慶喜

心意気
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日本史(乙巳の変)

2017年05月04日 | 歴史
乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん)

中大兄皇子、中臣鎌足らが宮中で蘇我入鹿を暗殺
 ☆蘇我氏(蘇我本宗家)を滅ぼした飛鳥時代の政変
クーデターで、蘇我蝦夷・入鹿父子は死に蘇我氏滅亡
約100年キングメーカーであり続けた蘇我氏は2日で滅びた
中大兄皇子は、体制を刷新して大化の改新を断行した
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、NHKBS番組『英雄たちの選択』、WIKIPEDIA
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます)










乙巳の変(『英雄たちの選択』番組画面引用)

聖徳太子の血を引く上宮王家滅亡
入鹿は蘇我氏の血をひく古人大兄皇子を次期天皇に擁立しようと望んだ
皇位継承権者である山背大兄王(聖徳太子の子)の存在が邪魔でした
入鹿は、山背大兄王を攻め、山背大兄王は斑鳩寺に戻り、王子と共に自殺
聖徳太子の血を引く上宮王家は滅亡した

乙巳の変の背景
推古天皇の朝廷の政を執っていた厩戸皇子(聖徳太子)が死去した
聖徳太子の死により、大豪族蘇我氏を抑える者がいなくなる
 ☆権勢は天皇家を凌ぐほどになった
推古天皇は、後嗣を指名することなく崩御
 ☆有力な皇位継承権者は、田村皇子と山背大兄王(聖徳太子の子)
蘇我蝦夷は、山背大兄王を推す叔父の境部摩理勢を滅ぼす
田村皇子を即位させることを強行する(舒明天皇)
舒明天皇は崩御し、皇后であった宝皇女が即位した(皇極天皇)
 ☆蘇我氏の専横は更に甚だしくなった

蘇我蝦夷・入鹿暗殺
中臣鎌子は、蘇我氏の専横を憎み蘇我氏打倒の計画を密に進めた
鎌子は更に蘇我一族の長老・蘇我倉山田石川麻呂を同志に引き入れた
三韓(新羅、百済、高句麗)から進貢(三国の調)の使者が来日した
 ☆三国の調の儀式は朝廷で行われ、大臣の入鹿も必ず出席する
中大兄皇子と鎌子はこれを好機として暗殺の実行を決める
中大兄皇子は長槍を持って殿側に隠れ、鎌子は弓矢を取って潜み入鹿を殺害
蘇我蝦夷は、自宅で自殺

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