隊長のブログ

元商社マン。趣味:ヒップホップダンス、ジャズダンス、日舞(新舞踊)、旅行、映画、スポーツ観戦。阪神タイガースのファン。

上海城市新聞Vol.21 『寝台列車初体験』 (その1)

2012年11月19日 | 上海城市新聞

上海城市新聞 Vol.21         『寝台列車初体験』         2012年11月19日

SHANGHAI CITY NEWS Vol.21      “First Experience of Sleeping Car”       2012/11/19

           =中国語で城市はCity,新聞はNewsの意味(日本語の新聞は英語では報紙と書きます)= 

                             =従って城市新聞はCITY NEWSの意味です=

   記事中の写真をクリックすると拡大画像が表示されます。

 

11月7日(水)から11月14日(水)までの8日間 、中国上海市と河南省鄭州市・信陽市へ旅行に行ってきました。

  

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今回は、上海市内に1泊した後に、内陸部の信陽市に寝台列車で行き、その後、鄭州市まで中国版新幹線で移動してから、上海に戻りました。列車での移動時間が多い旅でした。

 

途中、身の危険を感じたことも数回有りましたが、風邪も引かず、お腹も壊さずに、無事に元気で帰ることが出来ました。

 

9月に日本政府が尖閣諸島(中国名:釣魚台列島) を国有化してから、中国全土に広がった反日デモは収まったとは言え、今この時期に中国の内陸部に一人旅をするのは危険だからやめるようにと言う人もいました。

 

それでも、あえてこの時期に行ったのは、冒険をしたかったからです。

 

この半年間の隊長の生活は、週に6日間、フィットネスクラブでダンスレッスンを受ける以外には、活動的なことは何もしてきませんでした。

 

そのダンスも、体調を壊したために、イベント・発表会にも半年間参加をしませんでした。

 

そんな自分自身に、喝を入れるために、中国への一人旅に出かけました。

 

 

【1日目:11月7日(水)】羽田空港から上海虹橋空港へ

東京羽田空港から、上海虹橋空港へは 羽田発14:30 虹橋空港着16:30の、MH(中国東方航空) 538便での移動です。

 

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【羽田空港で駐機中のMH538便】


航空券代は、税・燃油サーチャージ・手数料込みで、往復56、730円でした。

 

MH538便は、ほぼ定刻通りに羽田を出発しました。機材は、エアバスA321-200(座席数:ビジネスクラス24席、エコノミークラス161席、計185席)です。

 

ニュース等で、中国への団体旅行客の大幅に減っていたり、海外出張者も企業の自粛で減っていると聞いていましたので、当初は、飛行機ガラガラと思っていました。ところが、搭乗してビックリしました、機内はほぼ満席でした。日系のエアラインより安い運賃のためでしょうか。

 

MUは、上海に駐在している頃に、出張・旅行等で良く利用していたので、正直、機内食には期待していませんでした。ところが、予想が外れて、意外と美味しかった(苦笑 

 

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機内食のメインは「すき焼き風ごはん」、デザートは何故か「どら焼き」です。ビールは「青島ビール」です。

 

途中、大きな揺れもなく、上海虹橋国際空港に到着したのは、ほぼ定刻通りでした。 

 

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この日の夜は、中山西路888号の「銀河賓館(英文名:Galaxy Hotel)」に泊まります。空港からホテルへの移動は、タクシーで。料金は、29元(約380円) でした。

 

ホテルにチェックイン出来たのが、17:30ですから、着陸からわずか1時間しか、経っていません。空港が市内から近いのは良いことですね。 

 

部屋でシャワーを浴びて一休みしてから、食事をしようと出かけたのは、ホテルから歩いて約10分の遵義路にある「虹橋上海城」です。「虹橋上海城」は、オフィス棟とショッピング棟があります。ここのオフィス棟に、隊長が駐在していた頃に、会社の上海事務所を引越しました。 

 

ショッピング棟には、「百盛(英文名:PARKSON)」と言うデパートをメインテナントとして、各種レストラン、それに最上階には映画館もあります。

 

上海に駐在している頃には、度々、会社の帰りに、地下にある「百盛超市(スーパー)」に寄り、食料品を買って帰宅したものでした。

 

食事をしようとしたのは、この「虹橋上海城」にある「順風大酒店」と言う中華料理店です。ここは、メニューに料理の写真が載っていて、日本人の利用も多いレストランです。

 

ところが、「虹橋上海城」に着いたら、ここでも予想外の出来事がありました。ショッピング棟は、明かりが消えていて、中に入れません。時間は、まだ午後8時前、営業終了時間には早すぎます。 

 

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【入り口が閉鎖されたPARKSON】


さらに、近づいて見ると“改装中”の張り紙が張られていました。 

 

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【「順風大酒店」のネオンも消えてます】

 


「順風大酒店」での食事を諦めて、同じような形態の中華料理店「来天華」が入居している、仙霞路と遵義路の角の「萬都商城」に向かいました。 

 

 

「萬都商城」には、4Fに「来天華」、3Fに日本料理の「伊東家」、2Fに中華料理の「致真酒店」が入っていて、駐在していた頃には、よく食事に来ていました。

 

以前は、この附近には、日本料理屋やクラブが多く、夜になると日本人目当ての“違法コピーのDVD・CD露天商”や、“花売り”、“物乞い”まで出て、賑わっていました。

 

ところが、一帯が再開発で壊され、「萬都商城」の附近は、対面の「虹橋公園」以外は、人がほとんど歩いていません。

 

「来天華」に入店したのは、20:00頃です。店内は、ここも閑散としていました。日本人駐在員の帰国や出張自粛の影響が出ているのでしょうか。


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ここで食べたのは、“ハムのゼラチン固め”、“春雨の炒め物”、“ハスとインゲンときくらげの炒め物”でした。

 

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残念ながら「来天華」は、以前より、味もサービスも低下していました。

 

ホテルへ戻る途中、「萬都商城」の対面の「虹橋公園」では、近所の人々が集まって、夜空の下、ダンスを楽しそうに踊っていました⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/f61c0e03fb59c430655985f3879e9ac1

 

「虹橋公園」は、隊長が上海に赴任して来た当時は、「上海交通児童公園」と呼ばれていて、塀に囲まれていて、確か入園料が必要だったと思います。それが、今では開放的な公園に生まれ変わり、このように、毎夜 近隣の人がダンスに興じているようになりました。

 

こうして、旅の1日目は、終わりました。

 

 

===== 続きは、上海城市新聞 Vol.21 『寝台列車初体験』(その2)で ====

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