Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

殿野入春日神社「とりさし」 後編

2024-04-16 23:53:02 | 民俗学

殿野入春日神社「とりさし」 中編より

 午後8時ぴったりに始まった「とりさし」。保存会のみなさんの法被には「鳥指保存会」と「獅子舞保存会」と名入れされている。本来「とりさし」は小中学生の男の子によって踊られたという。派手な着物を着るのは女の姿を現しているもので、たすきを掛け、花笠と竿を持って踊る。「さいとりさし」には共通した持ち物で、殿野入では数人の子ども達によって踊られる。昭和55年ころの写真には、6名の子どもたちが写っている。いつのころからか女の子が加わるようになったが、少子化の影響だったのだろう。平成に入ると踊りは途絶え、今から20年ほど前にいったん復活して3年ほど続いたと言うものの、再び中断していたものを今年復活して上演したもの。今年はかつて演じた年代の子ども2名と、おとなが3名加わって舞う予定であったが、さらに小さな子ども2名も入って、賑やかに踊られた。滑稽なしぐさで舞うのは、よその「さいとりさし」と共通しているとともに、問答の言葉を見ると、少なからず鳥刺しを馬鹿にしたような構成である。この日のために2日ほど練習をしたという。

 

令和6年4月13日午後8時より、約8分ほどの「とりさし」踊り

 

 来年以降実施されるかわからないため、今回は動画撮影をした。動画と写真の2台を用意していなかったため、写真の撮影が叶わなかった。そのため動画からのキャプチャーでここでは紹介する。したがって画像があまり良くないことは勘弁してほしい。なお、地元でまとめられた『四賀の里』に掲載されている語りは以下のようである。久しぶりの「とりさし」では90歳になる方が、脇で語りをされた。本当に貴重な「とりさし」の復活であったと言える。

御梅の岡垣に稲村雀、御梅の間垣に稲村雀、
ああよいよい、互に休めて、やれ面白や、
咲いた咲いた満咲いた 鳥をさしては、みっさいた
七九にかん竹、唐竹をからりんとう取り廻し、いざや小鳥をささんとす
指す鳥行けば、せきそんじ、大天宮に小天宮、もったいないと伏し拝む
(子供)「月はまだ二月」、
 三月も参りましょう、三笠峠の桧のうらに、とまりを鳴いてさえずる様は、
 天気よかれ、お日和よかれ、良かれ、良かれと真向のちょうしにかんまえた
 ああら真向のちょうしにかんまえた
 さそと思って竿先見れば、モチはかれた、かれたるモチを扱いて捨てて、腰に付けたる印龍の
 モチを取出し、口さえ入れてモックリ、シャツクリかんで、かんだるモチをうらの方にしんのって、
 もとの方へ扱いて扱いて、こすりたってやりましょよ
モチはねれたが、鳥りやまだいたか、鳥りゃまだいたか、
 さそと思ったら竿は短し小鳥は高し、これじゃなるまい投竿でやりましょ。(お囃)
さそと思ったら河原におりた、これじゃなるまい笠ぶせでやりましょ。
 ハーアーお笠をひっちょって(お噺)
(子供)「伏せたでだんまれ、伏せたでだんまれ」
    伏せにや伏せたが、起こすが大事だよ(お囃)
(子供)「ああ痛たたたあ」
    どうしたどうした。
(子供)「三年先の切り傷だ」
    どうりで痛くも痒くもなんともない(お噺)
(子供)「チチチチ…」
    どうしたどうした。
(子供)「押さえたと思ったら鳥パッと舞った」
    そりゃ、あっけなかったなあ
 花はお江戸の錦に勝る!、花はお江戸の錦に勝る!
  千秋楽、千秋楽やと舞い納む。

 


コメント    この記事についてブログを書く
« 殿野入春日神社「とりさし」... | トップ | あのころの景色⑧ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

民俗学」カテゴリの最新記事