雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

文化と文明 4

2007-05-30 08:44:23 | 将棋・スポーツ
白鵬 口上に四文字熟語!愛妻と考案(スポーツニッポン) - goo ニュース

四年ぶりの横綱誕生。

よく思うのは相撲は格闘技なのだろうか、ということ。

格闘技にしては、試合後のダメージが少ない。

つまりKnock Out がない。

Knock Out を目的にしない格闘技が、それを目的にする格闘技選手とやって勝てるわけないから、曙なんかには負けたと思わずに、さっさと引退してほしいわけだが、と同時に日本人が強い格闘技というと、どうしてもこうしたKnock Out のない競技である(レスリングとか柔道とか)。

きっと雑多な人間が排除せずに共存することに一日の長があるからかもしれないが、原因はともかく相撲という格闘技は、とにかく日本的な、国際的には全く通用しない(勝負には勝てない)格闘技ではあってもそういうことに日本人が長けているからこそ、日本人の愛着も湧いたと思う。

しかしその相撲の最高位が外国人となると、日本の良さも愛着も何もあったもんじゃない。

僕は力士が弱いから相撲など無用とか、外国人力士が気に入らないといっているのではない。

相撲は、ただ文化であって文明になる必要はないといいたい。とりあえず一般の日本人の相撲への関心は、彼の横綱昇進によって益々薄れていく気がする。。。

対岸の火事6

2007-05-29 21:56:11 | 時事
NY Times によると、スペイン警察は、モロッコ人14名、アルジェリア人2名を、ジハードの戦士をリクルートしていたとして逮捕した。

スペインは、191名の犠牲者を出した、2004年3月11日のマドリッドでのテロ以来ムスリムを数百名逮捕をしてきたが、カタロニアにモロッコからの移民が増え(現在50万人)、イラクでの自爆テロなどの資金供給源にもなっているとみられていた。

また当局によると、イスラム過激派は、8世紀から15世紀にかけて、イスラムの繁栄都市であったAl Andalus奪回を目指すものがおり、依然としてスペインは、テロの標的であるという。

こうしたスペインに対して、去る4月30日に発表されたGallup World 世論調査によると、英・仏・独国民は、イスラムとの共存にそれほど違和感を感じていないらしい。

あなたの近所に、異なる民族的背景および宗教を持つ人がいていい、と答えたひとが、それぞれフランス(パリ):59-31、イギリス(ロンドン):58-35、ドイツ(ベルリン):55-34、と、同じ方がいいというひとを上回った。

追伸1:イギリスの登山隊が1952年の今日、エベレスト登頂(NY Times)。

追伸2:Pirates of the Carribean 盛況(NY Times)。

追伸3:バグダッドは、シーア派にとっては素晴らしいところ(NY Times)。

追伸4:アルジェリアでは、ほかのアラブ諸国とは異なり、女性がひそかに経済および政治面で力をつけてきた(NY Times)!

追伸5:非人道的な中国にオリンピックができんの(Washingtonpost)?

追伸6:中国で世界最大の核廃棄物処理施設建設、ゆくゆくは…(Washingtonpost)!

追伸7:去る5月25日、このブログのアクセス・ランキング最高位が記録された。373位(531ip)。何かの間違いかと思ったが、一年ほど前の667位を大幅に更新してなにやら嬉しかった。

LOVE

2007-05-27 19:21:07 | 宗教
【酒鬼薔薇以後】(1)アンチヒーロー ネットで増幅する殺人願望(産経新聞) - goo ニュース

「生きていること」をリアルに実感させる快楽に、Thou Shall Not Kill という社会の基盤を侵犯するところにあると考えたか、直感的にそう感じたからだと思う(アンチヒーローの時代は50年も前だと思う)。

カントもいっていたように、十戒にはなぜしてはいけないかは示されていない。

なぜならただの道徳で、ヘーゲルのいう誰もが納得できるものではないから(「殺されたくないなら殺してはいけない」式の説明は普遍的ではない)。

同記事に載っている殺人事件を引き起こした少年たちは、ニーチェのいう悲劇的発見(本当にやってはいけないことをやることがどんなに楽しいかという発見)をしたか、それを直感的に感じているか、だと思う。

