仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

失敗体験もして育つ

2016年10月28日 | 修養
 いたずらもたくさんしました。よその家にスイカが実ると、それをちぎっては遊んだこと。

 豆腐屋さんが自転車で売りに来ると、いないのを見計らって、豆腐をつぶしたこともありました。

 そのたびに、親は米などを持って謝りに行ったものでした。
 
 その頃、いたずらをしてしまった皆さんには謝りたいですね。「本当に申し訳ありません」と。




 上の話は、65歳になる知り合いの方に、昔の、子供の頃の思い出話を語ってもらった時の話である。

 今ではすっかりいいお爺ちゃんになっていらっしゃる。人当たりもいい。優しい。

 懐が深く、いろんなタイプの人を受け入れ、仲間にしてしまう。

 

 先ほどの小さい頃のいたずらの話を聞いて、少し納得できた。

 人は、このように悪事もするものである。特に子供のうちは悪さをして、叱られて、また親が謝りに行く姿を見て反省しながら育っていく。

 いい体験も悪い体験もいっぱいしてきたから、人を受け入れる器も大きくなってきたのではないか。



 ただ、最近、少し気になることもある。



 1つめは、あまり先ほどのようないたずらの話を聞かないことである。悪さをし、こっぴどく叱られるという体験をし、反省しながら育つ子もいるはずだが、そんな悪さの話を聞かない。

 聞くとすれば、ネットやメールでの陰湿な悪さの話である。

 いたずらを勧めるわけではないが、そういう失敗をする子もいるはずだがあまり見なくなった。失敗体験が足りなくなっているのではないか?と気になる。



 2つめは、(こちらの方がより問題だが)大人が失敗をさせないように、させないように事前に手を回してしまいすぎではないかという点である。

 子供が失敗体験をする機会がとても少なくなっている。というよりも、体験自体が少ないのかもしれない。

 エラーレス(失敗をさせない)という考え方も一部の子には必要である。特にそれまでの経験で自信を失っている子には、成功体験を多く味わわせて、自信を持たせるのは大事である。

 ただ、失敗をするという貴重な体験を奪うのも問題が大きいような気がする。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 田村潔司さんのクレーム | トップ | 子供達の約65%は、大学卒... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

修養」カテゴリの最新記事