの方が問題だろう。

会費だけ払っている会員になる可能性も高い。しかし、会費っていっても、年に1200円である。これでもって、社会性を持つことができることの方がありがたい。引きこもって、昔***であった、昔こんな仕事をしていた、昔モテた、昔アタマのてっぺんにカミの毛が生えていたとか、くだらない自慢話をしていたらまるっきりのバカである。しかも、一人でそんなことをくっちゃべっていたら、不気味である。誰もいないくらーい部屋で、ブツブツと言っていたら、配偶者に救急車を呼ばれてしまう。マジに。

だから、私は過去のことは一切しゃべらないつもりだ。今なにをやっているか、それだけである。「しがないバイト生活」をやっているとしか言いようがない。それが真実であるからである。

そういえば、昨日老人クラブに入らないかと勧誘してきた御仁も言っていたな。昔、市役所に勤めていた、市の教育委員会にいたとか。そんなの関係ないのである。そういうことを言えば、私の方が恐れ入ると思ったのかねぇ~。バカバカしい。それに市町村教育委員会と私のいた世界とはまるっきり違う世界であったのだ。その証拠に、小中学校のセンセがどうなろうと私の耳には入ってこないからだ。私の場合は、初任が中学校だったから純粋培養ではない。だから、高校だけで過ごしてきたセンセよりも、いろいろと情報は入ってくる方だろう。それでも、冠婚葬祭のうち、葬祭の方は疎くなっている。だから、失礼してしまうこともある。先輩たちで亡くなった方も多く、数は少なくなってしまったケド。これ、世間はあまり知らないだろうが、義務教育と高校教育の大きな違いでもある。市立高校ならいざ知らず。

それにこっちは退職した身である。もう過去のことはどうだっていいのである。

そんなせせこましい世界よりも、学問の世界である。民俗学の動向が気になる。仏教民俗学であり、仏教心理学であり、郷土史研究や藝能史研究がどうなっているのかということである。学部時代の母校の学会にも参加させていただいたので、文学・文化関係の動向も非常に気になる。

さらに塾である。

実にいいバイトを見つけたものだ。こんなに楽しいバイトはない。昨日も行った。地元のS高校に進学した男子が、中学校の三年間国語を私と一緒にやったのに、今度は英語をやるという。だから、これでオサラバだねと言っていたのだが、「どうしてもとーま君にお願いしたい」というのである。マイッタね。S高校の英語科である。レベルは高い。「S高校の英語科では、オレ、教えられないよん」と言ったのだが、ダメだという。S高校に入学できたのも、私と一緒に三年間頑張ったからだという。ありがたい。実にありがたいけど、これで家でもって、英語の自学自習の回数が増える。心配なことが一つだけある。それは、彼に英語で話しかけられたら太刀打ちできない。それだけは止めてねぇ~とお願いしておいた。なにしろ、こっちは、3月に台湾に行ったときも、まったく英語が通用しなかったからである。むろん、にわか仕立ての中国語もダメだったのは当然である。情けない。(いつもこんな程度の低レベルである=トホホ)

今日も塾に行く。夜である。7時30分から9時10分までである。何度もいうように、高校生以外は高校受験レベルだから、数学・英語も怖くはない。バイトの回数を増やしてもいいのだが、なにしろ体力が心配である。健康を損ねたのに、いまさら基地外になるほど稼ぐこともあるまい。

今までどおり、ヒトを食って過ごせばいいだけである。塾では、勉強だけを教えていればいいのだから、人生観を語ることもないし、そんなことを言っていたら経営者に叱られる。

もう叱られるのは、配偶者とdoctorだけで結構である。

あっちもこっちも「お叱り役」しかいないのでは、息もつけない。

さ、今日はお昼に歯科医院に行って、それから市営gymである。間で、塾の教材研究をしようっと。

どうせ暇だし、イケメン老人クラブ会員であるからだ。

わはははははははである。



(^_^)ノ””””

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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4月2日(木)のつぶやき

2015年04月03日 05時56分55秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

「イケメン薄命」では、たまったもんではない

家系に短命の親がいるとちょっと参る。亡父が60歳、亡母が64歳で亡くなったからだ。もしかしたら、佳人薄命ではないが、「イケメ... goo.gl/xnEDKi


(承前)それから40年近く経ついま現在にも、そのままあてはまるような話です。昔、人はどんなふうに暮らし、生きてきたか。その延長線上に、いまがあり、そして未来へのびていきます。そのことに思い馳せたくて、旧暦が好きです。人の生きる道行きをなぞる民俗学は、詩にも通じていると思えます。

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いかなる種類のものであろうと、すべての表象、すなわちすべての客観は、現象である。しかしひとり意志のみが、物自体である。

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(承前)われわれがそれをどのように受け止めてきているのか、それがたいへん重要な問題になってくると思うんです。つまり過去の生活を現在の生活がどのように受け止めて、そして今日のわれわれの生活が成り立っておるのか」それが大事だと、宮本常一は語っています。1977年の講演ですが、(続く)

Waishan Richunanさんがリツイート | 7 RT

(承前)われわれが今日持っておるひとつひとつの慣習が、そのいちばん初めにおいてどういうものであったのかと、過去にさかのぼっていくためのひとつの方法として成立しておったのであります。しかし、大事なことは過去へさかのぼっていくことではなくて、過去から現在へ下ってきて、(続く)

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(承前)民主主義ではありません。個人の権利が守られるような社会をつくっていくことに、皆が努力することこそが、民主主義のありようです。それがすでに失われつつあるという事実を反省しなければ、もう日本の民主主義は守られないでしょう。(中略)当時の民俗学というものは、(続く)

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(承前)ほんとうの民主主義であるのかどうか、われわれは真剣になって考えなくてはいけません。日本の国自体がもういっぺん封建時代へ逆戻りしてしまうということを認識していただきたいわけであります。民主主義というのはいったい何か。個人が個人に属することだけを守っていくことが(続く)

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時々「なぜ詩人が旧暦のことをやってるの?」と訊かれることがあります。その答えの代わりに、少し長い引用ですが、宮本常一の言葉を紹介します。「最近の代議士なども二世時代になってきています。なかには四世代議士なんてのもいます。世襲になってきている。これがはたして(続く)

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清濁を併せ呑まないで、

この混沌たる人生に生きると、

自分の生きる人生世界が

極めて狭いものになる。 bit.ly/RPBvjP

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法隆寺阿修羅像:初層塑像群内(twitter.com/butsuzobot/sta…)に所在。釈迦の光背にて、入滅の瞬間を見届ける姿を表す。御顔立ちや体型が興福寺阿修羅に酷似しており、同時期に制作されたことから何らかの関係があると考えられる。pic.twitter.com/DSfSEEpmaO

Waishan Richunanさんがリツイート | 8 RT

【川崎ちんこ祭り】金山神社の『かなまら祭』今年は4月5日(日)。タイムスケジュールは例年通りみたい。去年は12時20分位から『かなまら音頭』があったから、今年もそれくらいからかな。 pic.twitter.com/ADTlzFcxPa

Waishan Richunanさんがリツイート | 70 RT

40年間負けん気でもってたみたいなもんです。逆に言うと、劣等感や怯えがあったから、続いたとも言えるんですね。

Waishan Richunanさんがリツイート | 2 RT

「私はAが嫌いだ」は,根拠を提示する必要は必ずしもない.
が,「Aは不適切だ」と主張するには,それなりの根拠が必要である,と私は思っている.
「好き/嫌い」と「正しい/正しくない」は別の話だと思う.

Waishan Richunanさんがリツイート | 15 RT

[存在の内に巻き込まれていると同時に人称的でもある]存在者は、自らの訴訟で抗弁すべく呼び出されており、従って既に成年に達しているが、他方まさに成年であるが故に、歴史の匿名的なことばに対して単に口先で同意を与えるのではなく、ことばを語ることのできる存在者なのだ。-全体性と無限-

Waishan Richunanさんがリツイート | 1 RT

イエスがその首謀者であると思われてきた暴動、或いはそう誤解されてきたあの暴動が、ユダヤ教会に対する反乱でなかったとしたら、一体何を目指して行われた反逆であったのか、私には訳が解らない。この場合、「教会」という言葉は、今日我々が解している意味に厳密に解してのことだ。-反キリスト-

Waishan Richunanさんがリツイート | 1 RT

人生は笑いで過すことである。 bit.ly/1fjpTjk

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東大寺法華堂執金剛神像:法華堂の鬼門の守り神である。写実的な憤怒の表情や、邪悪な者を打ち据えようという力感あふれる表現など、天平彫刻の特色がよく表れている。秘仏であったがため、製作時の色合いが残っている。天平文化の代表作。pic.twitter.com/KYtZlgihJH

Waishan Richunanさんがリツイート | 9 RT

(長)今日のロシア漁船沈没のNHKニュースで、「カムチャッカ」ではなく「カムチャツカ」と言ってたので気になって日テレ、テレ朝のHPみたらやはり「カムチャツカ」だった。最近はこんな風に定着したのだろうか(露語ではカムチャートゥカみたい発音

Waishan Richunanさんがリツイート | 5 RT

(長)なお、露語のカムチャートゥカには、教室の一番後ろの席、及びそこにいつも座る「劣等生」の意味があります。まあ教授会でも教室の後列から埋まって行きますけどね(^^)

Waishan Richunanさんがリツイート | 5 RT

福武直教授の「社会学」光文社(1952年)を読み終える。次は,同「現代日本社会論」東大出版(1972年)だ。前者は理論社会学,後者は現実社会学の基本文献。

Waishan Richunanさんがリツイート | 2 RT

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/