笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

篠笛三昧の一日

2016-10-30 23:13:49 | 日記
今日は、タイトル通りの、篠笛三昧の一日でした。


私が所属している千葉ACC「楽しむ横笛教室(高崎洋子先生)」と「都賀の篠笛の会(林作衞先生・兼平和明先生)」の10周年記念の合同発表会が、江戸川区西葛西の「源心庵」でありました。


二つの教室は、先生方が、同じ鯉沼廣行先生の一門で仲良しである上に、生徒も様々な教室からきており、かなり重複して参加しています。(以前、篠笛の大学院と書きました)

そんなことから、お互いの10周年記念イベントを、合同でやろうと言うことになりました。


夏頃から、発表会に関するそれぞれの役割分担をきめ、準備を進めてきました。


演奏曲について、高崎教室では、先生の指導を受けて準備を進めました。

ただ、いつもと違い、今回は、各人が吹きたい曲よりも、先生が吹かせたい曲になったようです。


私は、高崎教室の先輩のnさんとの「おけさ子守唄」の二重奏と、「五木村の子守唄」の独奏を指定されました。


人前で二重奏を吹くのは、初めてなので、家でCDを聴きながら、何度も練習し、nさんとは、実際に一緒に吹くだけでなく、行動でお互いの気持ちを合わせる努力もしました。


その結果、今日は、プログラムの四番目で、二重奏の最初でしたが、落ち着いて吹けました。
nさん、ありがとうございました。


独奏の「五木村の子守唄」は、高崎先生から、「ゆったりと落ち着いて」と指導されていました。


私は、熊本の震災に思いをいたしつつ、先生の指導を心がけ、ゆったりと吹くことが出来ました。
本番では、初めてのことでした。


私以外の皆さんも、心のこもった演奏でした。


mさんが選んだ、美味しい弁当を楽しい会話と共にいただいた後、第二部をしました。

まず、iさんと兼平先生の二重奏の後、皆で、お囃子をやりました。


都賀教室の皆さんは、「投げ合い」を、交替で吹き、叩きました!


高崎教室のメンバーは、江戸囃子を、交替で吹き、叩きました。


お囃子の笛は、素晴らしいのに、太鼓が苦手の林先生が太鼓を叩くほど、燃え上がりました。


夜の反省会では、今日の反省と日頃の教室への意見などが、赤裸々に述べられ、楽しい時間でした。


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Sさんの「老中」の趣味

2016-10-26 19:44:39 | 日記

私たちは、普段、何気なく「老後」の趣味と言う言葉を使っています。


会社を辞めて、年金生活をしていることを示す、65歳以上を、行政的には「高齢者」と呼び、一般的には「老後」と言っています。


しかし、今日、会社のOB会の笛仲間のSさんの陶芸作品展を見に行き、「待てよ?老後って何か変だな?」と思いました。


そうです。
こんな立派な作品を沢山作り続け、他にも、囲碁、マージン、カラオケ、篠笛と多趣味で人生の『今』を楽しんでいるのだから、その真っ最中と言う意味で、『老中』と言うべきではないか?と思いました。


会場一杯に展示された、大小の壺や花瓶、皿、ぐい飲み、抹茶茶碗などなど、どれも素晴らしいものばかりでした。


私と同年齢のSさんは、50台の頃に、退職後の趣味を考えて陶芸教室に通い始め、やがて、窯待ちがガマン出来なくなり。自宅に灯油の窯を設けたそうです。


一般的には、個人が趣味で自宅に窯を作る場合、扱い易い電気窯にしますが、Sさんは、「電気窯では、作品の焼き上がりに変化が付かない」からと言うことで、あえて、難しい灯油窯にしたそうです。


