てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

「美術館」って何?(3)

2013年04月13日 | その他の随想

〔兵庫県立美術館の入口近くにあるセザールの彫刻『エッフェル塔 ― 板状』。実際のエッフェル塔を補修した際に不要となった鉄骨などで作られている〕

 その金沢21世紀美術館の創立時の館長というのが、蓑(みの)豊氏である(今は代替わりしていて、蓑氏は「特任館長」という耳慣れないポストに収まっているようだ)。

 この人は、先だって橋下市長が統廃合案を出した大阪市立美術館の館長もやっていたことがあって(のちに名誉館長)、現在では兵庫県立美術館の館長であるという。オーケストラの常任指揮者のように、各地を転々としなければならない仕事らしいが、意外と関西の美術ファンにも身近な存在のようであった。

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 蓑氏は、金沢に新しい美術館を立ち上げるにあたり、次のような目標を掲げたという。

 《これまでの美術館では、入場者は薄暗い密閉空間を足音をしのばせて歩き、名画の前にしかつめらしく立って鑑賞し、連れに感想を漏らすときは声をひそめて話し、ひととおり回ると感慨深げな面持ちで静かに去る、というのが普通だった。美術館は厳かな儀式が執り行われている場所であり、西欧人が正装してオペラを観にいくように、身構えて臨む舞台だという雰囲気が支配的だった。入場者にも、迎える側の美術館にも、そういう意識が浸透していた。

 しかし、金沢21世紀美術館は違う。この美術館が目指したのは、そういう従来の美術館のイメージを払拭した、まったく逆の施設だった。》
(蓑豊「超・美術館革命 ― 金沢21世紀美術館の挑戦」角川oneテーマ21)

 西欧人が身構えてオペラに臨む、というのはおそらく日本人の偏見であって、ヨーロッパではわれわれの想像以上にオペラは身近な娯楽ではないかという気がしないでもない。まあ、それはそれとして蓑氏は、大切なキーワードは「子ども」であると語り、次のようにいう。

 《私はここを子どもに感動を与える美術館にし、美術を通して子どもたちの創造力を高め、心を豊かにしたいと考えていた。だから、子どもの目線でこの美術館を作ろうと心掛けた。

 子どもは暗いところは嫌いなので明るくする。子どもは、自分と同じ背丈の子どもの姿が見えれば一緒に参加しようと思うから、中が見えるようにする。
(略)そして、子どもたちが好奇心をかき立てられながら遊べる作品をたくさん用意する。

 こういった配慮の結果、実に多くの子どもたちが遊びにくるようになった。》
(前掲同書)

 ここまで読んだときに、おや? と思った。これではまるで美術館の設立の物語ではなく、子ども向けのテーマパークか何かの話のようではないか。

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 ぼくのおぼろげな記憶をたどっていけば、7歳のときに、福井の美術館でミロの展覧会を観ている(このときミロはまだ生きていた)。ミロの芸術が、子どもの世界にも通じるような天真爛漫なものをもっているのはよく知られるところだろうが、決して子ども向けに構成された展覧会ではなかった。親に買ってもらった図録には、外国語の文章がながながと掲載されていたりして、ぼくにはまったく歯が立たなかった。

 けれども、ミロとの出会いは、ぼくの心をわしづかみにしてしまったのである。以来、美術との長い付き合いがつづいているのも、そのときに受けた感動が忘れられないからではないかと思う。

 最近の展覧会では、子ども用の小冊子のようなものを受付で配っていたり、子どもの目線に合わせた低い位置に「この絵は何を描こうとしたのかな?」などといった問題が書かれていたりすることがある。これは端的にいえば、美術館から子どもを閉め出さないための工夫で、金沢21世紀美術館にならったものだといえるだろう。

 けれども、美術のすべてが子どもにわかりやすくなければならないのかというと、そんなことはあるまい。文学の世界であっても、同様である。小学校の図書室にある文学全集などには文字を大きく、ふりがなを多く、イラストを豊富に挿入したものがあったけれど、だからといって夏目漱石の小説が子どもに容易に理解できるというものでもなかろう。

 だが、福井で開かれたミロ展にはそんな子どもじみた工夫が何もなかったにもかかわらず、幼いころに見たミロの鮮やかな絵画やユーモラスな立体作品は、ぼくの心にしっかりと刻み込まれているのである。

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