TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

『ニューヨーク美術案内』千住博、野地秩嘉(2005)

2018年10月18日 | 読書とか
まずはアマゾンの「内容紹介」から。

メトロポリタン、MoMA、チェルシー…画家と巡る「美術の課外授業」

「美術館だけはつまらん。退屈です。そう思いませんか」
「一緒に美術館へ行きましょう。美術館には、ちゃんと楽しみ方があるんです。それを教えましょう」

画家は絵を描くだけの人ではない。描く前に数多くの美術作品に接し、作品を消化吸収している人だ。そういった人に同伴してもらえばきっと美術館も楽しい場所になる……。(「プロローグ」より)

――ゴッホ、モネ、ルノアールからデュシャン、リヒター、ロバート・ゴーバーまで、実際に作品と対話し、その読み解き方、楽しみ方を解説する。今までにない、最高に贅沢な美術ガイド。


……というお話ではあるのだけど、気どらない、でも鋭い批評性を潜ませた、画家ならではの絵との向き合い方だ。たとえば、「いい美術館は壁の色と照明に配慮がある」という話は、美術館自体の空間としてのナラティブの重要性を示唆していて、一部の日本のデパートの特設会場の豪華版みたいな環境が哀しくなる。一方で「神と対話するかのように、あるいは祈るように描いたゴッホ」や「対象の温度や時間といった見えないものまでとらえていたモネの眼のすごさ」など、画家の肉体を通して発せられる言葉は心に残る。

なかでも印象的だったのは、ジャコメッティの章で書かれていた彫刻の見方についての一文、「見る者が彫刻の周りにどれだけ深々とした空間を感ずることができるか」。長年のぼんやりとした問いが、すーっと解けた気がした。こういう人と一緒に美術館に行くと楽しいだろうなぁ。

また「相方」の野地氏が、千住氏の教えのおさらいとして、ひとり美術館を訪ての所感はどこか初々しくて素敵だ。そして「美術館巡りのお昼はホットドッグ2個小とパパイヤジュース」という千住氏のおすすめのような少し外したエピソードは、読み物としての楽しさをふくらませてくれる。

気軽に読めて楽しい、というと軽く響くかもしれないけれど、極めて高い感性と知性をもって生み出された一冊だと思う。あー、ニューヨークに行って美術館巡りがしたくなっちゃいました(我ながら予想通りの感想だけど……汗)。
ニューヨーク美術案内 (光文社新書)
千住博、野地秩嘉
光文社



ロブ・カーマンとモデルの吉田くん(仮名)

2018年10月14日 | 雑感日記
随分前の話だけど、ときどき思い出す人がいる。その頃自分はぱっとしないコピーライターで(仕事自体は一所懸命にやってた、はず)、あるポスターの撮影で千葉の海のある辺り……九十九里だったのか、も少し近くだったのか、皆目記憶にないのだけど、ともかくロケバスにスタッフ5、6人で乗り込んで、日帰りで移動した。

ファッション系のポスターで、モデルとして参加したのが吉田くん(というか、実はまったく名前を覚えていないのだけど、何かとっかかりがないと文章を書けてないので、勝手にこの名前にさせてもらう)だったのだが、当時30歳前後でその頃の自分と近い年齢で、なんとなく親しめた。確かにスラッとしたハンサム・ガイなんだけど人当たりが良く、逆に「モデルなんだから、もう少しそれらしい雰囲気あった方がいいんじゃないかな」などとお節介な印象をもったりした。

一緒に過ごした時間のほとんどは、移動のロケバスの中。話題が当たり障りのないトンネルを抜けたころ、なぜだか格闘技の話になった。なんと吉田くん(仮名)はキックボクシングのジムに通っていて、試合を見るのも好きだとのこと。そこそこの格闘技ファンだった自分と(ネットが一般的でなかった当時、雑誌『格闘技通信』と『週刊プロレス』、東スポは毎号網羅していて、それなりに知識はあった)、お互い「ロブ・カーマンはすごい」という見解が一致して、すっと距離が縮まった。

ロケ自体は、なんというか淡々と粛々と。ささやかな時間と予算を丁寧に使って、無事終了。残念ながら(?)ここで端のあるエピソードはない。吉田くんは都内のターミナル駅あたりでロケバスを降り、自分はアートディレクターと一緒に事務所まで行って残りの進行の打合せをして家路についた。

後日、当時の勤務先だった広告代理店に吉田くんから郵便物が届いた。ロブ・カーマンがヨーロッパで出場した試合のビデオだった。簡単なお礼のメッセージが添えられていたが、字はあまり上手じゃなかった気がする(人のこと10000%言えない悪筆ですが)。嬉しかった。家で早速見て、お礼を、と思ったとき、つい興奮して封筒を捨ててしまっていたことに気がついた。一体どこにお礼を届ければいいのか。

結局、アートディレクターにモデル事務所の住所を聞き、「先日のお礼」として葉書を出した。でもこういう、個人的なお礼はあまりよろしくないのかもしれない。それが吉田くんの目に触れたかどうか分からないし、そうだったとしても、それからやりとりが続くような熱量は残っていなかった。でも、あのとき封筒を捨てるべきではなかったのだ(捨てる、というつもりすらなかったのだけど)。

