マハサラカムだより

マハサラカムでの生活、地域の様子の紹介

今日もファイダップ

2010-03-31 00:37:58 | 日記
   今日は年度末を控えて、しっかり文書の作成もあると思いながらセンターへ、しかし、センターの玄関前につくなり、「ファイダップ」(停電)と言われる。困ったと思いながらとりあえず2階に、スイッチを入れてもやはり電気はつかない。角の部屋で窓が多く日差しもあり暑い。パソコンは使えなくても、ちょっと文書でも読んで、という思いがあったが、部屋にいることは暑くて不可能、今日も帰るしかないのかなと思い1階へ、事務室で「いつ停電が終わるのか、明日は大丈夫か」と聞くが、「マイルー」(知らない)という返事、来ていた職員も少しずつ帰り始める。玄関先の明るいところで用務のおばさんが針と糸で繕いをしていたので、少し話をするが、おばさんもいつ復旧するのか知らないという。始業日を聞いてみると、子どもたちは来週の月曜日からセンターに来るという、1週間来て、ソンクランの休みに入る、と説明してくれたので、職員に聞いてもいろんな日を言ってくれるが一番信憑性が高いかなと思った。
  それにしても、2日間も停電して、いつ直るのかあまり気にしていないところはすごいと感心せざるを得ない、事務室はパソコンだけでなく、電話もFAXもコピー機も使えない、この機会にゆっくりしようと思っているようだ。
  この2日間で「ファイダップ」という単語を何度も聞かされて覚えてしまった。(写真はセンター内の遊具)

停電

2010-03-30 01:25:48 | 日記
  クルンテープを出発する最終バスに乗車して、今朝、午前5時15分にマハサラカムに到着、バス内で熟睡とはいかないが、あまり時間がたったように思わず到着した。何故か今までよりたくさんのトゥクトゥクが待っており、スムーズにホテルに帰ることができた。
  荷物の片付けと朝食、1時間ほど仮眠すると、気がつけば9時、あわててセンターに行く、さすがに夏休みで人が少ないと思い、事務室を見ると一人しかいなく、電気もついていない、まだこの時は停電とは思わず、2階の部屋へ、エアコンのスイッチを入れ、机を拭いたり、パソコンの用意をしていても、いつまでたっても汗がでる。エアコンがONになっていることを確認して停電と気がつく。
事務室に行って、「いつまで停電なのか」と聞くと「わからない、ホテルは」と聞かれ、「大丈夫」と言うと、暑いからホテルに帰るように言われ、滞在半時間足らずで帰ることに、他の職員も自宅に帰ったようで誰もいない、終日にまたぐ停電はこれが2度目、災害があったわけではなく、日本では久しく停電を経験していないので不思議な感覚になってしまう。子どもたちが休みであったのがまだ幸いであった。(写真はセンターの訓練室)

赤シャツ

2010-03-28 02:43:35 | 旅行
 元首相タクシンの支持団体「反独裁民主戦線(UDD)」が国会の解散等を要求して去る3月14日から継続的に抗議デモや集会を繰り返している。昨日の土曜日も大規模集会が開催されるということで、日本大使館やJICA事務所から注意のメールが届いている。現在の首相派が黄色の服を着用し、UDDが赤色の服を着用している。
 1年数ヶ月前の秋、黄服がスワンナプーム空港等を閉鎖にしたことから、タイの政情不安が世界中に響き渡り、昨年の春は赤服がクルンテープやパタヤで暴れるということがあり、先月のタクシン元首相の財産没収に関わる裁判所の判決の後、再び政情が不安という状況が報じられているが、市民の対応はかなり冷静なのではと思う。写真は朝の9時頃、スクンビット通りでのバイクデモを写したもので、このデモはかなり大きなデモ隊であった。しかし、デモ隊が手を振ったりしていても、それに応える市民の姿は、少なくとも自分の見ている範囲ではほとんどいなかった。デモや集会が行われている所以外は、何もないという状況である。
結局、UDDの大規模集会は中止になったそうだが、BTSから見ていると、数台のバイク等が所々の道路でデモをしているというだけであった。

樋泉教授講演会

2010-03-27 14:18:04 | 旅行
愛知県立大学外国語学部の樋泉克夫教授の講演会がアジア ケンディ グループの主催でスクンビットソイ22のインペリアルホテルで開催された。この講演会に是非行きたくて、講演会に合わせて、JICA事務所での事務処理やバンコク病院での定期の検査を予約したわけである。演題は「最近のタイと中国をめぐって」で、先生の話を聞くのは初めてである。
 講演は、昨年の10月に自分も跡地を訪問したサケオ県のカオイダンという最も大きなカンボジア難民キャンプに当時先生が行かれ、難民の約1割が華僑でその経済活動のたくましさから始まり、中華人民共和国が成立した1949年の人口が5.6億人、文化大革命が始まった66年が8億人、そして現在の14億人にいたった状況、「竹のカーテン」と呼ばれ、国外との人の移動を厳しく制限した毛沢東の時代、「共産党」と言っているが、資本主義国である現在の中国、その原点は惨敗した「アヘン戦争」にあり、その後の中国は一貫して富強の国、豊かな国を追求してきたこと、とりわけ78年の改革・開放政策は華僑の故郷である福建省・広東省等の華南経済圏から豊かになってきたこと、華僑は、黄河流域にいた漢民族の移動で民族の性質によるもの等中国の話と、現在のアピシット首相の中国名を「袁順利」ということ、クーデターの際にタクシン首相が国外に出て行った国が中国であること、雲南省を核としてタイ、ラオス、ベトナム、カンボジア、ミャンマーといった中国の東南アジア進出計画等の興味のそそる話をされ、質問を含めてあっという間の2時間であった。(写真は現在のカオイダン難民キャンプ跡地、当時の面影は全くない。)

ニューハーフショー

2010-03-26 02:12:28 | 旅行
  JICAの総会の後、ちょうど1ヶ月ぶりのクルンテープである。JICA事務所で所要を済ませた後、約束等もなかったので、一人だがニューハーフショーに行ってみることにした。タイのニューハーフは世界で一番美しいと聞かされたのは、2度目の訪タイの約10年前、ニューハーフショーは特段、踊りが上手だとか、歌がうまいとは思わないが、ニューハーフがやっているということでおもしろいということだと思う。このニューハーフショーの料金、理由はわからないが、会場で買うより旅行会社で購入すると約半額になる、そこでHISで購入、夕食がついて1560バーツが700バーツであった。今回行ったのは「カリプソ」というBTS駅前のアジアホテル内で行われているショー、カリプソは前回の内容は全く覚えていないが2回目である。会場は小さく、舞台との距離近く、迫力がよく伝わってくる。出演者は今まで見たニューハーフショーより若干だが背が高いように思えた。クルンテープの「マンボ」は大きな舞台で客数も多いが、ここは終演後もこじんまりしていて写真もとりやすかった。
タイでは、ニューハーフが社会でも学校でも自然に受けいれられており、クルンテープ以外にもチェンマイやパタヤに劇場があるという、クルンテープにもあと1ヶ所あり、それぞれの劇場の舞台を比較して見てみるのもおもしろいのではと思ってしまう。