みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

十日目 オフリド観光→スコピエ観光→スコピエ泊

2017年05月06日 23時55分13秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
旅の全体図はコチラ


バルカン十日目、マケドニア二日目の今日は、早々にオフリド観光へ。
今日はとにかく教会群を歩きまくる!



●聖ヨハネ・カネオ教会

ベラトで会った逆周り中の日本人から「朝早いほうが、人が少なくてキレイ」と言われていたので、7:30頃に出発。
湖畔の白鳥に油を売ったり、地味に道に迷ったりしつつ7:45に到着。



無人だ!
早すぎて中には入れないけど、午後にまた来る予定なので気にしない。
なんたるメルヘン。華美じゃないデザインと色味が、湖の青と草葉の緑に映えて美しい!
ごった返していない静かな様子を見られてとっても嬉しい。


●聖パンテレイモン教会







こちらもまだ早い時間にいったのでガラガラ。
手前の広場は絶賛発掘中。
遺跡とかが好きな人は、もう数年待ってから行くのが吉かも。
中の壁画は、顔や目の削られたものも沢山あって、歴史の闇を感じられます。
(コソボの教会とかと同じですね)




あと、2000デナリ札が新しい存在らしく、200札と勘違いされて危うくお釣り不足になりかけましたw
どうかお気をつけください。


●サミュエル要塞







山の上の要塞跡。城壁には急な階段がついていて登ることが出来ます。
ここからの眺めのよさは割りと有名。
湖側を臨む景色はもちろん、反対側も畑と森の緑の合間に、マケドニアらしい赤茶の屋根が覗いてて結構ステキです。





そして城壁の内側には、なかなか保存状態のよい(というか2017年5月時点で発掘真っ最中?の)遺跡があります。

自分が行ったときはチョイチョイ修復中?な感じで、その作業員さんが色々案内してくれた。
「こっちこっち」って、ロープ越えちゃってるけどいいの?
モロッコのヴォルビリス遺跡を彷彿とさせる展開。
これが貯水槽、これはアレクサンダーのおじいちゃんのナントカカントカ、こっちは人骨など、色々と説明してくれる。

何回も「4000年前の人」「4000年前から」みたいに言ってるように聞こえたんだけど、歴史的にありえないので、本当はForとFourの聞き間違いとかなのかも。。。







過去の旅人さんのブログでは「城壁の内側は何も無い」的な記事もありましたが、案内してもらえたおかげで、とても楽しめました。
徐々に開拓されているようで、これからどんどん(良くも悪くも)観光地化されていくんだろうなってことが感じられました。



道中の景色もステキ。
あまりマジメに撮影しませんでしたが、GWの頃は各家の軒先に花が咲き乱れていて、とてもキレイでした。
「お花の写真を撮ってもいい?」と聞くと、みんな嬉しそうに「どうぞどうぞ」と対応してくれてウキウキする。




停まっている車が、ちょっぴりレトロなのもステキ。
キューバみたいなドーンとしたアメ車じゃなくて、色あせた小ぶりな車がオフリドの可愛い町並みにマッチしてます。
(でも、この狭いカーブと急な坂道だらけの町を車で移動するのは難しそう)


●道端の小さな教会。
教会常駐の人はいなかったけど、ちょうど地元の方が来ていたおかげで写真OKか確認できてラッキーだった。
地元のおばあちゃまは、壁にあるすべての肖像画にキスしてた。
これが毎日なら大変だ・・・



てか教会多数でもう名前も分からない・・・








小学校の校庭に潜入。
休日のため生徒さんはおらず、遊びにきてる子供がちょっとだけ。











13:30頃、朝イチで行った聖ヨハネ・カネオ教会の中を見たくて再訪。
エリアの端っこにある教会まで、急坂をえっちらおっちら。
辿り着くと痛恨のミスに気づく。休憩時間真っ只中!なんのために歩き方持参してるんだろうorz



でも、休憩時間と知らずウッカリ来ちゃった人だけでもこの人出なので、朝イチで無人写真を撮れた僥倖、もとい努力の結果を今一度噛みしめる。


オフリド湖ではぜひボートに乗りたいと思っていたけど、1艘が40ユーロくらい。
一人で乗るには高すぎる。
そして船も広すぎる。
シェアメイト探すとかも段々めんどくさくなってきたのでやめた。
(たぶん20分くらい湖畔でブラブラしてれば、家族連れやグループ旅が来るので、狙えばいけそう。後は相手次第)

















そろそろオフリドともお別れの時間。
昨日確認した15:00のバスに乗るべく、町を14:20に出る。(徒歩)







道中、学校があったり、廃墟っぽいのがあったり、観光地のにぎやかさはないけど、普通の様子が見られてよかった。
道も平らで、歩き方の地図でも迷わずバスターミナルに到着。



バスターミナルのトイレは、ターミナル内のカフェで鍵を借りるスタイル。
バスのチケットは、予約してなくても大丈夫だった。
この日の、この便の乗車率は5~6割?
ひとりの自分は、隣に誰か来ることもなく、ゆったり座れた。
そして爆睡。
目が覚めたら、スコピエの近くまで来てた。


途中のバスターミナル


田舎町


高速の出口にイチゴ売り多数



自分は宿の人とマケドニア門で待ち合わせていたので、スコピエのバスターミナルからそこまで歩く。
道は平らだし、歩き方の地図でも迷わない。15分くらいで到着。

バスが20分くらい遅れていたけど、こちとら連絡手段皆無でビビリながら門に到着。
アジア人なんて目立つし、向こうが見つけてくれるだろうと思ってたけど、10分くらい待っても誰も来ないのでいい加減不安になってくる。
ウロウロキョロキョロしていたらタクシーの運転手さんが話しかけてきた。
何言ってるか分からない!客引き?うるさいなぁ!と、疲れもあってこの旅一番のイライラモード。
「タクシーはノーサンキューだよ」と繰り返すが、なかなか引き下がらないおじさん。
そして少し英語分かる若者を呼び止めるおじさん。
若者介入。
どうやら自分を助けようとしてくれていたらしい。
おじさんゴメン・・・。

結局その若者を通訳とし、そのおじさんが宿の人のケータイに電話してくれて、自分は無事に宿の人と合流できた。

「向こうから話しかけてくる人に注意」というのは、目にタコが出来るほどガイドブックで見かける文言だけど、今回はホントにいい人だったし、疲労と混乱で笑顔ゼロの自分は相当感じ悪かったと思うのに、優しくしてくれて感謝であります。(不機嫌というより、怯えてるように見えてたのかも?)


