コネリンのイージーライフ”テキサス”編

テキサス州は最南端ロックポートで、今度は色んなフィッシングにチャレンジな日々を綴ります🎵

南テキサスのフィッシング

2018-07-23 22:29:58 | フィッシング
昨日の朝にはこんなこともーーーーーー

昨日は引っ越しの準備のためコーパスクリスティのストレージに行くこととそこに住む知人を尋ねると言う目的のため いつもの朝の散歩をパス とも子が支度できるまでと近くのフィッシングポイントへ

最初は生き餌(ムレット)で30分ほど釣っていたが何の反応もなく諦め気味 その後はいつものルアに切り替え残り時間を っと思った瞬間 ルアが空中高く(高くっと言っても水面から12インチほどであるが)跳ね上げられた

このような光景はいつものシートラウトが時々 ”食う意思がない”ことの現れと聞かされていた しかしその場所にまた戻るとも聞かされていた ほんの数秒 リールのドッグウォークをやめ様子を見 そしてリールを巻き始めた瞬間 大きな魚の口が見えルアーを飲み込んだ その見えた口からするとかなりの大物 リールもズズッとドラッグが始まった

これは無理に引き寄せてバラしたくない 長期戦(魚が疲れるまで)と思いラインが出るときには無理に巻かず泳がせ 泳ぎが止まった時点で引き寄せる おそらく15分位が経過しただろうか 釣り上げることに成功

釣り上げた魚はシートラウトではなく”レッドフィッシュ”(レッドドラム)コネリン レッドフィッシュとしては初めての大物27インチであった 
テキサスのレギュレーションではこのレッドフィッシュは18インチから28インチまでがキーパー それ以下でもそれより大きくてもリリースしなければならない


   

その後は予定どうりとも子とコーパスへ

用事も終わり帰宅 そして引っ越しの準備 パッキング

そのパッキングも今日はこのくらいで良いだろうとストップすることに そしてまた今朝のフィッシングポイントへ

数回のキャストを繰り返す 何の反応もない 遠くにキャストしたあと岸から20フィートほどのところに優雅に泳ぐレッドフィッシュを発見 慌ててリールを巻き ルアを魚の鼻先に近づけるのだが見向きもせず深みに消え去る

この魚 明らかに今朝釣り上げたのよりでかい ”こんなでかいのがいるんだなぁ〜” と感心しながらその魚の消え去った方向にキャスト

ルアが水面に着水するやいなやガツンと大きなあたり まさかさっきのが? と思いつつ引き寄せを始める

15分20分が経過 時折水面に姿を現す魚 今朝と同じようにラインが切れないようにと引いたり引かれたりである

30分位かかっただろうかようやく引き上げることに成功 見るからにリリースしなければならない大きさ ストリンガーに魚を通し水の中においたまま自宅まで急いで帰りとも子を呼びに そして記念撮影となった

大きさは39インチ 重さは片手では持ち上げられないほど おそらくこの大きさはマガジンに載ってもおかしくないほどであろう

記念撮影後は速やかにリリース フィッシングは釣れた瞬間の醍醐味だろうと思うがコネリンの場合 これらの大きさになるとショック意外のなにものでもない すごい一日となった


   

      


 
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家のオファーその2

2018-07-22 02:59:20 | ライフスタイル
家のオファーが入った翌日 カウンターオファー その翌日11日になるがバイヤーが我々のカウンターオファーを受託

一応 売買契約となったが昨日までの10日間は無条件でバイヤーがキャンセルできるという一般的な契約

前にも書いたが特にこの地区は観光地でもありフィッシングタウン それに地元の人びとのハウスインカムはこのテキサス1州をとってもかなり低い アメリカ全土ともなるとプアーな街と言っても良いくらいである

