1986年アイドル自殺で30人以上の若者が後追いで亡くなる

2020年10月02日 06時47分39秒 | 事件・事故

岡田 有希子(おかだ ゆきこ、1967年(昭和42年)8月22日 - 1986年(昭和61年)4月8日)は、日本のアイドル、歌手、タレント、女優である。本名は佐藤 佳代(さとう かよ)。愛称はユッコ(Yukko)。
愛知県一宮市生まれ、同県名古屋市熱田区育ち。名古屋市立向陽高等学校を経て、堀越高等学校卒業。
サンミュージックに所属していた。
1984年に音楽賞などの新人賞を総なめにして「ポスト松田聖子」と期待されていたが、1986年に飛び降り自殺した。
当時は若者の相次ぐ自殺が社会問題となり、「ユッコ・シンドローム」と呼ばれた。

急死
『Heart Jack』がスタートして3日後の1986年4月8日、自宅マンションでリストカットを行いガス自殺未遂。
2階上のマンション住民がガス臭に気付き、管理人が110番と東京ガスに通報した。
レスキュー隊が駆けつけたとき、岡田は押入れの下段でうずくまり泣いていたという。
北青山病院(東京都港区北青山)で治療を受け、当時東京都新宿区四谷にあったサンミュージック本社に戻った直後、12時15分に本社ビルの屋上から飛び降り自殺した。
享年20(満18歳没)。
遺書とみられる鉛筆書きの便箋が残されていた。
サンミュージック専務・福田時雄は「岡田が何に悩んでいたかは分からないが、感情の起伏が激しい子だった」と答えた。
ウェルテル効果とみられる若者の相次ぐ自殺が顕著となり、「ユッコ・シンドローム」と呼ばれた。
岡田を可愛がっていた共演者の近藤真彦と中森明菜が思い出を語るとともに、視聴者に対して自殺を思い留まるよう訴えた。
4月21日にはサンミュージックの先輩・森田健作がワイドショー『おはよう!ナイスデイ』(フジテレビ)の緊急特集に出演し、若者に後追い自殺をやめるよう訴えた。
岡田の死は国会でも取り上げられ、4月9日の衆議院文教委員会では江田五月の質問に文部大臣・海部俊樹が答弁した。
同年2月1日に「中野富士見中学いじめ自殺事件」が起こっていたこと、若者の自殺の連鎖が止まらないこともあり、4月25日に衆議院文教委員会と参議院特別委員会で「青少年問題」として議題に取り上げられ、最善策を審議することとなった。
1986年(昭和61年)の日本国内における若者の自殺は800件を越えた。

自殺の原因については様々な噂が出たものの、真相は不明である。
岡田が相澤宅で下宿していた時期と重なる桑田靖子・滝里美・橋本美加子は女性週刊誌『週刊明星』(集英社)の取材で、岡田の多忙による睡眠不足や男性との交際が苦手だったこと、好きな芸能人については語ったものの、岡田が悩んでいることには気付かなかったという。
2000年(平成12年)には、岡田の元チーフマネージャーであった取締役制作部長が首吊り自殺をしている。
2013年(平成25年)12月10日放送の単発特別番組枠『カスペ!』(フジテレビ)では、サンミュージック社長・相澤の死去までの10日間を追ったドキュメンタリー『独占! 昭和芸能界の真実 アイドル発掘王・相澤秀禎』が特集され、「伝説の美少女アイドル」として岡田の話題も取り上げられた。
そこでは、相澤が岡田の死を止められず生涯悔やんでいたこと、岡田がサンミュージックの後輩・酒井法子にプレゼントしていた写真パネルを社長室に飾っていたこと(後述)、毎年手帳を新調するごとに岡田の写真を表紙裏に貼って絶えず持ち歩いていたことが紹介された。

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