Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

努力の甲斐はあるか・・・

2017-10-06 23:47:05 | つぶやき

 昨夕大きめのダンボール箱ひと箱を印刷屋に持ち込んだ。会の今年の事業のひとつだった通信合本の作成に関係して、製本を依頼するために通信を詰めたダンボール箱である。もっと早い時期に作業をすれば良かったのだが、結果的に事業年度末までできなかった。なぜ今、ということなのだが、来週末に日本民俗学会年会が京都で開かれる。昨年同様に会の図書販売を行う予定だが、昔と違って印刷物が売れない。だからわざわざ持ち込んだとしても会が潤うものでもないのだが、それ以上に広報的意味合いが強い。活動をしているということのアピールといえる。昨年と違うのはその後に発行された会報が真新しいくらい。かつては年会に合わせて会報を発行していたが、なかなかこの季節に合わせることが難しく、もう10年以上前から年会に間に合わせるということはしていない。今の本の売れ具合から見れば、その労力を癒してくれるほど成果はないだろう。ということで、過去の会報と印刷物を持ち込むのだが、さすがに何十年も前に発行されたものを持ち込んでも、今の若者が興味を示すようなものはない。

 そんな状況だからせめて真新しさを示すためにも通信の合本を持っていこうと、今ごろになって手をつけた。なかなか手をつけられなかったのは、合本する予定の201号から250号の在処がはっきりしていなかったからだ。昨年松本市立博物館に保存してもらっていた過去の印刷物を事務局である我が家に移動した。事務局は2年ごと移動することから、固定した保存場所が求められていたのだが、いよいよ松本市立博物館の建て替えという話もあるなかで、会の所有物は引き取ろうということになった。今後のことを考えると頭の痛いことなのだが、とりあえず、という応急的な対応だった。そんなこともあるが、通信についてはとりあえず梱包して移動したという感じで、箱の外に何号から何号と記載しているものもあれば、「○号前後」という大雑把な表記もある。したがって、それら荷物の中から求める号を探し出すのが厄介だったのだ。近年のものはそれでもほぼまとまって梱包されていて在処はおおよそ分かったのだが、やはりどうしても欠号がある。たくさんの荷物の中から探しても見つからない可能性があると考えて、いくつものダンボール箱を開けては閉めを繰り返したが諦めた。どうしても見つからなかった1号分だけはコピーで補うことにした。

 こうして50号分を並べて思ったのは、同じページ数なのに厚さが違う、ばらついているものがあるということ。同じ事務局で発行していたものだから、おそらく同じ印刷所で印刷していたはずなのだが、どうして厚さが違うのか、まったく意味不明。使っている紙の厚さが違うのだ。そしてたまたまかと思うと、そのあたりの号は毎号紙の雰囲気が違う。送ってもらっていた方にとってみればまったく気がつかなかったことだが、並べてみるとはっきりするのだ。もうひとつ厄介なのは、通信はB4版を折ってB5版にされたもの。折ったところが年月とともに湿気を帯びたせいか膨らんで、保存してあっても納品された時のようにまっ平ではない。そのため何十部か重ねてあっても端部は膨らんで嵩張っているさらにそれを数十部ごと交互に封入してあるものも多く、ズレて折れ曲がっているものも少なくない。その中からなるべく綺麗なものを選択するのだが、号によっては保存状態が良くないものも。これでちゃんとした製本ができるのか心配なのだが、とりあえず50号ごと50部揃えて、さらに目次を作ってなんとか昨夕印刷屋に持ち込んだ。印刷屋に持ち込まなくては、そう思った一昨日は午前3時まで作業をしてようやく間に合った。なんとか年会に数部持ち込めるかどうか、努力の甲斐があって欲しい。

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