みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

⑬アンマン散策・帰国/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年10月25日 01時29分00秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW

旅の全体図はコチラ

2019年5月5日(日)~6日(月)

○ヒジャーズ鉄道に乗れなかった
○ハマム最高
○AirBnBをやってるヨルダン人の利益とは?
○タクシーの値段交渉にもウーバーは使える
○ラマダン開始日に帰国


5月5日(日)は実質的な最終日です。
車を借りて東側にドライブに行くことも考えましたが、自走で遠出をすることよりも、無事故でアンマンを出る自信がなかったので断念。

代わりにヒジャーズ鉄道にも興味があったので、マハッタ駅に向かいます。

ヒジャーズ鉄道のHPは、個人的にはけっこう見づらくて、欲しい情報に全然たどりつけなかったのですが、「まぁ、宿の人に聞けばわかるっしょ」くらいのテンションでいました。
しかし、前日にクリフのおじちゃん3人に聞いてみたところ、うち2人は「ナニソレオイシイノ?」な感じだし、あとの1人もヒジャーズ鉄道の存在は認識していても、何時発だから何時までに駅に行った方がいいとか、予約はどうだとかってことは要領を得ずでした。
(自分の英語力不足のせいだけかもしれませんが…)

そんなわけで、よく分からないままにマハッタ駅に向かいます。
駅まではムジャンマ・ラガダンから市バスで行けます。
旧市街の宿→徒歩でラガダン→市バスでマハッタ駅
という感じで、所要1時間くらいでした。






8:15にマハッタ駅に到着。
駅の人に「ヒジャーズ鉄道に乗りたいんだけど…」と声をかけると「無理だよ~ん」とのこと。

おじさん曰く
「ラマダンの月は観光列車の運行はお休み」
とのこと。
2019年のラマダンは5月6日からスタートなので、5月は丸々お休みってことみたいです。
HPに書いてあったのかもしれない…。
英語が分からないってホント悲しいわ。

でも、マハッタ駅は博物館状態なので、中の見学はできました。
列車にまつわる昔の道具とかジオラマなどが展示されており、複数の汽車の運転席にも乗れたし、客車も色々見せてもらえました。
おじちゃんもヒマなのか、とても丁寧に案内してくれました。
自分は鉄子じゃないけど楽しかったです。

駅舎



色んな車両に乗れます



「日本車両」の文字と、レールに刻まれたアラビア語


駅員さんの帽子も貸してくれるので、出発進行!もできます。


ちょっといい客車



駅舎内のジオラマ


電車から顔を出してる人が生首状態




1時間ほどマハッタ駅を見学をしてから、来た道を戻ります。

この時の市バスはマイクロバスでした。




昼前にはアンマン旧市街に戻ってきました。

朝ごはんを抜いていたので、Hashem Restaurantという、クリフの向かいにある、歩き方にも載っていて、地元民にも人気のレストランがあったので、せっかくだから寄ってみることに。





席はかなり混んでおり、もう食べ終わっている3人組と相席になりました。
この3人、エジプト人観光客2人と、彼らにAirBnBでベッドを貸していたヨルダン人という組み合わせ。
なんやかんや盛り上がり、一緒にアンマン城へ行くことに。
なお、アンマン城へは徒歩でも行けました。

アンマン城は、ギリシャっぽい遺跡、モスクだか教会の跡地、博物館がセットになっていました。

遺跡だけじゃなく、見晴らしも良くて、登ってきた甲斐がありました。

お花もめっちゃ咲いてる



町と遺跡のコントラストが面白い。



ローマ劇場が小さく見えます



昨夜のパンダモスク



ちょいと有名な壁画。
「男も女も同じ」って意味らしい。



博物館。いきなり骨!












アンマン城観光後、自分はハマムに行きたかったので、「夕食を一緒に食べよう」と18:15に待ち合わせを決めて一旦解散。


ハマムは前日の夜に目星をつけていたお店へ。
自分が行ったのはJAFRAという建物の中のハマムです。
JAFRAはビルの名前かもしれません。




2階にはカフェがあって、路面店はDVDとかゲームとか売ってる感じでした。
1階の通路を真っ直ぐ進んで、奥には2階のカフェにつながる階段がありますが、その手前の右側のドアがハマムの入り口です。
「やってんのか?」って感じでしたが、ダメもとでノックしたら人が出てきました。

13:00頃にお店に行き、今日の予約が出来るか聞くとOKとのこと。
15:00からと約束をすると「時間は守ってね」と言われたので「ノープロブレム。アイムジャパニーズ」と答えたら、ものすごい納得されたw

ということで、2時間で新市街の方のでっかいブルーのモスク(King Abdullah I Mosque)に行ってみる。
ルートはパリ広場経由の片道2.5kmほど。けっこうな坂道。

途中で道を聞いた人が、けっきょく車で連れてってくれたりして、無事時間内に行って戻ってくることが出来ました。





辿り着くと、ドでかいモスクの向かい側に、ドでかい教会がありました。

こういう位置関係で建っている理由とか知らないけど、パッと見た瞬間に
「共存してる!かっこいい!」って思ったのは、きっとここまでのヨルダン人の様子を受けてなんだと思う。
ヒジャブ被ってる人も、そうでない人も、無宗教と断言してた人も、皆親切で、街の空気が陽気だったからこそかなと。
ここまでで感じてた空気がイガイガしたものだったら、同じ景色をみても「モスクと教会が張り合うように建ってる」って感じたかも。

ってことで、外観だけだけどモスクも見れたし、往復のお散歩も楽しかった!

アートが盛んなアンマン



なんとなくステキな建物



車に乗せてくれたアンマンピーポー



街に埋もれるモスク



にゃんこさんもかわいい




いい感じに汗びっしょりになってハマムへ。

JAFRAのハマムは時間帯で男女入替え。
夕方まで女性、夜から深夜は男性です。

小さい扉をくぐり、階段のアップダウンの先には予想以上に広々した空間が待っていました。



更衣室はそっけない小部屋で、棚とかもあるので、着替えや外履きはそこに置いていきます。
下着の上からバスタオルを巻いて、足元はハマムのサンダルに履き替え、貴重品はフロントの鍵つきボックスに預けます。
サウナにはパンツ&ブラまたはパンツ一丁で入ることになるので、替えを忘れると帰りはノーパンノーブラorビチョビチョです。

ハマムの流れは
ドライサウナ→ミストサウナ→垢すり→石鹸→マッサージ→湯船
です。

サウナでは山ぶどうジュースみたいなドリンクも持たせてくれます。
サウナはドライとミスト、各10分くらいぶち込まれるので、ジュースの冷たさが沁みます。

垢すりはけっこう強めな上に、英語は全然通じなかったので、「痛い」「弱く」とかをアラビア語で覚えていくといいかも。
個人的には垢すり後の石鹸がしみて少し痛かったのですが
「しみる!」「早くすすいで!」とか言えず、ちょっとガマンになってしまいました。

垢すりエリアの真ん中に大きい噴水池みたいなものがあって、ドバドバお湯が湧いていて(循環かな)、「豪華やな~」って思ってたら、そこが湯船でした。
旅の最終日に温かい湯船に浸かれるとは思っていなかったので、これはめっちゃ嬉しかったです。

気が済むまで湯船につかったら大判のバスタオルに包まって、休憩エリアでダラダラしながらチャイを頂きます。冷たい水もコーヒーもあり、もちろん料金に含まれています。

至福


最後に金額の1割弱のチップを渡しました。
「少ないかな?」とビビッてたけど、めっちゃ喜ばれました。チップは珍しいのかもしれません。でも、返されることはなかったです。


お肌ツルツルになってリフレッシュしたら、そろそろ夕食の待ち合わせです。
待ち合わせ場所に向かうも、エジプト人2人がいません。
ヨルダン人のアダムくんはしょんぼり。
けっこう待ちましたが現れないので、メールを打って、先に新市街に向かいます。

途中で日本人一人旅のケンさんを巻きこみ三人で散策。

新市街、結構栄えてます。






そしてアダムがおもむろに「免税店に寄りたい」と。
自分もケンさんも買い物には興味なかったので「???」と思いつつも、ついていきます。
免税店に着くと、ビール、ウィスキー、シーシャの葉っぱを大量にカゴに入れていくアダム。
そして、我々にお金を渡して、「これで買ってきてくれ」と。
どうやらアダムはAirBnBで外国人を無料で泊めてあげて、彼らのパスポートで免税品を沢山買うことでウィンウィンにしているようです。
そりゃエジプト人2人現れなかったら落ち込むわな。

買い込んだ大量の荷物を車に積んで、夕食の店につくころにエジプト人からメールが。
「別の友達と合流して、もう空港に向かってるから」
ちょっとヒドイw
てかメールできるなら、その時点で連絡くれよ…。
アダムめっちゃ不機嫌で、急に咳とかし始めて
「先週フル(インフルエンザ)だったんだ」とか言い出すから怖いし。
最初はケンさんを空港まで送ろうか?みたいに言ってたけど、こちらからヤンワリお断りして、旧市街でバイバイ。

ケンさんが今夜の便で帰るそうで、ちょっと時間も余ってるとのことで、三度クリフ下のバーへ。
相変わらず現地の人たちとやいのやいの楽しんで、ほなそろそろ・・・と。

ケンさんはウーバー呼ぼうか迷ってて、でも目の前にタクシーがおり、ためしに空港までの金額を聞くと20とのこと。
自分が「ウーバーなら16JDって言ってるんだけど」というと「17JDでどう?」とのこと。
ケンさん納得して、ウーバー待つより17JDで行くわってことで、ここでバイバイ。

本当に彼を巻き込めてよかった。
不機嫌になっちゃったアダムと2人だったらきつかったわ。


翌5月6日。
ついに帰国の日がやってまいりましたが、この日はラマダンの開始日でもあります。

昨日も一昨日も、朝食はその辺のお店で買っていましたが、この日はどのお店も閉まっていました。
その代わりに、宿では簡単な朝食が4JDで用意されていました。

お店は本当にどこもお休みでしたが、車はそこそこ走っていました。
それでも時間に余裕を持ちまくって宿を出ます。

割とすんなりと流しのタクシーを拾うことができ、ムジャンマ・シャマーリーから空港行きのバスも普通にあり、自分は9:30発のバスに乗りました。
チケットを買うところでお釣りをちょろまかされそうになりましたが、帰国日と言えど、こっちもカツカツだったので、きちんと請求します。

道路はむしろ空いているわけで、1時間で空港に到着。
14:30の便なのに、10:30に空港についてしまいました。
こんなことなら人気のないアンマンを小一時間お散歩してから来たかったかもですが、間に合わないより100倍マシ。

あと、エティハドのWebチェックインが自分のスマホでは出来なかったので、初めてオープン前のカウンターに並びました。
往路のオーバーブッキングもあったので、ちょっとビビッてましたね。
おかげで窓際に座れたので良かった~。

同じ列に並んでた日本人ツアーのツアコンさんが、空港職員に対してやたらと高圧的でめっちゃ怖かった。
色々プレッシャーとかもあるんだろうけど、あ~ヤダヤダ。


帰りの空港の色々

・お土産屋さんで二重請求!
空港内のお土産屋さんでお菓子を2箱、合計$30ほど購入。
帰国してしばらくしてからカードの利用明細が届き、確認していみると同じお店で同じ金額を2回引かれていました。
6月にカード会社に対して返金手続きの申し入れをし、8月には返金されました。
レシートを取っておいたのもよかったのかも。

空港内には何名かギリシャ神話に出てくるような、布を巻きつけたようなファッションの方がいました。
巡礼の旅に出る方達の正装とのことです。



飛行機で、隣の席の人がそうだったらビックリだけど面白いかも。
お遍路さんとかもこんな風に見えてるのかな?

ラマダン中と言えども、国際空港内のお店やカフェは普通に営業していました。
もう1泊して、街でラマダンを体験してみたかったな~。


~~総括~~
ヨルダン旅、めっちゃ良かった!
自分はこれまでの経験上「旅先で出会う日本人は曲者だらけ」って思ってましたが、今回は曲者率が低く、楽しめる出会いが多かった!

現地の人もフレンドリーな人ばかりで、とても楽しかった!

パレスチナへのプチトリップでは、道中にシリア難民のキャンプに遭遇したり、ジェニンでは生々しい戦闘の跡が残っていたり、人間のダメなところも沢山見たけど、そこにいる人、そこで暮らす人たちの温かさや明るさにも触れることが少しはできて、そこから本当に勇気みたいなものをもらったと思う。

もちろん遺跡や砂漠もすごかった!
ジュラシュのようなギリシャ遺跡から、ペトラの赤茶けた遺跡、そして砂漠など、いろんな環境を観光したことで、自分の好みとかもハッキリしてきたと思う。

最高の平成締め&令和初めになりました!
ありがとうヨルダン♪
ありがとうパレスチナ♪

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⑫サルト散策/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年10月17日 13時42分00秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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2019年5月4日(土)

○日帰りサルト散策
○夕方アンマン散策
○パンダモスク(アブーダルビッシュモスク)にも行ってみた

アンマンからバスで1時間ほど北に行くとサルトという小さな街があります。
歩き方には「スウェイレまで行って、ワゴンバスでGo!」的なことが書かれていたけど、普通にムジャンマ・ラガダンからバスが出てました。

ムジャンマ・ラガダンからサルトまでのバス代は失念ですが、2JDしなかったと思います。

ムジャンマ・ラガダンの手前にはバザーとも市ともつかない広大な中古品売り場が展開されていました。












写真を見た友人からは「骨董品市?」「スラム?」などと聞かれましたが、売っているものは骨董品ではなかったです。
靴、服、おもちゃから、使えるのか分からないリモコンや小さな家電など、よく見るとエリア分けされています。
また、テントっぽいものもありましたが、生活の拠点という風には見えず、お店とか商売の拠点なんだと思います。

ムジャンマはけっこう大きくて、キオスクなども沢山ありました。
水を買おうと思ったのですが、大きなお札しかなく、「お釣りないから」ってことで、1本プレゼントされてしまいました。
かたじけないというか、ありがたいというか・・・。

そういえば、この日の朝ごはんも宿の近くでシュワルマ的なものを頂いたのですが、1~2JDかな?と思っていたのに、昨日の残りだから?暖かくないから?理由は不明ですがタダでした。

ヨルダンでもパレスチナでも、サービス精神の旺盛さに舌を巻いています。








9:30発のバス(いわゆる普通のバスでした)に乗って、1時間ほどでサルトに到着しました。

道中も良い景色





アンマンも坂の多い町ですが、サルトはさらに山際の町で、毎日がトレッキングになりそうな立地です。

歴史が古く、街が小さいため、1〜2時間ほどで回れる町歩きのモデルコースをなぞるだけでも、各種見所(伝統家屋、古い病院、教会、モスク、路地、スークなど)を網羅できます。

そのトレイルとか博物館とか、日本のボランティアとかJICAさんがめっちゃ色々やってくれてるらしい!

トレイルのマップもサルトで一番有名な建物「アブ・ジャベール・ハウス(博物館)」でもらえます。
そこにツアーガイドさんなども待機しています。




ガイドさんは博物館内のガイドをしてくれたり、トレッキングコースを案内してくれたりします。
コースによって無料だったり、有料だったりします。
自分は英語が話せないので、ガイドは依頼しませんでしたが、それでも時間の空いている子が20分ほど簡単な町案内をしてくれました。

モスクの前の広場で、常にダベって、トラディショナルなゲームに興じてるらしい爺様たち。
ボランティアガイドさんに、わざわざ名物のように紹介されてました。




靴屋さん。革製品というか靴や鞄がちょっとだけ有名らしい。







お菓子屋さん多数。
みんな味見させてくれるので、お断りしないとお腹いっぱいになっちゃいます。





トレッキングコースの途中には昔の病院、こじんまりとした教会、貴賓室?などもあります。





















そして相変わらず小学校に潜入。というかお呼ばれ。セキュリティ、大丈夫か?









トレッキングコースを降りてきたら、スークを散策。






サルトのスークは基本的に屋根なしで、この日は天気も良くそよ風が吹いていて気持ちよく、更にほぼ一本道で距離は短め。
自分が行ったことのあるスークの多くは、屋根的なものがあり、少し薄暗く、空気が悪いところが多かったので、明るく気持ちよく迷う心配のないスークは、個人的にかなり新鮮でした。


















人々は相変わらず明るく親切な人が多く、街全体がフレンドリー。
カメラを向けた先にブルカを被って目だけが出ている女性たちがいて、「ヤバかったか⁉︎」と心配したけど、瞳が笑ってて安心したり。

















締めにアブ・ジャベール・ハウスの内部見学。
こちらは無料のボランティアのガイドさんがついてくれました。
彼女はパレ難民の子らしく、私がパレスチナ帰りと知り、質問責めに。
早口すぎて質問があまり聞き取れなくて申し訳なかったです。
なんとか聞き取れたのは
パレスチナどうだった?
パレスチナの人はどうだった?
くらい。
自分なりに答えておきました。


適度な賑わいと、奥地の静けさのバランスも心地よく、空気のキレイな街だったけど、町の手前には大きなクレーンもあって、これから開発の真っ只中に突入しそうな気配ムンムン。






この小さくてかわいい町に大量の、それこそ住民の数を大きく上回る観光客が押し寄せるところを想像すると、ちょっと残念かも。
白川郷とかもそうです、その町に何かを求めて訪れる人が多すぎて、結果的に求めてたものを喪失させてる的な状況になりそうな予感(^◇^;)
「このままでいて」ってのは旅行者の身勝手なのはわかってるけど、せめて計画的な開発をして欲しいなと心底願います。


帰りのバスもそんなに待った印象が無かったです。
14:30くらいのバスに乗って、1時間ほどで戻ってきました。
途中に通った大きな交差点が多分スウェイレ。
まさに交通の要衝といった感じです。

また、帰りはムジャンマまで行かずに途中下車してみました。
けっこう人が沢山降りる場所があり、そこがなんとなくアンマン旧市街の雰囲気に似てて、オマケにその上を通る高架に「Anman Central」という文字が!
「ええい、ままよ!」と己の勘を信じて飛び降り、5~10分も坂を下れば、最初にアンマンでお世話になったシドニーホテル前を通過。
ムジャンマまで行ってタクシーに乗るより、時間もお金も節約になりました。
バスに乗るとき、いつも「ムジャンマXXに行く?」って確認して乗ってたけど、こんなことなら「アンマンセントラルに行く?」「アンマンセントラルで教えて」って言っておけばよかった。
(紙地図派なので、グーグルマップやマップスミーのユーザーさんのように、リアルタイムで己の現在地を確かめられないので・・・)

こうして無事サルト散策を終え、アンマンに戻ってきました。






アンマンでは前日同様に旅人山ちゃんと散策です。
あてども無く町を歩き回り、日本人ご夫婦と出会ったり、おいしそうなアイスクリーム屋さんにいったり、ほのぼののんびり散策したあと、「もうひと観光したいね~」ってことで、気になっていた丘の上の縞々モスクAbu Darwish Mosque(通称パンダ・モスク)に行くことに。








山の上だし、道もよう分からんし、二人なら割り勘できるし、タクシーで行くことに。
2JDで交渉したけど3JDで妥結。
実際に走ってみると一通とかもあって、目で見るより遠回りだったので納得。
しかし、どうやらドライバーさんが山ちゃんを気に入ったらしく(タバコを吸えるとコミュニケーションがはかどるっぽい)、途中でドライバーさんが我々にコーヒーをご馳走してくれた。
これ、もう2JD割ってるよね?
ヨルダンのドライバーさんは、しばしば何かをご馳走してくれるので、本当にこれでいいのか?ちゃんと儲けてる?と、ありがたいやら不安になるやら。


パンダ・モスクについた時にはすっかり日が暮れていたけど、夜空のブルーとの相性もステキでした。








モスク手前の広場ではまだ子供達が遊んでいたりして治安の不安もなく、のびのび撮影。

せっかくだから夜景を見たいと思い、夜景スポットを探しながら徒歩で旧市街に戻ることに。

思ったような夜景には遭遇できませんでしたが、歩いて帰ったのはとても良かったです。
夜遅くでも子供が沢山遊んでいて少し不思議な感じがしたけど、おかげでたくさんの楽しいひと時を過ごせました。







ただ、写真大好き&カメラに興味津々な子供たちに囲まれて、山ちゃんのカメラはバッテリーがピンチに!
撮る相手によってはスマホを使ったり、カメラ本体で遊ばせないなど、注意も必要かも?


なお、ヨルダンに限らず、写真好きの多い国では「撮ったフリ」も有効w
「撮れ撮れ!」って言うけど、写りの確認をされることは滅多に無いので。









山ちゃんとは今夜が最後の晩餐になるので、久々に1人10JD越えのリッチ飯をして締めくくりました。

明日はヒジャース鉄道!に乗れるかな?


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⑪アンマン散策/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年10月02日 18時01分15秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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2019年5月3日(金)
 
○市バスでワヒダット・キャンプ
○バーで呑んだくれ
 
そんなこんなで無事サクサクとアンマンに戻ってくることが出来ました。
 
今日の宿は、3日前に下見をしていたクリフホテルです。
ここはコーダについで日本人の間では有名みたいです。
そのせいか、割り当てられた部屋に日本人の先客が。
この人がウザかった。
会って5分で夢とか語りだした時はどうしようかと思いました。
・いつか旅の本を出したい(頑張ってね)
・日本に帰ったら世界中の人が集まるドミやりたい(そうかそうか)
・俺にはスペインがめっちゃ合っている(じゃあスペインでやれば?)
・延々とエジプトの悪口(もうええわ)
そんなんがつづくんで、
「ヨルダンにいる間はヨルダンに集中したいんですけど」
と言ったら、どっか行っちゃった。
 
しばらくすると自分のベッドの上の人が起きてきた。
山ちゃんだった。
ペトラで会った、一緒にペトラ・バイ・ナイトを見た、その後はアカバに旅立った山ちゃんだった。
こんなところで会えるとは!
捨てる神あれば拾う神あり!
嫌な出会いのあとの嬉しい再会、沁みます!
 
自分はスペインさんに付き合って全然寝床整ってなかったし、山ちゃんはもうちょい昼寝ってことなので、後ほど街歩きに出る約束をして、しばし各々抜かりなく。
 
そして、いざデートへw
 
お互いノープランだったが、なんやかんやで、先ずはワヒダット・キャンプを目指す。
二人とも初市バスだったが、ちゃんと乗れたし、ちゃんと目的地で降りられた。そして激安だった。細かい金額は忘れたけど、補助通貨だけで乗れたと思う。
 
ワヒダット・キャンプは、元々は難民キャンプだったところが、そのまま町になったらしい。
この日はサッカー絡みの何かがあったらしく、えらい盛り上がってたり、ちょっと喧嘩勃発してたり、エキサイティングな街だった。







 
市場っぽいところや裏道はノンビリした感じで、大人も子供も機嫌の良さそうな人が多いのが嬉しい。







ケバブを買ったらお金は要らないという。
遠方から来た者へのもてなしなのだろうか?
この感じ、ジェニンと同じだ。
パレスチナ系の人と接してて感じるのは、その正直さ。
同じムスリムでも、モロッコでは
「(少しでも高く)売ったるで~」「ビジネスチャーンス!」
という押しの強さが目立ったし、
色んな国の、色んなガイドブックとか読むと
「貧しい国やエリアでは旅行者=お金持ちと見なされボラれがち」
みたいな事が書かれているけど、年末年始のヘブロンや、今回のジェニン&ナブルス、そしてワヒダット・キャンプでも、気づけば食事なんて殆どご馳走になっちゃってるし、それなりのお金を払う場面でも、ボラれてる感やたかられてる感がない。
そういうのって気持ちいいし、逆にお金落としていきたい気持ちが強くなるのよね。






 
ひとしきり歩きまわったら市バスで旧市街に戻る。

そして更に歩く。
そして勝手に「靴通り」「三日月交差点」などと地名を付けていく。
 
 








山ちゃんがトイレを借りたくてモスクに行ったら、半ズボンだったので注意されたり、そんなんも含めて良き街歩きだったと思う。


 
んで、そのモスク前がすごい電飾で、最初は「いつもこんな感じ?」と思ったけど、どうやらラマダンに向けての飾りつけらしい。
街でもラマダンのための飾りが沢山売ってた。



ラマダンって日中は飲食禁止とか、夜はその分お祭りだとかは聞いてたけど、飾りつけをするとかは知らなかったので、ハロウィンやクリスマスみたいで興味深かった。
(2019年のラマダン開始は‪5月6日‬からでした)
 
 
夜はクリフのすぐ近くのバーへ。
「ちょいと飲みたいね」って事で、パレスチナ行く前に見つけておいた飲み屋へGO!



ヨルダンはお酒飲めないかな?とも思ってたけど、観光地ペトラの宿にはビールとワインが置いてあったし(ワインは飲み干しといたw)、ここアンマンにも飲み屋がありました。
ただ、ニーズが少ないのか、やっぱちょっと宗教的にグレーなのか、自分の行ったお店は、入口は小さかったです。

ちょいと飲んで帰るはずが、そこでゴキゲンのおじちゃんに気に入られ、しばし入り浸る流れにw



他にも訪れる旅行者と交流したり、地元の若者、更なるおじちゃんも加わって、めっちゃ楽しい時間だった。
そして、「あんたたち日本人か!気に入った!今夜は俺のおごりだぜ!」ってことで、おじちゃんのゴチになってしまった。
自分達で払うつもりで飲んでた本数をゴチになるのは気が引けたが、お店のマスターも「奢られとけって!」というので、ゴチになりました。



いつか日本の飲み屋で気のいい旅行者に出会ったら私もゴチるぞ!
 
 
そうそう。
クリフ・ホテルでとてもありがたい対応をしていただきました。
それは支払をチェックアウト時にしてもらうということ。
ここがヨルダン最後の宿だったのですが、残金調整で悩むところがあり、現金払いかカード払いかを決めかねており、相談させていただいたところ、後払いを快く了承していただけました。
結果的に3泊18JDを現金払いさせていただき、おかげさまで残金3JDで帰国となりました。
 
明日は日帰りサルト。
 
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⑩ナブルス→アンマン 再び国境越え(ヨルダン&パレスチナ旅)

2019年10月02日 10時57分02秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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2019年5月3日(金)

○金曜日はムスリムの安息日
○ナブルスからジェニンへ移動
○ジェラマのチェックポイントを越える
○国境まではタクシー利用
○国境を越えてヨルダン入国
○国境からアンマン旧市街へ移動



今回の国境越えでシェイフ・フセイン/ヨルダン・リバーを選んだことの理由の1つに
「キング・フセイン/アレンビーは金曜の夕方から土曜は閉まる」
というのがありました。(ユダヤの安息日に由来します)
金曜にパレスチナでゆっくりしたいのもあって、年中無休のシェイフ・フセインを選んでいたわけです。
ところがジェラマのチェックポイントも金曜の14:30から閉鎖されるとのこと!


ジェラマのチェックポイント
金 曜 の 14 : 30 か ら 閉 鎖
(他のチェックポイントでも、そういう場所があるかも?)

本当は、木曜午後と金曜午前で観光したかったナブルスですが、ここで下手をこくと、最悪ヨルダンに戻れるのが日曜になりかねない!?
仕方がないので、金曜午前の観光は諦め、けっきょく朝から移動開始です。
なんのためにシェイフ・フセインにしたのか・・・。
(マイナー好きってのも大きな理由ですが)



8:00 ナブルスの宿出発

安息日らしく、ゴーストタウン状態のナブルス。







8:20 セルビスのムジャンマ着(ちょっと分かりにくい)



◆ナブルス→ジェニン 15NIS/セルビス
(通常はバスで10NIS)

金曜はイスラム教の安息日でしたが、大きなバスは走ってなくても、小型のセルビスが運行していました。
ターミナルの売店も開いているところがありました。

8:40 7人の乗客(満席)で出発
9:30 ジェニン着(やはり通常のバスよりは早い)

◆ジェニン→ジェラマのチェックポイント
11NIS/タクシー



ナブルスからのセルビスが着いた場所がタクシーのターミナルもかねていますが、車はあってもドライバー不在。それが安息日。
セルビス待ちの人はいましたが、チェックポイント行きのセルビスはなくタクシーで行くことに。

セルビス待ちの兄さんたちに聞くと、ちょっと歩いたところに別のタクシーターミナルがあり、そこから12NISでチェックポイントに行けるとのこと。
が、その「ちょっと歩いたところのタクシーターミナル」が分からずまごまごしていたら、キレイなお姉さんが通りがかり、なんやかんやでウーバー的な感じで黄色いタクシーをここまで呼び出してくれて、11NISでチェックポイントという話までつけてくれました。
来る時は4人でシェアタクシーで、まわり道してって感じで5NISだったので、悪くないお値段かと思われます。

9:48 ジェニン発
9:55 チェックポイント着

とんとん拍子すぎて拍子抜けですが、帰れないよりずっとマシです。


◆ジェラマのチェックポイントを出る

タクシーを降り、チェックポイントの建物に入ります。
行きはパスポートを見せて、その場で返されました。
しかし、帰りはパスポートを預けたあと、なかなか返却されず、他の越境仲間(おっさんばっかw)と一緒に小部屋に押し込まれ、全員がスマホやカメラなどの小型電子機器を提出させられ、そのまましばし待機。
その後、いっせいにスマホもパスポートも返却されました。
(取り違えとかないのか心配・・・)

10:12 チェックポイント通過完了!です。


◆ジェラマのチェックポイント→ヨルダン・リバー・ボーダー
120NIS/タクシー

チェック・ポイントを抜けると数台のタクシーがいたので、適当に声をかける。
狙ったわけでもないけどアラブ系のドライバーさん。

国境まで頼んでみたが、最初は
「国境までは無理。ベト・シェアンまでなら行ける」
というので、それで妥結。
ベト・シェアンから国境までは4kmくらいなので、時間的には無問題だし、ちょっと歩いてみたい気持ちもあったし。

しかし、どういう心境の変化か、走り出してから
「やっぱり国境まで行こうか?」という新たな提案が。
「NISの余りがないんだよね」
「JDでもいいよ」
「JDだといくら?」と、交渉スタート。
しかし、なんとなくJDはキープしたくて、
「ベト・シェアン通過する時にATM寄ってよ。NISで払うから」
「OK」
ってことで120NISになりました。


10:50 楽しくおしゃべりなどしていたら、直接国境に行きやがられましたよ。
あーもー!
こーゆーウッカリが地味にめんどくさいんだよぅ。
イミグレのATMは使えないんだよ、私は!

そしてドライバーさんはイミグレの建物には入れず(?)

自分がイミグレの敷地に入る際に、胸にシールを貼られるのですが、
「両替してタクシーにお金払うから、一旦戻ってくる」的なことを伝えると、旨のシールに何か書かれた。きっと事前に伝えておいてよかったんだと思う。

有人の窓口では、楽天のマスターでキャッシングできた。
けど、きっと普通にATMでやるよりレート悪いんだろうな~。
(てか、帰国後に確認したら、どうにも納得いかない金額になってた・・・)

で、このお金を手にイミグレの外に戻る。
これ完全に逃げ切れる状況なので、同じ状況で戻らない輩とかいるだろうな~って思う。
実際、お金持ってったらドライバーさん、めっちゃ不安そうからの安心~!な表情の変化見られて興味深かったです。


◆イスラエルの出国税 カードで払って3,732円

◆国境バス 値段失念(小額でした)

11:05 もう一度イミグレに戻って、今度こそ出国です。
建物内の改札口みたいなゲートの手前、右手側に有人のカウンターがあり、そこで出国税を払います。
(両替とかもここで出来る)

米ドルや現金でもOKですが、自分はカードで払いました。
帰国後に確認すると3,732円
101NIS+手数料5NISらしいので、これは金額的にも違和感なし。

※キング・フセインは非正規国境とのことで、倍近く取られるそうです。国境バスも高いはず。


パスポートと出国税の領収書を持って、改札口みたいなゲートを通り、次のカウンターでサクッと判子をもらって終了。
入国にくらべると陸路出国はザルでした。

※なお、半年前の空路イスラエル入出国では、入国がザルで出国は七面倒くさかったです。


で、出国はザルでしたが、バスがなかなか来ない。

閑散とした免税店をうろつき、のんびりとトイレに行き、
あとはボーーーーーッと座って待つのみ。
その間にバスのチケットを予め買えたのかもしれませんが、すっかり失念しておりました。
でも、乗る時に現金支払もOKです。
金額失念ですが、チャラッとした小銭で払えました。

そして10秒の乗車を経て、ヨルダン側のシェイフ・フセインのイミグレに到着。


◆ヨルダンの入国税(ビザ)
日本人は無料

ビザ免除の日本人は無料ですが、仲良くなったパレスチオ人は5JDだか10JDだかを払ってました。
海外のお友達と一緒にご旅行の際はお気をつけくださいませ。

そして、あいかわらず入国スタンプをくらいました。

12:00 そんなこんなでヨルダン入国


◆シェイフ・フセイン→イルビット
5JD/シェア・タクシー

イミグレの建物を出ると、屋根つきのベンチがあります。
みんなタクシーや迎えの車で、どんどん立ち去っていきます。
いかにもバスとか来そうな雰囲気ですが、こないのかも・・・
無意味に数分待ってしもうた。

イミグレの建物に向かって左側にタクシー会社の小さい事務所があったので、そこに行くと、自分と前述のパレスチナ人のほかに、男性2人組もいて、4人でタクシーをシェアすることに。

事務書のボスと、あと一人しかおらず、その方が運転手さんだったので、もう少し乗りたい人が多かったら、相当待つことになってたのかも?