旅の最後の宿はアパート形式。
普通のオンボロアパートの一室に、6ベッドの寝室×2部屋とリビングダイニング、そしてバストイレが1部屋。
昼間にお掃除の人は入るけど、鍵を渡したら管理人さんは自宅に帰るので、基本ゲストだけで過ごすスタイル。帰りは鍵をポストにポイ。
今回は貸切状態でのんびりだったけど、パーリーピーポー集団とかと鉢合わせたら、ちょっと大変そうw

荷物を置いたら、夜景を求めて夜のお散歩。











虫がすごい。
止まってる噴水あり。
写真好き沢山。アングルまねるw

川沿いにレストランが沢山あるので、適当なお店で適当に最後の晩餐。
オフリドでは魚を食べそこねていたので、最後の晩餐はお魚もいいかな~と思ってた。
チキンと、それよりちょい高いお魚料理、どっちがオススメか聞いて、背中を押してもらおうと思ったけど、店員さんが「私はチキンの方がオススメよ」とのこと。
結局チキン食べた。正直ものっぽくて、なんかいいw



スコピエの夜は、建物や像のライトアップでとても美しいって聞いてたけど、「写真で上手に切り取ったらとても美しい」ってのが正しいかなと思う。
美しい夜の街にウットリしながらお散歩っていうには、街頭にめっちゃ虫集まってて気持ち悪かったり、外国っていう緊張感と、街角に潜むちょっとした殺伐感で、心から寛いでお散歩ってわけにはいかないかも。
キレイすぎて平和すぎる日本に慣れすぎてるのかな。



おやすみなさい


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九日目後半 マケドニア入国→オフリド観光→オフリド泊

2017年05月05日 23時45分41秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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アルバニアを出国し、「今、どこでもない道を歩いているんだ!」という、えも言われぬ開放感を500mほど味わい、15:55マケドニア入国。
 
「国境あたりにタクシーとかバスとかいたりして」という甘い目論見は、秒で粉々に砕け散り、マケドニアの風に飛ばされていきました。
 
が、まだ日が高いことと、この妙なテンション。
最寄の目的地であるスベティ・ナウムまでは約4kmのはず。
「歩けんじゃない?」
と、歩行開始。
 
数少ない対向車の人たちの、
「え?一人?」「徒歩?」
と言わんばかりの、ちょっとビックリした顔が忘れられません。
 
意気揚々と歩き出したものの、手持ちの地図は歩き方だけという不安。荷物重いし。
てか、実は足の指、骨折してるし。(そのときは「折れてはない」って信じてたけど)
ものの2分くらいで「やっぱ、歩くのダルいわ」と、心を入れ替える。
   ↓
「次の車にヒッチ・ハイクだ!」と、これまた秒で決意。
運よくすぐに車が来た。
(^-^)b
停まった。まさかの1台目でヒッチ・ハイク成功!万歳!
 
※決してオススメはしません
 
停まってくれたのはトルコ人5人組。
夫婦2組と独身男性1人という組み合わせ。と思いきや、もう一人いた!!
お腹の中に赤ちゃん。
妊婦さんがいるってのは、乗せてもらう側としても色々安心な感じでラッキー。
 
スベティ・ナウム観光をしたかったし、そこからオフリドまでのバスも出てるので、
「スベティ・ナウムに行きたい」と伝えるも、どうもピンと来ていないご様子。
地図見せると、何がしかカーナビにセットしてくれている。
5人はしきりに「サンなんとか」って言ってて、よく分からないが流れに任せることに。
 
スベティ・ナウムについた。ラッキー。
 
どうやら「スベティ」というのが「聖」という意味で、「サン」という音になるらしい。
(モン・サン・ミッシェルとか、セント・マーチンみたいな)


 
車を降りると、彼らもここの観光をする様子なので、ダメもとで「このデカいリュックを車で預かって」と頼むと、これまたOK。
そして、そのまま一緒に観光する流れに。ラッキー。
 
やたら度の強いお酒や、蜂の巣ごとの蜂蜜が売ってたりする。





 
湧き水?がめっちゃキレイ!
このまま飲めるんじゃないかってくらいの透明感。
それがダブダブとオフリド湖に注ぐ様は、なかなかの迫力。


 
スベティ・ナウム名物の孔雀。細かいパーツは、やはり恐竜の祖先を思わせます。


 








小部屋の床に耳をつけると、聖者の鼓動が今も聞こえるそう。
(貝殻から海が聞こえる的な?)



こういうのは、一人だったら意味もお作法も分からなかったと思うので、一緒に回れて本当によかった。

 
個人的には、教会よりも周りの自然、特に泉の水の美しさが印象的でした。




それより何より、旅メイトとの出会いが楽しかったw
観光旅行なのに、観光以外がディープインパクトになっちゃうのも、気まま旅のあるあるってことでw


 

 
ひとしきり観光を終え、オフリド行きのバスを探さねば~と思っていると、
「この後どこ行くの?」と聞いてくれる皆様。
「オフリド湖畔の宿だよ」というと、
「宿の名前は?」って、そこまで送ってくれることに!
ありがたすぎる!


