東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

ようやく、一坪田んぼの稲刈り

2021年10月12日 | 稲:稲刈り,脱穀,精白

 数日前、刈り取った稲をはさ掛けする支柱を立てました。そして、バケツ稲を刈り取ってはさ掛けしました。今回、わら細工用の稲を栽培する一坪田んぼの稲刈りをしました。栽培した稲の品種はコシヒカリです。この稲は「こけひかり」と呼ばれています。つまり、背が高いため倒れやすい品種のはずでした。ところが、背が低く育つように改良されたのか、背が高く育ちませんでした。それとも育て方が悪かったのかも知れません。わら細工用には背が高い品種が良いので、来年はもう少し背が高い品種を栽培しようと思います。それと、一坪ではなく、五坪位に田んぼを広げてみようかとも思っています。

      わずか一坪の田んぼの稲刈り、すぐに刈り取り終了


 今から9年前東京郊外に暮らしていましたが、普通の田んぼで毎年のように稲を栽培していました。そして、近所の小学校の田植え、稲刈り、脱穀体験用の田んぼにしていました。ただし、昭和初期の稲作方法でしたので籾ふり手植え苗取りや手植え稲の手刈りや足踏み脱穀どでお米を収穫していました。数人で協力しながらの稲作支援でした。病院の同僚を呼んで田んぼでバーベキューをしたこともありました。楽しい思い出ばかりの田んぼでした。

   鎌で稲株を切る     わらで稲株を結束    刈り終わった稲株跡
  

 さて、たかだか一坪の田んぼです。数分とかからず稲刈りは終わっていまいました。あまりにもあっけない稲刈りなので、物足りなかったです。私が子供の頃は一年分食べる以上のお米を作っていました。そのため、大人も子供も総出で米作りをしていました。子供で手が小さかった私は、刈り取った稲株を何束も掴むことができませんでした。そのため、いったん刈り取った稲株を地面に置いて結束していました。鎌で手を切ったりしてよく怪我をしました。一家総出の稲刈りの光景が、今でも瞼に浮かびます。

          一坪田んぼで収穫した稲束をはさ掛け


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