1人5JDと言われ、カードはダメ、お釣りもダメと言われ、札しかなかった自分が絶望していたら、パレスチナ人が驕ってくれました。ありがとう。

12:20 シェイフ・フセイン・ボーダーを出発
行きと同様、タクシーに乗り込んだらとりあえずドライバーにパスポートを預けます。
13:00 イルビットに到着


◆イルビット→アンマン
1.5JD/ローカルバス

アンマン行きのバスは、アンマンからのバスが到着したのとは別のムジャンマ(バスターミナル)から出発だったので、少しビックリ

13:10 出発
道中、またしてもポリスによる男性のみのI.D.チェックをはさみ、
15:00 アンマンのムジャンマ・シャマーリーに到着。



ぶっちゃけ、これらは全部コチラの記事の後半をコピペです。

記事の前半ではヨルダンからパレスチナへの移動の詳細(しくじり有)を載せていますので、よかったらそちらも参考にしてください。


旅の全体図はコチラ

⑨ジェニン→ナブルス散策/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年10月02日 10時00分27秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
旅の全体図はコチラ

2019年5月2日(木)

○ジェニンからナブルスへ移動
○ヤコブの井戸
○スーク散策など

午前中いっぱいジェニンの散策をしたら、午後はナブルスへ向かいます。

ジェニンからナブルスへの移動は、ローカルバス1本。
1時間ちょっとで10NIS

車中ではちょっとやんちゃな男性グループにやんややんやされて、
「うっとおしいなぁ。ちょっと怖いなぁ」
って思ってましたが、隣の席の男性が
「Don’t worry.I’m with U」
とスマホ画面に打ち込んだ文字を見せてくれて、すごく勇気付けられました。

ナブルスにつくと、想像以上の大都市で、ジェニンとの差に圧倒されます。
もちろん東京とかに比べたら全然なのですが、人も車もタクシーも多い。建物もでっかい。
「古都」と聞いていたけど、パッと見は古都というより都市です。







しかし、その大きな都市っぽさのすぐ横に背の低い建物が密集したエリアもあり、その奥にはスークが這っています。
やっぱ古都かも。






自分の宿はどうやらスークを跨いだあたりなのですが、紙地図派の自分にはサッパリ・・・。
しかし、ナブルスでもパレティニアンの優しさは健在でした!
道を聞いた人が宿まで連れてってくれるという。
その子がお母さんに「ちょっと遅くなる」的な電話までしてて、なんかもうスミマセン。でもありがとう!の気持ちが止まらない。

街歩きをしていても、道を聞けば快く教えてくれて、目が合えば笑顔で手を振ってくれたり。
都市部もスークも人が多くて、みんな忙しそうなのに、殺伐とした空気はなく、相変わらずとってもフレンドリーなムードに浸ることができました。


宿のオーナーに聞いて衝撃だったことが一つ。

ジェラマのチェックポイント、
金曜の14:00くらいには閉鎖!

マヂか!?
ゆっくりパレスチナ散策したいから、金曜午後から閉鎖のアレンビー/キング・フセインの国境を避けて、基本24時間オープンのヨルダンリバー/シェイフ・フセイン国境で来たのに、チェックポイントにも時間制限があるなんて想定外だよ~。

でも、考えてみれば年末年始のパレスチナでも、ヘブロンは結構ガチガチで、ヘブロン旧市街のチェックポイントは曜日に関わらず毎日22:00~7:00くらいまで閉鎖なんて場所もあったわけで、これは完全に自分の調査不足だったorz

でも、これを到着早々に聞けたのは僥倖!
金曜はムスリムの休日でもあるので、明日は油断大敵。
今日、全力で散歩するぞ!と決意も新たに街に繰り出す。

とりあえずヤコブの井戸(教会)は閉館時間があるところなので、急いでいく。
3キロくらいっぽいので、当初は歩くことを考えていたけど、タクシーに乗る。
タクシー乗り場は「コマーシャルモールの地下」と言われたが、正直ちょっと迷った。
流しを拾う方が楽だったかな?と思いつつも、街から外に向かうのを拾うのは難しいのかも?とも思ったり。

シェアタクシーで5NISでした。
お客さんも楽しい人たちばかり。

●ヤコブの井戸●
自分が行った時はツアーなのか、結構な人がいました。
しかし、どうせ閉館間際だったので、しばらく待っていたら貸切状態に。



教会はけっこう立派。内壁が白いので明るい雰囲気です。
井戸は地下にあって、ペットボトルに汲んでいく人も沢山いました。



床はちょっと水浸しなので、滑らないように注意。



井戸はかなり深いので、水を汲むときには注意が必要。
桶を下ろす時も、上げる時も、途中で手を離したら大惨事です。
(特に桶が上の方にあるときはヤバイ)
ハンドルをしっかり握っておくべし!です。


ヤコブの井戸を見たら、徒歩で街に戻り、ひたすらウロウロ。
よく写真を見かける石鹸の塔(石鹸を煉瓦みたいに積んで煙突形にしてるやつ)は見損ねたけど、石鹸工場見学も出来たし、スーク散策も楽しかったし、とにかく人がいいし、滞在は短かったし、プチトレッキングとかはし損ねたけど、十分に有意義な時間を過ごすことができました。





ここのスークは、スークデビューに最適かも?とも思った。
スークって割と迷路っぽいところが多いと思うのですが、ナブルスのスークは、基本的には一直線なので、迷ったりする心配が格段に少ないかなと。


宿=Soufan Guest HOUSE
きれい、かわいい、くつろげる~。
部屋でWi-fiサクサク。24時間ホットシャワーOK。
ドミもすごくゆったり。
料金はドミにしてはお高めかもだけど、周りの宿も似たり寄ったりなので都市価格なのかも。
その分滞在はめっちゃ快適でした。







夜のナブルス




お店とか20時くらいでほとんど閉まってました。
安息日の前日だからなのか、毎日そうなのかは不明。
夕食探すのに少し苦労しました。


石鹸工場







木曜のナブルス



明日のナブルス(安息日)







明日はもうヨルダンに戻らなきゃだけど、本当に来れてよかった!

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⑧ジェニンinパレスチナ/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年09月30日 22時56分25秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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ジェニンの歴史について、ここには詳しく書きません(書けません)
が、パレスチナ側の主張では、21世紀早々、イスラエルによるひどい虐殺行為があったそうです。
ただ、イスラエル側はそれを認めておらず、国連の調査さえも受け入れていません。

ジェニンの町はとても小さく、
世界遺産などはなく、
熱帯魚のひらめく海も、
自然の豊かな山も、
キラキラ輝くも滝や湖も、
最先端の都市も、
お洒落な街角も、
かわいい家も、
ありません。

見ようによっては、旅人にとって「何もない町」と言えるかもしれません。

それでも、行けて良かったと心から思える町でした。

そもそも自分がジェニンを選んだのは、
「ヨルダンの歩き方の地図に地名が載っていたから」
です。

ヨルダン旅行の際にパレスチナに寄る事は決めていたのですが、すでにエルサレム、ベツレヘム、ヘブロンは訪れていたので、どこか違う都市を・・・と考えていました。
また、金曜にヨルダンに戻る予定だったので、アレンビー/キング・フセイン国境は、金曜の午後は閉鎖と聞いており、別の国境からアクセスしたいと考えていました。
(アレンビーは往復で利用するのが鉄則のため)

北の国境から行けそうな都市ということで、有名なナブルスともうひとつ・・・と考えていたところ、ヨルダンの歩き方の広域地図に、ナブルスともう一つ載っていた地名がジェニンだったのです。
ただそれだけの理由でジェニン行きを決めました。

決めてからリサーチをはじめ、その歴史を知った次第です。

それでも、行けて良かったと心から思える町でした。

この町の多くの人が、その歴史を実体験として経験しているにも関わらず、信じられないほどの明るさと親しみと優しさを込めて私に接してくれました。
その理由が、アジア人が珍しいからなのか、外国人にパレスチナのことをアピールしたいからなのか、宗教的な習慣によるものなのか、はたまた私の想像が及びもしない理由からなのかは分かりません。
全員がまったく違う動機や信念からかもしれません。
しかし、これまでに訪れたことのある外国の町の中でも、とびっきりのウェルカムをいただきました。

人に傷つけられ、人に苦しめられてきた小さな町の人たちから、本当の人間力のようなものを教えてもらった気がします。

立ち直ること、信じること、諦めないこと、受け入れること、それらをつづけること、笑うこと。

きっと簡単に身につけたことではないんだと思います。
今も「そうあろう」と努力している人もいるんだと思います。
そしてそれを「当たり前」として体得した人もいたと思います。
生々しい弾痕の残るこの小さい町で、その力強い暖かさに沢山触れて、沢山のエネルギーをもらいました。






ヨルダン~ジェニンの移動の詳細はコチラ
(そちらには未記載ですが、ジェラマのチェックポイントからジェニンまでのタクシーは容易に捕まえることができました。乗り合いで5NISほど。貸切で10NISちょっとです)

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⑦ペトラ→アンマン・ジェラシュ遺跡/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年09月11日 16時33分12秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW

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2019年4月30日(火)
 
○ワディ・ムーサ(ペトラ)からアンマンへ移動
○ジェラシュ遺跡散策


 
当初、ペトラに2日かけようと思っていたのですが、
①1日でもかなり満足できた
②午後からペトラへ移動の場合、バスに乗れるか不安
ということで、朝からアンマンに向かうことにしました。
 
もともとは、1日目にエド・ディル&犠牲祭壇に行き、2日目はエル・ハズネを見下ろすルートに行って、14:00‬頃のペトラ発アンマン着のバスに乗ろうと画策しておりました。
 
しかし1日目、犠牲祭壇のあとエル・ハズネを横から見ることも出来た(上からではない)ので、結構満足してしまいました。
さらに、‪14:00‬頃のアンマン行きのバスというのが大変人気らしく、予約が吉らしいのですが、予約サイトを見ても何を入力すればいいのか分からない項目などもありモヤモヤ。
そして、‪14:00‬のバスに乗れなかった時のプランBがシェアタクシー(またはヒッチハイク?)くらいしかないのも不安。
 
こんな不安を抱えてペトラに行くよりも、とっととアンマンに行くべし!と思い、朝から移動。

 
アンマン行きのバスは、ワディ・ムーサのバスターミナルを‪6:15頃‬に出発します。
値段は7JDかと思われます。
それをよく知らなかった自分は、前日の夕方に宿のレセプションで
「‪明日の朝‬、バスでアンマンに行きたいんだけど」と相談したところ
「‪朝6:00に‬ピックアップのバスが10JDだよ」と言われ予約しました。
 
このバス、‪6:00‬に宿まで来てくれて、私を乗せ、まずバスターミナルへ。
その後、ワディ・ムーサの町をゆるゆると流し、どうやら乗客を探している模様。
町を歩いているバッパーなどに、窓から声をかけたりもしています。
そして‪6:15‬頃、再びターミナルに戻ってからアンマンに向けて出発しました。
で、ターミナルで乗ってる人はどうも7~8JDしか払っていない様子。
 
ここからは推理でしかないのですが、おそらく予約ピックアップだと10JD、自分で乗りに行けば7JDということなんだと思います。
差額3JDはちょっと高いと思いますが、荷物とか多い人はいいかもしれません。
絶対乗れるという安心感もありますし。
 
バスターミナル‪6:15‬発が定時なのか、町でそこそこお客さんを拾えたら、ターミナルに戻らずに行ってしまうのかは謎です。
 
この日は結局半分くらいの空席を残して出発しました。




 
道中、砂漠の直線とかは120~130kmくらいでかっ飛ばしていきます。
センターラインを越えながらの追い越しは、対向車も迫ってくるとかなりスリリング。



 
‪8:00~8:20に休憩もありました。‬
田舎のドライブインみたいなところに寄ります。
このタイミングで朝ごはんを摂る人も多数。

 
そして‪10:00‬頃、アンマンの市街地に近いと思われるがよく分からない場所で下ろされました。
「今、自分がどこにいるか分からない」という個人的旅あるあるを発動。
とりあえず大き目の交差点で、タクシーとかもちょいちょい停まってます。
地図上でなんとなく「ここかな~?」って場所に目星をつけるも確証は無く、
「4kmか。‪1時‬間くらいなら歩いてもいいけど、もし違ったらめっちゃ悲しいな」と思い、ここはタクります。
 
値段は失念してしまったのですが、メーターじゃなくて交渉で乗りました。
この運転手さんが実にフレンドリーな方でした。

ちょいなちょいなと寄り道し、
巨大国旗が見えるところを通ってくれたり、
奥さんとテレビ電話しながら私を紹介してくれたり(運転中!)


劇場の前を通りながら説明してくれたり、


地元で有名なクナフェをご馳走してくれたり(激ウマ)


んで自分も食べたり(運転中!)


とっても楽しいドライブとなりました♪
 

ちょっと渋滞などもあり、‪11:00‬頃に宿に到着。

シドニーホテル@アンマン旧市街
1泊7JD
キレイで快適。
GWのためか、日本人もチラホラ。
 
早く着きすぎてしまったので荷物だけ預かってもらおうと思ったら「ちょっと座って待ってろ」とのこと。

とっとと荷物預けて、出かけようと思ってたのですが、なんか不機嫌そうだし、ちょっと疲れてたので、四の五の言わずにロビーでお茶・充電・ネットサーフィン(死語?)。

‪11:30‬頃「ここ、君の部屋」と、お部屋に案内してくれました。
本当のチェックインは‪14:00‬くらいなのに、かなり早く部屋に案内してもらえて楽チン♪言う通りにしてよかった♪ありがとう!
 
 
さて、せっかく半日空いてるので、ペトラ以外の遺跡もみてみたいな~ってことで、午後からジェラシュに向かいます。
 
その前に、旅後半の宿の下見。
アンマンにはコーダホテルという日本人バッパーには大変有名なドミがあるそうですが、あんまり日本人だらけなのもアレなので回避。
しかし、立地などを鑑みて、これまた有名らしいクリフ・ホテルを予約していました。
でも、クチコミにバラつきがあったので、事前に下見をして、あんまりヤバかったら&シドニーがすごくよかったら、後半の宿の変更も検討しておりました。
 
クリフは旧市街のど真ん中って感じの立地で、静けさを求める人にはアレかもしれませんが、雑踏好きな自分は無問題。
宿は建物の3階でもちろん階段ですが、それも無問題。
下見に行くと、ちょうど掃除の時間で、おじさんがモップで床を拭いていました。
ちゃんと掃除をしているっぽくて安心。
(のちに、床まで毎日掃除してるのは個室のみで、ドミの床には綿埃も残ってたりということが判明)
シャワー室もトイレも複数あるし、安いし、宿取り直すのめんどくさいので、後半はココでOK!っと決意して下見完了。
 
今度こそジュラシュに向かいます。
 

‪12:30頃、アンマン旧市街からムジャンマ・シャマーリー(北のバスターミナル)までのタクシーを拾いました。‬
概ね2.5~3JDの距離なのですが、拾ったタクシーが「渋滞してるから5JD」と言ってきます。
この時点で断っちゃえばよかったのですが、「せめて4JDで!」「しょうがないなぁ。OK!」ってことで乗り込むも、「やっぱり5JDくれよ」とゴネだした。
4JDでOKって言ったじゃん!
じゃあ乗せるなよ!
バスターミナルでとりあえず下車して4JDだけ渡して退散しましたが、めっちゃ不満そうでした。
 
ターミナルでは「ジェラシュ行きたい」って言って、教わったバスに乗ります。
 
‪12:45頃、ほとんど待たずにバス出発。ラッキー。‬
このバスが800ピアストルなのか、800フィリスだったのか失念。
とにかく安いのは間違いないです。
 
‪14:00前、「ここだよ~」と言われて降りると、遺跡じゃなくて遊園地が!‬
一瞬、「降りたいところをちゃんと伝えられてなかったか!?」と焦りましたが、遊園地の隣が遺跡です。
(というか、遺跡の隣に遊園地を作ったというのが正解ですね)
 
お天気はちょっと曇り気味ですが、いざ行かん。


 
 
●●ジェラシュ遺跡●●
 
複雑すぎる開園時間。金曜も同じかしら?
(day/month表記)
 

 
ツアーガイド一覧。
どうやら最近中国語も追加された模様。
 

 
遺跡の中には基本的にはお店はないので、入り口手前のキオスクや露店でお水を買うのが吉。
でも、中にも2箇所くらいは出店アリ。
 
 
午後から行ったせいか、この日は人も少なく、のんびりとした様子でした。
団体ツアーも1~2組くらい見かけた程度。
 
遺跡がまあまあ広いので、ツアーと離れたければ違う方面に行けばいいし、もちろんこっそり追跡してガイドに耳を傾けるもよし。(分かる言語ならば)
 
それとは別で、自由に遺跡内を散策していると、無許可のガイドっぽい人が声をかけてきます。
自分はケチなのでお断りしましたが、頼んでる女子二人組みがいて、めっちゃ写真撮ってもらってました。
インスタとかやってる人はアリかも?
 
自分は一人だったので、記念写真を撮りたくなる場所でも、ぼっちだとどうしようもなく(三脚持参せず)、そこまで琴線に触れなくても、人がいたら撮ってもらうって感じでしたw



 
ニンファエウムの目の前に陣取る露店のおじさんが
「写真撮ってあげるよ」というので頼んでみました。
この立地でやってれば、さぞかしお上手かと思いきや、斜度20度の芸術的アングルw
 

 
事前に見ていた写真は周囲に植物などはなく(枯れてた?)、白茶けた荒野に居並ぶローマ遺跡と、その先に霞む現代の町並みという風景が面白かったのですが、GWの頃はお花が咲き乱れていました。
想像とは違う景色でしたが、それはそれで、とってもいい時期だったと思います。















 
‪17:00過ぎまで無計画にウロウロしましたが、ほぼほぼ見て回ったと思います。

草むらに入ったり、ローマ劇場内を探検したり、地元の家族連れとまったりしたりと、そこそこのんびり過ごしても、‪3時‬間で概ね見て回れたことになります。
 
脇道に逸れまくらずに進めば‪2時‬間でも大丈夫だと思いますし、メインどころをチャキチャキ回れば1.5時間でも行けそうです。
 
 
来た時と同様に路線バスとタクシーでアンマン旧市街にもどります。
(実は殆どの路線バスはムジャンマ・シャマリーの前にアンマン・セントラルという高架下的なところを通過しているので、そこで降りればタクシー不要です。徒歩5〜10分で旧市街です。バスに乗るときにムジャンマではなく「アンマン・セントラル」とか言っておくと吉かと)
 

夕食はクリフ・ホテルのすぐ近くにある食堂?へ。





ケバブっぽいロールとシャニーナという塩味の効いたヨーグルトドリンクで2JDだけど満腹!
それなのに店員さんが色々とサービスしてくれてしまうので、遠慮とかじゃなく、美味しいけど本当にもう食べられないよ~!な状況に。
お店の雰囲気が違うとは言え、ワディ・ムーサのレストランで10JD出してた頃が懐かしくなる安さ。
 
鬼満腹だけど、ちょっと飲みたい気分。
軽くウロウロして腹ごなしした後、これまたクリフのめっちゃ近くにバー発見!
 
ちょいお高いけど「ペトラ」のブルー(値段失念)をいただき、気分良く帰宿。
 

シドニーのリビングで日本人女子と少しダベって、それから洗濯。

シドニーの洗濯機は中庭状のベランダにあるのですが、そこにも夕涼みや喫煙のため、数名の旅行者が集まっていました。
洗濯を待つ間、分からない英語で頑張ってカンバセーション。

その際、自分は何気なく
「明日からパレスチナに行くんだ〜」
と言ったら、
そこから「パレスチナって国にだっけ?」みたいな話に発展。

さらに、フランス人が中国人に話を振り、
「中国の少数民族への扱いってどーなん?」
「いや、うちらは彼らに沢山のお金をかけてるよ」
「でも、彼らは独立したがってるんでないかい?」
「そんなんゆうても、中国からの支援がなかったらやってけないっしょ?保護してあげてるんだよ」
云々と、ディスカッションが始まり、そこにヨルダン人、ブラジル人、イタリア人、ドイツ人が参加して、全員英語でやりとりしてて、多分きっかけ投入したの自分なのに完全に置いてきぼり。

母国語以外で議論が出来て、社会の色んなことに自分なりの意見をちゃんと言える若い旅人たちに尊敬の念を禁じ得ない。


ってことで、明日はドキドキの国境越え。
ヨルダン~イスラエル間で、もっともマイナーな北の国境「シェイフ・フセイン・ボーダー」を越え、そのままパレスチナに入り、ジェニンという町を目指します。
(そしてタクシーで盛大にボラれます)


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⑥ペトラ・バイ・ナイト/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年09月09日 22時33分54秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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2019年4月29日(月)夜

○ペトラ・バイ・ナイトに行ってみる



●●ペトラ・バイ・ナイトについて●●
チケットは17JDでした。
通常のチケットではナイトは入れないので、要別途購入。
なお、ナイトのチケットで行けるのはエル・ハズネまでです。
(その先は闇)

バレンタイン・インのレセプションでもチケットを買えます。
お値段も同じ17JDです。
チケットの束がしまわれているのを見ました。
ナンバリングはされてるけど、日付とかも入っていないので、ようするに、人数制限とかしてないってことですね。

宿では無料の送迎もやってくれます。(乗り合い)

送迎のバスは20時発だったと思います。
なので、「もっと早く行って場所取りしたい!」とかでしたら、その限りではありません。
(行きは車に乗らず、帰りのみ乗りたいとかでしたら、キチンと話を通しておかないと置いてきぼりになるかも)


★昼間にペトラに入って、そのまま遺跡内で夜が来るのを待つことはできません。
基本的には全員遺跡を追い出されます。
まぁ、広いんでどこかで隠れてるとかは出来るのかもしれませんが、少なくともエル・ハズネの前の広場で待機は不可です。
暗くなるまで遺跡の中にいるのは危ないし、そこでライトを使ったら居残ってることがバレるし、大人しく一度外に出てください。

★★ナイトの入場は、20時過ぎにゲートについたらすでに長蛇の列でした。
本気で場所取りしたいなら、ペトラ遺跡入り口近辺の高級エリアに宿を取るとか、ワディ・ムーサに宿泊する場合は、宿に戻らずゲート近辺のお店でサクッと夕食を食べて開門待ちをしたり、タクシーで早めに向かったり、とにかく送迎は使わない方がいいと思います。


でも、現地ではそんなことは知らない自分たちなのです。
大満足のペトラ遺跡の散策を終え、18:00の送迎バスで宿(バレンタイン・イン)に帰ってきました。
遺跡から宿までは、バスだと5分ちょっとって感じです。

宿に戻ったらマッハでシャワーを浴びたかったのですが、同じことを考える人が多数w
とりあえず膝をケガしているフユさんに先に入ってもらいました。

一瞬「もうシャワーは後にするか?」と思いましたが、宿に戻ってきてしまうと、汗と土埃を流さずにはいられません。

しかし、風呂あがりに着るべき服が無い。
さっきまで着てた服をまた着るのはイヤ。
明日の服をこれから汚すのもイヤ。
パジャマは絶対イヤ。
と悩んでいたら、昼間一緒にペトラを歩いたナツさんが
「このズボンあげるよ~。東南アジアで200円くらいだったし、パジャマとして着てて、ここで捨ててく予定の服だし」
と、ズボンを恵んでくれたw

ありがたく頂戴し、上はきれいなTシャツの上からウィンドブレーカーを着て埃をシャットアウト。
完璧です。

宿のディナー・ビュッフェはすでに始まっているので、シャワー後に飯をマッハでかっこむぞ!
と、思ったのですが、この時ちょうど宿にいる日本人が全員集合(といっても6人)となり、ナイトに行く人も行かない人もゴチャマゼで、宿で売ってる残り少ないボトルワイン(赤2・白1)を買い占めてプチ宴会。



赤も白も美味しかったです!
ここでワイン飲めると思ってなかったから余計に嬉しかったなぁ。
絶対飲みたい!って人は事前にメールとかしておくと良いかと。

送迎の時間まで食べられるだけ食べて、飲めるだけ飲んで、ササッと歯磨きとトイレを済ませたら、いざ出発です。


持ち物
貴重品、ケータイ、カメラ、カメラのブラシ、100円ショップのミニミニ三脚(使うのか?)、チケット!などなど。


宿の送迎車は、昼間はマイクロバスでしたが、ナイトのときは砂漠のテロリストみたいな車で、中の座席に乗れない人は荷台に乗り込みます。
もちろん率先して荷台に乗りこみますが、運転はワイルドだし、つかまるところもあんまりないので、みんなでワーキャーぶつかり合いながら、日本人韓国人イタリア人などなど一気に仲良くなる感じが楽しかったです。



20:10くらいに遺跡の入り口に着くと、すでに長蛇の列。
これはちょっと予想外の展開でした。
なんか警察車両とかも来てて、やや興味深い。

ナイトでは移動で馬や馬車に乗るという選択肢はありません。全員ひたすら歩きます。
行きは下り、帰りは登り。
遺跡内なので街灯とかはもちろんなく、ロウソクのランタンが並べられているだけ。
そこそこの暗闇と混雑と砂利道、岩道、土埃なので、足元注意なのですが、足元ばっか気をつけてると迷子必至です。


バレンタイン・インからの日本人は4人。
ペトラを一緒に歩いたアキさん。
ペトラで犬に追われてたフユさん(仮名)
宿で見かけたときはコリアンかなと思っていた山ちゃん(仮名)
我々全員一人旅。

フユさんは、空港から宿まで山ちゃんと一緒に来たけど、昼間の遺跡の散策は別行動だったそう。
そしてトラックの荷台の時点でアキさんに若干ロックオンw
若いな~。早いな~。迷いないな~。
そして、その影響なのか、遺跡についてからは結構早い段階でアキさん&フユさんを見失ったので、私はもう絶対に山ちゃんとははぐれないぞ!


シークの入り口でペトラ・バイ・ナイトの際の注意点みたいなのを伝えられます。
自分が聞き取れたのは
・静かに
・懐中電灯とかはダメ(多分フラッシュの撮影も?)
ってことです。

このルールがエル・ハズネについたらなのか、シークの中でもってことなのかは分かりませんでしたが、シーク内で少し大きい声で喋ってたり、スマホで足元照らしたりしてて、他のゲストに注意されている人もいました。
シークの移動中から、暗さや静けさ込みで、雰囲気を味わうのが吉みたいです。


なお、シークの中もたくさんのロウソクが並べられてて、すごく神秘的なんだけど、写真を撮るなら三脚ナシじゃ話になりませんでした。
(SONYのRXとかなら違うのかしら?)



人もたくさん通るので心霊写真みたいのも沢山撮れそうです。





21:00過ぎにエル・ハズネに到着。
辿り着くと、すでに人がいっぱい!
てか、一体いつからやってたんだろ?

前の方とか、語り部さん周辺の人は、それぞれがランタンみたいなのを持ってます。
なんか昔語りとかしてるっぽいけど、言葉も分からないし、そもそも全然聞こえない。

ウードの演奏があると聞いていたけど、もう終わったのか、端っこでひっそりやっていたのか、自分は全く耳にしませんでした。


シークを抜けたところでぼんやり立ってると、後ろからドンドン人が来るので邪魔になります。
とにかく前に進むなり、横に進むなりが必要です。

で、日本人の本気で写真撮りたいっぽい人が、その入り口の少し横っちょに三脚を立ててカメラを構えていたのですが、非常に苦労をされてました。

エル・ハズネの全景を入れたくて、なるべく後ろに陣取ったのでしょう。
角度的にも、ほぼ正面から遺跡を臨む形となり、本人的には、いたくお気に入りのポジションかと思われますが、いかんせんシークの出口のすぐ横なので、ずーーっと人が通ります。
で、入ってきた人もすぐには座れないので、ウロウロしたりするわけで、それが非常に邪魔に感じてたんだと思います。
周りに日本人なんていないと思ってたのかもしれません。
ずーーっとそこそこのボリュームの独り言、もとい文句を言い続けてました。
「そこに立ち止まるんかい」
「おいおい、邪魔だって気づけよ」
「いいかげん座らんかい」
ちょっと面白かったのですが、ずっと聞いていたいものでもなかったので、ササッと移動。

後ろの岩壁沿いにはちょろっとベンチがあったので、ちょいと座って一休み。すると甘~いチャイが振舞われ、ほっと一息。

ベンチは楽だけど、写真は上手くとれないので、山ちゃんをベンチに残し、横の岩壁をよじ登ります。

暗闇で崖によじ登る酔狂な奴なんていないと思っていけど先客がいました。
仕方が無いので、もうひと登り。
落ち着ける場所を見つけたのでステイ。
高さを稼いだことで、無意味だと思っていた100円ショップの三脚がも役立てることができました。
でも、誰にもオススメはしません。


●参加して思ったこと●

★遺跡のライトアップは語りとかとは全く関連無く、坦々と色が変わります。
そのペースがけっこう速いので、「この色で撮りたい」と思ってからシャッターを切ると、自分のコンデジでは間に合いません。
もうちょっとスローペースだと嬉しいのですが・・・








★歩き方などに載っている「無人の地面にランタンが並べられ、その奥に鎮座するエル・ハズネ」的な景色は見ることができませんでした。
入り待ちをして一番乗り!、または帰りのピックアップなどを気にせずラストまで粘るとかしたら見られるのかもしれません。

ただし、終わったら割りとすぐ明かりが消されるという話もあります。
また、アレだけの人が去ったあとに、ガイドブックで見たような景色が現れるとは思えないので、やはり早めに入るのが吉?


★前述しましたが、自分のタイミングで入場したら、演奏も聞こえなかったし、語りとかも聞こえませんでした。
語り部さんの近くでランタンを持って参加するには早めにインすればいいのか?
もしかしたら団体ツアーの人の優先入場とかもあるのかも?
ただ、あの位置に座ったらエル・ハズネ全景は撮れないと思います。

広角気味のレンズなどを用意して、語り部さんから少しだけ離れた位置を確保すると「語り部さんやランタン(とスマホとタブレット)を持つゲスト越しのエル・ハズネ」とかを撮れるかも?


★座る場所や入る時間にもよるかもしれませんが、(無駄に)カラフルなライトアップと、少しは入場制限とかした方がいいのでは?って感じの人出なので、神秘や静けさは期待しないほうがいいです。
「ちょっとしたお祭り」「記念」「写真撮影のため」と割り切って行くと楽しいと思います。


ってことで、一通りナイトを鑑賞。
21:40頃、イベント終了。

イベントがお開きになるとフラッシュ解禁!おしゃべり解禁!
怒涛の撮影タイムです。
あっちこっちで記念撮影が始まります。

高性能なカメラならフラッシュとか無くてもキレイな夜景ポートレートが撮れるのかもしれませんが、自分のカメラはそこまでの威力はありません。
しかし、フラッシュを炊くと埃だらけの画になります。
そんなわけでオススメは
【スマホなどの懐中電灯で自分をライトアップする】
です。

セルフィーだと少し大変だと思うので(光源が近すぎるとイマイチだし)、先に誰かをそんな風にして撮ってあげると、相手も同じようにしてくれますよ~♪




あんまりダラダラしてると送迎車が行っちゃうかもしれないので、そこそこで引き上げます。

案の定、帰りの車は行きと面子が若干異なる。
絶対人数数えたりしてないもん。

てか、アキさんとフユさんがいない!?
ドライバーさんに声をかけて待ってもらうも、なかなか現れず。

22:40くらいになり「先に出た車に乗ったのかもね~。もう行くね~」
と、車が動き出したところで、向こうから駆けてくるアキさん発見!
荷台からドライバーさんに大声で呼びかけ、なんとか車を止めてもらえました。

まあ、頑張れば歩いて帰れない距離じゃないし、タクシーとかも拾えそうだから無問題ではありますが、やっぱ治安とか少し不安だし、いちをご注意ください。

出発前は「宿に戻ってきたら飲みなおそう」と言ってくれてたナイト行かない組は、当然すでにベッドに入っており、こちらもそっと就寝の準備。

23時近いのでシャワーを使うのも憚られます(部屋の中にあって、シャワーカーテンのみで区切られてるので割りとうるさくしちゃいそう)
夕食の前に浴びといて良かった~とシミジミ。


明日はアンマンに移動してジェラス遺跡に向かいまーす!


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⑤ペトラ遺跡・後半/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年09月04日 11時40分59秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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2019年4月29日(月)
 
○ペトラ遺跡を歩き回る・後半
○犠牲祭壇を通るトレッキングルートでエル・ハズネに戻る
○エル・ハズネを横から見られるところまで登ってみる



 
ペトラ散歩前半では、エド・ディル往復予定のみの女子に合わせていたので、かなりのノンビリモードだったけど、自分はトレッキングルートも行きたかったので、レストランでまだダベりたそうなハルさん&ナツさんに「私は先行くね!」と別れを告げると、アキさんが「じゃあ俺も」と、ついてきてくれました。
ガイドを雇う気はないけど、一人で行くのは少し心細いかも…?って思ってもいたので、これはかなり嬉しかったです。
そして、本当に楽しかった!
 
ってことで、‪14:30‬過ぎ、ちょっと出遅れ気味ですが、犠牲祭壇を通るトレッキングルートへ突入です。
 
歩き方の地図を頼りに、ステージの裏手当たりから入ります。
 

ときどきある道標は、どこを指しているのか分かりません。
(この場合、正面の道?っぽいのは不正解)

が、見渡してみて遺跡のある方につながってそうなルートに乗れば大丈夫でした。
一度ルートに乗ってしまえば、あとは殆ど迷うことなくいけました。


 
犠牲祭壇の近辺で一瞬「どこが道だ?」となりましたが、反対側から人が来る方に進めば大丈夫でした。
 
広大なトレッキングルート
 
 
よく見るとそれっぽいものがある。


中から見る。


兵士のナントカの近くのナントカ。
内壁がとてもキレイだった!




右上の遺跡でも、ちょっとしてお店出してる人がいました。




ここにいるよ〜!


犠牲祭壇の近くのワールズエンドとかいうカフェ辺りからの眺めは素晴らしい。


生首置き場




かなり降りてきた


前半に見た墓穴まみれのエリアに復帰


 
そんなわけで、意外にも順調なトレッキングコース体験となりました。

そして、エル・ハズネには17:00前には戻ってきました。

歩き疲れた観光客を待つ馬車たち。

 

‪18:00までの送迎バスには、まだちょいと時間的な余裕があるので、もう一つオマケを追加。‬
 
エル・ハズネを上から見るのはとっても有名なフォトスポットですが、これからシークの天辺まで行って戻ってくるのは厳しそうですが、ふと見ると、崖の中腹まで登っていく人々がいました。
体力は少し余っており、比較的身軽な二人だったので、迷うことなく「あそこまで行ってみよう!」とない、ひょいひょい登っていきます。
 
ここは、ちゃんとしたアレでもないみたいで、自分がこの日に歩いたルートの中で、もっとも自己責任要素が強いルートでした。
狭くて急峻で、頂上まで一度も手を使わずに登るってのは厳しいかなって感じです。
そこを、「あんたはちょっと無理なんでないの?」的な人もトライしているので、内心では「この人が降ってくるのが一番怖い」などと思っておりました。
 
5〜10分くらいで登りきると広くはないテラスっぽくなっているので、皆さん交代で迅速に写真撮影をしていました。



こういうところで、撮ってもらったり、撮って差し上げたりという交流も楽しい。
 
忍者のごとく素早く下山したら、今度こそ送迎バスを目指します。
 
自分はちょいと疲れており、駆け足や早歩きは自信がなかったので、シークを抜けたら馬に乗ります。
が、馬が遅い!

夕方になると馬も疲れているのか、お腹が空いているのか、アキさんの早歩きよりも馬が遅いw
お兄さんがムチを入れると急に駆け足になり、またダラダラ、ムチ入れて・・・の繰り返しで、なんとか馬に乗った効果を感じられましたw
 
送迎バスは、ほぼ時間通りの運行で宿に戻ります。
この日は夜のライトアップ「ペトラ・バイ・ナイト」にも行くのですが、それはまた別のお話。
 
 
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④ペトラ遺跡・前半/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年09月02日 22時55分07秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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2019年4月29日(月)
 
○ペトラ遺跡を歩き回る
乗馬→エル・ハズネ→プチ脇道→エド・ディル→戻ってランチ


 
この日は同じ宿にいた日本人3名と一緒にペトラ遺跡に行きました。
気づいたこと、良かったこと、グチなど、とりあえずランチまで色々だらだら書きます。
あくまでも2019年GW時点での、私の個人的体験です。
参考程度によろしくです。
 
 
<メンバー>
前日の午後にもペトラに行ったという女性2人組。
ハルさん(仮名)は「旅慣れてますよ」感が強め。
ナツさん(仮名)は英語が堪能。
二人とも気合の入ったカメラを持参。
山用パーカー、ジーパン、トレッキングシューズという装備。
頭からストールをかぶり日焼け対策は万全。
 
昨夜、夕食をともにした男性=アキさん(仮名)
ペラッとした半袖のシャツ、長ズボン、GUの1500円のスニーカー。
どちらかというと大人しそうな、ザ・いい人の空気を出している。
 
そして自分。
ペラい長袖シャツ、無印のリネンワイドパンツ、通販で買った3000円弱のサンダル、頭には昨日買ったカフィーヤ、カバンはウエストポーチのみ。
現金、チケット、パスポート、手ぬぐい、ウェットティッシュ、‪バンドエイド‬、歩き方、スマホをカバンに入れ、首からコンデジをさげ、水1.5リットルは手持ちです。



 
<ルート>
ハルさんとナツさんはエド・ディルまでのメインルートを往復予定。
自分とアキさんはメインルートでエド・ディルまで行き、帰りは途中から犠牲祭壇を通るトレッキングルートに入る予定。
 
こんな4人で出発です。

 
●●遺跡までのアクセス●●
我々の泊まっているバレンタイン・インは、朝夕2便、ペトラへの無料送迎バスがあります。
朝は‪7:00‬と‪8:00‬に宿発。夕は‪17:00‬と‪18:00‬にペトラ発。
 
タクシーだと2.5~3JDってとこだと思います。
(拾う場所や時間帯で変わります)
バレンタイン・インはワディムーサの中でも特に山の上の方にあるので、乗るならとっとと乗ったほうがいいです。
 
●●遺跡のチケット●●
ペトラ遺跡のチケット購入時には、基本的にID(パスポートなど)が必要です。
でも、忘れても「忘れちゃった」って言えば大丈夫。
 
チケットには自分の名前も入ります。
ファーストネームだったりファミリーネームだったり、まちまちです。
 
2~3日券を購入した場合、翌日以降もゲートでIDを見せて、チケットが本人のものか確認をされます。
でも、IDは忘れても「忘れちゃった」って言えば大丈夫。
(チケットは「忘れちゃった」は通用しないはずw)
 
●●トイレ●●
遺跡のゲート、シークの手前、シークを抜けてから凱旋門辺りまでは、ちょいちょいトイレがあります。
凱旋門より先(エド・ディルへの850段の階段)は、あんまり期待しない方がいいです。
でも、エド・ディルまで行くと、またトイレがありました。
使っていないので、中の様子は不明です。
トレッキングコースも稀に売店があるので、もしかしたら簡易トイレがあるかもしれません。
 
●●食事・お店●●
凱旋門のあたりにレストランが2軒あります。
いずれもビュッフェスタイルですが、片方が25JDとかで、もう片方は12JDでした。
屋外にテラス席を設けている方が高いお店です。
自分は12JDの方に行きました。
別途、ペットボトルの水やジュース(そしてビールらしきもの)も売っていました。
トイレももちろんあります。
 
エド・ディルまでの道のりにも、ちょいちょい小さな売店があり、水やジュースを買うことが出来ます。
どこで買っても缶ジュースが2~3JD、水が1~2JDとかで、奥地に行くほど高いってわけでもなかったです。
 
エド・ディルの売店ではアイスクリーム、フレッシュジュース、軽食、お菓子なども売っていました。
 
カードは試していませんが、現金を用意していくことを強くオススメします。
 
エド・ディルまでなら、水分と食料は途中で補給できるので、トレッキングルートに入らないのなら、荷物はあまり重くしない方が楽だと思います。
奥地・僻地に行かれる方は、それなりの準備が必要だと思います。
 
●●エド・ディルからの一筆書きルート●●
エド・ディルの裏手にもマイナーなゲートがあるそうです。
タクシーなどでそちらに周り、エル・ハズネのほうのゲートまで、一方通行で見て回ることも可能だそうです。
その場合、ルートの7割は下り坂になるので、体力的にはかなり楽だと思われます。
 
ただし、自分は試していないので、チケットなども裏のゲートで買えるのかとか、その場合はカードが使えるのかとかは不明です。
興味のある方は、詳細は現地の宿などで確認してみてください。
 
また、逆周りはオススメしません。
ルートが全部登りになりますし、メインのゲートのようにタクシーが待機しているとも限らないので、最悪つぶしが利かない可能性があるので。
 
―――――
 
さて、長くなりましたが出発です。
我々は当然‪7:00‬の無料送迎でペトラを目指します。
 
遺跡のゲートからシークの入り口までは、馬に乗ることが出来ます。
この馬代はチケット代に含まれていると、チケットの裏にもハズキルーペを踏み潰したくなるほどの恐ろしく小さな文字で書かれていますが、そんなルールはどこへやら。馬に乗るには価格交渉が必要です。
 
自分は往路は3JD、復路は2JDで乗れましたが、復路のお兄さんはものすごく不満そうでした。(2JDでOKと言ったくせに、降りる間際になって「やっぱ3JD」とゴネだす)
なので、3JDが相場なのかな?って思いました。
お高いチップと思って割り切ります。
 
ぶっちゃけ余裕で歩ける距離なので、乗らなくてもOKです。
記念に片道だけ乗れればOKという場合は、帰りに乗るほうがオススメです。
自分も疲れているし、道もシークからゲートに向かって上り坂になっているので。
 
なお、ハルさんとナツさんは前日に1人10JD払ったそうです。
午後から行ったことが関係あるのか、交渉が不得手なのかは不明ですが、自分の価格は言わないでおきました。


 
あと、どうでもいいことですが、自分の乗った馬の名前が「タナカ」でしたw
ベドウィンのお兄さんも、ガツガツしておらず陽気な人でラッキー。
私が手に持っていた水1.5リットルも馬のカバンに入れてくれて楽チン。
なのですが、馬を下りた後に回収するのを忘れてしまいました。
9割がた残っていたので勿体なかった。
仕方がないので、シークの手前で1.5リットルを改めて購入。

 
シークの中は早朝とあって日陰が多く、涼しくて気持ちがいい上に、ゆるっと下り坂なので、とっても楽チンです。
 
たまに馬車が来るので、ちょっとだけご注意ください。


 
シークに入った瞬間から、自分とアキさんは「すごーい!」を連発し、写真を撮りまくろうとしますが、前日にも来ているハルさんとナツさんに「こんなもんじゃないから!」「奥はもっとカッコイイから」と先を促されます。
 
道中、道端のロバや、崖の上のポニョ、もとい山羊なども可愛かったです。







上の方に・・・


 
シークの出口付近。
ガイドブックとかで見る景色。
 

 
やっぱり奥地はかっこよかった!
 

そしてエル・ハズネに到着!
8:15頃で、まだ日は当たらず、やわらかいピンク色がキレイです。
 

 
バエるラクダたちが常に待機しているようです。
乗るにはチップがいるみたいですが、写真だけなら無料です。
 
 
みんなでひとしきり写真を撮ったら、先に進みます。
途中でロバやラクダに乗らないか?と、ベドウィンに声をかけられますが、思ったよりしつこくもなく、特に嫌な感じは受けませんでした。
 

なお、ラクダではエド・ディルまでは行けません。


凱旋門のあたりまでは、割りと平坦な道で歩きやすかったです。
くだらない写真を撮ったりしつつ、ダラダラ進みます。

お土産も売ってます。


これ買う人いるの?


これは・・・


こう!ナイス工夫、


ウユニか?




 
凱旋門あたりでは、昔の甲冑風の衣装を着たおじさんと写真を撮れますが、ここはチップが必要です。
時間帯によって衛兵の交代みたいなことをやっており、遭遇できたらラッキー。


 
10:00〜10:30頃、青い柱やモザイクの床を見に、ちょっと回り道。
このルートに乗ると、さっきまでいたステージなどを一望できて、その大きさを実感できました。
また、遊牧しているベドウィンさんもにも遭遇。
 


さっきまでいたステージを見下ろす。


青い柱はエジプトから運んできたとか。
青い色は天然の石の色とのこと。


モザイク。日陰で助かる〜。


 
10:40頃、再び凱旋門のあたりに戻ってきたら、いよいよエド・ディルへのトレッキング始まります。
(これは鬼スローリーなペースだと思います。要所要所でヘンテコ写真撮りまくりです)
 
これまでのゆるっとした道がウソのように、ひたすら登り、ひたすら階段。
たまにロバに乗っている人も見かけますが、乗れたら楽そうだな~というよりも、「怖ッ・・・」って感じです。


 
あと、めっちゃ道狭いところで、ロバに足を踏まれそうになりました!
ホントにギリギリのところでサッ!っと足をよけたのですが、血の気が引きました。
ハルさんには「サンダルで来てるなら覚悟しなきゃ」と言われ、軽くムカつきました。
 
850段あると言われている階段ですが、事前情報で散々「死ぬほど辛い」「心してかかれ」と読んでいたので、そのつもりで行ったら、それほどでもなかったです。
確かにめっちゃ暑いし、めっちゃ登るんですが、写真撮ったりすることも休憩になるし、疲れたら日陰の茶屋で冷たいジュース飲んだりして、急がずに楽しんで登れば大丈夫でした。
でも「楽勝」って思って行ったら辛かったのかも知れません。

のぼってきたなぁ

 
空気もからっとしているので、汗をかいてもすぐに乾きます。
薄手の長袖シャツと麻のワイドパンツというのは、かなり正解だったと思います。風が抜けるので気持ちいい。
 
ニャンコさんに癒される。

 
そんな感じでのんびりとエド・ディルを目指し、到着したのは12:00頃。
ちょっと遅すぎますが、まぁ、仕方ない。


 
エド・ディルは、エル・ハズネに比べると、建物の装飾はかなりシンプルで、意匠を凝らした・・・って感じではないです。
ただ、やっぱり大きさはすごいな~って思ったのと、頑張った末に見るっていう達成感が良かったです。
 

 
エド・ディルでもへんてこ写真をとったり、ジュース飲んだり、超ノンビリ休憩とったり、かなりのダラダラステイ。一時間以上いました。
 
そして13:00過ぎ、復路に突入。
すると、同じ宿に泊まっていた、もう一人の日本人女子に遭遇。
彼女は‪7:00‬の送迎バスを待たず、‪6:00‬過ぎには宿は出発していたのであります。
なぜ今更ここに?と思い話を聞いてみると、先に犠牲祭壇を経由するトレッキングコースを回ってきたが、その中で‪4時‬間迷い、さらに犬に追いかけられ転んだとのこと。膝小僧が血だらけ・・・。
かわいそうすぎる・・・。
あと、ちょっとおバカでもある。なぜ、傷口を洗わない?
皆でササッと彼女の傷口を洗ってバンドエイドを進呈。
あと5~10分くらいでエド・ディルにつけるはずであることを告げて分かれます。
 

復路はかなり楽でした。
日差しは高くなってきているけど、なんやかんや下りって楽だし、往路ほど写真も撮らないので割りとサクサク進みます。
 
凱旋門の辺りまで戻ってきて、みんなでレストランへ。
時間が少し遅かったのか、席は待たずに座れました。
メニューも色々あって、味も良かったと思います。
そして、食べ終わり、ダベリモードに突入し、ちょっと付き合い、なんとか別れを告げることが出来たのが14:30頃でした。
 

脳内プランより‪1時‬間くらい出遅れてます。
ぶっちゃけ、頑張らなくても‪1時‬間は詰められると思います。
(ちなみに自分は普段、運動などはまったくしていません。全力で走ろうとすると脚がもつれ、喉から血の味がします。それくらいの運動不足人間です)
 
出遅れてますが、ここからいよいよ犠牲祭壇を目指します。
予定より押してるけど大丈夫かしら?と少し心配ですが、頑張ります!
 

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③ワディ・ラム→ワディ・ムーサ/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年08月26日 17時38分42秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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2019年4月28日(日)

○ワディ・ラムの砂漠ツアー終了
○ワディ・ムーサに移動
○ちょっくら街歩き
○出会った日本人達との情報交換など


砂漠での日の出を見るべく早起きすると、同ツアーに参加していた日本人も少しして登場。
そして、昨夜の星空鑑賞同様、それ以外の人々は現れず。
日本人が特に空が好きってことなのか?

しかし、高い岩山に囲まれており、日の出は微妙でした。


でも、ピンクに染まる砂漠はキレイ。
砂地にいるのは日の出ラクダツァーの人。


日の出前のテントエリア全景



朝食はビュッフェスタイル。好きなものを好きなだけ。

この日はツアーとかはないので、とっととワディ村の入り口に戻るだけなんだけど、あいかわらず「○時までに出発ですよ~」とかは言わない。
「9:00発のワディ・ムーサ行きのバスに乗れる?」と聞くと、
「大丈夫大丈夫」とのこと。

8:00くらいには出発っぽいことを言ってる人もいましたが、
みんながなんとなく集まり、この後どこに行くのかを申告することで複数の車に振り分けたりして、なんやかんやで8:30頃に出発。

次の目的地はどこでも、みんなワディ村の入り口に行くんじゃないの?と思ってましたが、途中で他の車を見失いました。

自分は北欧のカップルとインドのおじさんと4人で1台。
車がまとまって走っているうちは、隊列の後方だと砂埃がすごかったです。
帽子、ストール、サングラスなどが活躍。


さて、ワディ・ラムからワディ・ムーサ(ペトラ)に行く9:00発の路線バスに間に合うって言ってたけど、村の入り口についたのは9:10で、当然バスはいませんでした。
テント出る時のグダグダ感の時点で嫌な予感はしていましたが、やっぱり…って感じです。

村の入り口まで来たら「バスは9:30」とか言ってる(っぽい)人もいて、完全に煙に巻かれました。

ただ、この日は似たような人が他にもいて、日本人夫婦1組と、オーストリア人の女の子が1人、自分と同じように「ここにいればバス来るのかな?」的な感じで路頭に迷っており、4人で結託してタクシー1台をシェアすることにしました。

ワディ・ラム→ワディ・ムーサの各ホテルに送迎で1人10JDでした。
ヨルダン2日目で世の中の相場もあんまり分かっていなかったからかもしれませんが、納得できる金額でした。


行きと同じ展望台兼土産物屋に寄ります。
こちらでは、けっこう質の良さそうなカフィーヤという男性用のストールがたくさん売っていました。
1枚5JDと言われ、高いな~って思いました。



しかし、後でペトラの近くの土産物屋に行くと、それより小さくてペラいカフィーヤが10JD!

展望台の土産物屋で買えばよかった・・・と思っても後の祭り。
値切って6JDまで値切れたし、自分は荷物を増やしたくなかったので、ペラいのも小さいのも、まぁいいっちゃいいんですけど・・・。
(洗濯するとめっちゃ縮む)

ちなみにカフィーヤの色にも意味があって、ペトラのお土産屋さんは、赤はヨルダン(ベドウィン?)、黒はパレスチナ、緑はシリア、青はレバノンと言っていました。


閑話休題


昼過ぎにはバレンタイン・インに戻ってきました。
改めてチェックインをして、先日とは別の部屋を割り当てられ、荷物を整え、ロビーでボーっとしてたら、宿の子達がおやつくれましたw
シロップたっぷりのあま~いケーキみたいなやつで、日本で食べたら甘すぎるかもですが、砂漠ツアー後にチャイと一緒だと沁みる美味しさです。


バレンタイン・インについてですが、セルフの洗濯はNGです。
宿のお兄さんに聞いたら「いいよ」って言われたので、節水を心がけて、プラスチックバッグに水を溜めて洗濯をし、さて干したいな~って思ってたら、ボスっぽい女性に「セルフ洗濯はダメだよ!部屋で洗濯いsたならお金払って!」と言われました。
しかし「兄さんがOKって言った」「水が貴重なのは理解している」「節水を心がけたよ」と伝えたら、「じゃあいいよ。あそこに干すべし」と指示してくれました。
んで、干してたら宿の姉さんが「こらこらセルフ洗濯は・・・」と始まりかけましたが、ボスがきて「この子のはOK」と、ちゃんと説明してくれました。

また、翌日は3Kgで?JD(金額失念)と言われ、同じ部屋の日本人女性とまとめて出しましたが、それでも3kgにはならず。
しかし「2kgしかないから○JDでいいよ」みたいな感じで、金額を調整してくれました。


洗濯を終えるとヒマになったので、とりあえずペトラ遺跡の入り口まで歩いてみました。

遺跡入り口あたりのお金持ちエリア



地図で見ると2kmくらいあるようでしたが、ずっと下りなので、そんなに苦にならずに歩けてしまいました。
ただし、日差しはめっちゃキツイし、帰りはずっと上り坂です。

で、入り口付近までくると博物館があったので、涼をもとめて入ってみました。
まさかの無料。めっちゃ涼しい。とってもキレイ。
受付のお姉さんも感じがいい。
なお、建築には日本の協力があったみたいです。



遺跡は赤茶の土なのに、出土品は大理石っぽい彫刻が多かったり、モザイクの床を博物館内にそのまま移設(?)してたり、展示物は意外と興味深かったです。
(写真OKでした)


博物館のあとは前述の土産物に寄って、ペラいカフィーヤを購入し、明日からのペトラ探検に備えて体力を温存すべく宿に戻ります。(徒歩でw)


宿に戻ると日本人男子がいました。
この青年と仲良くなり、彼も自分もバレンタイン・インに2泊なので、「1回は町で夕食を食べてみたい」ということになり、夕方に待ち合わせて町へ繰り出します。

歩き方にも載っているというレストランへ。
地元民にも旅行者にも人気の、ペトラ周辺にしてはリーズナブルというレストランは、あと10分遅く着いてたら座れなかったな・・・という混雑振り。

そして、ここでも日本人に遭遇。
到着日に空港で会って、ちょっとお話したイケメンさんでした。
残念ながら入れ違いとなり、挨拶程度でしたが、顔の日焼けがものすごいことになっており、ペトラの日差しを舐めちゃいかんなぁ・・・と予習。

さて、人気のレストランの様子についてですが、満席くらいになってくると、明らかに人出が足りておらず、呼んでもなかなか来て貰えない。料理もなかなか出てこない。基本的に1皿がボリューミー。色んな料理を試そうとすると絶対に食べきれない。などなど、海外レストランあるあるのオンパレード。

レモンミントのジュースは、味はともかく、砕いたミントの葉をジュースに直接入れているので、口の中でモソモソしますw

マクルーバという炊き込みご飯は、最後にヨーグルトソースをかけるのが本当らしいのですが、一緒にいった日本人は「ソースない方が美味しい」とのこと。自分的には、ソースもアリって感じでした。

メニュー


オーダー。いちいち山盛り。



さて、再びバレンタイン・インに話を戻します。
日本人宿と噂の安宿でしたが、2日早く日本を出てきた自分、ヨルダン初日は宿では日本人は自分含めて2名でした。
しかし、それから2日後の今日、確認しただけでも6人は日本人がいました。

でも、自分が思う日本人宿って「宿泊客の半分以上が日本人」みたいなイメージなのですが、ここはせいぜいGWだから多いんだろうな~ってくらいでした。

明日はペトラ遺跡に行きます!楽しみ♪


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②ワディ・ムーサ(ペトラ)からワディ・ラム ツアーに参加/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年08月21日 23時55分07秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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2019年4月27日(土)

○ワディ・ラムのツアーに参加

バレンタイン・インの朝食は4JDで、パン、ピタ?、ゆで卵、ファラフェル、チーズ、ヨーグルト、生野菜、コーヒー、ジュース、チャイなどのバイキングでした。

昨夜に申し込んだワディ・ラムのツアーは40JDで、その中に含まれるものは以下の通り。
・ワディ・ラムでの車
・ガイド
・テント宿泊
・夕食と翌朝の朝食
・飲み水(自分でもペットボトルを持参した方が安心ですが)

40JDに含まれないもの
・ワディ・ラムまでの移動(10JD)
・ランチのお弁当(10JD前後)
・ワディ村への入村料(5JD)※ヨルダンパスがあれば無料
・ツアー後の移動(ペトラに戻ってくるのも自己手配です)

要するに、ランチのお弁当以外、ワディ村の中にいる間はお金はかからないってイメージでよいと思います。
ちなみにお弁当は、ワディ村の入り口で「いる人いる~?」みたいな感じで聞かれますが、誰も頼んでいませんでした。(暑いので腐らないか心配だったし)
皆さん、持参したおやつや、朝食でくすねたパンやゆで卵でしのいでいたようです。


あまり信じすぎちゃダメなポスター

ワディ・ラム行きのバスが7:00に宿を出発すると聞いていましたが、別のツアーの人なども混載のバスで、遅刻をした方がいたため、7:30の出発になりました。

バスの車窓は右の方が景色は良いかも。
ペトラ遺跡の広大さを実感できます。

草原を抜け、遊牧民やテントを眺め、縞々の山並みが見えてきたら、ワディ・ラムに到着まで、もうすぐです。



ワディ村の入り口で各自で受付を済ませます。
ヨルダンパスを持っている人は特に支払はありませんが、持っていない人は入村料として5JDを支払います。
ゲートの周辺にはトイレや土産物屋もあるので、ここでトイレを済ませたり、帰りにお土産を買うこともできます。
砂漠に出てからはトイレには行きませんでした。基本的には汗で全部出ちゃいます。
ただ、有名どころの近くにはトイレがあるっぽいです。
早め早めに相談すれば、道中のテント村とかにも寄ってもらえると思うので、ガマンしないほうが良いと思われます。



参加したツアーは4WDで見所をめぐるもので、車内に乗るか、荷台に乗るかは半分くらい運です。
同じグループの人と、適当に話し合って譲り合って決めてください。

今回のツアーでは、フランス人母子3人組、リトアニア親子4人組、フランス人女性1人、日本人男性1人、自分という10人&ガイドさんという組み合わせでした。

荷台にはリトアニアの4人、フランス母子の兄、自分の合計6人が乗り、車内には他の4人が座席を取りました。

各名所に辿り着いたあとは、各々の実力に合わせて徒歩で攻めます。
(基本的に、有志による岩登りです)
ガイドさんと一緒にゾロゾロって感じではないです。
何時出発とか、滞在時間何分とかも言われないので、気になる時は自分から聞くべしです。

今回は、リトアニアの親子は大きい岩のブリッジ目当てのようで、それ以外はサクサク退散してしまうのですが、自分を含む日本人2名は見られるだけ見たい!行けるとこまで行きたい!という感じで、なんか待たせてる的な空気に・・・

途中のロレンスの家辺りから「ここは何分?」と聞くようにしましたが、ガイドさんが「30分」と言うと、リトアニナ親子は「こんなところに30分も?」的な空気を出しまくってました。


ツアー中(車を降りて行動する時)は、極限まで荷物を減らすのが吉です。
水とかも移動中に飲んでおいて、持ち歩かない方が楽かもしれません。
カメラ、汗拭き、帽子、貴重品くらいで、両手を空けておくのがオススメです。



最初の目的地はロレンスの泉です。



なかなかの岩登りです。
バエる写真を撮りにきたコリアンガールズがヒールつきのトングサンダルで登ってたのは、本当に無謀だと思いました。
そういう自分もサンダルですが、さすがに足首固定です。
日焼け対策と擦りむけ対策のために靴下と併用。
「靴のせいで大変だった」とは感じませんでした。
それよりも両手をフリーにしておくことが大切です。
手を使わないで登ることは、ほぼ不可能だと思うので、気になる方は軍手などをご用意ください。
カメラは首から提げてると岩にガンガンぶつかると思うので、斜め掛けにして背中に回しておくか、カバンにしまうのが吉です。


途中で少し休憩



そして、泉がどこか分からないw
「泉まで○m」とか「泉は→」的な看板もなく、上まで登って路頭に迷う人多数。
自分も写真の木のところまで行って断念しました。
なんせ他の人たちはとっくに諦めて降りてるので…。


上の写真の木が、この写真の岩山の中腹にある木です。

もう一人の日本人が、なんとか探し当てて写真を撮って来てくれましたが、どうやら緑の木から、あと10mくらいで辿り着けてたみたいです。

写真を見せてもらうと、ちょっと岩肌がくりぬかれたような形になっていて、その陰に水溜りがあって、周りに草とかが生えてるって感じでした。
「滾々と湧き出る岩清水」的なものを想像していたので、写真を見せてもらった自分の感想は「ビミョー」って感じでした。
行ってきた本人も「ふ~~んって感じ」とのことでした。
そもそも、その泉が本当にロレンスの泉なのかも確証はありませんw


つづいて砂丘に向かいます。
道中には岩砂漠を背景にしたラクダの群れ(?)なども見られて、異国情緒は満点。
てか、ラクダがいなかったら地球じゃないみたい。




ラクダの鼻の穴は開閉自由というのは本当みたいです。


砂丘到着

砂丘ではスノーボードを持参している方を見かけましたが、普通のスタンスでは全然滑ってませんでした。
それよりも、ソリみたいにまたがってる人のほうが、まだスピードは出てましたね。

ここでも、ガッツリ上まで登って、風に吹かれてマッタリしてたら、ヨーロピアン達が下で待ってる構図に!
カメラを首から提げたまま、猛ダッシュで砂丘を駆け下り、カメラが砂風にまみれ大変なことに。
ズームなどをするたびに、レンズ周りからも、スイッチ周辺からも、ザリザリザリザリッ!っとヤバイ音が聞こえてきます。
焦っても急いでも、カメラの砂対策だけは怠らないでください。



砂丘の次はハザル峡谷です。
ここは壁画で有名な峡谷なのですが、ガイドさんから「ここがハザル峡谷だよ~」的な説明はありませんでした。
てか、ここに限らず場所の名前とか見所とか、一切説明はないので、逐一自分から聞きに行かないとダメです。(もしかしたら車内では説明しているのかも?)

おかげさまで壁画を見落としましたよ・・・。

しかし、ここが一番の大冒険ポイントで、例によって日本人以外は全員早々に退散していましたが、日本人2人は、他の追随を許さないレベルで奥地まで登りつめたので、そのスリルや冒険感はホントに楽しかったです。




登ってきてしまいました。


「おいでよ〜」ってガイドさんが言うてますが、そろそろ降りれるか不安なので自粛。

なお自分のサンダルは3000円くらいの安物で、止め具の部分が金属ではなくプラスチックだったので、岩と岩の隙間に足を入れた際に、部品が破損しました。
が、ベルトを固定する機能としては無問題だったので助かりました。
この旅の靴、本当にこれ一足しかないので。(スリッパ用のビーサンなども無し)


破損したのは右足の前側の部品です。


この後、小さいブリッジに行きました。
リトアニア親子が「これがブリッジか?小さくない?」とぶーぶー言い出し、ガイドさんが「大きいのは後で行くから」となだめる、もとい、そもそもの予定を改めて伝えてました。




小さいブリッジといっても、ブリッジ自体は割りと高い位置にあるので、橋の上ではちょっぴりスリルもあります。


でも、みんなで交代に撮影してるので、自分の番が終わったらダッシュで退避!(をする必要はありません)


ガイドさん休憩


ゲストもチャイをいただく(無料)


そして前述のロレンスの家へ。
ロレンスの家は、車を止めた後、目の前の岸壁の上に行く必要があります。
下から見てるだけだとなんのこっちゃ?ですが、上に上ると賽の河原のように、大量の石積みが見られます。
もはや歴史的な意味とかより、そっちが面白い。


登らないとほとんど見えません。


芸術的!?




そしてようやく大きいブリッジへ。
リトアニア親子、大フィーバーで急に活動的になります。
向こうのインフルエンサーがインスタにでも載せてたんでしょうか?


ヒビ入ってる?



大きい橋なので、当然橋の上まで行くのは大変になりますが、正直、登るよりも降りるほうが大変だったかもしれません。
迫力があって楽しかったです。


その後、謎の溜め池に行き、全員が「なぜここに寄った?」っと、モヤモヤ。



道中では謎のベッド兼Wi-fiスポット?に一瞬寄って、ガイドさんがケータイをいじってました。
Wi-fiスポットはウソかもしれません。(試してない)

さらに「石鹸の草」とか言いながら、その辺に生えてる草を岩でつぶしたものを配ってくれました。
手に刷り込んでから水で流すと、なんとなくスッキリした感じですが、納得いかないなぁ~ってリアクションの人たちもいました。


自分は1.5リットルの水を1本持参していましたが、途中で「水いる?」ってガイドさんが聞いてくれて、ペリッとめくるタイプの蓋付きのカップに入った200ccくらいの水を何度もくれました。
宿でも同じものを置いていて、これは料金に込みのようです。

ただ、数量には限りがあるのと、再栓は出来ない容器なので、やはり自分でも水のボトルは持参した方が絶対にいいです。


色々回って、結構明るいうちにテントに着きました。


ラクダなどに食べられないように、木が守られています。

ここは割りと快適なテントでした。
(比較対象:サハラ砂漠での、男女混合、猫も混合、床に毛布で雑魚寝、シャワー無し、青空トイレだったテント)

ベッド2台が置かれたテント(というか、布で出来た小屋)が複数有り、基本は2名1室。
自分は1人参加のフランス人女性と相部屋でした。
同性の1人客が奇数だと、一人部屋をもらえる可能性もあります。

部屋の中にはベッドのみ。
ゴミ箱も鏡もセイフティボックスもありません。



テントの扉にも鍵とかあったあかな~?ちょっと覚えてないです。
パスポートとサイフだけは肌身離さずで、あとはテキトーでした。

今回のテントエリアはWi-fiなしです。

トイレ、シャワー、洗面台は共用です。
シャワーは時間限定でお湯も出ました。
てか、時間前でもお湯だしてくれました。
シャワー室の床が砂まみれなので、使う前に自分で流したりしました。
虫が死んでるところとかもあったので、気になる方はビーサンがあるといいかも。

蛇口から出る水で歯磨きをしましたが、特に問題なし。
トイレットペーパーも予備も含めて準備されてました。

ドライヤーとか使ってるお馬鹿さんはいませんでした。(てか、すぐ乾くし)
どうしても使いたい人は、ブレーカー問題もあると思うので、事前に聞いてからがいいと思います。


さて、しばし宿でゴロゴロして、混む前にシャワーも済ませてたら、夕日を見に砂漠までお散歩です。


仲良くなった仏親子の弟くんのほう。
わたしの指はおやつじゃないよ?


いざ行かん!


とりあえず跳ぶ。

自分たちのテント村の近くは、結構ラクダの足跡とか多くて「一面に広がる風紋と、それを染める夕日」的な感じではありませんでしたが楽しかったです。


右下の丸いのがラクダです。


風紋、ややのっぺり。


たくさんお花が咲いてました。


夕日に照らされる岩肌はキレイ!


夕食はビュッフェ。
基本的になんでもそこそこ美味しかったです。
メインディッシュは、砂漠に彫った竪穴の中で焼いたチキングリル。









素焼きに近いので胸肉はちょっとパサついてました。
腿肉がオススメです。


砂漠らしく星もキレイでしたが、星を見にきてるのも日本人だけでしたw

明日はワディ・ムーサ(ペトラ)にもどりまーす!



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①アンマン到着→ワディ・ムーサ(ペトラ)着/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年08月20日 23時11分52秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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2019年4月26日(金)

成田でのオーバーブッキングと、予想外のUAE入国を経て、ほぼ定刻でヨルダンのアンマンのクイーン・アリア国際空港に到着しました。

13:00頃、空港に到着し、入国はそこそこにサクサク。
荷物も預けていなかったので、ガンガン進みます。

荷物のターンテーブル辺りのATMは手数料が高いと聞いていたので、まずはEXITへ。

お出迎えエリアには有人の両替所と、ATMがありました。
自分はATMで490JDをおろしたかったのですが(細かいお札も出るように)、
上限が250JDだったので、250JDを引き出します。

250JD=¥32,388+両替手数料¥495+ATM使用料¥216

ちょっとレートが良すぎて怖いです。
有人で両替した人は約\165~170/JDだったと言っていました。
(170JDは高すぎる気がするのですが・・・)

ここまでで小一時間

14:00の空港バスがあるとのことで、ちょいダッシュ。
建屋を出ると黒い小さな小屋があり、そこがチケット売り場です。
「7thサークルまで!」と伝え、3.3JDでチケットを購入。
普通に「セブン」で伝わります。

14:04、バス出発。

隣の人に「7thサークルについたら教えて」というと、
「自分も7thサークルで降りるから安心して」とのこと。
ラッキー。

途中でちょっと故障?でゴタゴタしましたが、
14:30過ぎ、無事に7thサークルに到着。
(実際には交差点から少し離れたところ)

バスを降りたところには数台のタクシーが停まっています。
自分はムジャンマ・ジャヌーブ(南のバスターミナル)に行きたかったので値段を聞くと「8JD」とのこと。高くないか?
そのタクシーを断って、25mほど交差点方面に歩いて流しのタクシーに値段を聞いてみると「メーター使うよ」とのこと。信じて乗ってみる。

15:00頃、ムジャンマ・ジャヌーブに到着。4JD弱でした。

さて、自分はこの後ペトラ方面に行きたいのですが、この日は金曜日なのでバスないかもな~って思ってました。
行ってみると、予想通りにバスはありませんでした。
ですが、予想通りにシェアタクシーがいました。
しかもラッキーなことに、すでに2人集まっています。
(3人乗せて出発なので、待ち時間ゼロ)

タクシーの先客はローカルの若者と、リトアニアのおばちゃまでした。
おばちゃま曰く「一人35JDよ」とのこと。
値段交渉したんかいな?と、少し怪しい金額ですが、ここで自分が「30JDなら乗る」とか言い出すと、「私も」「俺も」とかなっても面倒くさいので即決で乗りました。
もしかしたらローカルさんはすでに少し安い金額なんじゃないか?なんて気もしますが・・・

15:10頃にムジャンマ・ジャヌーブを出発し、18:30頃にワディ・ムーサ(ペトラ)
に到着しました。

道中ではドライバーさんたちのお祈り休憩を挟んだり、2度も警察に止められ、自分やリトアニアのおばちゃまもIDを提出したり(バスのチェックなどは成人男性のみのことが多い。外国人対応は不明)、ドライバーさんがサンドイッチ的なものをご馳走してくれたりしました。(ドライバーさんからの差し入れ現象はヨルダンあるある)

予約していた宿のアラビア語の住所を見せておいたので、宿の前まで連れてってもらえたのもタクシーならではで助かりました。

自分は歩き方にはレストランとして紹介されていたバレンタイン・インに宿泊しました。
日本人宿という噂もありましたが、この日は日本人は自分を含めて2人だけでした。

ここで翌日のワディ・ラムのツアーを申し込みました。
40JDとのことでしたが、宿からワディ・ラムまでの移動は別途10JDです。
そして、ワディ・ラム解散なので、次の場所への移動も、ここへ戻ってくるのにも、別料金がかかります。



夕食の評判の良い宿でしたが、7JDの夕食は、たしかにとっても良かったです。
アンマンの街中なら2JDで大きなサンドイッチとかピタとか買えちゃうので、満腹になるってことだけを目的とすると、高いと感じるかもしれません。
でも、7JDで20~30種類の惣菜やスープと、焼きたてのケバブや野菜串を食べ放題で、味も良かったので、個人的には気に入りました。
フロントでは別料金でビールやワインも売っていました。
(数量には限りがあります)


個室やドミなど、部屋のタイプは複数あり、ドミは3部屋ありました。
二段ベッドが多い部屋、1段ベッドがメインの部屋など、色々です。
各部屋にトイレ兼シャワーがついています。
仕切りはアコーディオンカーテンなので、ちょっと音が気になるかも。
水はけが悪かったのですが、その旨を伝えると、すぐに排水溝のゴミを取り除いてくれました。

明日はワディ・ラムに向かいます。





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⓪エティハドのオーバーブッキングの顛末/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年08月16日 20時35分50秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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2019年のGWは天皇交代の影響で10連休でしたね。

自分は毎年GW近辺には無遠慮に有給をつけまっくって、いつも10~12連休にしていたので、そんなに特別感はなかったのですが、やはり世の中的には特別なことだったようです。

2019のGWは、カレンダー上では4月27日(土)からでしたが、前後に色をつける人たちも多数いたようで、25日(木)の夜便で日本脱出予定だった自分はてんやわんやでした。

さかのぼること約半年。2018年のうちに、今年のGWの航空券を手配しておりました。
(10連休が決定する前ですね)

行き先はヨルダン。
UAEのアブダビ乗り継ぎで、エティハドを押さえていました。
エティハドでは10時間待ちなうえに、夜着昼前出というスケジュールなので、アブダビ観光も厳しいスケジュールでしたが、まぁいっか・・・と。

前々日にはウェブチェックインも済ませて、会社を早退し、ウキウキで成田に向かいますと、カウンターで別便での振替を打診されました。

バッサリとお断りをして、登場口に向かいます。
しかし、「みんな困っているなら・・・」と思い、話を聞いてみると
・エミレーツに振替
・エミレーツはドバイ着だけど、リムジンでアブダビまで送ります
・乗り継ぎ便には間に合います
・300ドル分のエティハドポイントを申請
とのことなので、人助けのつもりで承諾。

というわけで、人助けに非協力的な人々が悠々と登場口に吸い込まれるのを横目に、ポツネンと成田に居残り。

え?
いや、別便に振替なのはいいけど、振替の搭乗券をもらう前に、本来の便が飛び立っちゃうのって怖いよ~~。

そのまま20分ほど放置され、とりあえずチェックインカウンターに戻ることに。

来た道をもどり、裏道(?)を通り、無人の税関などを逆走し、「出国取消」なる判子をもらい、帰って来ましたよ。日本に。チェックインカウンターに。

なんかゴタゴタしてるみたいで、「19:00にはご用意できると思うので」とのこと。
とりま、暇つぶしとして頂いたミールクーポン1000円分に小銭を足して、ひつまむしを食べます。
出国前に、こんなに贅沢な食事をしたのは初めて。
しかし、どの便に振替かはっきり言われておらず、やはり地味に不安で、味も薄く感じます。

果たして19:00にカウンターに向かうも、まだゴタゴタしており、さらに30分ほど待たされます。
そして言われたのは
「エミレーツの機体に座席故障があり、予定していた人数は乗れなさそうです」
「翌日便に振替でしたら現金300ドルで保証させていただきます」

は?

ここはさすがに譲れないので
「そうなんですね~。大変ですね~。でも私は乗りますからよろしく」
と、動かざること山の如しな姿勢を見せつけます。性格悪いかな?

自分の場合、アンマンについたその日のうちにペトラへ移動。そして翌日にはワディラムへ移動という、出だしから分刻み、秒刻みならぬ、日刻みのスケジュールゆえ、ありえない。

あと、300ドルって少なすぎない?

自分はなんとか乗せてもらえたけど、最低でも3人は日本人女性が乗れてなかったのは見た。
しかも、話を聞いてる感じだと、今夜の成田近辺での宿泊や、一度自宅へ戻る際の交通費やらは保証がない感じで、300ドルで「ゴメンネ」&「各種必要経費」の両方を賄ってるつもりらしい。ありえん。


乗れることが決まったあともバッタバタで、エティハドの係りの人と一緒にエミレーツの乗り場まで大移動。(ターミナルが違うので)
その際に、色々とこぼれ話。

エミレーツとエティハドはいずれもUAEの航空会社だが、社風には違いがあり。
ざっくり言うとエミレーツの方がどっしり構えてて、エティハドの方がカツカツしてる。

満席で飛ばしたいのは当然だが、なんやかんやでキャンセルは出るので、エティハドは300人乗れる機体なら7~8人は余分に予約を取っているとのこと。
(エミレーツは人数は不明だが、おそらく半分程度ではないかと・・・)
そして、「オーバーブッキング、ヤバし!」ってなったときも、いつもは最悪エミレーツさんに助けてもらえてた。
が、UAE乗継となると遠方に行く便が多いので、10連休の2019年は利用者増大!
とくにGW前倒しの利用者が多くなり、2019年のGWの出国は25~26日がもっとも混雑していたそう。
なにぶん初めてのことゆえ、エティハドでも混雑具合を読みきれず、頼みのエミレーツさんもカッツカツだったそうな。

って、いや、知らないし。そっちの都合だし。攻めすぎでしょ。
って思ったけど言わない。



そんなわけで、エミレーツにはなんとか乗れて、無事(?)出国できました。

入国の予定のなかったUAEのスタンプをもらい、未明のドバイから早朝のアブダビまで、朝焼けを眺めながらメルセデスでドライブ。
乗り継ぎのエティハドにも間に合った。


いずこへ・・・


予定外の入国


お出迎え


窓越しブルジュ・ハリファ?ファリハ?


お金の単位も知らぬ国に来てしもたが、見せてもらった。


いつか行きたい。


実は乗り継ぎもグダグダした。


窓側最高!








到着




けど、もらった300ドル分のポイントは使えなさそう。
有効期限は1年だし、狙ってたコーカサス方面のチケットは、エティハドで直接取るより、代理店を経由した方が4万くらい安いので、300ポイント使う意味ないし、グレードアップとかも、直接購入じゃないとできないみたいだし。
現金で200ドルとか、マイルプレゼントの方がよっぽどありがたいな~。

帰りの便もエティハドで取ってたのだけど、スマホからだとウェブチェックインできなくて焦った・・・。
ラマダンの開始日と出国日が重なってたので、かなり早めに空港に行き、ちゃんと帰国便には乗れましたw


なお、エミレーツは個人的には大好きで、その点は快適でラッキーだったけど、エミレーツから極悪な対応を仕掛けられた友人もいたりします。
(エミレーツの都合で便が変更になったのに、フライトチェンジってことで5万の請求がきたそうな。んなアホな!ってことでキャンセルしようとしても、キャンセル手数料を請求される始末。結局、代理店に交渉してもらって事なきを得たそうですが)


どっちがいいとかって話より、好みと運の問題なのかも・・・



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シェイフ・フセイン・ボーダー(Sheikh Hussein Border)ヨルダン・リバー・ボーダー(Jordan River Border)越境

2019年08月01日 21時19分47秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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2019年GWにヨルダン&パレスチナ(イスラエル)に行ってきました。


その際のヨルダン~イスラエルの陸路国境越えでは、
ヨルダン→イスラエル→ヨルダン
という出入りをしました。

使ったのは、ヨルダン~イスラエル間にある3っつの国境のなかで、一番北にある国境です。
ヨルダン名が「シェイフ・フセイン・ボーダー(Sheikh Hussein Border)」
イスラエル名が「ヨルダン・リバー・ボーダー(Jordan River Border)」です
(以下、「ボーダー」は省略)




双方の首都からもっとも近い非正規国境のアレンビー/キング・フセインよりも、ずっとマイナーな存在です。
南にある紅海沿いのアカバ/エイラットのようなリゾート感もありません。

一体だれが、この地味な国境の情報を必要としているのかは分かりませんが、自分のような変わり者のために、2019年5月時点での情報を残しておきます。


●目的
自分はヨルダンからパレスチナに行きたくて、まずはイスラエル入りをしました。
パレスチナ内の目的地はジェニン(Jenin)とナブルス(Nablus)です。
本当はヘブロン(Hebron)に再訪したかったのですが諦めました。

●なぜキング・フセインではなく、シェイフ・フセインを選んだのか
キング・フセイン/アレンビーは非正規の国境です。
そのためか、シャバット(ユダヤ教の安息日・金曜の午後から土曜日丸1日)は閉鎖されるとのことです。
自分は水曜にヨルダンを出国し、金曜にヨルダンに戻る予定でした。
アレンビーの時間縛りのせいでパレスチナでゆっくり出来ないのはイヤなので、
シェイフ・フセインを選びました。

また、本当は「アレンビーから出国してシェイフ・フセインから戻る」とか
「シェイフ・フセインから出国してアレンビーで戻る」という一筆書きのルートにしたかったのですが、それをやると、最悪帰れなくなるらしいのでやめました。

たとえばシェイフ・フセインから正しくイスラエルに入国し、アレンビーから非正規でヨルダンに戻ると、パスポート上ではずっとイスラエルにいることになるため、いざ別の国境からヨルダンを出ようとした時に、つじつまが合わなくなってしまい、出国させてもらえない可能性があるそうです。

また、アレンビーから非正規でイスラエルに入り、その後で別の国境からイスラエルを出国しようとした場合(第三国への移動、または、シェイフ・フセインやアカバなどの陸路でヨルダンに戻る)にも、「イスラエルに来ていない人が、イスラエルを出ようとしている」ということになってしまい、出国できない可能性があるそうです。

なので、「アレンビーは必ず往復で利用する」が鉄則かと思われます。
(時間たっぷりの旅なら、あえて試してみたいところですが・・・)


●●ヨルダン→イスラエル●●
まずはシェイフ・フセインからのヨルダン出国について
シェイフ・フセインには、基本的には(専用の?)タクシーでしかアクセスできません。(あと物流関係のトラック)
イミグレの建物まで行くバスなどもないです。
一般車両はNGなので、レンタカーとかでも越えられないはず。
(ヨルダン人でも知らない人がいました)


2019年5月1日(水)

◆アンマン旧市街→ムジャンマ・シャマーリー
シェアタクシー/2JD

8:30前にアンマン旧市街でタクシーを捕まえ、アンマンの北側にあるムジャンマ・シャマーリーというバス停へ。
この時のタクシーは先客アリの乗り合いイエロータクシーで、メーターを使ってくれてました。
ムジャンマ・シャマーリーについた時点で2.3JDくらいでしたが、端数は切り捨てて2JDでOKとのこと。(良心的)

◆ムジャンマ・シャマーリー→イルビット
1.5JD/ローカルバス

8:40発のイルビット行きのバスがあったので、それに乗りました。
道中、1回だけ警察のチェックがありました。



警官がバス車内に乗り込んできて、大人の男性のみ身分証を提出していました。
外国人風の人がいなかったので、男性旅行者も対象になるのかは不明です。


10:00頃、イルビットに到着。



シェイフ・フセイン・ボーダーに行きたい旨を伝え、乗るべきバスを教えてもらいます。
ドライバーにも、乗客(ドライバーの友人?)にも聞いて、Wチェックしての乗車。
1.5JDとのこと。



シリア方面に近づいているような看板と、


軍っぽい施設なども見えて、


もうしばらく行ったあたりのゲートっぽいところで「ここだよ」って言ってる(っぽい)。
10:50前、自分的には「ちょっと早すぎないか?」「まだ北にしか向かってないような?」(地図だと、北→西→ちょい南っぽいルートを想定していたので)などの疑問もありつつ、「ここだよ」って言ってる(っぽい)ので降ります。

ゲート???


このゲートの奥にあるのか?
ってことで、とりあえず歩く。歩く。歩く。

なんか違う。
雰囲気はちょっと埠頭とかに近い感じ。

かなりキレイで大き目の建物があったので
「ここがイミグレじゃないなら、もう誰かに何か聞こう!」と決意。



そして、全然違うことが判明orz

このビルのセキュリティ・スタッフのようなおじちゃん(ズィヤードさん)が、タクシーくらいの価格で送ってくれるとのこと。(仕事中なのでは?)

別のセキュリティ・スタッフさんや、アジア系の社員ぽい2人組などもその場にいて「それってグッド・プライス?」などと聞いてくれたので、ボラれたりはしていないはず。
ってことで、35JDで妥結して、お願いすることに。

道中ではシリア難民のキャンプに遭遇したりして、国境に近いことをヒシヒシと感じました。
写真を撮るために車を止めてくれたけど、止める前に
「キャンプの中には絶対に入らないでね。危ないからね!」
って口がスッパムーチョになるほど念入りに言われました。











また、この日は2019年5月1日だったのですが、旅行中はカレンダーの概念を喪失してしまう自分なので、ズィヤードさんから「ジャパンのエンペラー、変わったよね?」って聞かれて初めて令和になったことを認識しました。

ヨルダン国王への褒め言葉と、アサドへの悪口をひとしきり聞かされた後、
「ジャパンの前エンペラーはどうよ?」と聞かれ、てっきり昭和天皇のことかと思い、「戦争責任とかあるし、さてどう答えるべきか・・・」とひとしきり悩んだが、この時点での前エンペラーって現上皇、つまり平成の天皇ということになるわけで、ホントに令和ボケでした。

ペトラは南側なのに(笑)


肥沃な三日月地帯的風景



12:55頃、ヨルダン川手前の橋に到着。


ズィヤードさんはイミグレまで連れてってくれるつもりだったのですが、前述の通り一般車両ではアクセスできないので、まずはヨルダン川の手前で降ろしてもらいました。

海抜マイナスなので、ペットボトルが潰れます。



◆ヨルダン川手前→シェイフ・フセイン・ボーダー
1.5JD/タクシー

ヨルダン川にかかる橋のたもとには元締め的な兄ちゃんがいます。
彼にお金を払ってチケットをもらい、タクシーが来たらドライバーにチケットを渡して乗る。
というシステムでした。
(町から乗ってきたタクシーで、そのままイミグレまでいけるのか、ここで元締め的な兄ちゃんが仕切ってるタクシーに乗り換える必要があるのかは不明です)

タクシーを待つ人々


基本的には1グループ1台です。
街中みたいなタクシーのシェアは基本NGみたいでした。
でも、タクシーがなかなか来なかったので、頼んだらシェアさせてくれました。
ただし、チケットは没収なので、安くなるわけではありません。



ってことで、13:10頃に出発

タクシーに乗り込んだら、パスポートを運転手さんに渡します。
橋からイミグレまでの間に、パスポートチェックが2回あります。
2回通過したあと、運転手さんがパスポートを返してくれます。




13:15頃、イミグレ関連の施設に到着

まずは荷物チェック。
荷物チェック完了後、また同じタクシー(待っててくれます)に乗って移動。

◆ヨルダンの出国税/10JD

免税店の辺りで降ろしてくれます。(タクシーとはここでさよなら)

いちを免税店



免税店に向かって右奥の建物がイミグレの窓口。


(てか、撮ってて大丈夫なのか?)


