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マハサラカムだより

マハサラカムでの生活、地域の様子の紹介

ついに雨が

2011-02-28 01:45:22 | 日記
 マハサラカムに久しぶりに雨が降った、昨年10月下旬以来4ヶ月ぶりの雨である。しばらく行っていなかったマッサージ店へ夕方の6時頃に入る、施術を初めてもらった頃に稲光が少しする、まずいなと思いつつ、その内ひからなくなったので気に止めないでそのまま続けてもらっている、少し眠たくなってくる、しかし、7時半頃から稲光が立て続けに、まだ雨は降っていない、マッサージはまだ続くようだったが、雨が降りそうなので帰ることを言う、マッサージ師が窓の外を確認してくれて「まだ大丈夫、降っていない」と言う、1階に降りてきて料金を支払い外に出ようとすると小粒の雨が降っている、やむなく傘を借りて小雨の間に帰ることにする。 
 道路はバイクで溢れかえっている、わずかだが傘さし運転のバイクもある、みんな帰路を急いでいるようである。ここから宿舎のホテルまでどんなに急いでも20分はかかるので早足で歩いて行く。その内、気づいたのが、走るバイクが減っている、雨を避けてそれぞれの目的地に着いたようである、改めて認識したが道を歩いているのは自分一人である、まして傘をさして歩いている、目立っているとは思いつつどうしようもない、幸い、大降りにはならずに宿舎に到着してほっとする。
 帰ってみると汗でびっしょりである、マッサージの間もエアコンは付け放しであった、部屋のエアコンも付けずにはおられない、これから4月のソンクランまでは、わずかの雨で益々暑くなっていくのだろう、そして本格的な雨季の到来である。また、毎日、鞄に傘を入れなければならない日常がやってくると思うと少しうんざりである。

「旅行会社」 その2

2011-02-27 00:18:30 | 日記
   帰りのバス、ちょっと古いが、この会社所有の立派なバス、何と故障、運行できなくなる、代わりはバンのレンタカーをすぐに手配する、危機管理の段取りはOKである。バンが来るのを待っている時、状況の説明があったが、最後に「すみませんが、乗り換えてください。」と言われた「すみません」が唯一の謝罪、普通なら、迷惑をかけ、予定どおりにいかないことをまず謝るだろうと思うが、悪いのは故障したバスであって、どうやら旅行会社ではないという認識らしい。
  きわめつけは、バンの車内で、「あなたが22時のバスで帰ることは聞いていません」という発言、乗れなくても知らない、マハサラカムに帰れなくても知らない、ということである。ツアーは1~2時間遅れても問題ないという、しかし、前日の夕食で、帰宅のバスの時間を聞かれ、報告すると、「大丈夫」という返事までもらっている、その時は忘れていたようである。「案内のチラシは19時にソイ24に着くようになっている、このツアーの責任者はあなたですよ」と言う、「返事しません」と黙りこんでしまう、バンの中で「この人が22時のバスに乗るので、モーチット(バスターミナル)に先に寄っていいですか」という、他の客に対してもだが、「お客様」と言えない、「この人」という、会社のバスが故障して遅れたのに、あとの段取りを考えるのが旅行会社として当然ではないか、マハサラカムから出てきて、ツアーに参加してもらってありがたいという思いがない、これでこれまでよく日本人相手に旅行会社を長く続けてこられたと感心する。
  「普通の旅行会社と違う」という認識なのかと思っていたら、夕食で客の一人が「ブータン旅行をやらないのか」と聞いたら「ブータンは旅行会社として儲からない」という返事、旅行会社として認識しているのである。
  今回の客はすべて良い人、その中のリピーターの人に聞くと、この会社の客は、1回限りの人とリピーターの2極に別れるらしい、企画はなかなかよい、説明も悪くない、日本人向けの週間新聞等に必ず広告を載せている、そういったものが集客につながっていると思う。しかし、客相手の仕事としてはいかがなものかというのが感想である。謝らないという感想も多いということもリピーター客から聞いた。結局、夕食もとらず、バンを飛ばしに飛ばして発車5分前にモーチットに着いた。(写真はすべてスリーパゴダで)

