味スタ満員化計画

FC東京ービッグクラブへの道

崩壊

2007年10月29日 | テレビの外のFC東京
2007年10月28日(日)
川崎フロンターレ戦(味の素スタジアム)

正直、混乱していて、何をどう考えればいいのか、わからなくなっている。
監督解任か?と言う報道があって以来、混乱している考えが、
さらに増してしまった。選手もベンチも同様に混乱していたのだろうか。
ここのところ、成績だけ見れば好調だったはずなのに、
数字上だけでなく、見る影もないサッカーをやってしまっていた。

オレが東京のサポーターになって7年。
この7年間で、こんなに堪えた試合はない。

試合前、来期の監督人事等の余計な事をゴチャゴチャ考える前に、
目の前のサッカーに集中すべく、
自らを煽るように、どうしても勝つんだ!と言う気持ちを、
文章にぶつけていたけれど、
それが功を奏することは、ついになかった。

7対0で負けた、100万歩譲ってこれはまぁいいだろう。
茫然自失になって、あまりよく覚えていないのだが、
5点目か6点目を入れられた時だろうか、
川崎のゴールに対して、ゴール裏から拍手がおこった。
小さな拍手は、次に入れられた時は大きな拍手へと変わっていき、
川崎が東京のボールを奪うと、速攻を促す声まで上がった。
イケイケ団は、椅子に座ってしまい、
当然誰もコールをリードするどころか、
声を出す者もいない。

こんな光景、この7年間ではじめて、見た。

この事態を、どう受け止め、どう捉えればいいのか、わからなかった。
サポーターとは、笛が鳴る最後の1秒まで、諦めずに声を出し続ける人たちだと
そう思っていた。選手に、「負け」を受け入れる瞬間が訪れようとも、
最後の最後まで諦めないで悪あがきをし続ける、
そういうバカな人たちがサポーターなんだと思っていた。
「サポーター」と書いて「ばか」と読むのだと。
その、最後までバカでいるはずの人たちが試合を投げてしまった。

この状況を、どうにかしないといけないんじゃないか?と思った。
中には、往生際の悪い人もいたはずで、そういう人を巻き込んで、
最後の一人になるまで、声を出すべきではないか?
そう思ってもいたが、だが、心が乱れてもいた。
その葛藤は、負けを受け入れるよりも苦しいものだった。

あれは、抗議だったのだろうか?
最近予定調和になりつつある、敗戦後のブーイングより、
相手のゴールに拍手、そして応援拒否は、
選手や監督、フロントにとっては、ひどく堪えるものなのは間違いない。
判で捺したように、負ければブーイング、これには慣れる。
だが、予想だにしなかった抗議には、
怒り、悔しさ、そして奮起が待っているかもしれない。
それを期待しての抗議なら納得もいく。
もし、ただ単に、勝負を投げてしまったのだとしたら…。

最後の一人になっても声を出し続けたかったが出来なかった、
そうか、オレは、
みんなの力があるから、声を出し、飛び跳ね続けることが出来ていたのだ。
友達じゃないけど、話したこともないけれど、
同じ東京を応援している、それだけで、
みんなからパワーをもらって、それで声が出せていたんだ、それが、わかった。
意気消沈…、今日のゴール裏は、恐ろしいまでに前向きなパワーがなかった。
オレはいつも、自分だけのチカラだけで戦っていたんじゃないんだ。

それは選手も監督も同じだろう。
応援がなくなり、気持ちの糸が切れる。
彼らがいたから頑張れる、走り続けていたのだと。

話が合わなくても、着ているものが違っても、
友達なんかじゃなくても、同じチームが勝つために頑張っている、
たったそれだけで、これだけのパワーになっていたんだ。
失われて、はじめて気付くものもある。

手遅れにだけはなって欲しくない。
このままでは東京は、崩壊する。

サッカーで受けた傷は、
サッカーでしか癒えない。
なんでも同じ、仕事、恋愛、などなど。
だから、次の試合、重要だと、思う。

もう一度、ひとりでやっているのではないと言う有難さを
思い出すべきではないだろうか。

タカオ