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マハサラカムだより

マハサラカムでの生活、地域の様子の紹介

クンユアムウィッタヤー校

2011-11-30 00:54:17 | 日記

メーホーソンへ その5

 

翌朝は8時に車に迎えに来てもらってトゥペー寺に行く、このワット・トゥペーは、旧日本軍の病院のあった所、戦病死された方の慰霊碑がある。行く道は旧日本軍飛行場跡の横を通っていく、(写真) あたり一面メーホーソンで有名な霧がかかっていて良い風情である。 お参りしてあたりの景色を見てクンユアム中・高校に向かった。

 クンユアムウィッタヤー校は、日本での中1~高3までで全校生徒1000人余と聞いた、予想以上に大きな学校である。日本語は高校生だけが週8時間と聞く、高2、高1、高3と朝から授業に参加させてもらった。最初に自己紹介して、話した内容がどんな内容だったか先生が質問して答えさせ、さらに生徒からの質問を受けるという形だった、生徒の質問は「タイ料理が好きですか」「旅行して良かった所は」「家族に関して」が多かった。

その後は、生徒一人一人が自己紹介をする、高校1年生は日本語の勉強を初めてまだ半年だが、23年生の日本語はすばらしい、比較して申し訳ないが、中心都市の生徒の日本語と遜色はない。比較的少人数(各学年7名~14)の授業であること何といっても2人の先生の日本語の授業がすばらしい、よく準備されているし、テンポも良い。(写真:1年生の授業)

この日のクンユアムの朝は、タイに来た2年間の中で経験した最も寒い朝で風邪を引いたのか声に勢いがない、せっかくの生徒たちを前にして残念な思いである。最後に歓迎の「歌」を歌ってくれる。2年生は「未来」、1年生は「象さん」、3年生は「さくら」難しい歌である、さらに2年生と同じく「未来」を歌う。歌が好きということだが、どの学年も見事である。(写真:3年生と)

訪問したのは金曜日、民族衣装を着て登校する日である。学校全体でいわゆる少数民族の生徒が圧倒的である、日本語の授業を受けている生徒は全員少数民族の生徒である、その中でもカレン族の生徒が多い。その他にもタイヤイ族、ムアン族、モン族の生徒達である。日本語を学ぶ男子生徒は1年生に一人いるだけでタイヤイ族である。(写真:女子生徒はモン族の1年生)

最後までおりたい気分だったが、バスの便も少なく、明るい内にメーホーソンに着きたかったので、高3の授業の途中で失礼して午後3時発のバスに乗ってメーホーソンへ戻った。(写真:左からムアン族、タイヤイ族、カレン族の2年生)


クンユアム初日

2011-11-29 02:17:10 | 日記

メーホーソンへ その4

 

バスの運転手にはクンユアム中・高校の前で降ろしてくれるよう頼んでいたが忘れたようで通り過ぎる、乗車前に話していた乗客が気がついて何人かが運転手に声をかけるが、結局100メートルほど通り過ぎた正規の停留所で降りることになる。

来た道を戻ってクンユアム校に向かう、向こうから2人の女性が歩いてくる、一人はこの間、連絡をとりあっていた日本人教師のK先生、もう一人はこの2学期から採用されたタイ人の日本語教師である。

引率されて日本語の教室に向かう、途中から生徒が荷物を持ってくれる、さらに、タイ人の先生と高校生で泊まるホテルに前もってカバンを運んでくれる。

日本人のK先生とは今年の初め頃から時々連絡を取り合っていたが会うのは初めてである。自分より年長だが見るからに元気で馬力のある先生である。(写真:博物館前にあった慰霊碑)

宿泊するホテルはこの春に退職された副校長が経営するセンダオホテル、歩きながらホテルに向かう途中に旧日本軍の慰霊碑等に行くことになった。

最初に旧日本軍博物館に行く、改装中とは聞いていたが、別の建物を建てるのが中心のようである、見あげるほど立派な建物である。そのため、この敷地内にあった慰霊碑は場所が移動しただけでなく、表面の石が剝がされコンクリートがむき出しである。肝心の博物館の建物は外の壁が改修中のようで、中の展示物はほとんどどこかに持って行かれ作業員の宿舎になっている、 もともと日本の支援で博物館を改修しようとしたようだが、さまざまな意見が出て、中身が変わってきたとのこと、改修が始まってすでに1年が経過しているらしい、完成までまだまだ月日がかかりそうである。