 
てか、連れてってもらえて本当に良かった。
「湖畔の宿だし、行けばわかるっしょ」と思っていたけど、湖畔は宿だらけ。
しかも、実際には湖畔の宿ってほど湖畔でもなかった。
歩き方の地図だけじゃ、絶対に辿り着けなかったと思う。
本当に本当にありがとう!
(そして彼らはビトラのパーティーに向かうのであります)
 
 
オフリドの宿を検索していたとき「レイクビュー」とか書いてある宿がいくつかあったけど、「ビュー」も色々だと思われます。
 
今回の宿も、いちを「レイクビュー」ってことになってたけど、建物と建物の間からのチラ見えでした。
自分は「湖に近いほうが観光が楽そう」って理由で選んだ宿が、たまたまレイクビューを謳ってたって感じなので気にならなかったけど、南国のビーチサイドのホテルみたいに、ベランダから湖がドーーン!!みたいなのを求めてる場合には間違いなくがっかりレベル。予約前に要確認です。

 
あと、湖畔の宿とか密集してるエリアは、目印になるようなものが無いので、ある程度ちゃんと場所を把握しておかないと大変かも。
自分みたいに、歩き方の地図だけというのはオススメしません。
 

 
オフリドの宿は「Apartmani Marija」(マリア アパート的な)






アパートタイプの個室でした。
常駐(?)しているのは年配の女性2名。ほとんど英語は伝わりません。
「明日のチェックアウトの時間を~」とか
「バスターミナルはどこ?」とか、
ちょっとしたことも伝わりません。
部屋の使い方などをマケドニア語で押し通し、御代を頂戴する。
これが彼女たちの役割で、それ以上でもそれ以下でもなさそうです。
 
英語ペラペラの男性も同じ建物に住んでいるので、込み入った相談などは夜にすればOK。

 
 
で、明日はスコピエに行くので、バスのこととか聞いておきたかったけど、宿ではムリだったので街に繰り出します。
 
バスターミナルまで行かなくても、街中のオフィスで席の予約が出来るようなブログを見てたので、念のため予約を・・・と思ったけれど、オフィスに辿り着けず・・・。
でも、オフィスの場所を教えてくれたその辺のお店の人いわく「明日でも大丈夫だと思うよ」ってことだったので、もう諦めた。
 
ウロウロしてたらデモ隊に遭遇!



薄暗いせいか写真はブレブレ。1000人を超すような大行列だったけど、暴徒みたいな感じじゃなく軽めのパレードみたいなノリで、危険な感じはしなかった。
 
コソボでのラムシ帰還イベント、アルバニアでのメーデーJAZZフェス、そしてマケドニアではデモ隊に遭遇。
これすべて入国初日。南バルカンは不思議な場所だ。
 
教会巡りは明日にまわして、今日は夕飯食べてゆっくり休もう。
でも、全然調べてこなかったし、宿の人もあんな感じなので、オススメのレストランとか、オフリドっぽい食べ物を出してくれるお店とかも分からないまま、なぜかピザ屋へ。


 
普通に美味しい。
そしてでっかい。
日本なら断られそうだけど、残りはもちろんお土産にしてもらう。
これで明日の朝ごはんも確保。
ビール旨し。
 
ボーっとしてたら、別にダンスタイムってわけでもないのに、4~5人で食べてたテーブルからカップルが立ち上がり、いきなり社交ダンスはじめた。
なんなんだこのノリは・・・。


 
周りのお客さんも、カップルと同じ席の人たちも、囃し立てるでも、拍手するでもなく、シレーーッとしてる。
なんなんだこのノリは・・・。
 
カップルが地元民なのか、マケドニア人旅行者なのか、外国人旅行者なのか、まったく不明。
このノリの出所も不明。
 
摩訶不思議なマケドニアの夜はふけていくのであります。
おやすみなさい。


 
 
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九日目・前半 ジロカストラ観光→マケドニア国境越え

2017年05月05日 12時12分55秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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ついにこの日がやってきた!
今回の南バルカンツアーでもっとも恐れていたのが
①プリズレン→シュコドラの移動
②ジロカストラ→オフリドの移動
の2点なのですが、①が予想外にサクッといけたので、②も期待!

その前に、まずは早朝散歩。
昨日は、城塞とその右側を重点的に歩いたので、今朝は城塞の東側の細い下り坂をちょいと散策。








さすが「石の街」と呼ばれるだけあって、どこもかしこも石だらけ。
もっとゆったりと過ごしたかったけど、もう見納め。

宿に戻ると朝食の準備が出来てる。
他のお客さんは、まだ寝てるみたい。
皆さんと一緒にのんびり頂きたかったけど、バスの時間もあるし、お先にいただきます。



どれも美味しかったし、卵は席についてから焼いてくれたよ。

オフリドまでの行き方が不安で、困ったときに周りの人にちゃんと聞けるかも心配してたら、宿のオーナーがステキなメモを書いてくれた!



