ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

一話完結(父と娘)

2017-09-02 22:15:24 | Weblog
永田宏は一流企業の商社で課長職にある。仕事帰り、行きつけの居酒屋に寄り「そろそろ俺も子会社に出向じゃないかな」と店のママに不安とも愚痴ともつかぬ言葉を残し、店を後にした。思えば海外勤務を終え、本社に戻され、数年で課長に昇進して以来、10年以上がたつ。すでに50を過ぎた。

自宅に着いたのは午後11時半過ぎ。妻の幸代が玄関まで迎えに来る。冷蔵庫から缶ビールを取り出し、食卓のテーブルに彩られている料理に箸をつける。

「美樹はどうした?」

「まだ戻ってないわ」

「連絡は?」

幸代は首を横に振った。

「全く、しょうがない奴だ。ここのところ毎日じゃないか」

「まあ、遊びたい盛りだから」

「まだあいつは未成年だぞ」

「大学に入って、付き合いも広がったのよ。あまり怒らないでね」

「さあな。それは向こうの出方次第だ」

12時過ぎ、チャイムが鳴り、幸代は玄関に向かった。しばらくして美樹がリビングに姿を現し、宏に「ただいま」の一言を残し、自室へと立ち去ろうとした。

「おい、美樹。ちょっと待て」

「何よ?」

「何かあるだろ、言うべきことが」

「だから、ただいまでしょ」

「その後だよ。すいません、遅くなりましただろ。大学生にもなって、そんなことも分からないのか」

宏の口調は、知らず知らずに強まっていた。美樹は少し宏を睨むようにして無言で立ち去った。

「あれじゃ、ろくな男に引っかからないな」

宏は幸代に捨て台詞を吐いた。

その夜、宏はなかなか寝付けなかった。10代半ばに人並みの反抗期はあった。しかし高校に進学した頃には、元の仲の良い父娘の関係に戻っていたはずだ。それが大学に入学したあたりから少しずつ、様相が変わってきた。女の子は難しい。宏の本音だった。

朝方、少し寝て6時過ぎに自宅を出て、いつもと変わらぬ時間帯の電車に乗る。座席に深く腰掛け、何駅か過ぎた。隣に若い女性が座る。美樹と同年代だろう。OLではなさそうだ。女子大生だろう。女性は早速、スマホをいじりだす。10分ほどでそれをしまい、しばらくして彼女の動きが止まった。宏は普段どおり、背筋を伸ばし、前を見ていた。突然、左肩に柔らかな重みと、羽のような感触にはっとした。左肩に目をやると、彼女が宏の肩で眠っている。睫毛をわずかに震わせながら。朝日が差し込み、彼女の髪を輝かせた。シャンプーの香りがした。

宏は目を閉じた。美樹を初めて抱いた時、風呂に入れた時、自転車が乗れるようになった時の笑顔。美樹の成長を辿っていた。このまま駅が消えてしまえばいい。永遠にこの電車が止まらなければいい。宏は願った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする