day by day

癒さぬ傷口が 栄光への入口

吉川晃司と私(2019)~吉川晃司、起動。~ 

2020-12-09 | キッカワ。
武道館に、吉川晃司が帰ってきた。

デビュー1周年を迎える少し前の1985年1月に初めて立ってから、何度も何度も立ってきたこの場所。
デビューした事務所から独立する前最後のライブ「BACK TO ZERO」も武道館だ。

その後私がライブで遠征をするようになってからは10周年、15周年、20周年、25周年、30周年──
区切りの年の2月にはいつも私は吉川晃司に会いに武道館へ向かった。
そしてデビュー35周年を迎えた2019年2月1日・2日の2日間もまた、1年の歌手活動休止を挟んで起動した吉川晃司に会いに行く。

「吉川のライブは1年ぶり」というのは、ここ数年では全くないわけではなかった。フェスなどのイベントライブ出演があっても自分が行かなかったり、ライブはないけれど舞台があったり。
それでも、吉川の喉のポリープは結局どうなったのか。歌手活動を再開して大丈夫なのか。まだ少し残る不安を胸に隠しながら、特別な「1年ぶり」を噛みしめて九段下のあの坂を上っていく。
東京五輪を控えた武道館は色んな場所に改修が入っており、なんだか「治療中」の吉川とイメージが重なった。

ステージに帰ってきた吉川は、まるで何事も無かったように、よく伸びる声を響かせてそれから
「ポリープの野郎は弾けていなくなりました。ざまあみろ!!」
などと嘯いてみせた。

年末年始ごろまで「下町ロケット」のSPの撮影をしていて、その後ようやく医者のGOサインが出たという。
吉川のことだからどこまで素直に受け取っていいものか。仮に医者がもう少し休ませるか時間をかけてリハビリをしてからの方がいいなどと言っていたのを押し切っていたとしてももう驚かない。
先日の関ジャム完全燃showで矢沢永吉が言っていたが、声帯は筋肉なので使わないとすぐに衰える、年をとればなおさら。喉の治療のために歌手活動を休止していた吉川の声帯がかなり衰えていたとしても不思議ではない。
吉川は「使っていなかったからコントロールがきかなくて声が出過ぎてしまう。加減がわからない」というようなことを言っていた。2日目にはだから少し声がくたびれていた。

いずれにしても本人がポリープが消えたらしい(それはとても珍しくラッキーなことだったという)と言うのだからこちらは信用するしかない。またぞろそんなものに苦しめられることのないように、身体に気を使う以上に気を使ってケアして欲しいと願うしかないのだ。


無事に武道館の2日を終えたあと、約3か月のインターバルをおいて35周年ツアーが始まった。


KIKKAWA KOJI 35th Anniversary Live

【サポートメンバー】
GUITAR : 土屋昌巳 (ex.一風堂) ※2/1・2日本武道館公演のみ
GUITAR : 生形真一 (Nothing's Carved In Stone、ELLEGARDEN)
BASS : ウエノコウジ (the HIATUS、ex.thee michelle gun elephant)
KEYBOARDS : ホッピー神山
DRUMS : 湊雅史 (ex.DEAD END)


OPENING SE. 月光浴
01. Juicy Jungle
02. BE MY BABY
03. LA VIE EN ROSE 2011
04. You Gotta Chance ~ダンスで夏を抱きしめて~
05. にくまれそうなNEWフェイス
06. RAIN-DANCEがきこえる
07. サヨナラは八月のララバイ
08. スティングレイ
09. I'M IN BLUE
10. ONE WORLD
11. Dream On
12. MODERN VISION 2007
13. Nobody's Perfect*
14. SAMURAI ROCK*
15. HEART∞BREAKER*武道館では無し
16. 1990*
17. アクセル*
18. モニカ
19. 恋をとめないで
20. The Gundogs
21. GOOD SAVAGE
22. BOY'S LIFE