Google Mapで検索すると、ティラナに戻るルートやハイウェイでギリシャ経由などなど、どうみても無駄としか思えないルートが出てくるので不安だった。
けど、オーナーがメモと地図を見せつつ説明してくれたルートは、下調べの段階で「このルートで行けるんじゃないの?」と、思ってたルートとリンクしててホッとした。
この通り行けば大丈夫だし、困ったらこのメモ見せれば大丈夫!という安心感に背中を押されて、いざ出発。

8:30 宿から新市街のバスターミナルへはタクシーで移動(宿で呼んでもらった)
8:45 ジロカストラのバスターミナルからティラナ行きのバスに乗る(途中に休憩1回)


道中は景色のいいところが多くて楽しかった。
寄れなかったブルーアイ(キレイな池)の片鱗を感じさせるような川の青さ。
急峻な山々に囲まれているからこその、大きな橋。
田舎の風景。独特の暮らし。山間の村。
そういうものが駆け抜けつつだけど垣間見ることが出来て、すごく楽しかった。






また、こういうところを旅する人ならきっと見たいであろうバンカー(トーチカ)も、ちょいちょい見られます。







11:40~12:00 ロゴジンで乗り継ぎ。(途中で休憩1回)

大きい道路の交差点、街中でもなんでもないガソリンスタンドの横っちょで降ろされて少しドキドキしたけど、
一緒のバスを待つアルバニアンがいたのと、小さいけど事務所っぽい建物(けど無人)があって、まぁ大丈夫かなと。






乗りかえたバス。


ここから先は、都会も少しあるけど、基本的に急峻な山の中を走ります。
緑豊かで、だんだん文化が混ざっていく感じが見られて楽しい。












休憩所でお魚販売。


湧き水?美味しかった!


バンカー好きは、「そろそろポグラデツだな~」って頃、丘陵地帯の牧草地っぽいところの斜面に、放牧されてる牛と一緒にそこそこの量のバンカーを見渡せる場所が一瞬ありますのでお見逃しなく。


走る車窓からで、油断しまくってたときに現れたので、もう全然撮れてません。


で、そこを抜けるとオフリド湖がパァァ~ッと眼下に広がって、湖畔の道に下りてくると、左右に廃墟やバンカーが点々としてます。
「アルバニアに来たんだな」という実感とともに、「国境に近いからバンカーも多いんだろうな」と当時の情勢に思いを馳せつつ、「そして、もうアルバニア出国じゃん!」という寂寥感が押し寄せて、左側の車窓には、真っ青な空とオフリド湖とたなびく雲が美しく「ラダックみたい」と、行ったこともない場所を引き合いに出してその美しさを称えるという不埒な脳内。











15:00 国境の街ポグラデツについた。



ここからは、メモには「TAXY」と書かれているし、先人たちのブログでもタクシー説が有力だったけど、ダメもとで最寄のアルバニアンに
「国境行きのバス、ないかな?」と聞いてみる。

感触としては、年配の人ほど英語解せず。若者はけっこう大丈夫な感じ。
なんとなく国境方面に歩きつつ(と言っても100m程度w)声をかけていくと、5~6人目の女学生っぽい子が分かってくれた!
しかし、今度はこちらが英語を解さず、けっきょく乗り場まで連れて行ってもらう。
(またこのパターン)

ってことで、結論!
ポグラデツの町から、マケドニア国境まではバスで行けます!!

で、ブログ書く上で最悪なんですけど、値段忘れました。
安いのは間違いないんだけど。

てか、このバス代払った後の残金が100レク切ってて、結構ギリギリだった。
もしユーロだったら受け取ってくれるのか、おつりどうなるのかとか謎。
てか、たぶん不可。
でも、国境の町だから両替所はあるはず。
いっそマケドニアのデナールならアリなのかも?
謎だらけだけど、タクシー使って、降りるときに「レクない!」ってならなくて本当に良かった・・・。






国境行きのバスは、ワゴン車以上マイクロバス未満みたいな車。
「国境行き」って書いたけど、実際にはこの乗り物は、路線バスというよりタイのソンテウ的な感じなのかも。
大まかなルートが決まってて、あとはお客さんのリクエストに合わせての寄り道スタイル。
そして、国境で降りたのは自分だけでした。


そうです。
バスで行けるのは国境までです。
国境からの交通手段はまったく担保されていません。
でも出発。だってバスが出る時間だから。
15:30頃でした。


15:45 とりあえずアルバニア出国してみた。


バイクで国境越えとかカッコよすぎる!


番犬くん。


遠ざかるアルバニア。


「今、どこでもない道を歩いているんだ!」という、えも言われぬ開放感。
ちょっぴりの不安も冒険心をくすぐり、最高の気分!
その距離、約500m。


15:55 そしてマケドニア入国!

「国境あたりにタクシーとかバスとかいたりして」という甘い目論見は、秒で粉々に砕け散り、マケドニアの風に飛ばされていきました。

入国後の顛末は次回。


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八日目 ベラト→ジロカストラ観光→ジロカストラ泊

2017年05月04日 23時45分57秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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バルカン半島八日目。
アルバニアの中で一番有名な観光地はたぶんベラト。
でも、自分が一番行きたかったのはシュコドラとジロカスラ。
シュコドラは歩き方ではスルーだけど、本当によかった。
ジロカストラへのウキウキも高まる!

ちなみにジロカストラ(ギロカスタルとかギロカストラとかとも)というのは『石の街』って意味だそうです。




ベラトのマンガレム地区から長距離バスターミナルまでは、やっぱり市バスで。

20分はかからないはず。

ベラトのバスターミナルからジロカストラまでは
8:00発のサランダ行のミニバンで。


サランダから折り返して、ベラトに戻ってくるミニバンのようです。


道中なかなかの山道


山羊とかいる


折り鶴でワイルドに遊んでくれた双子ちゃん。


ち、近いw


山を越えるとのどかな感じ。







ジロカストラまでは800Lek、3時間半くらいで(11:30頃に)到着。


到着して驚いたのが、ジロカストラのバスターミナル近辺はけっこう都会!
(降ろされたのは道端でしたが)
普通ににぎやかな街だった。
バスターミナルから予約していたドミまでは1.5キロくらいのはずなので、歩いていくことに。
でも、これはなかなかキツイことに・・・。

バスターミナル周辺はフラットな道だけど、宿は旧市街。
で、この旧市街が坂道しかない!
大通りからちょこちょこっと脇道に入っていくと、あとはもうずっと坂道。
とても急な。
そして市街地と旧市街の隙間あたりは人通りが少なく、道があってるか不安になっても、なかなか人が通りかからず、「これで道間違えてたら本当にヤだな」と悶々としながら歩くハメに。



