教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

幸せは幸せ者に寄ってくる

2015年03月28日 20時42分18秒 | Weblog

 もっと楽しく生きるため、心理の勉強成果のメモ。

 依存とはどういう心理だろうか。
 依存とは、つらいことから少しでも気をそらすために、安心できる特定の人やモノに心身を委ねようとすること。特定の人やモノとかかわって安心した時、もっと強い安心がほしい、となって苦しくなっていく。また、受け容れてもらっていないのでは、と思って不安に襲われる。

 共依存とはどういう心理だろうか。
 共依存とは、自分の自己否定感や空虚感を、他者に対する関心とコントロールによって埋めようとすること。コントロールできないと、埋めようとしたものが表面化し、苦しくなる。

 依存・共依存から抜け出るには?
 まずは、依存によって得られる安堵感を、自分の行動・習慣の結果や、特定の相手やモノとのかかわりに限らない結果としてとらえ直すこと。この人とコミュニケーションをとると安心する、ではなく、他人とコミュニケーションをとると安心する、とか、これを持っていると安心する、ではなく、持っていると安心するモノがある、ほかにはないかなぁ、とかのように。

 また、自分のコントロールできるものは自分の心だけ、と言い聞かせること。他人の心はその人のものなので、引き込まれたり、何とかしようと考えたりしない。そして、相手を変えようと費やしてきた時間と努力を自分につぎこむこと。
 愛情としがみつきは異なる。さびしさや不安を感じたら、あわてないでじっとする努力をすること。出さない手紙を書いて、自分で自分の世話をすること。まず関わろうとしないで、何もしないで距離をとって観察すること。相手の気分を敏感に察し始めて先回りしてきたなと感じたら、ストップをかける。

 注目して欲しいなら、誰かに要求するのではなく、自分で自分の気持ちに注目し、そのつど話を聞いてあげる。認めて欲しいなら、自分の努力をその都度積極的に認めてあげる。愛して欲しいなら、自分で自分をいたわってやる。

 愛情の渇望は、根本的には自分に対する愛が欠けているから感じるもの。自分を愛していない(理解していない)時には、自分は愛されていない(理解されていない)と感じる。

 自分の幸せは自分でつくっていくものである。誰かにしてもらうことではない。他人との幸せの共有は、まず自分が自分を幸せにしてやれるようになった時、自然に感じることができるだろう。

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