マハサラカムだより

マハサラカムでの生活、地域の様子の紹介

チューレン サヤーム

2009-10-31 23:10:50 | 日記
 朝、予定外に先生が迎えに来られ、昨日の見学と同じ学外にあるCBR(障害児の地域センター)(入口・写真)へ 何人かの職員もおられ、みんなで買ってきた朝食を食べる。
 その時、施設長のアーチャン(先生)・スダーがチューレン(ニックネーム)をタイ人と同じようにつけると言い、日本のはダメ、タイの名前ということで「サヤーム」と言い出し、「ウーン」と首を傾けたが、有無を言わせず、決まってしまった。ちなみに「サヤーム」はBTSの駅名にもあるが、タイを表す「シャム」こと。
 夜は、マハサラカム大学であったロイカトンに行くことに、本当のロイカトンは11月2日で市内でも実施される。大勢の人で、ロイカトンの歌などなく、若者の大音響、思った風情は全く無しであった。
 

日本語に飢える

2009-10-30 23:55:33 | 日記
 朝、9時30分、先生の車の迎えで、マハサラカム・ラジャパット大学へ、今日まで休みということで、人は少なく閑散としている中を車で案内していただくことに、隣のマハサラカム大学には及ばないが、かなり広いキャンパスであった。
 そして、マハサラカム市内を一周、施設長と一緒に食事をする。
その後、学内の日本人教師と話をしたが、わずか24時間余り日本語のない時間を過ごしただけなのに日本語に飢えて1時間半、話まくって仕事の邪魔をしたのではないかと反省!! この先が心配
写真は、カンチャナブリの「生き直しの学校」で生徒からお土産にもらった手作りの馬

いよいよマハサラカムへ

2009-10-29 23:03:41 | 日記
 朝から荷物をまとめて、JICAとTICAの合同の式典へ、ここで一人ずつが抱負なりの自己紹介をタイ語で行ったのですが、例によって準備は前日に、ただ、奥の手を使っていて、日本に留学していた知人にタイ語訳と録音を依頼、それらを活用した結果何とかクリア?(写真)
 昼食後、荷物をバンに詰め込んで、いよいよマハサラカムへ、13時30分にホテルを出発、寄り道もあって22時に到着、一人の日本人に会話もうまく通じず、8時間余の車の旅は、やや疲れてホテルへ、
 このブログを書くもうまくいかず、後で再度挑戦することにして就寝
 追伸:29日日本時間で18時以降に携帯に入ったメールは、氏名不詳で開けることができません。今後、クルンテープ等の都市へ行った際に見ます。
 

歓迎・壮行会

2009-10-27 22:00:07 | 日記
 初めて自力でのブログ作成に挑戦!! 似合わないことをするものだからなかなかうまくいかないことはご容赦を。
 早速、昨日の写真の入れ替えました。そして、写真の説明がないという指摘を受けました。昨日の写真は、アランヤプラテートで、貧しさの象徴のような大きな埃まみれのリヤカーを引きながら、帰国のため国境ゲイトに向かっているカンボジア人の写真です。アランヤプラテートの国境市場ではたくさんカンボジア人が働いていて、夕方近かったため、多くの人が、中には裸足で、リヤカーを引きながら帰路についていました。
 今日は「日本タイクラブ」の在バンコク会員による、在タイ会員になる歓迎と明後日、任地に赴任する壮行会を開いていただき、美味しいタイ料理を食べながら、楽しいひとときを過ごさせていただきました。会員の中で、現職のJICA関係者が2人、そして、今回、ランパーンに赴任するMさんとマハサラカムに行く自分を含めて4名のJICA関係者がいます。会場を出て、「あっ」と思ったら激しいスコール、雨季最後の大雨でしょうか。

ブログ開設します

2009-10-26 13:39:09 | 日記
 仏歴2552年9月28日、JICAボランティアとしてここクルンテープに到着、1ヶ月滞在できると楽しみにしていましたが、あと3泊で、いよいよ任地マハサラカムに赴任することになります。
 この間、クルンテープ都内の見学の他、カンチャブリの「生き直しの学校」見学、水上マーケット、サケオからアランヤプラテート(写真)と例によって行けるだけの行動と、多くの方にお会いすることができました。 
 ブログの開設は、青年協力隊員の絶大な支援で何とかできるようになってきました。時々の開設になりますが、ご覧ください。