てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

若葉マークの観能記(1)

2011年10月03日 | その他の随想


 急に秋めいてきた日曜日、京都で能を観た。去年、ある人に誘われて御所の隣の能楽堂に足を運んで以来、3度目になる。

 ぼくは子供のころから好きだったクラシックのコンサートにときたま出かけるほかには、演劇を観ることもないし、歌舞伎を楽しんだこともない。四条の南座の前はよく通ることがあるけれど、中に入ってみたいという欲求を覚えたこともない。特に嫌いだというわけではないし、まったく関心がないというのとも少しちがうが、何となく敬遠してしまうのである。これだけ世界との距離が近くなってみると、遠くはなれた地球の裏側で坑夫が地下に閉じ込められたことや、アフリカの独裁者が失脚したことや、宇宙から降ってくる人工衛星の破片の行方が気になって、日本の伝統芸能にしっかりと向き合う気持ちにはなかなかなれない。

 だが縁あって、最近、能に触れる機会を得られるようになった。正直にいうと、まだ“楽しむ”というレベルには程遠いし、長時間退屈せずに鑑賞できるかと聞かれると、否というしかない。ただしそういうことは、クラシックを聴いていてもときどき起こることだ。かつて知り合いだったある女性詩人は、関西二期会かどこかのオペラ演出家の奥さんで、オペラの魅力を語って飽きることのない人だったが、何かの拍子にこう漏らしたのをぼくは聞きのがさなかった。

 「でも『蝶々夫人』の第1幕はキツイわねえ。思わずウトウトしてしまう」

 それ以来、ぼくは音楽を聴いたり映画を観たりしながら寝てしまうのを、特に恥とは思わなくなった。そうでなかったら、思い切って能を観てみようなどとは考えもしなかったにちがいない。

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 去年の春、はじめて能を観ることになったときは、当日になってうろたえないように、あれこれと調べた。クラシックを聴くときも、楽章の合間に拍手をしたりするものではないというようなことは、あらかじめ知っておいたほうがよい。子供に向けて「感動したら思いっきり手を叩きましょう」などと教えていることがあるが、まちがいである。

 けれども、下調べをしておいたにもかかわらず、実際の能舞台を眼にしたときは本当に驚かされた。まず建物のなかに、もうひとつ屋根があるのだ。しかも重厚な、檜皮葺きである。さらに舞台が真ん中にはなく、右端に寄っている。バランスのよい音響に注意を払う近代的なホールには、まずあり得ない構造だろう。

 そして、舞台の背景 ― 鏡板(かがみいた)というそうだ ― に大きな松の木が描かれているのは知っていたが、側面には竹も描かれていて、しかも舞台の左奥に向かってのびている渡り廊下のようなもの ― 橋掛かりという ― の手前には3本の若い松が植えてある。松と竹では何となくおめでたいような感じがするし、しかも老松と若松との取り合わせは深遠な時の流れを踏まえてもいるようで、何も演じられていない舞台のしつらいそれ自体が、すでに物いわぬドラマを秘めているのだ。地方の文化会館といった“ハコモノ”が、どんな催しにも無難に対処できるように没個性的で無表情な内装を有しているのとはまったくちがうのである。

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 能の前には、短い狂言が演じられた。狂言という言葉は芸能の世界にとどまらず広く使われるが、あまりいい意味で用いられたためしはない。

 そもそも、ぼくは狂言というものに、よからぬ記憶がこびりついている。これまで狂言を観るのは意識的に避けてきた、といえなくもない。小学生のころ、児童の前で演じる子供狂言の演者のひとりとしてぼくが選ばれたことがあったが、本人には事前に何の相談もことわりもなく、強制的に台本を渡され、放課後の稽古を一週間ほど重ねたあげく、わけもわからないままに全校朝礼の場でそれを演じさせられたのである。

 そのころぼくたちは国語の授業で『附子(ぶす)』という狂言を習ったばかりで、知識としては知っていた。けれども、やりたくもない演技を人前でやらされ、しかも観客の笑いまで引き出すなど無理な話で、これこそが巧妙に仕組まれた“狂言”だと思えてならなかった。

 だが、今となってはその記憶を封印してもいいときかもしれない。だいたいぼくが30年も前に演じたシロウト狂言など、誰も覚えていやしない。それより、ぼくは狂言という伝統芸能を、能よりもほんのちょっと早く好きになることができそうな気がしている。

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