博物館の向かいのビルマ式の寺院にも慰霊碑とお墓がある。慰霊碑は平成7年に埼玉県草加市の寺院によって建立された小さな慰霊碑である、 お参りした後、その10メートルほど横のお墓に行く、 そのお墓に隣接して立派な慰霊碑が建設中である、1210日に完成式典が行われるという、一つの寺院の中に同じ趣旨の慰霊碑が2つできることになる、また、その是非はともかくとしても、後の管理をどうするかという課題も聞いた、確かに、慰霊碑等は作られてもその後の管理は十分になされていないようである。(写真:完成前の慰霊碑、文字はまだ入っていない)

センダオホテルに立ち寄った後、K先生とクンユアムでもっとも大きなレストラン?で夕食をとった。


チェンマイからクンユアムへ

2011-11-28 00:37:23 | 日記

メーホーソンへ  その3

 

メーホーソンに向かうNok Air230人乗りの小さな飛行機と覚悟していたが70人乗りとわかり何か一安心、座席はちょうど主翼の下、プロペラ機の主翼の位置を初めて知った。しかし、乗客は10人余、ガラガラである、これでは赤字路線となるだろう。

20分ほど飛ぶと眼下に滑走路が見えてきた。山あいにあるメーホーソン空港である、空港を大きく通り越して左旋回、1020分、無事着陸した。(写真:メーホーソン空港)

このあとはクンユアムに向かう、クンユアム行きのバスは午後1時半と連絡を受けている。空港からトゥクトゥクに乗って街に出る、昨年の夏に来た見覚えのある街、1時にバスターミナルに行くとしても2時間以上あるので、昨年行ったマッサージ店に行く、受付に一人のマッサージ師がいるだけ、昨年施術してもらった人である、1時間お願いしたら延長サービスしてくれた。昼間は暇な感じでその間は受付に誰もいなかったことになる。(写真:ノックエアーの機内)

メーホーソンの街中ではトゥクトゥクやモーターバイクはあまり見かけないので、空港から乗ったトゥクトゥクを1250分に予約しておいた、ちゃんと約束の時間に来てくれる。

バスターミナルについて切符売り場でメーホーソン行きの時刻を確認する、やはり130分と教えてくれる、30分の待ち時間である、しかし、定刻になっても出発する気配がない、乗客と運転手に聞いたら2時発という、どうなっているのかはわからない。(写真:バス天井の扇風機)

バスは小型の超オンボロである。乗客は全部で78人、若い女性が「日本人か」と話かけてくる、雰囲気からこちらも「カレン族か」と聞く、「そう、全員がカレン族、みんなメーサリアンまで行く」という、 その内、乗客の何人かと自分との関係も教えてくれる、みんな知っている人の感じである。肩掛けのカバンを持ってきて、カレン族のカバンと教えてくれる、 明るい女性である。その内、バスは出発、エンジン音がすごく話しても聞こえないので席に戻る、前に扉のある席に座っていたが何と走行中も扉は閉まらない、メーホーソンとクンユアム間は蛇行の連続、自分のカバンが車外に放り出されないようしっかりもっていた。(写真:ドアは閉まらないで走行)

 


疲れたチェンマイ

2011-11-27 09:36:00 | 日記

メーホーソンへ その2

 

チェンマイに着いて帰路のバス切符を買いに売り場に行ったがすでに閉まっていた、最終の21時発がまだ出ていないのに閉まっているということはすでに売り切れているということか、コンケーンとチェンマイを結ぶ夜行1等バスはこれまでに5往復したがいつも満席、当日の夕方に行って切符を買えなかったこともあるので予約するようにしている。明日の朝、6時に窓口が開くと聞いてホテルに向かった。(写真:宿泊したホテルの部屋から、街も空港も遠い)