結果的に地図は読み間違えておらず、無駄なく宿にはつけたけど、帰りは絶対にタクシーに乗ろうと、早々に心に誓う。


本日のドミはストーン・ホステルというドミ。
今回の旅の中で、個室の宿も含めて、ダントツ1番の宿でした。



お洒落、かわいい、清潔、フレンドリー、美味しい!
部屋のWi-fiが共有スペースより若干重いのだけ残念。
それ以外はパーフェクトと言ってもいいかも!
めっちゃオススメのドミでした。
自分は英語もしゃべれないし、まだ旅慣れても、ドミ慣れてもいないので、くつろぎ方が分からなかったけど、もう少し堂々としていられるようになったら、連泊したいお宿でした。


もう一歩も歩きたくない・・・。
ここ数日、そう思い続けていたけど、個人的にはベラトより楽しみにしていたジロカストラ。身軽になって観光へGo!
まずは一番賑わっているはずの界隈へ。




絶賛工事中orz
アルバニアの過渡期な雰囲気は感じていたけど、ジロカストラにもその波は押し寄せていて、よりよい観光地を目指して、今まさに整備中といった様子。






こういう感じの写真をもっとワイドに撮りたかったんだけど、
この場所がプチすり鉢状になってて地形的にはいい感じなんだけど、残念。
フォト派の方は、数年待つべきかも?


ここでも城塞(ジロカストラ城)に行ってみた。
もう登りは嫌なんだけど、街を一望できると土地勘もつくし、やっぱり気持ちいい。


入り口からしばらくは大砲ズラリ。





適度な廃墟感。



有名な戦闘機。T-33 SHOOTING STAR。

冷戦時代の米軍の置き土産(というか、故障して不時着して、そのままらしいです)とのことで、これは是非見たい!って人も多いと思います。
が、2017年5月、この戦闘機の周りに、今まさに柵が作られていましたorz

あの、崖っぷちにおきっ放しな感じがよかったのに・・・。
せめて地味なフェンスとかにしてくれたらいいのに、よりにもよって牧歌的な白い柵。
画的には台無しですが、これも「よりよい観光地を目指して」ってことなんでしょうね。
ううう、残念。

上記の写真の柵の隙間から入り込んで、たぶん最後の接写に試みます。
来るの1時間遅かったら、もう近づけなかった・・・


なんとか柵を隠して撮ってみた。
機体の陰で、じつは作業員さんが立ちションしてますorz


広場にはステージがあって、歴史の趣をやんわりと邪魔してます。

こういう「すぐ死ねる場所」に簡単に立てちゃうのはシュコドラと変わらず。


時計塔と遠くの山々のコントラストは素晴らしい!


新市街。あそこから登ってきたんだなとシミジミ。


ジロカストラ城には博物館も併設されてます。
別料金で100か200Lekでした。
中は、見せ方とか度外視した感じで、とにかく銃がズラァァァァァァ~~ッと並んでます。
好きな人にはたまらないお宝かもしれません。
が、こちとら銃器には疎いので、並べられている銃の違いが分からない。

インパクトがあったのは、ナチスの旗を持った兵隊を足蹴にしているアルバニアンの銅像が、デデーーン!っと飾ってあったこと。
その銅像に限らず、色んな展示とか見ていると、しばしば「アルバニアン(またはジロカストリアン)って、もしかしてすごく猛々しい人々なのでは?」と思わされる。
町で会う人々はあんなにホンワカ陽気でフレンドリーなのに。
心のどこかに、やる気スイッチを隠し持っているのかしら?

工事車両。ギリギリ。



お次はスカンドゥリ・ハウスとゼカテ・ハウスへ。

スカンドゥリ・ハウスは英語を話すガイド的な人がいて、色々と説明してくれます。
入館はたしか200Lek。
分からないこと、気になることは、英語さえ話せれば聞き放題。
ただし、最上階の一番豪華な結婚式用のお部屋は撮影NG。
建物の門のところにお土産売りの人がいて、写真NGのお部屋のポストカードとか売ってます。



台所。


普通目の寝室。


キレイ目の寝室。


ビックリしたこと。
ここでトイレに行きたくなって、その旨伝えたら、なんとこの家のトイレを使ってくれと!
さっき見学したトイレを普通に使ってよいと!
穴が小さいので緊張しましたが、無事命中(?)とあいなり、汚さずに出てくることが出来ました。(紙ありません)
野心家の方はお試しアレ。オススメはしません。


もう歩きたくない。


励まされる。






ゼカテ・ハウス、見えた!


ゼカテ・ハウスも入館200Lekですが、こちらはガイドさんなどはいません。
でも、個人的にはコチラのほうが好き。

だって
1.写真撮り放題!
2.上部のテラスからの眺めが最高!
なのです。
入り口で飲み物を売ってたので、そこで買ってテラスで飲んだら気持ち良さそう。

室内でもまだまだ上る。


さっきは撮影NGだった婚礼の間。




暖炉の周りの装飾はザクロのデザイン。これは子孫繁栄の願いを込めて(種が多いので)

乙女専用の参列部屋はロフト使用。


こちらが最上階にあったテラス。


さっきまでいた時計塔があんなに小さく!