出国税10JDを支払い、スタンプを押されだ!!
うそでしょ!?
押されないっていうブログを鵜呑みにして、何も言わずにいたら
ス タ ン プ を 押 さ れ た ! !

慌ててイミグレのスタッフに
「ちょ、待てよ!」と抗議するも
「イスラエルのスタンプじゃないから大丈夫」
ってニコニコしながら言われたけど、スタンプってボーダーの名前も入ってるよね?
ってことは、ここからはもうイスラエルにしか入れないわけですよね?
あーもー!
大丈夫なのかもしれんけど、やっぱ心配。
やばそうな国に行く時は、空路じゃなくて陸路で、つぶしが利くようなプランで挑まねば。
この時点で13:20です。




4/26のスタンプはクイーン・アリアから空路で入国のスタンプ。
5/1のが、今押されたシェイフ・フセインの陸路出国です。
アラビア語分からないけど、
「JVB」ってのが「シェイフフセインブリッジ」の略じゃないよね?
(スペルならSHBだし)


◆国境またぎのバス/3JD

その後、国境越えのバスチケットを3JDで購入。
自分は現金で購入したので、カード使えるのかとかは不明です。






大きい荷物は車体下部のトランクへ。
(自分の約50x30x25cmくらいのバックパックは、車内に持ち込めました)



13:45 バス出発。
そして、即停車。

車内で出国税の領収書(?)千切られるので、仕舞いこんでると大変です。


こーきて

こう!



すぐにイスラエルの国旗が見えてきて、バスの車体を入念にチェック。
車体の下は探知機と思いきや、鏡でチェックしてしました。
そんな感じで、バスは遅々として進まず(笑)


(撮ってていいのかなぁ?)


14:00 ようやく本気で走り出す。
そして10秒で到着。

多分ほぼ全員が「歩いて行っちゃダメなの?」ってモヤモヤする距離感です。


◆イスラエルに入国

イスラエルのイミグレ(ヨルダン・リバー・ボーダー)では、
まずパスポートをあずけます。
その後、荷物チェックへ進みます。
パスポートは、預けたのとは別のとこから返却されます。

あちこちのカウンターで結構色々聞かれます。
おじいちゃんの名前とか聞いてどうするんだろう?って感じですが、質問は3箇所くらいで行われ、内容がダブってる部分も多いので、ちゃんと同じ事を答えているか確認・・・しているとも思えず、もっと単純に「言い淀んだりしていないあか?」の確認なのかも?

14:18にめでたく入国できました。

※この後はしばらくイスラエル~パレスチナの移動について書きます。
イスラエルからヨルダンへの国境越えについては、スクロールして探してください。

さて、この旅の自分の最初の目的地はパレスチナのジェニンという町です。
ヨルダンの歩き方の地図に載ってるパレスチナの都市名が、エルサレムとジェニンの2つだけだったので、「なんかあるだろう」ってことで、ジェニン行きを決めました。

理想のルートは
国境↓
ベト・シェアン(Beit She'an)またはアフラ(Afula)までバス↓
バス乗り継いでジェラマ(Jalamah)のチェックポイント↓
なんかテキトーにジェニン(Jenin)へ到着!
って感じでした。

が、さすがの地味国境、国境にバスとかなかったですorz
それどころか、自分が見たときはタクシーも1台しかいませんでした。
(エルサレムに行きたくて路頭に迷ってる白人男性も見かけました)

このタクシーのおじちゃんが、てんで英語がダメ。
自分は英語が中1の1学期レベルなのですが、久々に自分より英語話せない人に出会いました。
仕方がないのでイミグレでたむろしてるおじちゃんたちも巻き込んで、なんとかやり取り。

そして400NISという高額を提示された。(1NISが35円くらいかな)
当然「はぁ? 30~40kmだよ。なんでそんな高いの!?」
って色々聞いてみるのだが、

・ここから町までのバスなんてない
・町までタクシーで行っても、町からチェックポイントまでのバスなんてない
・車の事故があったからジェラマのチェックポイントには行けないよ
・ゆえにジェラマのチェックポイントは今日は閉まってるよ
・パレスチナには大回りして、西側のチェックポイントからしかアクセスできないよ
・西側のチェックポイントまでは、めっちゃ大回りだよ
・だから400NISするよ

的なことを言っておる。
こっちが「ジェラマのチェックポイントに行けるとこまで近づいてくれたら、あとは歩くから」
と言っても、ムリムリの一点張り。
タクシーはこれ1台。
仕方がないし、時間ももったいないので、350まで値切って妥結。

なお、上記説明のどこまで本当か分かりませんが、
後 半 は 全 部 ウ ソ で す !!

手元に300NISほどあったので「今回の2泊3日は両替不要かも~」って思ってましたが、そうも言ってられません。
が、ヨルダン・リバーのイミグレ内のATMでは、何故かキャッシングが出来ませんでした。
(楽天のマスターとイオンのVISAでトライ)
しゃーないので道中のベト・シェアンでATMに寄ってもらいました。

そして、ジェラマのチェックポイントに到着。
ジェラマのチェックポイントに到着?
行けないって言ってたジェラマのチェックポイントに到着?
大回りするって言ってたのにジェラマのチェックポイントに到着!
350NISで妥結したのにジェラマのチェックポイントに到着!?
地図まで見ながらルート確認したのにジェラマのチェックポイントに到着!?

しつこくてスミマセン。

ここで交渉するべきだったのかもしれませんが、
すでにお金おろした後だし、
イミグレでのやりとりで疲れたし、
ドライバーさん英語さっぱりだし、
350NIS払っちゃいましたよ。

てか、この時はまだ
「自分の英語力が足りないせいかな?」
「本当はもともとジェラマまでで350って言ってたのかも?」
とか、自分にも非がある可能性を薄ぼんやり想定しておりました。

が、2日後にガチ切れします。
全く同じ距離を別のタクシーで120NISで行けました。

行きがユダヤ人、戻りがパレスチナ人なので、ベースとなる物価が違うとかあるのかもしれませんが、タクシーを拾ったのはどちらもチェックポイントの外側ですし、英語分からないのもフリだったんじゃないかとさえ思えてきます。

とにかくボラれました。
しかし、異国でここまでボラれた(ことに気づいてる)のが初めてだったので、なんかちょっと「やっと旅人の仲間入り?」みたいな感じで、テンション上がってる自分もいますw



でも、このベンツもこーやってボッタ金で買ったのかと思うと憎たらしい。
てか、この笑顔が憎たらしいw


こうして無事(?)ジェラマのチェックポイントに到着。



あ、チェックポイントというのは、ザックリ言うとイスラエルとパレスチナの間にある国境みたいなやつです。
場所により、その通行の面倒くささはマチマチで、バスに乗ったまま係員が車内に来てチェックするだけのところもあるし、ノーチェックだけど夜中は閉まる鉄格子とかもあります。
また、場所によってはイスラエル~パレスチナ間をチェックポイントを回避して移動できるルートもあるそう。(壁が完成したらなくなるかも?)


◆ジェラマのチェックポイント通過
イスラエル→パレスチナ

んで、ジェラマのチェックポイントは警戒度マックスのめっちゃ本格的なところでした。
建物内ではパスポートの提出もあり、空中にはむき出しの通路があって、そこをアサルトライフル的なものを持ったスタッフがウロウロしながら、こちらに目を光らせています。

他のチェックポイントでは普通に写真とか撮れてたので、ここでも外の通路で写真を撮っていたら、それもNGだったらしく、全てのゲートが施錠され、2分程度ですが完全閉鎖を引き起こしてしまいましたorz
ただ、ここで一瞬閉じ込めにあったパレスチナ人の皆さんは、私が原因と分かった上でも、だれも怒ってる感じはなく、そこはホッとしました。
普段から色んな理不尽が多すぎて、これくらいじゃ頭にこないのかも?

とにかく、ジェラマのチェックポイントは「国境と同じ」という心構えが必要でした。
地元民さんゴメンナサイ。

自分自身は、いかめしい監視員さんに「なんで写真撮ったの」と聞かれ、
「ダメって知らなかった」「日本にこーゆーのないから珍しくて」とか言って、撮った写真を削除して開放されました。
バカな観光客くらいに思われてるんだと思います。

これにて無事パレスチナ入り。
パレスチナ内のジェニン&ナブルスの観光は割愛します。


●●イスラエル→ヨルダン●●

そして2日後。2019年5月3日(金)
この日はパレスチナのナブルスからヨルダンに戻ります。

シェイフ・フセイン/ヨルダン・リバーを選んだことの理由の1つに
「キング・フセイン/アレンビーは金曜の夕方から土曜は閉まる」
というのがありました。(ユダヤの安息日に由来します)
金曜にパレスチナでゆっくりしたいのもあって、年中無休のシェイフ・フセインを選んでいたわけです。
ところがジェラマのチェックポイントも金曜の14:30から閉鎖されるとのこと!

ジェラマのチェックポイント
金 曜 の 14 : 30 か ら 閉 鎖
(他のチェックポイントでも、そういう場所があるかも?)

本当は、木曜午後と金曜午前で観光したかったナブルスですが、ここで下手をこくと、最悪ヨルダンに戻れるのが日曜になりかねない!?
仕方がないので、金曜午前の観光は諦め、けっきょく朝から移動開始です。
なんのためにシェイフ・フセインにしたのか・・・。
(マイナー好きってのも大きな理由ですが)

8:00 ナブルスの宿出発

安息日らしく、ゴーストタウン状態のナブルス。







8:20 セルビスのムジャンマ着(ちょっと分かりにくい)



◆ナブルス→ジェニン 15NIS/セルビス
(通常はバスで10NIS)

金曜はイスラム教の安息日でしたが、大きなバスは走ってなくても、小型のセルビスが運行していました。
ターミナルの売店も開いているところがありました。

8:40 7人の乗客(満席)で出発
9:30 ジェニン着(やはり通常のバスよりは早い)

◆ジェニン→ジェラマのチェックポイント
11NIS/タクシー



ナブルスからのセルビスが着いた場所がタクシーのターミナルもかねていますが、車はあってもドライバー不在。それが安息日。
セルビス待ちの人はいましたが、チェックポイント行きのセルビスはなくタクシーで行くことに。

セルビス待ちの兄さんたちに聞くと、ちょっと歩いたところに別のタクシーターミナルがあり、そこから12NISでチェックポイントに行けるとのこと。
が、その「ちょっと歩いたところのタクシーターミナル」が分からずまごまごしていたら、キレイなお姉さんが通りがかり、なんやかんやでウーバー的な感じで黄色いタクシーをここまで呼び出してくれて、11NISでチェックポイントという話までつけてくれました。
来る時は4人でシェアタクシーで、まわり道してって感じで5NISだったので、悪くないお値段かと思われます。

9:48 ジェニン発
9:55 チェックポイント着

とんとん拍子すぎて拍子抜けですが、帰れないよりずっとマシです。


◆ジェラマのチェックポイントを出る

タクシーを降り、チェックポイントの建物に入ります。
行きはパスポートを見せて、その場で返されました。
しかし、帰りはパスポートを預けたあと、なかなか返却されず、他の越境仲間(おっさんばっかw)と一緒に小部屋に押し込まれ、全員がスマホやカメラなどの小型電子機器を提出させられ、そのまましばし待機。
その後、いっせいにスマホもパスポートも返却されました。
(取り違えとかないのか心配・・・)

10:12 チェックポイント通過完了!です。


◆ジェラマのチェックポイント→ヨルダン・リバー・ボーダー
120NIS/タクシー

チェック・ポイントを抜けると数台のタクシーがいたので、適当に声をかける。
狙ったわけでもないけどアラブ系のドライバーさん。

国境まで頼んでみたが、最初は
「国境までは無理。ベト・シェアンまでなら行ける」
というので、それで妥結。
ベト・シェアンから国境までは4kmくらいなので、時間的には無問題だし、ちょっと歩いてみたい気持ちもあったし。

しかし、どういう心境の変化か、走り出してから
「やっぱり国境まで行こうか?」という新たな提案が。
「NISの余りがないんだよね」
「JDでもいいよ」
「JDだといくら?」と、交渉スタート。
しかし、なんとなくJDはキープしたくて、
「ベト・シェアン通過する時にATM寄ってよ。NISで払うから」
「OK」
ってことで120NISになりました。


10:50 楽しくおしゃべりなどしていたら、直接国境に行きやがられましたよ。
あーもー!
こーゆーウッカリが地味にめんどくさいんだよぅ。
イミグレのATMは使えないんだよ、私は!

そしてドライバーさんはイミグレの建物には入れず(?)

自分がイミグレの敷地に入る際に、胸にシールを貼られるのですが、
「両替してタクシーにお金払うから、一旦戻ってくる」的なことを伝えると、旨のシールに何か書かれた。きっと事前に伝えておいてよかったんだと思う。

有人の窓口では、楽天のマスターでキャッシングできた。
けど、きっと普通にATMでやるよりレート悪いんだろうな~。
(てか、帰国後に確認したら、どうにも納得いかない金額になってた・・・)

で、このお金を手にイミグレの外に戻る。
これ完全に逃げ切れる状況なので、同じ状況で戻らない輩とかいるだろうな~って思う。
実際、お金持ってったらドライバーさん、めっちゃ不安そうからの安心~!な表情の変化見られて興味深かったです。


◆イスラエルの出国税 カードで払って3,732円

◆国境バス 値段失念(小額でした)

11:05 もう一度イミグレに戻って、今度こそ出国です。
建物内の改札口みたいなゲートの手前、右手側に有人のカウンターがあり、そこで出国税を払います。
(両替とかもここで出来る)

米ドルや現金でもOKですが、自分はカードで払いました。
帰国後に確認すると3,732円
101NIS+手数料5NISらしいので、これは金額的にも違和感なし。

※キング・フセインは非正規国境とのことで、倍近く取られるそうです。国境バスも高いはず。


パスポートと出国税の領収書を持って、改札口みたいなゲートを通り、次のカウンターでサクッと判子をもらって終了。
入国にくらべると陸路出国はザルでした。

※なお、半年前の空路イスラエル入出国では、入国がザルで出国は七面倒くさかったです。


で、出国はザルでしたが、バスがなかなか来ない。

閑散とした免税店をうろつき、のんびりとトイレに行き、
あとはボーーーーーッと座って待つのみ。
その間にバスのチケットを予め買えたのかもしれませんが、すっかり失念しておりました。
でも、乗る時に現金支払もOKです。
金額失念ですが、チャラッとした小銭で払えました。

そして10秒の乗車を経て、ヨルダン側のシェイフ・フセインのイミグレに到着。


◆ヨルダンの入国税(ビザ)
日本人は無料

ビザ免除の日本人は無料ですが、仲良くなったパレスチオ人は5JDだか10JDだかを払ってました。
海外のお友達と一緒にご旅行の際はお気をつけくださいませ。

そして、あいかわらず入国スタンプをくらいました。

12:00 そんなこんなでヨルダン入国


◆シェイフ・フセイン→イルビット
5JD/シェア・タクシー

イミグレの建物を出ると、屋根つきのベンチがあります。
みんなタクシーや迎えの車で、どんどん立ち去っていきます。
いかにもバスとか来そうな雰囲気ですが、こないのかも・・・
無意味に数分待ってしもうた。

イミグレの建物に向かって左側にタクシー会社の小さい事務所があったので、そこに行くと、自分と前述のパレスチナ人のほかに、男性2人組もいて、4人でタクシーをシェアすることに。

事務書のボスと、あと一人しかおらず、その方が運転手さんだったので、もう少し乗りたい人が多かったら、相当待つことになってたのかも?

1人5JDと言われ、カードはダメ、お釣りもダメと言われ、札しかなかった自分が絶望していたら、パレスチナ人が驕ってくれました。ありがとう。

12:20 シェイフ・フセイン・ボーダーを出発
行きと同様、タクシーに乗り込んだらとりあえずドライバーにパスポートを預けます。
13:00 イルビットに到着


◆イルビット→アンマン
1.5JD/ローカルバス

アンマン行きのバスは、アンマンからのバスが到着したのとは別のムジャンマ(バスターミナル)から出発だったので、少しビックリ

13:10 出発
道中、またしてもポリスによる男性のみのI.D.チェックをはさみ、
15:00 アンマンのムジャンマ・シャマーリーに到着。


総括
シェイフ・フセイン・ボーダー/ヨルダン・リバー・ボーダーは、自分のようなヘッポコでも越えられました。
しかし、地味国境ならではのバス無し、待ち時間長し、などの展開もありました。

国境は年中無休とのことですが、私のようにパレスチナ行きを検討している方は、チェックポイントの営業時間も要確認が吉です。

また、色々と不安定なエリアなので、国境もチェックポイントも急遽閉鎖とかもあるかも知れませんので、余裕をもたせたスケジュールで使うことをオススメしたいです。

良い旅を!


旅の全体図はコチラ