笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

映画「いのちの停車場」を観ました。

2021-05-30 22:53:45 | 日記
今日は、夕方から、吉永小百合主演の「いのちの停車場」を観に行きました。

原作の小説は読んでいませんが、吉永小百合よりも、「いのち」に関わる映画であり、かつて3年間住んだ金沢を舞台にする映画と言うことで、観に行きました。(家内は、専ら、金沢の場面に期待です)

話のあらすじ等は、次のホームページを観て下さい。

https://eiga.com/movie/93211/special/

老若男女の様々な死の形に加えて安楽死の提起もあり、全編「死」をテーマにした映画ですが、新型コロナによる死の恐怖に覆われた今の日々の現実に比べると、少し緊迫感にかけることになったようで、残念です。

また、最後の場面の、医師である主人公と父親に関わる安楽死問題は、我々高齢者にとって身につまされる課題だが、医師である娘・父親それぞれ及び2人のやり取りの描き方に深みが足りなかったように感じました。

金沢を舞台にした作品とし幾つか気になったことを書き出すと、次の通りです。

★金沢は、浄土真宗が盛んな地であり、殆どの家に立派な仏壇がある。
意識的に避けたのか知らないが、仏教の死生観との関わりが描かれても良かったのではないか?

★金沢を舞台にしておきながら、全編、全員が標準語である。加賀弁の語尾の柔らかさがあると、「死」と言う厳しいテーマと対称的になり、コントラストがついたのではないか?

★雪の場面が何度かあったが、全て粉雪だった。
金沢の水分を含んだ重たい雪にすると、もっとしっとりとした場面になったのではないか?

★食べ物は、蒙古料理の店とラーメン屋、思い出の治部煮だったが、金沢と言えば、1年を通しての寿司、夏のイカ、冬の鰤、そして麺類はうどんです。
しゃぶしゃぶの美味い店もあります。
勿論、ビールも飲みますが、日本酒の酒どころです。
これらが出てこなかったのは残念でした。

最後に、女優陣は、皆さん金沢らしい美人揃いであり、かつ個性的で、芝居上手でしたが、男優陣は、個性はともかく、芝居は上手いとは言えませんでした。

映画を総じて言えば、原作のテーマに対する消化不良と映画としての深掘り不足、金沢についての調査不足と感じた。

欲張り過ぎかな?

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私は、千葉県東金市出身の落語家、柳家吉綠さんを応援しています。

http://ja.Wikipedia.org/wiki/柳家吉綠
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銚子に一人吟行しました

2021-05-29 22:38:12 | 日記
昨日5月27日、朝から一人で、銚子に吟行に行きました。

まず、JR銚子駅で、道を訊き、浄国寺に行きました。
ここには、松尾芭蕉と小林一茶の句碑があります。
(歩道橋のところの案内が分かりにくくて、大分遠回りしました)

山門を潜り、本堂にお参りした後、境内を見ると、左手に古びた句碑らしきものが見えます。
近寄ると、松尾芭蕉句碑の看板があります。
句碑には、

枯れ枝にからすのとまりけり秋の暮

が彫られていました。

芭蕉自身が銚子に来たという話はありませんが、加居白雄が28歳の時に銚子に来ていて、その時に銚子に来ていた蕉風の師・鳥明に入門するなど、蕉風の俳句が盛んだったようです。
(ちなみに、芭蕉は、対岸の鹿島神宮には詣で、「鹿島紀行」を残しています)

一茶の句碑は、見回しても見当たらないので、お寺の方に教えて頂きました。
本堂の裏側の墓地を抜けた先に、綺麗に刈り込まれたところがあり、そこに苔むした句碑があり、次のように彫られていました。

本とゝきす爰(ここ)をさること遠からず

なんと、文化14年(1817年)5月27日に、一茶は、廻船問屋の旦那衆に招かれて生涯でただ一度銚子に足踏み入れ、6月1日には浄国寺にお参りして、この句を読みました。
奇遇です。

(ちなみに、江戸に住んでいた時代、一茶は、下総・上総のあちこちを訪ねて俳句を指導していました)