上から見ると、石の街ってことを実感。



城からスカンドゥリやゼカテまでの道のりは、ヘタレで足の指が折れていた自分には、ちょいキツかった。
てか、ルートがエグい。

城は当然山の上にありまして、お屋敷も山の中腹にありまして、その山と山は別の山でして、いったん街のくぼみに降りてまた登るっていうルートなんですよね。
お屋敷までの道は若干分かりにくいので、あってるのかな?って不安もちょいちょい。
「石の街」のほかに「千の階段」という異名(ベラトの「千の窓」に対抗?)を持つだけのことはありました。
とにかく、旧市街に入ったら平坦な道はありません。
主だったところへの移動は「下ってから登る」が基本です。
これで雨でも降ろうものなら、ただでさえすべりやすいジロカストラの道は、修行の場と化すことでしょう。

今回、自分はコンバースで行きましたが、もしこれから自分と同じようなルートや日数で行く方がいたら、絶対にウォーキングシューズやトレッキングシューズをオススメします。
適度に厚さと溝のあるソールが、きっと旅人を支えてくれます。
ホント、毎日がトレッキングか?って感じでした。


ジロカストラの人も、最初は少しよそよそしい(てか、これが普通か)かと思いきや、
話しかけると、心はとっても暖かかくて、笑顔はとっても柔らかい。
石の街なのにね。



道に迷ったとき、本当にたくさんの人に助けてもらった。
紙地図ならではラッキーハプニングかもw


夕暮れ写真、少し遅かった・・・



夕食は宿で進められた旧市街のお店へ。
レストランなどは多数あり、21~22時くらいまでやっるところもあったので、そのあたりは困ることはなさそうです。





店内のテレビで、ちょうど北朝鮮問題を取り上げていて(2017年4月ころはミサイルたくさん撃っていて日本海に落ちたり、29日にも打ち上げ失敗したばかりだったので)、こちらがアジア人なせいか「アンタんとこ大丈夫?」と心配されました、もとい茶化されてただけかも。






旧市街の夜道は、とっても明るいとは言えませんが、怖い感じはしませんでした。
酔っ払いが喧嘩してるとか、不穏な空気を発している人とか、ガラの悪い若者とか、そういうものは見かけませんでした。ま、一晩だけなんですが。

ベラトみたいなライトアップはしていなかったので、観光はやはり太陽光があるうちがオススメかも。
でも、すごくいいカメラで撮るなら、夜の景色も美しそうな街でした。


食後のデザートは宿でもらったクッキー。


おやすみなさい。


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七日目 アポロニアとベラト観光→ベラト泊

2017年05月03日 23時55分16秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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バルカン半島七日目。
今日はAMに近郊のアポロニア遺跡を観光し、PMにベラト観光。




朝のベラトの街も清々しいです。

宿の朝食。



アポロニアにはギリシャ遺跡があるそうで、正直ギリシャ遺跡なら、いつかギリシャで見ればいいやと思っていたけれど、道中で間近にトーチカを見られるという情報を得ていたので行ってみる事に。
(修道院がステキと噂のアルデニツァも行きたかったけど一歩及ばず)



まずはベラトの千の窓のエリアから、市バスで長距離バスのターミナルまで移動。
20分ほどで到着したバスターミナルには、売店や軽食屋もあります。







9:30頃発のフィエリ行きの中距離バス(ミニバンみたいな)に乗る。





道中、トーチカ発見!
でも、走る車からの撮影は難しい。





フィエリの町は結構栄えていて、歴史的な雰囲気とかは無いけど、アルバニアのリアルな都会って感じがあって、ウロウロできたら面白かったかな?って気もする。


10:40頃、フィエリの道端でみんな下ろされる。

フィエリからアポロニアまではタクシーなのだけど、どこで拾えばいいのやら?

道端キオスクみたいなところのお兄さんに聞いてみると、そのお兄さんがタクシーの集まってるところ(目の前なんだけど、白タクなので気づかなかったw)まで案内してくれて、運転手さんとテキトーに話をつけてくれて、自分で値段交渉するまでもなく往復で2000レク(2000円)弱で話がまとまってたw

普通は後部座席に座るものなんだろうけど、より広く景色を楽しみたくて、助手席に座らせてもらう。




サッカー場。屋根付きが普通みたい。



30分ほどでアポロニア遺跡に到着。
運転手さんにチケット売り場なども全部案内してもらって、いざ散策。

シュコドラの城塞でも思ったけど、本当にみんなフリーダム。
遺跡が総合公園のような役割を果たしているみたいで、敷物を広げてピクニックしてる親子とか、遠足で悪乗りしてる高校生とか、サッカーしてる小中学生とか、傍らのレストハウスの横の広場では幼稚園児がなにやら発表会をしているしw
この旅の中でそういう感じに慣れてきちゃってるけど、「石舞台の横でサッカー」とか、日本に置き換えて考えると、なかなかレアな光景って気もしてくる。













遺跡のこととかはよく分からないし、もっとすごいのは世の中に沢山あるとは思うけど、のどかな雰囲気とかは良かった。
「THE・ギリシャ遺跡」を目的に行くと、少し物足りないかも?

運転手さんと約束していた時間に車に戻ると
「全部見た?ちょっとついてこい」と、遺跡の横の壁の向こうに連れていかれる。



こんなところにミュージアムと教会が!
点数はそんなに多くないけど、ここで発掘されたと思しき大理石の像などが、剥き身のまま置いてある。触れちゃうけどいいのか?いや、触らんけどね。触ってみたいけどね。

回廊型のミュージアムの建物に囲まれるような中庭には古い教会があって、こちらも中に入れます。

もちろんアポロニアのチケットに含まれてます。





あぶなく全部スルーするところだった。
運転手さん、ありがとう。

結局、大幅に時間を過ぎてしまったけど、追加料金など求められることもなく、和気藹々とフィエリへ。
戻る道中、「これも全部遺跡なんだよ」と有料敷地外の草むらにある敷石などを教えてくれたり、トーチカの前で一時停止して「写真撮れた?」と聞いてくれたり、とっても親切で、アタリの運転手さんだった。





