TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

「好き/嫌い」と「推し(押し)/引く」の間に

2022年12月25日 | 気になるコトバたち
言葉遊び的考察ではあるけれど、「あんなこと言われたら引くわー」とかの「引く」と
「○○推し」の「推し」の心理的な背景は近いんじゃないだろうか。
「推し≒押し」という前提で考えると、今の時代は「好き/嫌い」ではなく
「押す/引く」という距離感の取り方が好まれているように感じるのだ。

その違いは、前者(好き/嫌い)という感情がある程度のコミットメントを伴う一方で、
後者(押す/引く)は第三者的な立ち位置を維持できことだ。
感情を発露するシステムとして「コスパ」が良いというか。

ただこれ、良し悪しとかではなく、変化への観察として捉えたい。
そういうあり方を要請している世の中への対応であり、
これもまた「生存戦略」のひとつではないだろうか。
そして今の疑問は、「推し」を極めると「好き」になるのか、ということ。
おっと、宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』をまだ読んでなかったぜ。

昔ファンクラブというのがあってだな

2022年12月04日 | 雑感日記
そういえば、ファンクラブという言葉を聞かない気がする。
変わって何があるかといえば、フォロワー(数)じゃないだろうか。
またその周辺の用語として、「信者」と「アンチ」というのもあるな。

思うに、誰かとその人(あるいはグループやその他何らかの存在)を好きで支持する人たちの思いを回収し、またそのエネルギーを活用するシステムとしてファンクラブはあったように思うのだが、今その機能は、往々にしてネット上で果たされている。
自分自身は誰かのファンクラブに入っていたことはないが、パートナーは昔、THE BLUE HEARTSのファンクラブの一員で、優先的にライブの告知を受け取ったりしていた(そのおかげでマーシーのコンサートを前から3列目で観たことがある)。

もちろん、いまも「ファンクラブ」という仕組みは存在している。
検索するとすぐに出てくるのがJhonny's net——あのジャニーズのファンクラブだ。
詳しくは知らないが(大昔、CMの仕事で某マネージャーに随分怒られた記憶があるが)、管理体制の厳格な「企業」であると思う。
ただし公的な性格は薄く、個人オーナー的専政体制みたいな印象がある(この辺は想像です)。
何が言いたいか、というと、いわゆる「会社」の形が昭和的なヒエラルキーから、業務やプロジェクトを遂行するためのより目的の遂行に即した有機的なものになりつつあるのと同じく、「ファン」を収束する形も変わりつつあるのではないか、ということだ。

まあ、まだこの2022年(令和4年)においても、「昭和97年年度」の会社も多いみたいだけどね。
「ファンクラブ」の話に戻ると、それは「スター」という言葉の減衰とも重なっているのだろう(もちろん、より一般的な用語としての「スター」は残っているとして)。
一方で、昭和懐かしいブームみたいななか、ファンクラブというシステムの戦略的な復活はあるのかもしれない。
もう誰かが手がけているかもしれないけれど。