この地区では今だに20万ドル弱の小さな家しか売れていない もちろんビーチ脇にはミリオンをこすような家もあるが一年2年と売りに出しても売れない状態である

こんな状態の中 たまたまコネリンたちの家は人気があるとは言えバイヤーはサンアントニオやヒューストン 今回のバイヤーはダラスからである

うまく説明できないが人気があるとは言えバイヤーにとってあくまでセカンドハウス もしくはインベストメント いつ何時 ”や〜〜めた!” っと言って契約を解除してくる可能性がある 最初の契約でバイヤーは10日以内であればペナルティーはたったの100ドルである っとまぁ〜 この10日間はセラーにとって針のむしろ 毎日がフラストレーションである

13日にあったホームインスペクションでは (まぁ〜 このインスペクター この小さい家を2時間もかけて重箱の隅を突っつくようなインスペクション 壁の隅々までサーモメーターで温度や湿度をはかりその都度写真を取る シートロックの湿度の含み具合までを記録する)幸いこの家はエアコンのフレオンガスを3Lbs 入れるだけのメインテナンスを言われただけであったがなんともインスペクションを見ていると”胃”が痛くなる 


さてこんなフラストレーションの毎日であったが10日が過ぎた 次は 予定通りに進めば エスクローのクローズである 予定日は8月9日 しかしこれまたバイヤーが銀行からのローンが却下されれば”ペナルティー無し”で振り出しに戻る

ほんと どこでもそうだろうが”最後の最後”までわからないーーーーー

こんな中 もしスムーズにクローズすれば我々 一時住む家が無くなれわけでもある

数日前 モーテルを探してみたが安モーテルのはずのモーテル6やエコノロッジといったところでさえ1ヶ月3〜4千ドルと言われた 借家ともなるとこの地区では1年リースとも言われたし アパートはないしーーーー (ハリケーンのあと今だにモーテルも半分以下しかビジネスが復興していない)

たまたまコネリンは小さいとは言え”RV”を持っている 昨年のハリケーンのときには2週間以上もこの中で生活した経験がある
一応エマージェンシーには過ごせる

それに次の家も探さなければいけないしーーーー まっ これも次の数年間の生活のプロセスでもあるし一時の不便さもあるが何もかもうまくいくことを望む


相変わらずエクササイズを兼ねて毎日ウェイディングをしているが魚はまったく釣れていない この時期さかな達はどこかに行ってしまっているのであろうまったく釣れない そのうちまた戻ってくるだろうがーー

最近ではヤングシーガルがコネリンの投げるルアをエサのさかなと思うのだろう追っかけてくちばしで拾い上げてしまう そして数フィート先で落とす 投げるたびにこれである 見ているとけっこう楽しい


  

  

  


コネリンの誕生日に届いた唯一の誕生カード デラウェア州に住んでいる90歳になる生みの母親からであった 
 この写真を送っておいた


       

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家のオファー

2018-07-11 00:07:22 | ライフスタイル
5月5日からこの今我々の住んでいるビーチハウスを売り出している この南テキサスはサザンカリフォルニアやウエストコーストと違いまことに売れ足が遅い 特に我々の家のようなセカンドハウス的なところは特にである

2ヶ月経った今 半ば諦めてここを持ち続け180マイルほど離れたサンアントニオにメインハウスを探そうかなどとのアイデアも出ていた しかし2軒保持は経費もかかるしなどの問題もある

オプションの一番はここを手放しこのロックポートの中で落ち着いた家を探すことにある ここで何年か過ごしコネリンがもっと歳を重ねた頃 何もかも便利な大きな街のコンドに入ればよいだろうと考えている (内心 ウエストコーストに未練がある)

家を売りに出してからショーイングは飛び込みまで入れて5件 それもほとんど冷やかし ところが突然7月9日にオファーが入った バイヤーはすでにローンのプリアプルーブも取り付けてあったしエスクローも指定してきていてダウンペイメントもエスクローに入れてあるとも言う なんとも買う気満々である

ところがコネリン オファー価格が気に食わない って言うことで10日にカウンターオファー っと今のところどうなるかまったくわからない

もしバイヤーと我々が折り合い 売買契約が成立したとしてもエスクローがクローズするまで 現金がコネリンの口座に振り込まれるまで ”売れた” とは言えないしーーーー しばらく不安定な心持ちである 