ということはこれに疑問を持った人間をいわゆる「更正」させるにはある意味カントが答えられなかった問いに答えるか、李珍宇を後悔させたような「愛」を与えるしかない(突発性の殺人願望やアニメやロック歌手を通じて「感じた」だけなら、なんとか誤魔化せるかもしれないが、酒鬼薔薇みたいな文章を書く知能の持ち主だとしたら困難で、彼らはごまかしの社会生活をとりあえず選ぶだけだと思う)。

となるからこそ、宗教の目的は、真っ赤な他人を自分愛すように愛するにはどうしたらいいかを提示すること、ということになる。

僕は空海のいう密教はそれに答えていたと思うけど、だからといって自殺志願者には通用しないけど。

退屈 2

2007-05-25 21:41:14 | 宗教
Kurt Vonnegut のCat's Cradle を読んだ。

そこに聖書の冒頭をパロディ化した箇所があった。

人間は驚いて、「これらすべての目的は何ですか?」と慇懃に訊いた。
「すべてに目的がなきゃいけないのかい?」と神は尋ねた。
「もちろんですとも」と人間。
「それじゃあ、この全てのことの意味はお任せしちゃうよ~」神はそういうと、立ち去った(拙訳)。

『カラマーゾフの兄弟』にあるものとは種類が違う「退屈」ですな。

宗教もそういう時代なんだな、なんてことをつくづく思い出しつつ、脳裏をかすめたのは、池田晶子と最期の対談をした大峯顕のこと。

池田さんと対談はしてるけど、れっきとした京都系の仏教系哲学者だが、10年ほど前、ある学会である方がヘーゲルかなんかについて発表し、その質疑応答のとき、大峯さんは、ひとこと、「あんたはなんのためにそんなことやってるんだね、ひまなんだね」(一字一句正しいわけではありません)と仰った。

もちろん「実存的でないね」という意味で、魂が求めるようなものがそこになかったということだろうが、この「不在」はいかんともしがたい。

その点、池田さんはそれに答えようとしていたなぁと思った(それで変ってるといわれるんだから本来の哲学者の仕事は?)。

追伸:アメリカのムスリムは、同化政策?(Washingtonpost)

償えるはずがない

2007-05-24 22:24:13 | 時事
少年への死刑の適用争点 差し戻し審始まる 光母子殺害(朝日新聞) - goo ニュース

本当に反省しているなら、李珍宇が最初にそう考えたように刑に服すべき。自分のしたことを考えたらそれにみあう償いなどあるはずがない。

死刑制度」はルールであって、ルールの是非を問うのではなく、罪状と罰の釣り合いを考えろ。別に詳しく調べてないが、ムラムラして侵入して母とその赤子を殺害した、に殺意があったもなかったもない。ひどすぎる。

18世紀のイギリスのように、東京駅の前に罪状を記した看板を立たせ、足に鎖をつけて頭と上半身を固定し、市民に罰則を決定させる無法な罰が妥当。反省しているなら敢えてそれを受けるべき(それでも償えるはずがない)。

キレイゴト

2007-05-24 20:44:30 | 将棋・スポーツ
NY Times によると、Jason Giambi が例のステロイドの件で、球界関係者と会った。USA Today に、彼がステロイドを使ったと告白した記事が出て、そのことについての会合で、結論を今Giambi は待っている。

Giambi との初対面はここに記したが、その後も(マツイはどうでもよくなったが)ずっとファンだった。

とにかくあのパワフルなバッティングは何はともあれもう1度生でみたい。そういう気にさせる豪快なものだった。

マツイにもある意味あのくらいホームランにこだわってほしかったという思いは今でもある。

人間の「生」ってのは、そんなキレイゴトじゃない。満足、これを求めるところに躍動感があって奇跡のようなことも起こしうる。といってそれじゃあいろいろ問題が結局は自分にも降りかかってくるわけだから、だからこそっ、デュオニソス的なものをアポロで、というニーチェやジジェクのいう禁欲さは、結局自分の120%の満足のためなのだ、とはいつも感じるところ。

今日はそんなことを思わせる記事を断片的に・・・。

1)露西亜のビジネスマンAndrei K. Lugovoiが、元KGBのALEXANDER V. LITVINENKO殺害容疑で告訴(NY Times)。体制というのはある意味規律の最たるものだね。