今のキックや格闘技ファンで、ロブ・カーマンの名前を知っている人は少なくなってきたと思うけれど、今でも好きな選手だ。今は多くの選手がやっている上下クロスの攻撃(左のパンチの後で右のローキックとか)は、当時はロブ・カーマンの代名詞だった。その無口で実直なキャラクターとバランスの良い攻撃とのギャップは、どこかイケメンなのに気さくな吉田くんを思い起こさせる。彼はリングで、どんな闘い方をしていたのだろうか。

ところで、たまの「リアカーマン」という曲があるのだけど、これを聴くと(ってそんなに回数聴いてないけど)、「ロブ・カーマン〜♪」って聞こえちゃう方は世界中で自分だけでしょうか。

カスタマーサービスの鈴木さん

2018年10月13日 | 雑感日記
パソコン関係で分からないことがあるとき、ちょっと困ったとき、可能な場合はカスタマーサービスに電話をする。最近は直接人と話せるサービスが減っているし、まず窓口となる電話番号さえない場合も多い。また有料プランのユーザーだったり、それを使うための敷居も高くなっている。企業経営として合理的なやり方だとは思うし、もし自分がそういうサービスのマネージャーだったら、同じような設定をするかもしれない(まあ、そういうケースは起こりえないけど)。

随分昔、あるソフトウェアのインストールがどうしても上手くいかず、試しに製品DVDのパッケージにあった番号に電話した。まず、いわゆるコールセンターの女性(単に事実として書いているだけで、この部分に偏見はありません)が電話に出て「初期不良以外は有料となる。1件につき4,000円です」とクールに言われてしまった。自分としては、ソフト自体は立ち上がったものの、その先にっちもさっちもな状態なので納得いかなかったけど、急ぎであり、一応その費用は経費にできそうだったので、とりあえず有料であることを承諾し、指定された番号に電話をした。

そこで対応してくれたのが鈴木さんという男性だった。でも実はその辺うろ覚えで、もしかしたら佐藤さんか田中さんだったかもしれない。そんな感じの、まったく驚く必要のないお名前であったはずだ。鈴木さんの声は落ち着いているけれど、どこか不安を感じさせる細めの声で、勝手な想像で痩せて眼鏡をかけた30前後の男性の姿を思い浮かべていた。

インストールは思っていたより厄介だった。理由のひとつは自分のパソコンのセッティングが結構イレギュラーなものだったからだと思う。例えばOSがMac上で組んだ仮想のWindowsだったり、日本語入力が親指シフト(って知ってますか?)だったりと、場合によっては「そのような場合はご対応できません」と言われても仕方ないかもしれないものだった。

それでも鈴木さんは、「そうですか、では私もそういう場合のことを調べてみます」といって自分なりに仕組みを調べてくれたり、ひとつひとつの長いステップを切らずにつきあってくれたりした。自分は「進んだらかけ直しましょうか?」とも言ったのだが、「途中で出るメッセージが分かりにくいので、よろしければこのままお待ちします」とつきっきりで面倒を見てくれた。

まあ自分の方も、なるべく状況を見えるように、具体的な見え方や出てくる言葉をそのまま伝え、また主観的な部分は「自分の感覚としてこう思う/見える」と述べて、相手が把握しやすく話したつもりだ(その辺はプレゼントかオリエントかブリーフィングとか仕事でしこたまやってたので、ツボは分かる)。また、クレーマーも多い仕事だと思うので、できるだけ柔らかく、相手が迷ったりしても鷹揚に聞こえる応対を心がけた。

しかし結局1日目では解決できず(のべ4、5時間は話したはず)、翌日再度電話をもらうことに。そしてあれこれ試して3時間ほど、やっと自分の設定を活かしたままでソフトが作動し始めた。ちょいと感激。

まあ時間がかかったこと自体は嬉しくないけど、最後まで丁寧に進めてくれた鈴木さんには感謝で一杯だった。そう考えたら、4,000円はまあいいかとも感じた。で、なんだか名残惜しくなっての電話の切り際、「○○さん(自分の名前)のお力になれましたでしょうか。お話しできて良かったです」と妙に本心からの声みたいな言葉を聞かされた。なんか、俺との会話を嬉しく思ってくれたのだろうか。

勝手な想像だけど、この一連のやりとりで、鈴木さんは自分本来のスタイルーー相手の状況を聞き、自分なりに理解して手段を講じ、またそれをフィードバックしてもらい、ゴールに向かって少しずつ進んでいく、みたいなーーを充分発揮できたのではないだろうか。そんな満足感みたいな心情を電話の向こうの声から感じた。ま、後は自分が面倒くさい相手じゃなかった、いうのもあるかもしれないけど。

「また何かありましたらお電話ください」と言ってくれた鈴木さん、でも作業自体が完璧だったので、もうその必要はなかった。でも、もう一回話してみたい気もしたな。「ぶっちゃけ、こういうシステムでこういうことやるとしたら、どこの何が一番いいですかね?」みたいなこととか。

それから時々、こういった事案でカスタマーサービスの人と話すとき、鈴木さんのことを思いだす。多分、他にもたくさん鈴木さんがいるんだろうな、と思いつつ。ちなみに例の料金(4,000円)だけど、最初に話した女性は「後日ご請求いたします」と言ってはいたものの、結局何も届かなかった。ラッキーと思いつつ、ちょっと気が抜けた(やっぱり有料をOKするときには少しだけ悩んだし)。でも鈴木さんからのプレゼントだと思って、ありがたく受け取っておこう。