銚子電鉄銚子駅からワンマン電車に乗り、海鹿島(あしかじま)駅で降りました。
海鹿島というのは、かつては海岸の島に海鹿が住んでいたからだそうです。

この駅から、海岸に向けて、いくつかの詩碑・句碑があります。

最初に、巨大な自然石に彫られた、国木田独歩の詩碑がありました。

懐かしき
わが故郷は何処ぞや
彼処にわれは
山林の児なりき

と彫られていました。

国木田独歩は、随筆「武蔵野」で有名なので、東京西部の生まれと思っていましたが、実は、銚子の生まれだそうです。
(龍野藩士の父親が銚子沖で遭難し、救助されてしばらく滞在していた旅館に奉公していた母親との間に生まれ、3歳まで銚子にいたそうです)

次に、今回の吟行のメインである、竹久夢二の詩碑に行きました。

詩碑には、夢二の顔と「宵待草」の詩

まてど暮らせど来ぬ人を
宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬさうな

が彫られていました。(写真)

敷地には、夢二が好んで描いたと言われる、どくだみが沢山咲いていました。

当時27歳の夢二は、無理に離婚させられた元妻・他万喜と長男・虹の助(2歳)と一緒に、海鹿島の宮下旅館に避暑に来ていました。

旅館の隣家の長谷川家の三女賢子(かたこ、19歳)をモデルにして絵を描くうちに親密になり、一緒に海岸を散歩したりしたそうです。

間もなく賢子は、成田にある姉の寄宿舎に帰りました。
その後、夢二は、成田や海鹿島で賢子と会い、親密度を深めるが、翌年の夏、夢二が再び海鹿島を訪ねると、賢子は既に遠方の人に嫁いでいました。

夢二は、その「悲恋」を、海鹿島海岸にひっそりと咲き乱れる宵待草(月見草)に寄せてうたったそうです。
(月見草は、別名・待宵草であり、宵待草は夢二の造語です)

夢二の詳しい経歴等は、次のホームページでご覧下さい。

http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=532

坂を下って海鹿島海岸に出ると、
山の手側の丘には、憲政の神様・尾崎咢堂(行雄)の

朝またき彼方の岸は
アメリカと聞きて爪立つ
おはしまのはし

という歌が彫られた碑がありました。(おはしま、とは、ベランダの手すりだそうです)

海に突き出た巌には、洒脱な俳画で知られた小川芋銭の

大海を飛びいづる如と初日の出

の俳句が彫られた碑がありました。

海岸の岩礁では、地元の方々が、鹿尾菜(ひじき)などの海草を刈っていました。

何故、海鹿島にこのような著名人の詩碑や句碑があるのか調べてみたら、越川芳麿という人に辿り着きました。

越川氏は、銚子の人で、1930年から1940年にわたり、銚子で「極東新聞」を発行して、尾崎咢堂など中央の論客の論を掲載するなど、厳しい政治批判を続け、1941年には逮捕・入獄されました。

戦後、尾崎咢堂のために、思咢庵という別荘を海鹿島の地(夢二の碑の近く)に作ったそうです。

越川氏が中心になって、銚子に縁の人の詩碑や句碑を作ったそうです。

思咢庵美術館には、尾崎咢堂や夢二につながる貴重なお宝が残されていりそうですが、残念ながら非公開だそうです。

その後、海鹿島駅から犬吠駅まで電車に乗り、

高濱虚子の句碑

犬吠の今宵の朧待つとせん

を見てから、お昼を食べました。
観光客は少しはいましたが、お店は、ガラガラでした。

99段の階段をエッチラヤッコラ登り、犬吠埼灯台の上から、卯波立つ太平洋を眺めました。

犬吠駅で名物のぬれ煎餅を買い、帰途につきました。

今回、俳句は何句か作りましたが、それにも増して、久しぶりで自然に浸ることが出来て何よりでした。

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五輪スポンサー担う朝日新聞、社説で五輪の中止を訴え

2021-05-27 21:14:05 | 日記
https://www.cnn.co.jp/amp/article/35171409.html



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泥縄

2021-05-26 18:39:08 | 日記
政府が、骨太の方針の中で、今後のワクチン開発の方針を

★平時から開発を促進する。
★感染拡大時は、政府が買い上げる

などとしている。

何とも「泥縄」のそしりを免れ難い。

NHKの夕方の番組で、オレオレ詐欺対策について、毎回、「その時放送の詐欺の手口に気をつけるよう」に示しているが、何だかそれに似ているように思う。

物事には、表面的な現象と、そのよってくる根本原因がある。

そう、
「元から絶たなければ」ダメなのである。

オレオレ詐欺対策について言えば、「直接、本人と面談して、手渡す以外は、全て詐欺だと考えよ」と繰り返すべきなのである。

オレオレ詐欺師は、日本人、特にお年寄りの「人を信じる優しさ」を悪用しているのである。
残念ながら、「直接、本人と面談した上で手渡す以外は絶対に信じてはいけない」のである。