フィエリに戻ってきた。





フィエリの長距離バス溜りの近くのパン屋でピザとヨーグルトドリンクという軽めのランチは200レクくらいだったはず。「安ッ!」って思ったのは間違いない。



フィエリを13:00発の長距離バス(バン)でベラトに戻り、市バスで世界遺産エリアに戻ったのが15:00頃。

宿で少し休憩。



山の上に見える城塞に向かうけど、もう山登りは嫌だよう。
でも行く。

道路の白っぽい石畳はとにかく滑りやすい。
グリップ感が弱くて妙に疲れる。
坂道発進しようとしてたベンツが、タイヤを空転させてるのを見たときはちょっと怖かった。



城塞の中はとってもフォトジェニックな景色がたくさん!
画的に余計なものも少ないし、城塞の中にホテルもご飯やさんもある。
ここに泊まって、山を降りずにじっくりお散歩しながら写真撮るのも悪くないかも?と思ったけど、川岸の夜景も捨てがたいものがあるので、なんとも言えない感じ。










お土産やさん。
レースが有名っぽい。
アンティークショップ的なものもチラホラ。









赤のモスクってこれ?探しても見つからないと思ったら、予想と全然違うビジュアルだったのね。

貯水槽。ちょっとした感慨。





なにげに古いらしい教会。





城塞北側の展望台からはゴリツァ地区を上から一望。




生き物もたくさん。





日暮れ前には羊飼いさんが放牧に!
世界遺産で放牧ってスゴイ。





下山時、正直もう坂道なんて一歩も歩きたくない。誰か車に乗せてくれないかな~と、通り過ぎる4輪を恨めしい気持ちで眺めていたら
「どこまで行くの?乗ってくかい?」と家族連れの車が声をかけてくれた!
遠慮も忘れて「ありがとう!下までで十分です」と、お相手の気が変わらないうちに乗り込む。
10歳の娘さんがシャイだけどアジア人に興味深々な感じで、めっちゃかわいらしかった。

下山後は「鉛のモスク」とナントカ教会へ。







鉛のモスクでは、そこを遊び場にしてる子たちがいて「中見てもいい?」と聞くと「そっちは女性用、こっちが男性用のお祈りの場所だよ」と案内してくれたり。
モスク自体は地味目で、ランドマークにはなるかも知れないけど、観光として寄るほどではない感じ。
でも、リアルで実用的な場を覗けるのは嬉しいし、質素なデザインを見るのも個人的には好きだし、なにより子供たちの美しさがすごい。
将来が楽しみだわ。
(4人のうち、3人は親類。どの子かすぐわかるw)

こっちは教会。





吊橋から見て右側に広がってるメインストリートはかなり賑わっていて楽しそうだったけど、ちょいと疲れていたので、こじんまりした小さなお店で食べたくて、アイス屋さんの並びにある軽食屋さんでソフラチェとビール。


ソフラチェは、シュコダルでしょうきさんに教えてもらったギリシャのファーストフードみたいなやつ。
厚めのパン生地っぽい皮に、なんたらケバブみたいな鶏肉と、フライドポテトと、少しのお野菜がギッシリ入ってて、ケチャップとマヨネーズがたっぷりかかってる。

てか「ソフラチェ」で検索しても、何もヒットしない。
「スブラキ」なのかもしれない。スブラキのスペルは「Souvlaki」なので、キリルっぽい風味とか足したらソフラチェと読めそうだし。
でも、スブラキで検索して出てくる画像が似ても似つかない。

今となっては自分が何を食べてたのかも良くわからないけど、その時、ポテトをつまみにご当地ビールをグビリとやりつつ、ボーっと異国の町並みを眺めてた幸せったらないですね、ホントに。
ささやかな幸せを噛みしめつつ
おやすみなさい。


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六日目 ティラナ観光→ベラト観光→ベラト泊

2017年05月02日 23時55分52秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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アルバニアのティラナ2日目。
昨日の足の指損傷と、同室ブッチャーさんの鼾攻撃による寝不足のため、微妙なテンションで目覚める。

この日は、本当はクルヤという城塞都市にプチ観光するつもりだったけど、さすがに厳しい。
午後にはベラト(ベラティ)に移動予定だけど、このまま都市を離れてしまっていいのか?
病院にいくなら早いほうがいいだろうし、そもそもティラナ(首都)を離れたら、もう病院に行くチャンスもないのでは?
と昨夜からブッチャーの鼾とともに悶々としてたら、なんとシュコドラのしょうきさんが「助けに行ったる」ということで、ティラナまで来てくれた!まさに翔んで来る翔来さん、正気か?

しょうきさんが来てくれるまでの間に、すこしだけティラナ散策も。

有名な広場は工事中。でも、もう工事は終了しているそう。


鎖国時代に数多く作られたらしいトーチカ。
ティラナの街中にあるものは、当時のものではなく、地下に作られてる博物館の入り口。


内側から見るとこんな感じ。

天井が壊れているのはデザインではなく
「つらい時代を思い出させるものを、こんな街中につくるなんて絶対反対!」
という人々による破壊行動の結果だそう。
逆に雰囲気出てる気が・・・

街中にあったモニュメント。
作者は日本人の名前だった。




社会主義らしいデザインの建物。
中には入れず。












しょうきさんが来てくれて病院に行こうにも、なかなか病院が見つからない。
けっきょく病院の場所は宿のオーナーが地図に書き込んでくれた場所が2ブロックくらいずれてて、前日見かけたマリア像があるところだった。

病院ではすべてのやりとりをしょうきさんにおまかせ。
レントゲンを撮ってもらい「折れてない」とのお墨付きをいただきました。



ちなみに、帰国後にやっぱり折れてることが判明します。粉砕骨折とか剥離骨折とか、そんな感じ。

夕方に専門の先生が来るとかで、17時にまた来てと言われたが「折れてないなら」ということでスルー。
しかし、アルバニアの薬局にはテーピングらしきものが無い。
シップ的なものも見つけられなかった。
仕方が無いので、再びバンドエイドで固定。
「余計痛い気がする」「でも、固定しといたほうが良くない?」
おとなしく従うことにする。
(これは帰国後に病院で褒められた。ありがとうしょうきさん)

で、気になる病院のお値段ですが、1200レクぐらいでした。
日本円にすると1200円くらい。レントゲン撮ってこれは安い!
なので、海外旅行保険とか申請してません。


観光とかはあんまりできなかったけど、滅多にできない貴重な体験ができたので、まぁ、よしとする。
ティラナのへんてこな思い出を携えて、いざ、ベラトへ!