久し振りにこのロックポートで我々が”シュリンプおじさん”と呼んでいるベトナム人の知人の船を訪れてみた

数ヶ月前に訪れた時には彼のシュリンプ船はハリケーン ハービーのダメージでエンジンルームに水が入りそれを直している最中であった エンジンが直り次第コネリンをシュリンプ漁に連れて行ってくれるとも話していた

今ではエンジンは直ったが次は船を陸に上げ船底のペイントをしなければいけないそうである (この船底のペイントとはフジツボやアレジーがつかないためのペイント)っとまぁ〜 シュリンプ漁に出かけるのは数週間後になるそうだ


     


毎朝の散歩で 時としてこんな”漁師の朝ごはん?”も 

手巻きはローカルのブラウンシュリンプ 握りは釣ってきたシートラウトで すし飯は前日の残りでとも子は簡単に作ってくれる
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年寄りの健康法 ”散歩”

2018-07-08 03:25:43 | ライフスタイル
これは我々だけにできることだと思うが (周りの環境やアイデアでのことである)水の中を歩く ウェイディング

本来コネリンがウェイドフィッシングを始めた1年半前より これは”膝”に負担がかからず水圧で下半身が締め付けられ 更に不安定な水底をバランスを取りながら歩く また波のあるとき 風の強い日などは特に足元を救われがちになるためかなりの踏ん張りが必要など 年寄りにとって最高の運動ではないかと思っていた

かねてより とも子にもこの”散歩”を勧めようとしていたがコネリン自体がこのウェイディングに慣れていなくって 安全にとも子を誘うことができなかった

しかし数か月前からロックポートのビーチ ここは砂地でありハードボトム かなり透明度が悪くてもすり足で歩けばかなり安全であることもわかり 毎朝一時間半ほど歩く そう毎朝である っと同時にコネリンはキャスティングをしながら歩く 時として刺身用のシートラウトも釣れる っとまぁ〜 一石二鳥の運動である


     



それに毎朝 朝日が登る頃にはなんとも美しいビュー ブレステイキングとでも言おうか深呼吸をしてしまう またイルカなども近くではないが100ヤードのところにも現れるし ベイトフィッシュが大きな魚に追われ水面を飛び跳ねながら泳ぐ光景も見られたりする なんとも美しい環境での散歩である


 
7月6日6時半AM




最近のマーケット

  中国 その他各国とのタリフのやりとりでマーケットが大きく下げたかと思えばその翌日には”テック株”が牽引役で大きく上げる

なんともコンフュージングな状態である 北朝鮮とのやり取りもニュークリア放棄で決着がついたかと思えばまた再燃しているし 相変わらずのトランプ政権は向かい風

 マーケットはかなり”エモーショナル”に動いている


まったく個人的な意見だが コネリンはトランプ大統領のファンである 彼のやっていることはまさしく”Great America Again”であろう デモクラットの いやっリパブリカンの中でも今はいる”事なかれ主義”の政治家などを無視する形でワンマンに進めるところなど彼はコネリンにとってスーパーヒーローってところです

どこの会社の経営者にしてもそうでしょうが いちいち末端の従業員などの意見などを聞いていられないものであろう 国の経営も同じことであろう

それにこの先どんなアメリカになるかわからないが アメリカは移民の国ではあるが白人社会であって欲しい

コネリンが小さい頃 学生の頃 見ていたアメリカのドラマ ビーバーにしても奥様は魔女にしても漫画のポパイにしてもすべてがアメリカ人は白人であったはずだ それらに憧れてアメリカに住みたいとも思ったいた

 いろんな意見があろうが決して赤の国 中国だけには主導権を握られるべきではないだろうと望む まったく個人的な意見である

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今日で69歳になった

2018-07-04 02:59:16 | ライフスタイル
ついに69歳 

振り返れば 俺って何も自慢できる過去を持っているわけでもないし この道何十年 なんて人様に話せることなどないーーー

仕事にしても日本で学校をでて皆と同じように 当たり前のように就職し そこは小さな商社であったから半年後からはフィリピンやタイにいきなり駐在 数年後にはアメリカ シアトルに このシアトルにいる間にその日本の会社が倒産 そのまま28歳からアメリカに留まることにした