「旅行会社」 その1

2011-02-26 00:55:54 | 日記
  ツアーに参加した人数は7人、当初は10人で催行と聞いていたので、確認の電話を入れるとやはり中止、しかし、その後、会社と懇意にしている人が訴えたのか、実施するとの電話が入った、1泊2日で11800バーツ、燃油サージや空港税等を除いた日本帰国の往復航空運賃よりやや高い額である、結構な価格である。
   以前から行きたかったところだし、催行されるのはありがたかった。そして、費用の支払い等の段取りをいうと、何と全くこちらの言うことを聞こうとしない、会社の都合だけを言ってくる、こちらはクルンテープに住んでいるわけではない、銀行に行くにもソンテウに乗って行くしかない、翌日に銀行の営業時間に行くのは難しいと言うが、配慮しようとしない、強引である、セブンでもできると言われ、行ってみたができないという、電話でその旨を言う、どうやら確かな情報でないようである。
  集合場所の地図をメールしてもらう、しかし、全然違うものが送られてくる、間違っていることを指摘しても謝罪しない、当日、送られてきたものをプリントして渡したが、やはり謝罪はない。(写真は木橋からの朝日) 
   出発は午前7時、「遅れても待たない、出発する」と何度か言われる、人間だから腹が痛くなったり、アクシデントもあるのに、「遅れないように」と注意を促すだけでよいのにと思いながら、集合場所で初めて会う、そして、2日目の朝、7時からの朝食、10分前には客は全員レストランに集まっている、しかし、肝心の旅行社の方がこない、結局、15分遅れて来る、理由は寝過ぎらしい、謝罪があるのかと注目していたが、客に謝罪の言葉はない。(写真は水没した寺院の壁) 
    前夜、筏を降りたところからホテルまで10分くらいの急な坂道、客は全員歩いている。その横をバイクに客席を付けたような乗り物で、一人だけ登っていく、一言、客にも紹介すればよいのにとつい思ってしまう。やっとの事でレストランに着いたら、一人、座席で待っておられた。(写真:土産物の生地を買う)
   リピーターの客は慣れているのか、当たり前という感じ、みんなで写真を撮る時も、真ん中の前に来るように客が言う、そういうツアーなんだと思わずにはおれない。今まで、添乗員等が主客のようなツアーは経験したことがない。

スリーパゴダ

2011-02-25 00:47:25 | 日記
 モンの木橋 その4
  
  モンの木橋から30分ほどバスで行くとスリーパゴダがある。地図を見ると、この3つの小さな仏塔のある奥行き約100メートル、対面50メートルぐらいだろうか、この突き出た部分だけタイの領土で、回りの3面はミャンマー領である。土産物屋はスリーパゴダに向かっているので、正面はタイ領であるが、店の裏側はすべてミャンマー領になるらしい。
  つい最近まで、ここの国境ゲイトは閉鎖されていたらしいが、現在は再開されている。ミャンマーとの国境といえば、チェンライ近くのメーサイ・タチレイに何度か行ったが、雰囲気は全く異なっていて、人の往来などこちらは賑やかさはない、国旗とゲイトがなければ普通の道のように思える、滞在した小一時間の間に数台の車が通っただけではないだろうか。
  パスポートと写真、US10ドル払えば国境を越えて、ミャンマーに一時入国できるようだが、残念ながらその段取りをしていない、パスポートには出入国のスタンプを押さないようなので、逆にタイの滞在期限延長のために一時出国したい人にとってはお金だけかかって意味のない出国になる。
  このスリーパゴダのある地はかつて泰緬鉄道の敷かれていた場所、記念のレールが置かれている。近くの線路跡も歩いたが、2本のレールがあったろうと思われる道があるだけで、説明を聞かなければ、何もないところである。(写真は線路の跡)
  時間はお昼を少し回ったところ、これから昼食を食べて、クルンテープに戻るのが大変な場所である。

木橋を渡る

2011-02-24 00:27:31 | 日記

 モンの木橋 その3
  

    朝食の後、いよいよモンの木橋を渡る、タイでは一番長い木橋である。木橋といえば京都・八幡の「流れ橋」やミャンマー・マンダレーの木橋を思い出す。水面からの高さはこのモンの木橋が最も高い。
  写真は木橋を渡るミャンマー人、説明によれば、ほとんどの人は正規の入国手続きをしていないという、写真を撮りながらゆっくりと渡っていく、湖面の眺めはすばらしい。
  橋を渡った所からミャンマー人の店や住まいが続く、この一帯は「リトルビルマ」と呼ばれているらしい、散髪屋やかつての映画館がある。(写真は元映画館) 教えてもらったのが、モン族の家に必ず出窓があること、この出窓に仏壇を置いているという、外から見ると雨戸が閉まっている感じである。
  ワット・ワン・ウィウェーッカーラームへ行く、昨夕行った水没した村にあったものを建て替えた寺院である。建立したモン族の僧侶ウッタマ師は大変尊敬された僧侶でモン族以外からも信望が厚かったようで、風格のあるすばらしい寺院である。次に「チェディ・ブッダガヤ」へ行く、こちらもウッタマ師によって建立されたもの、タイの寺院は本堂と仏塔は同じところにあるが、ミャンマーの仏塔(パゴダ)は違う場所に建てられる、やや離れた場所にあり、若い僧侶が改装作業をしていた。こちらは土産物屋もたくさんあり、ミャンマーの腰巻きの布を購入した。