Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

生坂村雲根の道祖神

2017-03-22 23:36:53 | 民俗学

 

 国道19号を走るのはお得意なもの、という話はこれまでにも何度もしてきた。とりわけ東電平ダムの湖となっている山清路あたりを走るのは、わたしのなかでも常に懐かしいし、いっぽうで現在形のイメージを常に持てる空間だ。このダム湖はかつては常に浚渫船のようなものが浮かんでいたものだが、今はそうした船の姿を見ることはない。以前触れた下生坂の竹の本あたりから、平ダムのある古坂あたりの道はイメージがすぐにわいてくる空間だ。この沿線の川の景色は変わらないが、沿線の家々の景色は、ずいぶん後退してしまったことは否めない。その途中にある雲根のことについては、「腹の神送」で触れた。川にそれらしきものが8月19日に浮かんでいたことで書いた日記だったが、その答えがようやく解った。今もこの行事は行われているというが、今は盆過ぎの休日に実施されているという。したがってかつて24日に行われていたものが、今はおそらくそれ以前の休日あたりに行われているということなのだ。

 さて、雲根を通るたびにその行事のことを懐かしく思い出すわけであるが、国道端ということもあって、雲根の道祖神に立ち寄ってみた。腹の神送りが行われる辻とは国道を挟んだ山際のかつての街道筋にそれは安置されている。写真のように石祠型の道祖神で、「文政元寅年九月吉日 雲根邑」(1818年)の銘文がある。碑高90センチと県内の石祠型道祖神では大ぶりな方だろうか。祠内に双体像が祀られている。石祠の上にヤスで葺いたものが飾られているが、とくに呼び名はないという。一本締めで締めて裏側で2本を結んでいる。ヤスは正月の飾りであって、かつては小正月のサンクローの際に集まったヤスで葺いたという。今はサンクローはしなくなったが(櫓を組んだものを造る)、集めた松飾りを簡単に燃やす程度だという。現在も道祖神のある前で燃やしているというが、木が生えていて危ないということもあって小さく燃やしている程度だという。現在は7日に行っていると言うが、その際に集まったヤスで屋根を葺いている。1年間そのままにしておいて、翼年にはずして焼くという。いつもはヤスのみで葺いていると言うが、今年は出来合いの派手な飾りや垂が一緒に葺かれていた。


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