ポンピドゥー・センターに展示されている作品のうち、
1906年から1977年まで隔年一作ごと選んで展示する企画展。
美術館のブランドを活かした、「企画」としての面白さにまず惹かれた。
しかし、自分の知識や理解度の乏しさを思い知らされた。
大体の作家や作品に覚えはあるものの、
時系列として見ていくと、どうも世界観というか、
展示のストーリーがよく分からない。
ある作家は若い時代の作品が取り上げられているが、
同時期に活躍していた別の作家は晩年のものであったり、
自分なりの美術観とどこかずれを感じるのだ。
少し目線を変えて、というか
時間軸を意識して鑑賞すれば良かったのかもしれない。
でも、楽しみ方は他にもあった。
例えば各作品に添えられている作者の写真とコメント。
その顔を見ながら作品を見ていると
「こいつ、こんな物を創るのだなぁ」という想像を促されて、
(勝手な妄想ではあるけれど)
作品との距離が近くなる気がする。
しかし時間という座標軸は残酷で、
美術上の記録としての価値の勝る作品と
今なお力を放つ絵画や彫刻の佇まいの違いが
何ていうか見える化されているようだ。
ま、その哀しみもアートの味わいではあるのだが。
あと個人的に印象に残ったものを覚書として。
・ヴラマンクの「河岸」(1909−1910)に感じるフォービズムからキュービズムへの変化の兆し。
・レオナール・フジタ(藤田 嗣治)の「画家の肖像」(1928)は日本画だなぁ。
・フロンイントリッヒの「私の空は赤」(1933)は、抽象画だけどドイツ的なのが面白い。
しかしユダヤ系の彼が、1943年に強制収容所で生涯を終えたという事実はたまらなく重い。
・いわずもがなのピカソの「ミューズ」(1935)。この画家はいつもながら「完璧」。
・ジャック・ヴィルグレの「針金」(1947)は可愛くて部屋に置いておきたい。
・ビュフェの「室内」(1950)は、何でもない風景が何故こんな強い絵になるのだろう。
・ジャン・アルプの「ユールー」という造形は、もはやCGオブジェクト。形への感覚の原点なのか。
・シモン・アンタイの「未来の思い出」(1957)は、黒く塗ったキャンパスから十字に絵の具を剥ぎ取った作品だが、これが超クール!個人的には一番インパンクがあった。
・ジュヌビィエーヴ・アスの「光のトリプティック」(1970−1971)は、ほぼ真っ白なミニマル系だが、ターナーの影響と言われてみると、それも感じる色使いの抑揚。面白い。
ま、そんな感じだけど、見る人それぞれの楽しみ方ができる、
おもちゃ箱的な魅力のある展示ではないだろうか。
ただ通常の閉館が17:30というのは早過ぎるなぁ……。
小池知事、も少しゆっくりと鑑賞させてくださいませ。