笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

炉開き

2011-10-31 09:30:47 | 日記
お茶の世界では、11月がお正月といわれています。夏場は火鉢のような風炉に釜を掛けてお茶を点てますが、11月からは畳に切った炉を使い始めるからです。
昨日は、我が家の炉開きでした。家内が一緒にお茶を習っている仲間に加え、お茶に未経験な兄嫁と高校時代の友達の総勢10人の大掛かりな催しになりました。家内が正式にお茶を習い始めた時の先生が、炉開きには必ず懐石、中立ち、濃茶、薄茶とやって下さったから自分もそうするのだ、と言って毎年この時期には1ヶ月も前から様々な準備をしています。私も懐石料理材料の市場への買い出し、デパートの買い物、待ち合い用の濡れ縁洗い、ガラス窓拭き、茶室の畳や廊下・板の間の雑巾がけ、銀杏の殻剥きと松葉通し、蕪の皮剥きなどの手伝いをやらされました。
写真は今朝、床の間に残っていた炉開きの名残りの花活けです。
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篠笛の心

2011-10-30 18:11:47 | 日記
今日は、カルチャーセンターで篠笛を習っている仲間がうち揃って、所沢の大先生の所に稽古に伺いました。
先生のお宅の近くのお茶の木に花が咲いていました。
お稽古は、2月の発表会に向けた中間テストみたいなものでした。
今度の発表会では私達のトップの生徒がお囃子の笛を吹くことになり、通常は太鼓などは大先生などにお願いするところを、私達の先生としては敢えて生徒が手分けして叩くということにされました。
普段は先生特製のハリセンを笛に合わせて叩いていますが、今日は大先生のまえで初めて本物の太鼓を叩きました。皆さん上がってしまい、大変でした。
その後、各人の発表予定曲を吹いて大先生のご指導を受けました。
一人一人のレベルと曲に合わせてポイントを指摘され、ご自身でも吹いて聞かせて下さいました。有りがたかったです。
いろいろつまづきましたが、1つの区切りがつき明日からまた改めて気持ちを込めて稽古に励むことができますす。私的には総評のときに、唄をしっかり歌えるようになることと舞台に出てから下がる迄が音楽です、といわれたことが印象に残りました。
篠笛の心かな、と思いました。
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老いを告げるメッセージ

2011-10-29 22:20:43 | 日記
先ほど書いた勉強会に向けての準備中に、面白いwebを見つけた。アスキーを作ったIT業界の革命児である西和彦氏のブログにあるめので、正しく65歳の「老いを告げる肉体からのメッセージ」というもので?16項目が掲げられています。
いくつか書いて見ます。
・街ですれ違った、妙齢の〈若くない〉好ましい女性が気になって振り返ったとき
・バッグに入れた積もりの携帯電話や眼鏡が見当たらす、どこかに置き忘れたと焦ったのに、結局、そのバッグのいつもと違う場所に見つけたとき
・朝早く目が覚め、昼間から眠気が襲ってきたとき
どうですか?お心あたりがありませんか?
これは、西さんが、マルコム・カウリー著の「八十路から眺めれば」(草思社)の中の80歳の「老いを告げる肉体からのメッセージ」になぞらえて考えたものだそうで、西さんは、各人が考えて作って見て欲しい、と書いています。後はwebでどうぞ。
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歎異抄

2011-10-29 20:12:33 | 日記
私はこの春から、大学時代の同級生5人と「老いたソクラテス達のおしゃべり会」と名付けた勉強会をやっています。きっかけは、NHKの「白熱教室」を見て、「そうだ!我々も40年前にはこうして、口角泡を飛ばして議論したよな。老け込まず、またやろうょ!」と言うことになり、始まりました。全員が同じ本を読み、集まりでは担当の一人が報告と提言を行い、その後議論をします。まるで学生時代のように激しく3時間ほど議論した後は近くの飲み屋に移動し、酒を酌み交わしながら歓談します。
来月の課題図書は大井玄著「痴呆老人は何を見ているか?」ー新潮新書ーです。私はこの機会に老いと死生観を考えてみょうと思い、様々な本を読みました。その中に「歎異抄」があります。
大学時代にも読んだはずですが、全く覚えていませんでした。今回読んで見て、親鸞の思想もさることながら、親鸞と私の故郷、栃木県や関東地方が深い縁が有ることに驚きました。
親鸞は越後に流された後、茨城県の笠間の近くの稲田で農民達と生活しながら「ひたすら念仏を上げる」ことを布教活動し、「教行信証」の草稿も其処で書いたそうです。40歳から60歳迄いて、その間に栃木県二宮町にも布教活動をし、今、そこには専修寺という寺があります。実は、この寺は私が生まれ育った所とも遠くないところですが、高校迄の授業では習いませんでした。
更に今回「歎異抄」を読んで初めて知ったことですが、「歎異抄」の著者である唯円は水戸市河和田の人だということです。何と其処は私が大学を終え就職したばかりに研修の為、水戸で仕事をしていたときの住まいのすぐ近くです。
更に、何と今日、たまたま会社の後輩から上野の国立博物館で行われている「法然と親鸞」展のチケットを贈られました。「歎異抄」を読んでいることは特に話していたわけではないので、親鸞上人のお導きと思い、有り難く家内と見に行くことにします。
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一調一管

2011-10-27 16:51:40 | 日記
「あー、満足出来ない演奏だった。死ぬまでにいっぺんでいいから、満足の行く演奏をしたい」。これは、9月の金沢おどりの舞台での演奏を終えばかりの2人の言葉です。2人合わせて161歳になる金沢・西の廓の芸妓(といってもお茶屋の女将です)による鼓と笛の演奏(いわゆる、一調一管)を楽しませて頂きました。
26日の午後7時30分からのNHKーTVで放送された「にっぽん紀行ー金沢・芸妓ふたり」という番組です。30年もコンビを組んでいるのに、舞台に向けて病や体調と闘いながらお互いの演奏に厳しい注文をつけつつ稽古に励む姿は、来年2月に初めての発表会を控えて稽古をしている私には、ゾクゾクするような姿でした。
昔、金沢に3年間仕事で生活しましたが、若かったので専ら飲み屋、カラオケ(歌は、加賀の女など)、ゴルフの日々を過ごし、折角の伝統芸能に接することがなかったことが後悔される番組でした。
笛の仲間の皆さんも感動し、励まされたそうです。
因みに、たまたま、お一人の方と家内の名前が同じで、家内はその事にも喜んでいました。
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