- encore -

23. Over The Rainbow
24. SPEED / KISSに撃たれて眠りたい*いずれか
25. せつなさを殺せない*ファイナル幕張のみ



武道館で新たにギタリストとして参加した土屋正巳が、本ツアーが始まる直前降板するという出来事があり(詳細はわからないが多分ベテランVS大ベテランの意見の相違でもあったのだろう…)結局本ツアーはギターが生形一人というまあまあヘビーな編成で行われたが、それもあってバンドとしてしっかり固まった印象もある。
吉川も現在のメンバーはたいそうお気に入りのようで、MCの際によく
「いいバンドになってきたでしょ」
「もうこれサポートじゃなくて『バンド』だよね!」
みたいなことを言っていた。人とやるのはCOMPLEXで懲りたと言いながら今だに「バンド」には憧れが残っているのかもしれない。本物の『バンド』だったらどうせ長続きしないんだろうにね?

この年、私は武道館2公演、本ツアーの初日にあたる松戸と翌日の横須賀、大阪、高松、名古屋、そして追加公演という名の実質ファイナルである幕張に行った。久しぶりだからと張り切ってしまったなと思う。

ツアーの途中、いつから掲示されていたのかはわからないが、こんなポスターが出来ていたのを私は名古屋で発見した。




ずっと
渇いていた

媚びていないか?
迎合していないか?
自主規制していないか?
疎外感を愛せるか?
「格」か?「志」か?
シンバルは蹴っているか?
叫んでいるか?

吉川晃司、起動。


それぞれにか、世の中にか、自問自答か。
きっと若い頃からずっと何かの答えを求めていた吉川は、たぶん死ぬまで問いかけをやめないだろう。
それが永遠にみつからない答えでも。
答えを見つけた気になって満足して立ち止まるのは『吉川晃司』ではない。


ファイナル幕張は、千葉に巨大台風が直撃する直前に開催された。吉川本人も、台風の進行状況や交通機関の情報に気を配りながらのギリギリだったが、なんとか最後まで予定通り終えた。
私も幕張から直接出ている夜行バスに乗ることができ、近づく台風から逃げるように大阪へ帰ることが出来た。
「本当にみんな気を付けて帰ってくれ、誰かが被災したりしたら大変だから」
「気を付けて!そしてまた笑顔の再会を!!」

その日、会場では2020年に予定されたツアーを告げるフライヤーが配布されていた。
けれど──

そのツアーで私たちが吉川晃司に再会することは叶わなかった。

「笑顔の再会を!」
いつもの、あの約束は。

2020年12月現在まだ──果たされてはいない。



---吉川晃司と私 buck number---
【1】(1984~85)~出会う前~
【2】(1986)~鮮烈すぎる出会い~
【3】(1986~1988)~解体への…~
【4】(1989~1990)~COMPLEX~
【5】(1991)~LUNATIC LUNACY~
【6】(1992)~Shyness Overdrive~
【7】(1993)~10th Anniversary~
【8】(1994)~My Dear Cloudy Heart~
【9】(1995)~FOREVER ROAD~
【10】(1996)~BEAT∞SPEED~
【11】(1996~97)~0015→HEROIC Rendezvous~
【12】(1999)~HOT ROD~
【13】(2000)~HOT ROD MAN RETURNS~
【14】(2001)~SOLID SOUL~
【15】(2002)~PANDORA~
【16】(2003)~Jellyfish&Chips~
【17】(2004)~20th Anniversary~
【18】(2005)~エンジェルチャイムが鳴る夜に~
【19】(2006)~Savannah Night~
【20】(2007)~TARZAN~
【21】(2008)~SEMPO,and・・・~
【22】(2009)~25周年、両刃の剣を携え~
【23】(2010)~夏と冬のGROOVE~
【24】(2011)~日本一心~
【25】(2012)~愚~
【26】(2013)~SAMURAI ROCK~
【27】(2014)~反発の30年~
【28】(2015)~骨折してもシンバルキック~
【29】(2016)~WILD LIPS~
【30】(2017)~ライブこそ人生~
【31】(2018)~武道館で、笑顔の再会を~
【32】(2019)~吉川晃司、起動。~
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【TYM】THE TELLOW MONKEY 30thAnn... | TOP | 有馬散歩@湯けむり紅葉すき焼き殺人事件 »
最新の画像もっと見る

post a comment