2) アウン・サン・スーチー女史の解放を求める嘆願書を、Bush、Carter、Clinton ら歴代大統領が送る(Bostonglobe)。このひとの記事をみると、なんだか感心する。彼女を動かしているのは何なのか。同記事の民主主義のためにというのはアメリカにうってつけだが、それを置いておいて、スーチー女史ってひとがつかめない。

3)NY Times(22日)24日によると、「中国から輸入」ではなく「中国へ輸出」になった米中交渉は中国がやや優位らしい。やっぱりお得意様には頭が上がらないのだろうか。懸案事項の人民元の交渉や市場主義ほか、アメリカとしては、ルールの改正を議題にしたいところだったが、中国が提出する議題は、輸出入の品目が交渉の焦点で、米にできることといえば関税操作ぐらいだが、成功したとしても影響は小さい。結局そのまま閉幕した模様だが、なかなか・・・。

4)北アイルランドにはどのように平和がやってきたのか(Bostonglobe)? 答え:ひたすら忍耐だそうです。

5)レバノンで死者が60名に(Bostonglobe)。こんなにも簡単にひとが死んでいく。

6)アメリカは、北朝鮮にうまくやられている(Bostonglobe)。結局中国が動く気がなけりゃ決着はつかない、という話。

7)先日Jamestown が植民400年記念を迎えたが、それに寄せた一節(Washingtonpost)。Pilgrim Fathers といったキレイゴトではなく、実際の植民は、Native Americans からいろいろなものを奪い、人口の半分が亡くなる冬を超え、弱者を犠牲にしてやってきた。現実の生活とはこういうものだったことを思い出そう、キレイゴトじゃないんだっ、という記事。

8) 押切もえ“機能性”ある恋人募集中!日産新型四駆車PR(サンケイスポーツ) - goo ニュース 体形は関係なく男の機能があればいいのか。。。俺にも脈あり。

追伸:NY Times によると、1883年の今日(24日)、Brooklyn とManhattan が橋でつながったんだって。



ドストエフスキーへ

2007-05-21 00:00:01 | 文学
弁護士「印象、普通の子」 会津若松の母殺害で接見(朝日新聞) - goo ニュース

上記事件についての専門家のコメントほか説明をTVでみたが、なぜ母親を殺さなければならないのかわからなかった。

はじめこれが専門家の分析だとすると、権威は失墜してまさしくPostmodern だ(もう古いといわれるかもしれないが)と思ったが、あとになって、これは心理カウンセラーや精神科医師、教育家、社会科学者が扱える分野ではない、文学者の問題だと考えなおした。

しかし文学者にこうした問題を斬るメスが今あるだろうか。

Pさんの奥さん(画家)の受け売りだが、昨今は、形式的というか道具的というか、問題が本質(意味)を避けるようになった(まさしくPostmodernによって)。

例えば(奥さんの受け売りが続くが)、絵画は、基本的に線と色に煎じ詰められるわけだが、それだけを考える抽象画に似ている。

文学も同様に、言葉を人間から切り離してそのものの機能を追いかけたり、身近なものに限定しているのではないか、というわけだ。

確かに現在の小説を少しばかり読んで思うのは、妙にプロットに整合性があり、映像化しやすそうなものが目に付く(とにかく登場人物たちが自らの観念のなかに生き展開がその予測できる範囲を出ていないからだ)。

こうしたある意味規模の小さいロマン主義的傾向は、Postmodernism の裏返しというよりは、日本の場合、戦後民主主義者に責任の一端は少なからずあろうという話になった(その背景にあるのは、司馬さん流に言えば、悪い意味でアジア的組織のなかだけでしか生きられない人間が増えたということだろう。司馬さんは昭和の参謀本部以下だと述べていたことがある)。

そして戦後民主主義者といえば、大江さんの名が出てくる。大江さんの場合、息子さんの問題もあってある方向にテーマが限定されている。だからどうしても現実世界に対する見方が一面化しているような感がある。だから『宙返り』を読んだとき、すごく進展した感じがあって、友人にこの本をすすめつつ、フォークナーの三分の二ぐらいすごくなったかも、といった。そうしたらその友人にそれは侮辱だといわれたが、僕としてはこれ以上ない褒め言葉のつもりだった。

Pさん夫妻いわく、彼にドストエフスキーはわからない。その理由は大江さんの長所でもある特殊性が反理性などのPostmodernにしか救いを求められないからかもしれない(それを超える苦境が来たときどうするのかという問いが残る、例えば『個人的な体験』の終り方や、『人生の親戚』をみよ、あそこに限界があるといえばそういえる)。