政府の危機管理についての基本は、「国民の命と財産を守る」ことである。

防衛問題だけではない。

感染症については、ワクチン接種が根本的対策であることは、ジェンナーが教えている。

そして、SARSやMarSが中国や韓国で流行した時に、世界的レベルの「呼吸器系の感染の大流行」が予測されていたのである。

しかし、政府は、それを他山の石として、対策をしてこなかった。

他国からのワクチンが自国優先になること、短期間に大量のワクチン接種は打ち手が不足することは、全て予見出来ることである。
本気で国民の命を守ろうとするなら、去年の新型コロナの流行開始時から分かっていたはずである。

オリンピックだ、選挙が近い、とかの他律的動機がなければ何もやらないのを、「泥縄」と言うのだ。

否、「他律的動機については真剣に取り組む」のは、受験を目指しての勉強に慣れた
ためかもしれないとしたら、学習塾・予備校で育つ子が多い今後は、もっと恐ろしい。



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大事な方を失いました。

2021-05-25 11:03:19 | 日記
日曜日の夕方、宇都宮のSさんから電話がありました。

Sさんのお母様が、肺炎で土曜日に亡くなられたとのお知らせです。多分、95歳だと思います。

最近、時々肺炎を起こして、入退院を繰り返していたと言うことです。

ご夫妻は、私達夫婦のお仲人さんです。
ご主人(S先生)は、私が、中学2年の10月に、田舎(今の下野市にあった薬師寺中学校)から宇都宮(陽西中学校)に転校した時から卒業までの担任でした。

卒業後も何かと相談して頂き、高校2年生の夏に、私が母と喧嘩して家出した時には、家に戻れるようにして下さいました。

私達が結婚する時は、ご夫妻に仲人をして頂きました。

Sさんは、私達が仙台に居るときに、小学校の高学年で、初めての一人旅で訪ねて来て、我が家に泊まり、一緒にあちこち見て歩きました。

亡くなられた奥様は華道(草月流)では、栃木県の責任者もされていました。
先生の陶器、奥様のお花、Sさんの絵の三人展を市内のデパートで何度かされました。

私達夫婦は、宇都宮に行く機会に、年に1度はお宅に伺っていました。
S先生は、家内の両親と同い年ですが、1996年に75歳で亡くなりました。
その後も、長い間、お宅に伺いましたが、数年前からは、年賀状のやり取りだけになっていました。
今年は、年賀状をいただけませんでした。

Sさんからは、「明日、月曜日の夕方、5時からお通夜だが、時期が時期なので、後日家に来てください」と言われました。

中学時代から、同じくS先生にお世話になり、新婚のお宅に二人で伺って、ご馳走ったりしていた、宇都宮在住のHさんに電話して、お伝えしました。Sさんは、月曜日の通夜に伺うと言うことでした。

当初、私は、Sさんのお話のように後日お宅に伺うことを考えましたが、既に第1回目のワクチン接種も終えており、昼間の移動だから電車も空いているものと考えて、私一人が通夜に伺うことにしました。(家内は火曜日がワクチン接種なので失礼しました)

昼の電車なので、全て座れるし、混んでいませんでした。
式場で、Hさんと会えました。

通常の通夜は、通夜式の間、参列者が席に座り、順番に焼香して、その後、別室で、故人を偲んで食事をしますが、今回は、感染予防のため、一般参列者は通夜式の前に、焼香だけして帰り、食事も無しの方式でした。

祭壇は、華道の先生の葬儀らしく、全面花で飾られていました。

通夜式の前に、焼香してから、遺体を拝見しましたが、眠っているようで、優しいお顔は奥様そのものでした。

Sさんから、「通夜式の参列者が少ないから、参列して下さい」と言われたので、Hさんともども参列しました。

折角会ったHさんととも、飲み食いも出来ず、ゆったり思い出話も出来ず残念でしたが、彼の車で駅まで送ってもらい、嬉しかったです。

花の師の祭壇華麗大花野(武彦)
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