味スタ満員化計画

FC東京ービッグクラブへの道

YOU ’LL NEVER WALK ALONE~イスタンブールの奇跡

2007年10月18日 | FC東京の基礎知識
これだけパソコンとネットが発達した世の中になると、
例えば僕がここで、YOU'LL NEVER WALK ALONEを紹介して、
ネットで探せば音源やら歌詞やらは、すぐに出てくる。
リンクを貼るのが常道だろうけど、
あえて僕は貼らない。僕たちのYOU'LL NEVER WALK ALONEは
スタジアムで聞くものだけが本物であり、
どんな録音の仕方をしたのか知らないけれど、
雑音だらけの音源を聞いただけで、知った顔をしないで欲しい、
興味を少しでも持ってくれたのなら、
ぜひ、スタジアムに足を運んでください。
今年のJリーグは、あと6試合しかない、ホームゲームはたったの3試合。
このチャンスを逃したら、来シーズンがはじまる3月まで待たねばならない。
そして、僕たちの想いがつまった歌声に耳を澄ませてほしい。
そう思います。

行くなら今でっせ♪


この曲に関するエピソードを、もうひとつ紹介しておこうと思います。

「ヘイゼルの悲劇」の後、イングランドのクラブに5年間、
リヴァプールには7年間、国際大会への出場停止処分が下る。
この処分が尾を引いたか、長らくチャンピオンズリーグで
良い成績を残せなかったリヴァプールだが、
ついに2005年、準決勝へと駒を進めた。対戦相手はユヴェントス。
リヴァプール対ユヴェントス。この組み合わせを聞いただけで、
胸に熱く重いものがこみ上げてくる人がどれだけいるだろう。
リヴァプールやトリノの人々はもちろん、
あの悲劇に関わることのなかった僕でさえ、
何も感じないわけにはいかなかった。
あの時確か、ユヴェントスサポーターも
YOU'LL NEVER WALK ALONEを歌ったと、聞いたような気がする。

そしてリヴァプールは、決勝進出を決める。
決勝の相手はACミラン。場所はトルコのイスタンブール。
前半だけで3対0と、大幅にリードを許したリヴァプールは、
後半になると、信じられない猛追撃をはじめ、
54分、56分、60分と立て続けにミランから3点を奪う。
前半戦で、勝負はついたものと思われた試合に、たったの6分間だけで
リヴァプールは追いついたのだ。

試合は結局、90分間+30分の延長戦でも勝負がつかず、
PK戦の末、リヴァプールがヨーロッパチャンピオンの座を射止めた。
3点のビハインドを逆転優勝に導いたのは、
イスタンブールまで駆けつけたリヴァプールサポーターと、
彼らが試合中に歌い続けたYOU'LL NEVER WALK ALONEであったと思う。
ヘイゼルの悲劇から20年、彼らの言葉にならない想いは
リヴァプールに奇跡の勝利と、ビッグイヤーをもたらした。
この奇跡の大逆転勝利を「イスタンブールの奇跡」と呼ぶ。
20年の歳月を超え、リヴァプールはこの勝利で、
ヘイゼルの悲劇の呪縛から解き放たれたのではないだろうか。

そこにも歌があった。

時に、死者の霊を弔い、
時に、敗色濃厚なチームを勇気付ける。
いつでも彼らの胸にはこの歌があった。

YOU'LL NEVER WALK ALONEは、そういう歌なのである。

トキオ



YOU ’LL NEVER WALK ALONE~ヘイゼルの悲劇

2007年10月16日 | FC東京の基礎知識
1985年5月29日に、その悲劇は起こった。

UEFAチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)決勝、
場所はベルギーのヘイゼルスタジアム。
その年のヨーロッパチャンピオンは、
リヴァプールとユヴェントスとの間で争われた。

その年に僕は17歳で、サッカーとはやるものであって見るものではなかった。
当然、ヨーロッパのサッカーシーンになどまったく感心がなく、
クラブチームとナショナルチームの区別もつかなかった。
それでも、この「悲劇」のニュースは記憶に残っている。

サポーター同士の乱闘がおこり、
老朽化したスタジアムの壁が崩れ、
下敷きになった観客に死傷者が出た。
死者39名、負傷者400人以上。
世界中を駆け巡った惨劇のニュース…
これが、「ヘイゼルの悲劇」である。

フーリガンと言う存在が、世界中に知られるようになったのも、
この事件が契機ではないかと思う。
イギリスのサッカーファンは、理由もなく荒くれだち、
破壊行為を各地でしてまわる、そういう印象を、
高校生だった僕にも植え付けられた。