といって花村満月が描く暴力がその苦境だとは僕には思えない。本当の苦境は、彼が描くその登場人物たちから、少なくともその暴力が奪われなければならないと思う。

とりあえず僕もドストエフスキーをわかっているとはいえないので、改めてまた読み始めるとして、その前に考えてみたい、人間が自分の母親を殺さなければならない理由はなんだったのか、と。

彼がいうように「誰でもよかった」という側面はあったろうし、彼にとって弱者でもあり殺害が容易だったこともあったろう。しかしまず社会との繋がり、まさしく胎児の時に自分の生命をつなぎとめていたヘソの緒を断ち切る行為には何か意味があるように思えてならなかった。

彼がいた切羽詰った状況のなかで、それを断ち切ることしか彼には選択肢が見出せなかったのは、ジジェクがいうように、現代人の喜びは、喜びを与えるものを断ち切ることなのだろうか。

わからない、しかし「異常」と片付けたくない。。。

Katrina 35

2007-05-20 17:36:00 | アメリカ
ご無沙汰のKatrina。

NY Times によると、これまで問題だったHousing Project は、FEMAからthe Department of Housing and Urban Developmentに担当がかわり(FEMAは赤十字にかわりアメリカでの災害の指導的立場になる:Washingtonpost)、それなりの進展がみられ、ある調査ではNew Orleans 住民の69%がその未来に楽観的で、悲観的なのは11%という結果が得られたという。

また、Bostonglobe によると、New Orleans といえば「文化」、すなわち音楽を生業としているひとがそれなりにいるわけだが、Wynton Marsalis らの運動で、New Orleans 在住のミュージシャンたちが息を吹き返しはじめているという(New Orleans Jazz Festival の模様はNY Times がレポート)。

しかし比較的よい傾向をリポートしてるのはこのぐらいで、以下悪いNewsの羅列。

1)やっぱりHousing Projects が遅れている。New Orleans を出て行ったひとたちが帰ってきたくなるような家を!(Washingtonpost)

2)Katrina被害への世界からの援助、8億5400万ドルは、実は、4千万ドルしか使われていなかった(Washingtonpost)。

3)The Army Corps of Engineers による堤防はすでに欠陥発覚(NY Times)。

4)被災者用の600万食がムダに(Washingtonpost)。

5)2300名のSocial Security Number が宛名に印刷(Washingtonpost)。

こういうのをみて、参考にすべきなのは、組織で物事をきちんとこなす難しさと必要さ。

日本も他人事じゃなくよく知っているはずだが、組織のなかでいろいろなひとの手を経ていくうちに本来の目的がやがて消えてみえなくなることさえある(司馬さんは軍部は誰が悪いというより誰がやってもあの組織のなかにいれば同じことをすることになったろうと述べていた)。組織は、交響曲のように個人には絶対出来ない力を発揮する一方で、あまりに大きな力を暴走させ、その構成員たる個人に大きな負担をかけることにもなるから注意したいというわけだ。

だから以下のニュースは特に同盟国アメリカに自問してほしい問題。

組織というと、つい湯水のように金を使っていくわけだが、アメリカのテロ対策にかかっていたお金は、第2次世界大戦についで2番目の額になっているらしい(Washingtonpost)。

同記事によると、歴代の対外戦争の費用は以下。

独立革命    $4 billion
1812年戦争   $1 billion
メキシコ戦争  $2 billion
南北戦争    $81 billion
米西戦争    $7 billion
第1次世界大戦  $364 billion
第2次世界大戦  $3.2 trillion
朝鮮戦争    $650 billion
ベトナム戦争  $691 billion
湾岸戦争    $92 billion
対イラク・テロ $754 billion WWII以降をまとめたグラフィック

日米両国に、リアリズムを望む。

追伸1:NY Timesにある新刊紹介欄では、J. F. Kennedy 大統領暗殺の真犯人もいろいろ組織が絡んでいそうでよくわからないが、実はたったひとりの人間に帰せられる、というVincent Bugliosiの本が紹介されていた。

追伸2:Townhall には、New Orleans のTulane University でどのように寄付金が寄付者の意図に反して使われてきたかがすっぱ抜かれていた。

追伸3:これまでのKatrina。 12345678910111213141516171819202122232425262728293031323334

ストラディバリウス

2007-05-19 21:14:48 | 音楽
ストラディヴァリウスを使うバイオリニスト天満敦子のコンサートが無料というので駆けつけた。

が、久しぶりにマナーの悪さに腹が立った。

無料コンサートというのはどうかと思った。別に面白くないからといって曲の合間とはいえ途中で帰るとは何事だっ!

