TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

英語への「苦手意識」の奥にあるもの

2019年10月20日 | 雑感日記
日本人の英語への感覚は、一般的には「苦手意識」という括りでとらえられがちだが、考えてみるとなかなかややこしい。

たとえば昔、どこかの家電量販店で見た光景。いわゆる「白人」の女性が店員さんに「スミマセン、エアコンはどこですか?」みたく、ネイティブではないが、普通に分かる日本語で尋ねた。で、店員さんが「ソ、ソーリー、ノーイングリッシュ」的な答を返す。相手は日本語じゃん、と思うが、彼の頭は「外人=英語」になっているのだろう。

あるいは、「いやー、私は英語が苦手でお恥ずかしい。ハッハッハッ」とか言いながら、多少英語のできる若い部下に無茶ぶりをするオヤジ。入社2、3年目の社員——それも普通の大学出で専門教育を受けているわけではない——に英文契約書とか扱えないだろう。で、「なんだ、英語できるといっても、たいしたことないな」みたいなマウンティングに出たりするわけですよ。

「直訳=正解」という思い込みも意外に多い。以前関わった英文記事の仕事で、ネイティブのライターの文章の単語ひとつひとつを英和辞典で訳して「意味がわからん、おかしい」とクレームをつけてくる依頼主がいた。上記のオヤジと同じで、英語への苦手意識が、どこか歪んだ攻撃性につながっているのだろうか。

一方で、バイリンガルの人間(国籍問わず)に対しては、「日本語上手だけど、ときどき不自然だね」とか「英語は上手いけど仕事はね」みたいな重箱の隅っこ捜索隊となるのも興味深い。単にビジネスの仲間として普通に接するのは大変なのことなのでしょうか。仕事の上で言うべきことは、きちんと伝えるなり指摘するなりして。

なんていうか、英語という「異物」への意識は、他の存在に対しても通じる体質のような気がする。それは価値の判断を他社との比較に委ねる体質とも言えるだろう。個としての自律性が脆弱というか。これ、時代的にはますますマズイ事になる気がする。日本語がきちんと使える、というのは素晴らしいことだ。本質を見ようよ。

あなたの脳のしつけ方/中野信子(2015)

2019年10月18日 | 読書とか
脳科学者の中野信子氏による、ある種の「脳のトリセツ」。でも脳という器官が人間の思考や行動におよぼしている影響を考えると、「人間のトリセツ」と呼んでもいいかもしれない。ただ著者が「はじめに」の章で「自分自身のありように苦しみながら、なんとか脳科学の知識を使って、自分の脳を『しつけ』てきた、その結晶」と述べるように、このベースとなっているのが中野氏自身のかなり高性能の脳だと思うとちょっと身構てしまう……が、実際のところ、なかなか面白くて読みやすい一冊だった。

もの凄く乱暴にいうと、自分の悩みや問題を、性格や気質のせいにするのではなく、「だって脳ってこういうもんだもん」と考えてみよう、という提案。この視点設定が、我ら日本人の苦手な部分では。以下、自分で気になった箇所を抜き書き的に。

集中力って奴は、それ自体を鼓舞するよりも、集中をそぐものを減らす方のが有効。机の上を片付けて、SNSのアプリは閉じておこう。そして継続した作業の場合、あえて中途半端で止めるとより強い印象として残る(リトアニアの学者の名前から「ツァイガルニク効果」というそうな)。そして他の論者も口にすることだけど、「ともかく始めてみる」のが大事。

「ジョハリの4つの窓」理論は面白かった。他人は知らないであろう秘密を指摘されると(本人の自覚の有り無しに関わらず)、指摘した人間への親密度が高まる(「モテる」状態)という話。これ、村上春樹氏が小説の執筆にあたり、人間の自我を家に例えて「近代的自我のさらに下にある地下2階に降りていく」と述べた話につながる気がする(川上未映子氏との対談『みみずくは黄昏に飛びたつ』の91ページ)。

右脳と左脳。前者は全体像を、後者はディテールを見る。だからといって、創造性との関わりは科学的には確認されていない、という話。で、ときどき「エセ脳科学」的な分かったような話を耳にするのだけど、人間の脳というか意識と行為なんて、やたら変数が多い話なので、科学的には確認されていないといった留保をつけてくれるのはありがたい、というかこれが科学者としての誠意だと思う。随分前に飲み屋で近くに座っていたカップルの男の方が、「だから女性は脳科学的に管理職に向いてないんだよ」みたいなことをいってたけど、そんな男とはさっさと別れた方が未来が開けると思うぞ。

「努力」は「才能」、というか脳の構造の違い。それは「報酬」をイメージできる能力であり、逆に「面倒くさい」のも才能。だいたい便利なシステムとか、面倒くさがり屋の発明だったりする。そして「ネガティブな感情の方が駆動力は大きい」というのも気に入ったなぁ。自己啓発的というか意識高い系というか、薄っぺらいポジティブ思考ってしっくりこないんだよね。

そして、努力をゲームにする。あるいは「ゲームを変える」という発想。これこそ「脳のトリセツ」の実践編なんじゃないだろうか。これ、気に入った。「頑張らなくちゃ」や「カイゼンしよう」とか呟くよりも、「ゲームを変えるぞ」という方が楽に動ける気がする。ちなみにこれ、先日の「SWITCHインタビュー 達人達 沢則行×宮城聰」で、いじめといったネガティブな事態に対して「台本を変える」といういい方をしていたことを思い出させる。日本人って、自分も含め、ちょっと1カ所に根を生やしすぎなのかもしれない。

とまあ、こんな考えや気づきを受け取りながら読み進めたのだけど、気持ちが軽くなる読後感がナイスでした。これはマーケティング的な観点も含め、編集者のディレクションの上手さともいえるだろう。

ところで余談的に考えて、脳のトリセツがあるなら、逆トリセツというか、間違った運用もありえるのではないだろうか。世間では良い人とか真面目で誠実な人、みたくいわれていた人間が「なぜあんな酷いことを」といった出来事の背景には、脳の使用法を間違って「最初は(本当に)しつけのつもりが、どこかで虐待にすり替わった」みたいなこととか、もっといえば、意図的に相手を間違った方向に操ることも可能ではあるのだろう。もちろんその手の言説もけっこうあるし、その辺としては中野氏も共著として名を連ねている『脳・戦争・ナショナリズム : 近代的人間観の超克』も読みたい一冊だ。

ま、ともかく脳について考えることは面白くもある。さて、今日もよく働いてくれた脳にリラックスしてもらうために、ビールでも飲みますかね。