展示された作品の一つに、最近、窯変天目のような模様が出たので、「更に、チャレンジしょうと思っている」と言うことでした。


また、展示場を飾る花があり、奥様から聞くまで造花と気がつきませんでした。


奥様の作品で、数百の花は、一つずつ布を染めて花の形に作ったものだそうです。


奥様は、まだまだ「老」がつかない若さだと思いました。

萩焼風と赤楽の抹茶茶碗を求めてきました。

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平尾誠二氏の死を悼む

2016-10-20 19:17:11 | 日記
ラグビーと言えば、昨年の世界大会での活躍、特に、五郎丸選手のお祈りポーズで、急速に人気スポーツとなりました。

スポーツ音痴の家内も、「サッカーより面白い」と見ています。

そのラグビー界で、一世を風靡した、平尾誠二さんが亡くなった。

2019年の世界大会が日本で開かれるのに、本当に残念だったと思います。

慎んでご冥福を祈ります。


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B0%BE%E8%AA%A0%E4%BA%8C


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子守(こまもり)神社にお願いして来ました。

2016-10-17 19:39:17 | 日記
今日は、朝から、会社のOB会の「歩こう会」に参加して、そぼ降る雨の中を約2時間に渡って、幕張地区を歩きました。


私は、大学2年生の春から卒業するまでの3年間、幕張4丁目に下宿していましたが、今回歩いた1丁目~3丁目は行ったことが無く、全く新しい発見の多い散策でした。


幕張と言うと、今や、幕張メッセを中心とした高層ビル群のあるエリアが有名ですが、それは、1970年代に海を埋め立てて作られた地域で、私の学生時代には遠浅の海でした。


今日歩いたのは、昔からの幕張の街中です。


千葉氏の草創期である1100年代末頃に、当主の常胤から、4男の胤信に今の幕張町(大須賀郷)が領地として与えられた(昆陽だより平成28年7月号より)と言う由緒ある地域です。


まず、午前10時に京成幕張駅に集合しました。
家を出る時にかなりの降りだったので、果たして実行するのかな?と思いつつ行ったところ、皆さん、勢ぞろいでした。
中には、東京の西部地区にお住まいの先輩の姿もありました。

ボランティアのガイドさんの案内付です。


最初は、駅前の昆陽神社と甘藷試作地跡の碑です。

八代将軍吉宗の時代、享保の大飢饉(1733~4)の翌年、大岡越前守の支援を受けて青木昆陽がこの地(当時の地形では、海岸に近い砂地)でサツマイモの試作を行って成功して関東各地に栽培を普及させたので、その後の凶作の時、関東地区の食糧確保が多いに助かったと言うものです。

試作地の向かいには、秋葉神社と並んで、青木昆陽を祀る昆陽神社があります。


次は、静かな住宅地に囲まれた、幕張3丁目公園です。

今は、児童公園ですが、江戸時代は、天領であった幕張地区を管轄していた北町奉行所の代官屋敷があったと言うことです。


この説明を聞いて、私はハタと思いました。

最初の青木昆陽のサツマイモの試作地のところで、誰かが「何故、この地だったのだろう?」と質問しましたが、ガイドさんからは明確な回答はありませんでした。


大岡越前守と言えば、吉宗時代の北町奉行です。

そうです。大岡越前守が、青木昆陽の試作地に、北町奉行所支配地の幕張の砂地を提供したのではないか?
と推察しました。


また、著名な作曲家・山田耕作が、10歳の春の3か月間、父親の転地療養のため幕張に住んで、今の幕張小学校に通ったそうです。
(その頃、この場所にカラタチの垣根があったのが、「カラタチの花」と言う曲が生まれたことにつながったとかーーー)


江戸時代の旧街道沿いの古い町並みは、幕張地区の豊さを感じさせる門構えの家が多い、落ち着いた住宅街です。


その先に、子守神社がありました。

1194年に、胤信により幕張城内に建てられ、1508年に現在地に移されたそうです。


私は、今月末の篠笛教室の発表会で、「五木村の子守唄」を吹かせてもらうことにしています。
そこで、発表会でしっかりと吹けるように、神殿にお賽銭を上げて、2礼・2拍・1礼でお願いしました。


生憎の雨なので、安全性を考えて、首塚に登るのは止めて、昔の海浜地区を抜けて埋め立て地区に入りました。

これまで歩いた町並みとは、全く違った規模とデザインの高層ビルが立ち並んでいます。
不思議な気分になります。


お腹がすいていて、食事が美味しかったです。

海浜幕張駅の前で解散となりました。

雨も上がりました。

約8000歩の町歩きでした。

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夏目漱石の「 坑夫」が、ネットで読める

2016-10-15 22:12:46 | 日記
NHKの土曜ドラマ「夏目漱石の妻」は、悪妻と言われた漱石の妻(鏡子)の解放的な性格、若き日の漱石の公私にわたる苦悩ぶり、そして時代背景などを通して、独特な夫婦愛を描いていた。

それぞれの役者の自然な演技も好感が持てた。


その最終回に、漱石が書いた「鉱夫」の話が出ていた。

漱石の作品は、殆ど読んでいる積もりでいたが、これは読んでいなかった。

ネットで検索してみたら、全文をネットで読めることがわかった。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/774_14943.html

便利な世の中になったが、漱石が今の世をどうみて、どう描くか、興味がある。



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