東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 曽根方面の散策

2012年10月03日 | 歴史探訪他ウォーキング

 平生町の曽根を散策してきました。平生は私の父親の実家がある町です。子供の頃、平生町内をいろいろ歩き回ったことがありました。特に、旧平生座があった場所を中心に思い出深い場所がたくさんあります。今回は、平生と佐賀との境にある曽根を散策してみました。

       平生大野にある古墳               木村(こむら)のお地蔵さん
 

 最初、南周防大橋を渡ってすぐの、水場の古い町並みを散策しました。ほとんどの車は海沿いの舗装された広い道を通りますが、山側に沿う旧道を通って平生街方面に向かいました。まず、大野にある古墳を散策しました。暗い笹道をわずかに登ると古墳がありましたが、石組が残っているだけで穴はありませんでした。昔から盗掘にあったのでしょう、また古墳後に作られたお墓もありました。
 次に木村(こむら)の地蔵さんに行ってみました。お堂の中にお地蔵さんがあるとのことですが、お堂の中はあまりよく見えませでした。近くの人に聞くと、今年からこのお堂のお祭りが廃止されたとのこと。とても残念です。お祭りを引き継ぐ家が二軒になってしまい、お祭りを継続することができなくなったそうです。先日の高松八幡宮のお祭りは氏子さんがまだたくさんいるので継続できているのだと思います。古い文化が伝承されなくなるのは悲しいことです。

              平生町曽根の田園から石城山を振り返って


 木村のお地蔵さんから大星山に登る細い道をひたすら進むと、光輝病院に行く広い道に出会います。その道からターンして曽根方面に戻る途中、佐賀と曽根の境にある「夫婦松」に寄りました。私の母親が若い頃(60年位前)、この松は枝ぶりが良かったそうです。しかし、数十年前に松食い虫にやられて枯死したそうです。そのため、天然記念物の指定を解かれたとのこと。今は、枯死した松がひっそりと立っています。

      田んぼ脇に咲く彼岸花          曽根から麻郷八海方面を見下ろして
 

 曽根を散策していると、ポツンと立っているお地蔵さんをみつけました。ほとんどのお地蔵さんは屋根があることが多いのですが、このお地蔵さんは野ざらしです。しかし、近隣の方に大事にされているのか、赤い服(よだれ掛け)を着ていました。苔などが生えていないので、比較的新しいお地蔵さんではないかと思います。
 曽根を抜けると、麻郷八海に出ました。そして、田布施川を上流に向かって散策しました。平生町人島の対岸に屋根付きの地蔵さんがあります。私は、このお地蔵さんを幼児の頃から知っています。ここには昔、木製の橋「人島橋」がかかっていました。幼児の私はこの橋をよく渡って親戚に行っていました。小学3年生の頃に、その橋は倒壊してしまい、再建されないまま今に至っています。

       曽根のお地蔵さん               人島橋跡にあるお地蔵さん
 

 人島橋跡を過ぎて田布施川上流に向かって散策しました。私が中学,高校と毎日のように通学で歩いた堤防上の道です。北を見ると石城山そして行者山がよく見えます。昔は一面広大な田んぼでしたが、私が40年間田布施を離れている間にすっかり景色が変わりました。建物が増え、道路も新しくなりました。

                田布施川から北方面にある、石城山と行者山を見て

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