アメリカでは日本の学歴など一切通用しない 会社らしきところに努めたこともない その後は”食うため”にテニスを教えたりキッチンヘルパー バスボーイなど何でもした ありがたかったことにはテニスは11歳の頃から始めていたから常にインストラクターとして生活の足しになってきた しかし職歴としては何もない

とも子と出会ったときもウィルシャー(ハリウッド)にあったレストランでキッチンヘルパー この時コネリンすでに31歳になっていた そう 30歳を過ぎていても何の人生計画も無く人の家に居候するホームレスみたいなもの ポケットには全財産の150ドル位が入っていたかなっ?

しかしこのとも子と知り合ったのがきっかけで その後の2〜3年はミニマムウェッジであったががむしゃらに働いた 朝6時からは日本の引越し屋で事務員 2時からはテニスを教え 夕方6時からはキッチンヘルパーとーーーー

この間にとも子は最初の美容室を始めた

当時のお金でちょうど1万ドルがたまった頃 今でも忘れることのできないことであるが キッチンヘルパーをしていたレストランのオーナーに ”家を買いたいと思っているが1万ドルしか無く買えない” と雑談で話した その翌日そのオーナーにオフィスに呼ばれると足りない分を貸してくれるという そしてその場でチェックを切ってくれた ただの数ヶ月しか働いてないキッチンヘルパーにである

そしてすぐにトーレンスのドアも閉まらないような家を購入(そこしか買えなかった) これがコネリンの人生の出発になった

とも子の美容室も当時の日本のバブル時期とも重なり2店舗目をオープン かなりの盛況であった

購入した家も2年半後には3倍弱で売れた その間にダウンペイメントも当時は5%でよくオレンジカウンティーに数件を購入 っとまぁ〜〜 ラッキーにもブームにのったわけである

ただ全てが上手くいったわけではない オーシャンサイドで購入した新築の4プレックス(2bdルーム X 4)は購入後湾岸戦争が始まり一時期ゴーストタウン テナントを入れようとしても借りてがなく3年間テナント無しで保持 売るに売れなかったし この間にミッションビエホの家を2件売却 4プレックスの支払いにあてていた などなど

いやぁ〜 今思い出しても ”ゾッ〜〜” っとすることも多いね

でも いつも思っていたことは ”俺たち文無しでスタートしてるから何もこわくないねっ” ってところだった しかしそう開き直っていても心の何処かには裕福は望まないにしても”貧乏”になるのだけは怖かった

こんなプロパティー投資もコネリンの肌に合わないと判断 株式投資の比重を多く始めた これだと他人や世の中ににまったく影響されないしどんなアップダウンがあろうとも自分の判断でできる マーケットが下がろうが上がろうがその間にマージンが生まれる


趣味?もとも子のお陰でいろんなことができた 男の夢でもあるハイバリューのスポーツカーも車も毎年のように購入できた 飛行機もシングルエンジンからツインセスナまで保持 同時にキャビンクルーザーまで(飛行機や船は中古)これらは20年近く楽しんだ

 今は高級車も船も何もないーーーーー 5年前に購入したメルセデスベンツのRVだけはタックス控除になるからまだ持っているがーー


69歳になった今日も思う ほんとコネリン 人様に自慢できる立派なものは何もない 仕事もほんとに嫌いだし 裕福になることも拒否したし ただ単に ”遊び呆けたい” がために人生の中で8年ほどがむしゃらに働いただけだと思う

     人生で最も感謝することは ”とも子と知り合ったこと” であるーーーーーーーーーーーーーーーー そして健康であること 神様に感謝である


  
68歳最後の夕方





 この数日 ランボートをいじっている 昨日はフュールセンダーが届きそれを取り変えた これでインディケーター類は完璧 そしてオリジナルに付いている椅子を取り外しウォルマートで買ってきた椅子に取り替えている とりあえず片方だけ取り替えてみた これだと小さいボートもスペースが生まれるからフィッシングに使えるかもーーー


    





これが終わったらマリーナのスリップを借りる もうすぐである

コメント (2)
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