TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

全米日系人博物館(追記あり)

2012年10月22日 | 雑感日記

先日LAで、約10年ぶりにこちらの博物館を訪れた。
その名の通り20世紀初頭からの移民の歴史を伝える展示なのだけれど、
史実の重みという以上に、強く心を揺さぶられた。

重労働と差別、そして第二次大戦中の強制収容と、
苦難の歴史を振り返る内容ではあるのだが、
そこに生きた人々の息づかいに、何故か鼓舞されたような気がする。

収容所の日々を描いたスケッチ(軽妙でチャーミングな画風)を見て、
「確かにここで、人々は生きていたのだ」と感じた。
何気ない食事の風景に、胸が熱くなった。

また「アメリカ人」としての忠誠を示すべく、
他の部隊に比べて目覚ましい戦果を挙げ、
しかし被害も甚大だった日系人の442部隊。
その覚悟と思いを考えると、自然に頭が下がる。

会場にいらっしゃった解説員のMr.Moriguchiは、
御歳80ながらバイタリティに溢れた3世の方。
ご自身10歳の頃に収容所で生活されていたそうだ。
当事者ならではの貴重なお話をたくさん伺った。
何故か移民した同胞を低く見る日本人の感覚を残念がるとともに、
勇気と冒険心を持って海を渡った先達たちの存在を知って欲しいとも。

そう、パイオニアとしての気概や、創意工夫するクリエイティビティ。
展示上の演出や自身の贔屓目も入っているのかもしれないけれど、
日本人は素晴らしい力を持っているのだと、あらためて感じた。
(もちろん他の国の人々と比べて、という話ではなく)。
この博物館、今こそ見るべきものだと思う。
決して派手なものではないけれど、
LAに行くことがあれば、是非訪れて欲しい。


……とり急ぎ書いたので、また加筆、修正するかもしれませんが、
ホントにお薦めしたい場所です。
今の日本の人にとって、大切なことを教えてくれると思う。
で、そう考えるとサイトがちょっと物足りない気も……。
何か役に立てることがあればいいなぁ。

※追記
ところで最近知りあった、とある企業の国際関係の人、
日系2世のお父様と日本人のお母様の間に生まれた
元アメリカ国籍のお方でありながら、
現在は日本国籍で生活されている。
ご先祖は海を渡ったものの、
日本が性に合うのでこちらで暮したい、という選択だったとか。

基本、日本育ちなので話していてギャップはないけれど、
アメリカでの学生時代の経験など
興味深い話をいろいろと聞かせて頂いた。
こういう交流がもっと増えるのも良いことだと思う。

また同博物館では、
同時開催としてアジア系アメリカ人アーティストが主体となった
ジャイアント・ロボ・ビエンナーレ3も開催されていて、
アートに方面でも興味をかき立てられた。

そんなことも考えると、
もっと交流が進んでいくと良いなぁ、と改めて思う。

なんか、今の閉塞感へのヒントがあるように感じるのは、
自分だけだろうか……。
繰返し、LAに行く機会があれば是非。
その際はお話し好きのミスター・モリグチ(やりとりは英語になりますが……)にも
ひと声かけてみればどうでしょう?

グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ

2012年10月09日 | 読書とか
マーケッターなんて呼ばれたくなかった、ことがあった。

いまでも思いだして、気分が悪くなる記事がある。
とあるビジネス雑誌のコラムみたいなページだったのだけど、
「古くて情緒的なセールスマンと新しく合理的なマーケッター」
みたいな対比だった。

主旨としては、こうだ。
例えばデパートを経営したとすると、
ほとんどの客は大して多くの金を使わない。
むしろ利益をもたらしてくれるのは、
一部の「上客」たち。
これからは万人を相手にするのではなく、
選ばれた客へのサービスを特化すべきだと。

この話はかつて活躍した年配の古株男性と、
若いMBAホルダーの女性エグゼクティブの会話という型式なのだけど、
「すべての客に誠意を持って接する」という男性の信念は、
相手の女性エグゼクティブにことごとく論破されてしまう、という内容だった。
顧客を選び限定したサービスを提供する一方で、
一般客へのサービス(例えば休息コーナーの充実なども)は最低限に。
でもそれがこれからの主流と理路整然と、かつ自信満々に説かれて
意気消沈する男性、といった筋書きだったと思う。

えーっと、こういう風に書くと、
女性が意図的に悪役として描かれていると感じられるかもしれないけれど、
原文のニュアンスは新しい時代の賛美が主体であり、
男性はただ古臭くセンチメンタルな存在として扱われている。
もちろんフィクションではあるけれど、
この女性は、文脈上は立派にヒロインだったはずだ。
(私の文章力の不足に関してはお詫びします……)

これを「マーケティングの新しい視点」などとまとめられちゃうと、
いやいや、なんか随分と品のないお仕事だなぁ、といった感覚が、
物忘れ絶好調な僕の脳みそにも微かに残っている。


で、長い前置きになってしまったけれど、
この『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』、
実に爽快で、かつ新しくて理に適っている。

ひとつひとつの事例、たとえばフリーミアムなどの視点をとりあげて、
「既に取り上げられていること」と評する人もいるかもしれない。
しかし自分たちの価値が「ファン体験」にあることを見抜き、
常識破りの方法でそれを実現していった過程は、
緻密に練り上げられたコミュニケーション・プランにも等しかった。

もちろん結果論だと言えばそうかもしれない、というか自分もそう思う。
ただその結果を導いたのは、彼らが重ねていった試行錯誤。
ま、いまならPDCAだった訳ですよ。

個人的に肝だと思うのは「変わり者を育てよう」というページ。
自分たちが好きなことを愛してくれる人たち、
その変わり者に全力で応えようとしたのが彼らの原動力ではなかったのだろうか。

グレイトフル・デッドのファンは、自分が好きなバンドのことを
他人に伝えたくてたまらない。このように、何かに情熱を抱いている人は、
それについて熱っぽく語るものである。だから、変わり者が引き寄せられ、
ほかの人に情熱的で伝えたくなるような独自の体験を作り上げればよいのだ

(P.138)

これ、アップルの愛好者にも全く同じことが言える気がするなぁ……。
ピンとこない人、好きでもない人に無理にすすめていくものではなく、
ただ少しでも感じてくれるものがあるのなら、手を尽くす。
消費者を「ターゲット」と見なし(自分も仕事では言ってますが)、
売るための手法の効率と洗練を競うばかりではなく、
これもまたマーケティングの姿であるならば、ちょっと嬉しい。

著者のデイヴィッド・ミーアマン・スコット氏とブライアン・ハリガン氏は、
いま関係者の注目(および誤解や便乗も)を集めている
インバウンドマーケティングの、主軸となる提唱者。
その概念を直接述べている訳ではない(言葉としては登場する)けれど、
根底の考え方を理解するうえで(私もまだ勉強中です……)
大切なエッセンスが含まれていると思う。
『インバウンド・マーケティング』をメインのテキストとするならば、
楽しく読める副読本みたいな存在と言えるだろうか。
マーケティングにもラブ&ピースを、という貴方にはオススメかも。

ちなみに(last but not least、ってことで)、
翻訳の渡辺由佳里さんは著者のひとりスコット氏の奥様でもあるのだけれど、
小説新潮の新人賞も受賞された方で、文章が素晴らしくスムーズだ。
糸井重里さんが監修されていることも関係あるかもしれないが、
久しぶりに優れた翻訳書に出会った気がする。感謝。

グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ
クリエーター情報なし
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