TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

森山大道展/東京都写真美術館

2008年05月31日 | ♪&アート、とか
「I. レトロスペクティブ 1965-2005」と「II. ハワイ」の2部構成からなる森山大道の写真展。雨の肌寒い夕方だったけれど、いつもに比べて人が多い。やはり人気がある人なのだろう。レトロスペクティブはなんせ40年近い活動の集大成だけに若干駆け足な感じは否めないが、その分写真家としての道筋が見えやすい。良くも悪くも教科書的な展示という感じがした。

印象に残ったのは70年代に北海道で撮られた写真(「何かへの旅」と題されていた)と、80年代の「光と影」パート。たとえば前者の「釧路」の車の中からの雨や「津軽海峡」の海、そして「桜花(10)」、また後者の「タイヤ」「靴」「キャペツ」など。主題自体にストーリーがあるわけではないが、光と影のみで語られるその厚みにしばらく目を離すことができなかった。この感覚を文章で書けるだろうか、いや相当難しいな、と妙にプレッシャーも感じたりして。

でもその後に続く90年から2000年代にかけての作品群「新宿、ブエノスアイレス、ハワイ」は、作品としての完成度は格段に高いのだろうが、見ていてもうひとつ気持ちが入らなかった。実は「作品」でないことが森山氏の魅力なのではないだろうか。

ところで会場で何組か、写真を見て連れと笑っている女性客の姿が目についた。声は小さいし迷惑とかそういうのではなく、ただそのリアクションが不思議だった。もしかしたら森山写真の真っ直ぐさは、どこかでユーモラスなオーラを発生させているのかもしれない。「靴」とかちょっと微笑ましかったし。でも一体何がおかしかったんだろう。

美術館を出ても雨はまだ降り続いていた。少しだけ色を失った恵比寿の風景が、展示室の写真とつながっているように思えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンタクト・レポート

2008年05月30日 | 雑感日記
駅のトイレで手を洗おうとしたら、プラスチックのケースが捨てられていた。一瞬何かと思ったけれど、たぶん使い捨てコンタクトのケースだろう。詳しくないけどワンデーなんとかとか、そういうやつ。

しかしこの時間帯(夜11時頃)から新しいコンタクトをする理由はなんだろう。急にはずれて家にも帰れない強度の近視なのか、そしたらトイレに辿りつくまで1、2回転んだんじゃないかとか、金曜の夜でこれから繰り出すつもりなのか、しかもこれはカラーコンタクトで外人になりすますとか、実は外人のふりして相手を油断させて極秘情報を聞きだすつもりなのか、それを阻止しようとする勢力との間で抗争に発展するとか。はたまたいままで眼鏡を使っていたのだけど今日やっと合うコンタクトを入手して、帰りを待てずにここでつけちゃって、おや目の前が全然違うぜと世界が変わり、一緒にいた同僚の女性がとても魅力的なことに気がついて、いきなり恋がはじまっちゃったりとか…

そんなことを考えていると、プラスチックのケースが物語の抜け殻に見えてくる。で、実際のところはどうだったのかなぁ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

犬童一心監督講演会

2008年05月29日 | 映画とか
分類は「映画とか」だけど作品じゃなくて今回は監督です。とある催しで、映画監督の犬童一心さんの話を聴いた。最初のトピックは、興行面から見た日本映画の状況について。邦画は完全に復活したように見えているがそこには危うさもあることなど、なかなか説得力のある分析。映画というものについて、よく考えている人だなと感じた。

映画ビジスネの文法がきちんと見えているという点ではプロデューサー的センスのある人だと思うし、またそれがなければプロの監督(=それで食べていける)は務まらないのだろう。熱く語る姿はふだんの飄々としたイメージとはちょっと違って新鮮だった。面と向かって話しているときとは別の顔を見せてもらったけれど、そういう意味では講演会みたいな機会は確かにおもしろい。

次のトピックは誰に向けて作るか―たとえば「Touch」は、他に娯楽のない田舎のショッピングモールで友だちと暇をつぶしているような中学生。「眉山」は地方に住む60歳を過ぎた夫婦が揃って。ただし夫はほとんど寝ている―そんなイメージから映画の性格が決まってくる。誰か特定の人に向けて作ったものが結果的に普遍になっていくように、実は正しいやり方なのかもしれない。

そしてもうひとつ「大勢が口を出すといいものができない」。これは製作委員会システムの問題点でもあるが、原理はまんま広告の仕事にもあてはまる。隙間もなくピタリと。そうならないためには「中心にいる人が『こういうものが作りたい』という思いを持ち、貫くこと」が大切。そうなんですよね、それなのにおれっちったらついついまとめに入っちゃったりして…結局我が身を振り返ってしまった講演会なのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

故きを温ねて

2008年05月28日 | 雑感日記
「温故知新」の漢文読みは、「子曰く、故きを温ねて、新しきを知れば、以て師と為るべし」となのだそうだ(語源辞典)。そんなこと昔習っただろう、といわれちゃうけど、読み方に「たずねて」と「あたためて」の二説あるとか、ほとんど失念。いやー、こういうこといろいろあるんだろうな。

会社の中国人新入社員のJさんと話していると、話題によっては「中国の古い詩にこんな言葉があります」というフレーズが登場する。中国で育ち、日本の大学を卒業して就職した相当優秀な人だけど、普通こういう会話ってできないっす。なんかちょっと素敵でもある。最新のテクノロジーもいいけど、少し先人の智恵に学ぶべきかなぁ、とつらつら考えさせられたビルなのでした。でも何故この名前?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インストール/綿矢りさ

2008年05月27日 | 読書とか
えーっ、今さらですかいって感じのこの一冊、実際電車の中でちょっと恥ずかしかった。このオヤジ、なんか下心とかあるんじゃないの、とか思われそうで(被害妄想?)…で、「セカチュー」とどっちが恥ずかしいかはともかく、読みはじめるとなかなか快調。赤の他人にいきなり自分語りはじめるような強引な話法もちゃんと使いこなすセンスあり。前半20ページくらいはビュンビュンいけた。

ところがそのイキオイ、小学生の「かずよし」が登場するあたりからペースが変わる。なんか文章がとたんにスローダウンしてきて中高生の作文風に。ただ題材が「テニス部夏の合宿」から「風俗嬢のふりしてエロチャットでバイト」に変わったくらいの違いだろうか。

しかし地力なんだろうか、最後まで投げきる芯の強さ、確かに才能感じます。ところでこの話、「新鮮な視点で描かれたいまどきの女子高生物語」という世間的な期待というか先入観にある意味マッチしているところも当たりだったのでは。主題の風俗チャットも相手の思い入れに応えるお仕事。なんか面白いパラレルだ。パラレルついでにいうと、仮にこの小説を書いたのが山田詠美(あたしは書かないよ!って怒られそうだけど)だったら世の中の反応はずいぶん微妙なものだったはず。作者と作品は別、というお題目はあるけれど、小説も人と社会と無関係ではいられないんだろうな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする