味スタ満員化計画

FC東京ービッグクラブへの道

味スタ東京ゴール裏考察

2008年03月07日 | 味スタゴール裏考察
08シーズンの開幕戦が、あと1日と迫ってきた。
東京ゴール裏はこのままでいいのか?
1年間を通して、真面目に考えてみたいと思う。

オレは、ゴール裏では、90分間飛び跳ねる。
とにかく飛び跳ねる。
はじめて90分間飛び跳ねたのは、05年5月8日大宮戦。
それまで、右肩上がりで成長していた東京が、
はじめて未曾有の連敗地獄を味わったシーズンだ。

2敗くらいは笑ってられた。
3敗目には、まだ余裕があった。
連休が始まろうとする4月28日柏戦で4連敗を喫した時のスタジアムは
最悪の空気に包まれた。試合後、ペットボトルはピッチに投げ込まれ、
ゴール裏ではサポーター同士の口論も起きていたと記憶する。
そして、重い気持ちを背負い、
その年の大型連休を迎えることになった。

続く大分戦、鹿島戦でも連敗、黒星は実に、6つ連なった。
だがその連休中、バラバラになりかけた東京サポーターの気持ちは、
黒星を重ねるにつれ、またひとつにまとまっていった。
オレたちサポーターが、チームを鼓舞しないで誰がやる。
そんな熱血青春ドラマのような気運がゴール裏に漲りはじめた。
そして迎えた大宮戦。選手たちも決意書を配ったり、
試合前のアップ時にも、全員で円陣組んだりと、
大宮戦にかける意気込みは普通ではなかった。

結果は、勝利目前でロスタイムに同点にされるという幕切れで、
またもや勝利の女神は微笑まなかったという試合だったけれど、
バラバラになった東京が、ひとつになっていく姿は感動的で、
忘れられない試合のひとつである。

90分間飛び跳ねる…。正直、かなりキツい。
特に最初の10分間、カラダの温まっていない冬場などは本当にキツい。
やっぱり飛び跳ねるのなんてやめてしまおうかと気持ちが折れかける。
それでも止めずに跳ね続けると、いつしか辛さは消えていく。
もう無理だ、と思ったのは最初だけで、気付くとまた、終了まで跳ねられた、
となるわけです。

よく、声出して、旗振って、歌って、飛び跳ねて、
肝心のサッカーが見れているのか?ということを言う人がいるのだけれど、
それは、90分間飛び跳ねたことのない人の言い草だろう。
しんどい時間帯を超えて、カラダが動き始めると、
余計な考えは消える。
恥ずかしい、周りにどう思われるか、こんなことに意味があるのか、
ありとあらゆる雑念が消え、目の前のサッカーに集中しはじめる。
心身ともに、ある限界を超え始めると、
東京のサッカーが「見えて」くる。
いや、入り込める、という表現が正しいかもしれない。
オレたちは、スタジアムに来ているのだ。
テレビでサッカー観戦してるのではないのだ。
サッカーをもっと深く見たい、感じたい、と思うのであれば、
入り込むために、自分の限界まで、極限に追い詰めることだ。
そうすれば、お茶の間では見えなかったものが、その時見えてくる。

だからオレは飛び跳ねる。
誰かに、やれ!と言われてやってるわけではない。
極端な事を言えば、東京のためですらないかもしれない。
オレ自身が、もっとサッカーに近づきたいからやっている。

別にいいんだよ、跳ねなくたって。
テレビで見てるみたいに、高みの見物してればいいじゃん。
そういう見方だって、ありだと思う。

だけど、もし、もっと東京に近づきたい、もっとサッカーの中に入り込みたいと、
これを読んで思ったのなら…
開幕戦はゴール裏に行こう。最初は勇気がいるけど、
我慢して15分飛び跳ねよう。そして、気持ちが折れそうになったら、
あともう少し、あともう少しだけ頑張って跳ね続けてみてほしい。
そしたら…
雑念が消え、目の前のサッカーを近くに感じているはず。
ボールの行方が、前より見えるようになる。
選手の動きたい方向がわかるスピードが早くなる。
勝利の行方に、より積極的に関われる。

別にいいんだよ、跳ねなくったって。
でも、ちょっとでも興味を持ったのなら、
開幕戦、やってみてごらん。
オレはやるから。味スタゴール裏のどこかで、オレは飛んでるから。
だから、やってみるといいよ。

タカオ


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