我が家の近くの加曾利貝塚の端っこに、胡桃の木が2本ある。
毎年、秋になると、その下の土手に、胡桃の実が落ちる。
そのことを知っている人が拾っていくが、朝のうちなら散歩の途中に拾える。
形は、大粒の梅の実のようで、薄緑色をした厚い表皮の中に、これまた大粒の梅の種のような容をした焦げ茶色の種が入っている。
これを拾って来て、しばらくの間バケツに水を張って漬けて置くと、厚い表皮が腐り水が真っ黒くなり、中の種が取り出せる。
それをしばらくの間干して置くと、表皮の残りを取り除くことが出来、通常見られる胡桃になる。
この胡桃の外皮は、大脳のような皺が沢山あるし、その硬さは石の如くである。
割ると、中に、食用になる植物性脂肪たっぷりな胚芽がぎっしり詰まっているが、そこに到達するのは、一大工事が必要である。
そのため、多分、縄文人は、硬い石を使ったに違いない。
西洋人は、特別の道具「胡桃割り」を作ったが、我が家には、それが無い。
そこで持ち出したのが、金槌🔨とペンチである。
テーブル上に座布団を敷き、新聞紙を開き、ペンチの上に胡桃を割れ目を縦にして据え、金槌で叩く。
1回、2回ではびくともしないので、3回目は思い切り叩くと、ガチンと割れるが、同時に、割れすぎて、大半は粉々になる。
種の内側も沢山の洞窟があり、そこに胚芽が詰まっているので、ここからは爪楊枝を使って掘って食べた。
縄文人の気分である。
新聞紙の上に粉々になった物は、小鳥に分けてやることにして、庭の石の上にトレー置いて載せた。
考えてみると、胡桃の芽は、この硬い殻を破って出て来るのだから、すごい生命力だ。
自然は、偉大だ。
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私は、千葉県東金市出身の落語家、柳家吉綠さんを応援しています。
http://ja.Wikipedia.org/wiki/柳家吉綠
毎年、秋になると、その下の土手に、胡桃の実が落ちる。
そのことを知っている人が拾っていくが、朝のうちなら散歩の途中に拾える。
形は、大粒の梅の実のようで、薄緑色をした厚い表皮の中に、これまた大粒の梅の種のような容をした焦げ茶色の種が入っている。
これを拾って来て、しばらくの間バケツに水を張って漬けて置くと、厚い表皮が腐り水が真っ黒くなり、中の種が取り出せる。
それをしばらくの間干して置くと、表皮の残りを取り除くことが出来、通常見られる胡桃になる。
この胡桃の外皮は、大脳のような皺が沢山あるし、その硬さは石の如くである。
割ると、中に、食用になる植物性脂肪たっぷりな胚芽がぎっしり詰まっているが、そこに到達するのは、一大工事が必要である。
そのため、多分、縄文人は、硬い石を使ったに違いない。
西洋人は、特別の道具「胡桃割り」を作ったが、我が家には、それが無い。
そこで持ち出したのが、金槌🔨とペンチである。
テーブル上に座布団を敷き、新聞紙を開き、ペンチの上に胡桃を割れ目を縦にして据え、金槌で叩く。
1回、2回ではびくともしないので、3回目は思い切り叩くと、ガチンと割れるが、同時に、割れすぎて、大半は粉々になる。
種の内側も沢山の洞窟があり、そこに胚芽が詰まっているので、ここからは爪楊枝を使って掘って食べた。
縄文人の気分である。
新聞紙の上に粉々になった物は、小鳥に分けてやることにして、庭の石の上にトレー置いて載せた。
考えてみると、胡桃の芽は、この硬い殻を破って出て来るのだから、すごい生命力だ。
自然は、偉大だ。
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私は、千葉県東金市出身の落語家、柳家吉綠さんを応援しています。
http://ja.Wikipedia.org/wiki/柳家吉綠