東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

母親の従弟の墓参りに付き添う

2012年10月29日 | 家族関連

 昨日(10月25日)の夕方、思いがけない親戚から電話がかかりました。母親の従弟Uさんからです。母親の父親(小林安太郎)の姉が嫁いだ先の親戚です。今から40年ほど前のことですが、大阪万博(1970年)があった時、私の父母と妹はこの親戚宅に泊まって万博を楽しみました。私は当時、高校3年生で受験を控えていましたので、万博に行かせてもらえませんでした。このため、この親戚を全く知りませんでした。話だけは聞いていましたが。

     亡き父親前でお祈り                親戚のお墓に向かう
 

 ただその親戚の一人の今は亡きSさんを、私はよく知っていました。私が小学校の頃によく大阪から来ては私をかわいがってくれました。当時Sさんは車メーカーのダイハツに勤めており800ccの自家用車を持っていました。その車によく乗せてくれました。今日来た方は、そのSさんの弟とその奥様でした。

                      我家でくつろぐ母親の従弟と奥様


 田布施駅に着いた母親の従弟夫婦を迎えに行った後、いったん我家に寄って楽しく昼食をとりました。2時間ばかり談笑したのち、従弟夫婦のお墓詣りに付き添いました。私が子供の頃によく遊んでくれたSさんはこのお墓に眠っています。訪れたのは、私が7月に訪れたお墓です。お墓に着くと、一緒に草を取ったりして清掃しました。

       一緒にお墓のまわりを清掃          江戸時代の古いお墓も清掃
 

 お墓は山の中腹にあるため、足の悪い母親はお墓詣りに同行できませんでした。このため、私が車で母親の従弟夫婦を連れて行きました。その途中、いろいろ親戚のお話しを聞きました。母親と母親の従弟の共通の先祖は、母親の祖母(私の曾祖母D:小林タケ)です。お墓詣りが済むと、柳井駅まで送りました。
 この従弟のお父さんは戦時中海軍に勤めていたそうですが、戦後大阪で商売をして母親の従弟達兄弟6人を育てたそうです。この兄弟のうち4人の名前がこのお墓に刻まれています。今この老従弟夫婦は大阪の和歌山県寄りに住み穏やかに暮らしています。子供は二人で、そのうち長男は名古屋に住んでおり時々お孫さんがこの老従弟夫婦の元に遊びに来るそうです。※夜、この従弟夫婦からの電話を母親が受け取りました。「今日のお墓詣り、とても楽しかった。」とのこと。

               ご先祖様や親、そして兄弟が眠るお墓に深くお祈り

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