金を払わなければ、しっかり対峙さえできないのかっ!

しかも係員も無料のコンサートだからって気が抜けてる。

アンコールを折角やってくれてるのにヒソヒソ話をしてやがった。

思わずパンフレットを投げつけて「静かにしろ」といった。

逆ギレされなくてよかった。

パルティータ本当に気合が入っててよかった。

天満さんというと音量が有名だが、確かにすごかった。

文化と文明 3

2007-05-16 22:50:33 | 歴史
大袈裟なタイトルでいつも恐縮だが、前回書きたかったことが、書いているうちにズレたことが今朝読んでみてわかった。

「近代国家」(States)という枠組みがどのようにつくられるか、を考えたとき、イデオロギーや宗教ほかのフィクションによって、つまり事実ではないものを媒介にしなければならない。

そういう意味で国家は文明ではなく、文化といえるのではないか。これがいいたかった。

中国や朝鮮の場合は長く儒教と学歴による中央集権に覆われていた。

これらシステムは一見普遍性があるようにみえた(実際中国の科挙制度は仏英で採用された)が、儒教にがんじがらめになってつまり四書五経を重視しすぎたところがあったりして(モンゴル人はそれを馬鹿にした)、結局自浄作用をなくし、中国はそれにかわるものとして共産主義を選び、朝鮮では職人や貨幣経済の発展を滞らせた(こういう話は無論良し悪しの問題ではなく、まわりの状況と合っているかどうか、という話である)。

最近のフランスもフランス革命にとらわれている気がしないでもない。ナポレオンを無敗にした国民皆兵、すなわち「すべて一枚岩の国民」や、彼らの「自由」、すなわち「宗教からの自由」を前面に出しすぎて問題が生まれている気がする。

あれだけ移民がいるのだから人種の違いによる区別は歴然とあるはずだが、その差はないといい張るところに解決はあるのだろうか(現実策として、政府の援助は地域ごとという名目で行われる。移民が棲み付く場所が人種の違いになっているから人種という言葉を使わずに済ましているが、これで一枚岩と呼んでいいのだろうか)。

また、イスラム教徒の女の子の風俗問題も宗教色を排すことに固執しすぎていないだろうか。つまりその髪や顔の一部を隠す衣は単なる衣なのに、それをどうとらえるかという解釈の問題に発展させることで、つまり文化の問題にすることでややこしくなってる気がする(双方ともに問題の原因をわざわざ提出しているようにみえる)。

更にややこしいのは、サルコジのような本来移民系の方がフランス革命の精神を大事に(=固執)して、生粋のフランス人の方が寛大だったりするところ(日本の新選組みたいに)や、イスラムの問題にフェミニストが口を出して、それに応じるのが、実際の娘たちではなく、その母親の世代だったりするところ。世代間といったそのほかの指標の問題も絡んできている。

諭吉っつぁんがいうように、ひとの交わりこそ狭隘な視点から抜け出るチャンスなではある。「故に文明とは、人間交際の次第に改まりて良き方に赴く有様を形容したる語にて、野蛮無法の独立に反し、一国の体裁を成すという義なり」であると考えたい。

が、それがそんなに簡単なことならとっくに変っている。ということは、国家はたとえ人類みなが普遍だと考える、「自由」や「平等」を標榜したところで、文明などではなく、「文化」ということになるし、はじめから「文化」の域から出るつもりのない国もある。

日本の良さは「伝統文化」もそうかもしれないが、他国の「文化」の上澄みを「文明」として取り入れられるところにもある(節操なく目先の利益を追いかけているともいえるが)。憲法を変えるなら思い切って、そんな「文明化」を示唆する前文を付け足したらどうだろうか。

いずれにせよ、国家は文化でしかない、と発見した次第。

追伸1:中国がナイジェリアのために人工衛星?(Washingtonpost)

追伸2:Rice、Putin と会談後、取り合えず言葉遣いはソフトにすることが決まった(NY Times)。