当時、失業にあえぐイングランドの労働者たちが
不満を爆発させるのがスタジアムだったと言う話も聞く。
そして、政府へ不満の矛先が向くのを避けるために、
フーリガンへの規制をわざと緩くしていた、と言う説もある。
事実は違うかもしれない。
真相は僕は知らない。
確かなのは、亡くなった死者39名の命は、もう戻らないと言うことだ。

リヴァプールの街に本拠を置く2チーム、リヴァプールとエヴァートン。
普段は仲の悪い両サポーターは、
この時ばかりは、共に蝋燭の灯をともし追悼の歌を歌ったのだと言う。
その歌が、You'll Never Walk Aloneであった。
もっとも、悲しいYou'll Never Walk Aloneだったのだろうと思う。
同じサッカーファンとして、
このような惨劇を2度と繰り返してはならない、
そう固く胸に誓いながら、僕も青赤のマフラーを掲げ歌うのである。

この歌は、世界一有名なサポーターソングであると同時に、
世界一血塗られた過去を持つサポーターソングでもある。

トキオ

You’ll Never Walk Alone

2007年10月12日 | FC東京の基礎知識
“You’ll Never Walk Alone”
FC東京の試合において、もっとも厳粛な時間であり
東京サポーターにとっての、最も重要な曲。

ホームゲームでは、選手入場の時に、
青赤マフラーを掲げたサポーターによって歌われる。
サポーターがスタジアムへ行く時に、着ていくものには
決まりはないと僕は思っているけれど、
でも、夏でも冬でも、青赤マフラーだけはしていかなければいけない。
なぜなら、この歌を歌うときにどうしても必要だからである。

元々は、映画「回転木馬」の中の曲らしいが、
リヴァプールのサポーターがサポーターソングとして歌いはじめたのが
有名になり、今や世界一有名なサポーターソングとして認識される。
FC東京が、まだ東京ガスだった時代に、東京イケイケ団が歌い始めたのだと
思う、その経緯を僕は知らないのだけれど、
こういうのは、早い者勝ち、なのでしょうか?
日本では、すっかり東京サポーターのサポーターソングとして定着しました。
他所のサポーターも、サッカー好きなら歌いたかった人もいたのでは?と思う。
それくらい有名な曲である。

長野県の友達や知り合いはいますか?
彼らは、少々特異な人たちである。
長野県の歴史と風土がそうさせたのだろうけれど、
ひどく理屈っぽく鬱陶しい…いやいや、鼻につく、…んでもなく、
とにかく、高い水準の教育を受けた人々である。
そして、県の北と南と県央と、とても仲が悪いのでも有名である。
あるとき、仲の悪さが発展して、こうなったら分離独立しかない!
という状況になってしまった。明治維新後、県が分裂した例はないと思うが、
その在り得ない事態に、長野県はなってしまうのか!?
現在も長野県は長野県のままだが、
その事態を救ったのは、ひとつの「歌」だったのである。

長野県の特殊性のひとつに、県の歌がある。
仲が悪いのに、なぜに統一した県歌があるのか不思議だが、
未曾有の大喧嘩を鎮めたのは、誰かが歌い始めた、この県歌だったのだ。
(いや、洒落じゃありません)
最後は涙ながらの大合唱となり、やっぱり一緒にやって行こう!と
一致団結したのだという笑い話…ではなく、逸話が残っている。


もしいつか。
FC東京の長い歴史の中で、サポーターの分裂が起きるかもしれない。
クラブの経営破綻や、成績不振、そういう背景があって、
サポーターの気持ちもささくれ立ち、
ゴール裏ではサポーターグループ同士の小競り合いが絶えない、
そんな時代が、もし来てしまって、
ついに、大人数の乱闘に発展してしまったら…
そんなとき、
誰かがYou'll Never Walk Aloneを歌いだし
いつしか荒くれだっている者たちも皆、振り上げた拳を止め、
青赤サポーターは皆、静かに歌いだすのではないかと思う。
東京が初タイトルを取ったとき、
連敗地獄をみんなで乗り越えたとき…
さまざまな光景が脳裏に浮かび、いつしか涙ながらの大合唱になるだろう。

どんなときでも、東京サポーターの心をひとつにする歌、
それが、You'll Never Walk Aloneである。

1万人以上ものサポーターが、一斉に青赤マフラーを掲げ歌う。
味の素スタジアムの、この光景は、決してテレビでは見ることが出来ない。
この歌に触れることが出来るだけで、入場料分の価値はあると断言する。
体験したことのない人は、ぜひ、スタジアムに足を運ぶことをおすすめします。
サッカーには、勝ち負けを超えた大事なものもある。
それが、味の素スタジアムにはあります。
決して、テレビでも、新聞でも、触れることの出来ないものです。
東京に住んでいて、これを知らないのは…気の毒ですらあります。


いつの日か、東京中でこの歌が響くことを願ってやまない。
何万人もの大合唱の夜を夢見ている。

トキオ