ホテルはインターネットで予約した、翌日は航空機なので「空港に近い」と書かれてあったので予約した、「B2」というホテル、トゥクトゥクでホテルに行くと「ここではない」と言われる、確かに「B2」とあるがB2に続く名前が違う、予約したのは「B2ブラック」チェンマイには「B2」と名乗るホテルが何軒かあるとのこと、夜の9時になってこれからホテルを探すのもしんどいのでやむなく指定されたホテルへ向かうが空港とは方向が異なり遠い、やっとホテルに到着、まず食事と思ったが適当なレストランがない、朝食もついていない、売店もない、朝から満足に食事していなかったので「酒場」で食事、朝食は空港でとることにした。(写真:宿泊したホテルの室内)

トゥクトゥクもソンテゥも走っていない、空港に行くにはタクシーを予約するしかないとフロントの話、翌朝の8時に依頼する。(写真:クンユアムのお花畑)

部屋はそこそこ広くて清潔、しかし暗い、照明は弱い間接照明だけ、読書はもちろんパソコンも不可、疲れてもいるし眠ることにした。

タイのことだし遅れるのではと少し早い目に予約したタクシー、定刻少し前に来る、誠実そうな運転手、時間も大丈夫そうなので、いったん空港に向かったがバスターミナルに行ってもらうことにした、帰りのバス券を購入するためである。

昨日、閉まっていた窓口も開いている、運転手も付いてきてくれた、予約切符を買おうとすると10時からという返事、今は当日分しか売っていないという、せっかくバスターミナルに寄ってもらったのにと思うが残念、あとは当日、無事にコンケーン行きを買えるように願うしかない、そのまま空港に向かう、それにしても疲れたチェンマイでの夜から朝であった。

 


チェンマイへのバス

2011-11-26 00:19:56 | 日記

メーホーソンへ その1

 

メーホーソンに行くための方法を考えていた、最も楽なのは経費はかかるが航空機である、コンケーンに出て、昼の航空機でクルンテープ、スワンナプーム空港へ、そしてチェンマイ行きに乗り換える、そこからNok Airでメーホーソンとなる、しかし、クルンテープからチェンマイ間は便数も多いが、コンケーンとクルンテープは日に3便、チェンマイとメーホーソン間は2便しか飛んでいない、どうしてもチェンマイに1泊しないと行けない、同じ1泊するなら一度、乗ってみたいと思っていた昼間のバスでチェンマイに行くことにした、コンケーンからチェンマイは12時間かかるので出発が早朝になるだけである。(写真:メーホーソン山岳少数民族の土産物)

545分アパートを出る、まだ暗い、思えば2年間のマハサラカムでの生活で意外と早朝の出発はなかった。6時過ぎ、ラジャパットの正門前のバス停に行く、朝の6時にマハサラカムのバスターミナルを出るバスがあると聞いていた、着いた頃は一人だったが、乗客が集まってくる、610分、バスが来る、ガラガラである、しかし、途中からコンケーンに向かう高校生等が結構乗ってきて、コンケーンに着いた時はほぼ満席であった。730分の到着である。

チェンマイ行きの昼間のバスは2等バスしかなく、1等の夜行バスと異なり、マハサラカムから到着した同じ普通バスターミナルから出る、8時発がある、切符売り場で到着時刻を聞くと午後8時、ターク経由だがやはり12時間である、料金は437バーツ、夜行バスの504バーツより少し安い、

午前8時、国歌が流れる、座席から外を見ると、多くの人がきちんと起立している、こんなに整然と起立しているのを見たのも初めてである。国歌の演奏が終わると同時にバスは出発した、定刻である、客は半分程度である。

30年前まで共産ゲリラが活動していたと聞いた険しい山道を走って3時間半でピーターコン祭りでダーンサイからの帰路に乗車したロムサックに着く、さらに2時間余でピサノロークに、コンケーンから約6時間、ダイヤ通りである。ピサノロークの次はちょうど1時間でスコータイに停車、過日も立ち寄ったところである。ここからタークに向かう、直接、ランパーンに向かうよりやや遠回り、ターク着410分、ランパーン着6時半、ランプーンが7時半、ランプーンから車が混み始め、距離は短いがチェンマイには810分に着いた、コンケーンから12時間10分の乗車である、座席の座り心地はよかったが、1等バスと異なり食事の休憩はない、停車している間に急いでトイレに行くのが休憩、とりあえず、売店でお菓子を買って空腹対応をした。