キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

奥能登時国家の古文書「えんじろう文書」の話を聞く 神奈川大学公開講座

2024年05月16日 | ☆学ぶ!
先日からまた 神奈川大学の公開講座を受講し始めました。
これまでも受講していた 橘川先生による「日本を知る」という講座です。

先日 第1回目だったのですが、 資料として配られたのが 奥能登の時国家(ときくにけ)の襖の下張りから発見されたという古文書でした。
第1回目ということもあり、能登の震災のことから先生の話が広がっていきました。
橘川先生は もともと政治学者だと思っていたのですが、 神奈川大学に置かれている常民文化研究所の仕事もされていて、所長までなさったということです。 その常民文化研究所の 研究調査の中に奥能登の時国家の古文書を調べるというものがあり、網野善彦さんと一緒にずっと調査をされていたのだそうです。

網野善彦といえば、以前に「日本の歴史を読みなおす」 という本を読んで、大変感銘を受けていたわたくしです。

そもそも 網野善彦さんを知ったのは 「宮本常一の忘れられた日本人を読む」という本を読んだのがきっかけでした。
歴史に対する見方が非常に面白くて。

この「日本の歴史を読み直す」 という本については、このブログに書いたことがあったかもしれません。日本の社会のあり方について、これまで私たちが常識として思っていたようなことが、実はそうではないんだ!と、根底から覆されるようなことが書いてあります。

その1つがこの奥能登の時国家の古文書の調査から分かったことです。

つまり、 「百姓」は「農民」のことではないという発見です。

  百姓≠農民

私たちは「百姓」って聞いたとき、江戸時代の年貢に苦しめられているような、村の中にいる農民の姿を思い浮かべます。(少なくとも私はそうでした)
それは、これまで、教科書や歴史の常識としてそのような理解でずっと考えられてきたからなんですけれど、それが この奥能登の時国家の古文書の中から見つかった資料によって、百姓≠農民の突破口が開かれたというお話です。

最近はテレビの歴史番組などでも、そういう話を聞くこともあり、網野善彦さんの研究の成果が現れてきてるのだなぁと感じています。

百姓≠農民 
が、完全に浸透しているわけでもないでしょうけど、大多数の人はそんなことに興味もないでしょうしね。


今回の橘川先生の講義で一番びっくりしたのが、この証拠になった古文書のひとつ(「円次郎文書」 と言うんですけど)を発見して 網野さんに見せたのが 橘川先生ご本人だったということです。

へーーーーー!!

私は講義を聴きながら、秘かに大興奮していました。


えんじろうもんじょ
「日本の歴史を読みなおす」にも載っています




 





概要を良くまとめてくださってる記事がありましたので引用します。

出典:日本史をかきかえた網野善彦の原点「時国家」(輪島市町野町)
藤井満 note 2024年4月15日
https://note.com/fujiiman/n/n3801c7465674

 1952年、言語学・民俗学・考古学など九学会連合による能登半島総合調査が実施され、民俗学者の宮本常一らが時国家の古文書を借りていったが、宮本が属する常民文化研究所が窮乏化し、その文書を返却できなくなった。「能登に古文書がないのは、常民文化研究所と上杉謙信のせい」とまで言われるようになっていた。
 常民文化研究所は1982年に神奈川大に招致され、それから13年間、網野善彦は文書を返却するために全国をまわった。その過程で網野は1984年に時国家にやってきた。
 時国家では襖をはりかえるとき、以前の襖紙を保存していた。網野はそれに注目する。
 蔵などに保存されている公的な文書史料は、「百姓=農民」という考え方にもとづき、年貢の額などが記録されているが、農民以外、とくにあちこちをわたり歩く人びとの史料はほとんどない。
 公的な文書史料によると、1735年には輪島の町の総家数の71%は頭振(あたまふり)や水呑だった。頭振とは、金沢藩領の無高の農民を意味し「水呑百姓」と同様、一種の蔑称だった。
 ところが、上時国家などにのこされた襖紙文書には、大庄屋である時国家が、貧乏人であるはずの「頭振」から借金をしていたことがわかった。
 輪島は当時、漆器やソーメンの産地としてにぎわっていた。そんな町の7割が頭振・水呑なのは、輪島塗やソーメン、廻船業など非農業的な生業が隆盛をほこり、田畑を所有する必要がなかったからのだということがわかってきた。輪島の年貢の税率が88%という記録があるが、「われわれは別の方面でもうけるから、それでいいですよ」ということだった。
 そして時国家は昔ながらの封建的大庄屋ではなく、北前船(廻船業)や炭焼き、塩田、鉱山、金融業などをいとなむ総合商社のような存在だった。上時国家は北前船を4隻所有し、その船がサハリンまで行っていたことも襖下張文書であきらかになった。
 こうした発見から網野さんは、「百姓」とは農民だけではないことを確認し、コメの石高で豊かさをしめす江戸時代以来の固定観念を否定し、中世社会が、たんなる「稲作社会」ではない多様性をもっていたことをあきらかにしていった。



講義自体は、そのことを先生が自慢するのが主眼ではなくて、
以下に我々が歴史を見る際に、先入観にとらわれているか。
その先入観を打ち砕くには、地道な資料の研究しかないのだ、というお話でした。

でも講義の時間は、時国家のある奥能登の被害が甚大だということとか、古文書研究の思い出話などで占められていたので、次回に持ち越しです。
次回も期待!

資料には、百田尚樹氏の「日本国記」なども用意されていました。
ちらっと読んだだけでも「うへ~っ」と思う文章。

先生のお話は、歴史は「物語」で語ってはならず、 資料に当たらなければならない 証拠を固めていかなければならないという話 でした。
自分に都合よく、物語にするのが上手い人の口車にのせられていくのはとても危険ですね。

◆先生の昔の記事
古文書は嘘をつくことがある それでも事実に迫ることはできる
神奈川大学名誉教授 橘川 俊忠
現代の理論 DIGITAL 2018秋号



2024年能登地震
時国家の母屋がこの地震で倒壊してしまったそうです。
橘川先生によると、段ボールに数百箱の古文書が保管されていたそうです。

◆関連記事
奥能登の歴史「捨てないで」 膨大な古文書、震災で消失危機 「上時国家」8500点下敷き
中日新聞 2024年4月14日



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