と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

花は咲かなかったけれど

2013年04月03日 08時55分57秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

花の咲くように

 

 

 昨日は在籍校の入学式であった。愚生よりも若い保護者がたくさん駅から歩いておられた。ご心配なのであろう。また、どんな大学なのかということも含めて興味関心を持っておられるのであろう。拙ブログにも、そういう意味でアクセスしてくださる方が多い。gooがAccess分析を毎日してくださっているからわかるのである。昨日の検索でも在籍校の名前と入学式というキーワードが多かったからである。しかし、もう全くそういう数字は気にならないが、若干とはいえ拙ブログも在籍校の宣伝にはなっているのかもしれないと思うと、ま、それもありかと自己満足をしている。なんてったって学生ですからねぇ。(^0^)

 昨日は、大学院のオリエンテーションがあって、それから成績表をいただいた。周囲には、修士の入学生が圧倒的に多い。これからの時代は、教育バブルだと言われた方があったが、実感する。修士が常識になってくるのかなって言われているし。ただし、愚生の学んでいるコースに博士後期の入学者はいなかった。修了というのがないからだろう。退学か、学位取得しか無い。これはなかなか厳しいものである。いまだに自信もない。だから学んだ証に、バリバリと論文書きをしているのだけれども。

 成績表は、予想をこえていた。もっと悪いかと思ったが。これからも頑張るしかない。ある意味プレッシャーである。良い意味での。なにしろ学部を出たのがちょうど40年前である。国文学の同じ専門とは言え、こっちはすっかりアタマの働きが尋常ではないのだ。だから、老骨にムチ打つしかないのである。

 長文を書いてばかりいる。ワープロのスクロールが遅くなる。常に全体を見通しながら書いているから、昨日の夕方にとうとうウィンドウズ8のノートパソコンを購入した。昨夜設定をしていた。速い。処理速度が。小さくて持ち運びもできる。これはいい。今日から院生室でやるつもりである。あるテーマで書かなくちゃならない。相変わらず、芸能と源流、そして宗教との関わりである。新しい視点で書いて、またそれを投稿するつもりである。いくらやってもこれでいいということがない。郷土史でもそう。どんどんやらないと年をとってしまう。こっちの世界は定年なんてないからである。思えば、いい場所を与えていただいたものである。郷土史である。死ぬまでやっていきまひょ。なかなか死なないでしょうけど(^0^)

 昨日のキャンパス内の桜は散り始めていた。雨も降っていた。新入生がかわいそうになったが、これもまた仕方なし。散れば、また来年咲く。それの繰り返しだ。愚生は、その桜の精を追いかけて東北までいくけれども。毎日どこで咲いているかということをチェックしながら、和歌を眺めてはしたり顔でほくそ笑む。桜の花に狂っているのだろう。いいんだ、いいんだ。美しいものは美しい。それを追いかけていくのもまた人生。散るのが前提なんだから。散るから惜しいのであって、永遠はないからである。

 愚生も花の咲くように人生を成功させたかったなぁという後悔はある。とうとう一介の田舎教師で終わってしまったし。今は残務整理をしているようなものかも知れない。

西行の

 願わくは

 花のもとにて

 春死なむ

 その如月の望月の頃

という和歌が気になる年齢ともなってきた。この和歌は18歳のときに学部で学んだのだが、なかなか分からなかった。心境が。そりゃそうだったろう。18歳くらいでこの歌の心境に到達できるほど、人間ができていなかったからである。

 したり顔で、遠くみちのく津軽まで今月は旅をする。これもまたいいものである。許されよ。目一杯働いてきたのだから。オイラの花は咲かなかったけれども、花の咲くような夢だけは追いかけていきたいからである。

 

 

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4月2日(火)のつぶやき

2013年04月03日 06時03分26秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

ピトン管理地域【セントルシア】【自然遺産】 pic.twitter.com/Ktaq1dAXKX

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647/読人知らず/むばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり #tanka #waka

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でも、鎌倉の水は教定に合っていたようで、宗尊親王御所で源氏物語絵屏風を奉行するなど活躍します。小侍所実時とも当然親交があり、子息雅有と実時娘が結婚するまでに。ここではまだ宗尊親王は下向したばかりですが、ゆくゆく将軍御所はそういう感じに華やいでいきます。

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教定があまり歌が上手くなかったようなのに対し、長兄は新古今歌人の父雅経似だったのでしょうか。長兄が早く亡くなり飛鳥井家を教定が継ぐことになるのを定家は相当不満に思っていたよう。そんな感じで教定に京都の水は合わなかったのでしょうか。早々に鎌倉に下って頼経以降将軍に近侍しています。

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↓ 宗尊親王の方違の場所に二条教定の屋敷が選ばれた記事。教定は飛鳥井雅経の次男です。母は大江広元娘。雅経が鎌倉に下向していた時に結婚。後鳥羽院に召されて夫婦で上洛し、教定が生まれました。雅経と親交あった定家は長兄の方を可愛がって教定をよく思っていないことが明月記に記されています。

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親御さん方へ(2)たとえ若者たちが霊的な生活に渇いているとしても、彼らのほとんどは、猜疑心にさいなまれているのです。彼らは、神に自分たちの信頼を置くことができないし、また、信じることもできないでいるのです。なぜなら、信用してきた人たちの生き方を信頼できなくなってしまったからです。

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パハルプールの仏教寺院遺跡群【バングラデシュ】【文化遺産】 pic.twitter.com/yNgblIO70c

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サルや、ウサギや、熊さんとか、象さんとか集まってきて goo.gl/QIF8V


プランタン=モレトゥスの家屋・工房・博物館複合体【ベルギー】【文化遺産】 pic.twitter.com/jm9EPZvuoO

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『全訳吾妻鏡』より建長4年11月11日。将軍家(宗尊親王)、新御所に御移徒なり。時刻に御車(庇)を寝殿(相州の御亭)南面の妻戸の間に寄す。→宗尊親王のために新造した御所に親王が移られます。牛車は庇と注のある親王用の立派なもの。更迭されて帰洛する時は女房輿なので対比が辛いです。

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法隆寺五重塔初層塑像群:涅槃(ニルヴァーナ=釈迦入滅)の場面を表した塑像群。釈迦の入滅を悲しむ弟子や信者の様子を伝える。twitpic.com/8mth3d

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コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/