ティラナ→ベラトのバスは街の中心街から少し離れたところから出てます。
シュコドラのときもそうでしたが、バスターミナルというキチンとした施設はないので、いつ動いてもおかしくない気がしてます。
現地のそのときに確認するのが吉な予感。




自分は宿のオーナーさんからもらった地図を頼りに、とりあえず市バスに乗る。
大き目の通りをなんとなくターミナルに向かって歩いていくと、予想通り市バスのバス停らしきものを発見。
貯まってる人たちに地図を見せつつ「ベラト、アウトブシ」とか言うと、「ここのバス停であってるよ」っぽいリアクション。
バスが来たら「ほら乗って」、目的地付近で「はい、降りて」と。
ホント、なんとかなるもんだ。



でっかいサークルの向こうに大型バスが並んでいるので、ローカルを盾にして道路横断。
そろそろ出るよ~というちょうど良いバスに乗れた。座れた。
しかし出発は結局20分後。ここでも、満席になるまで待つシステムは健在らしい。


ベラトについたらしい。「降りなはれ」と教えてくれる。素直に降りる。
よくブログとかで見かけるちゃんとしたターミナルじゃなくてボロッちいバス停。



写真には撮りきれてないけど、自分好みのボロさ。廃墟感が良い。
ここから市バスに乗るらしい。ターミナルまで行っても戻ってくるだけなので、ここで降りることを勧められたっぽいけど、ターミナルまで行ってたら市バスで座れたんじゃなかろうか?



ついたよ。千の窓の街。世界遺産の街。ベラト(またはベラティ)。
思ったより普通かも。でも、田舎ぽい雰囲気が良い。

予約しておいたのは「Hostel Mangalem」なる宿。
地図を頼りに歩きだすと、すぐ目の間に「ホテル・マンガレム」を発見!
受付に行くと「あんたなんか知らんよ」と優しいご指摘。え~~~?
結局そのホテルのWifiを借りたり、バウチャーを見せたりして、正しいほうの宿を理解したものの、結局電話もかけてもらって、迎えに来てもらうように話を通してもらったり。
本当にありがとうございました。

ベラトは川を挟んでマンガレム地区とゴリツァ地区に分かれており、自分はマンガレム地区にいるので、ホテルマンガレムとかホステルマンガレムとかマンガレムホテルだらけ。
「マンガレム」という名称はなんの目印にもならなかったのです。
それなのに、一番最初に目についたマンガレムに飛び込んでしまい、本当に申し訳ないorz

てか、こんなに油断していたのには訳がありまして、Hostel Mangalemの口コミでは「ベラトでバスを降りたらバス停でオーナーが待っててくれた」という意見が散見。ゆえに、あんまりじっくり調べないで来ちゃったのよね。
でも、毎回のオプションってわけではないみたい。
やっぱり、自力で辿り着く覚悟で準備することは大切だ。

なにわともあれ「Hostel Mangalem」に辿り着けてよかった。
1泊10ユーロ。この旅最初で最後の連泊をします。
ここぞとばかりにお洗濯を頼んだけど、別料金を払った記憶がない・・・
いくらだったんだろう。

部屋からはゴリツァ地区が見えて、「ああ、ベラトにいるんだな」としみじみ。
鍵つきロッカーもあったし、タオルも貸してくれました。
オーナーは英語話しますが、オーナーのお父さんは英語不可。
でも、すごく歓迎してくれて、いっぱい話しかけてくれて、ものすごく人懐こくてカワイイおじいちゃまでした。
夜遅く(22時頃)に帰ったら、宿の前の道まで自分を探しに来てくれてて「心配したよ~」的なことを(多分)言いつつ、ハグハグしてくれたり、おやすみなさいの挨拶の時にはイイコイイコしてくれたり、とにかくカワイイおじいちゃま。
これ、自分が童顔女性とか関係なくて、相部屋の日本人男性も「おじいちゃんがカワイイ」って言ってました。

まぁ、私がタイ人とかだったら「頭触るな!ゴルァ!」とかなってたかもだし、宿は寝るだけでいいんだけど・・・って人的には微妙かも知れないけど、自分的には本当に楽しかったし、もしもう少し余裕があったら、共有スペースとかでもっと一緒に過ごしたかったなぁ。


ベラト初日は、さっくりと軽めに観光。

まずゴリツァ地区を散策。
こちらは栄えてるマンガレム地区と違って、こじんまりとした印象。
宿やレストランはほとんど無く、ほぼほぼ生活エリアって感じ。
雰囲気のある路地と、本気の廃墟と、猫が多い。
出会う人は物腰柔らかな人ばかり。日本人だというとフレンドリー倍増する方たちも多数。
マナーを守って旅を続け、政治的にもがんばっていただき、このポジションを死守していきたい。










マンガレム地区は宿、レストラン、商店、ゲームセンター、目抜き通り、教会、モスクなどなど、人の集まる施設が沢山。
アルバニア人にとっても観光地らしく、ご機嫌な感じの人が多い。









吊橋から見て左斜め前辺りにあるアイスクリーム屋さんは「ティラナから食べに来る人もいるんだよ」とオススメされて行ってみた。
フツーに美味しいです。フツーにw
双子の兄ちゃんがやってるお店で、彼らは写真NGなのが残念。


ちなみベラトではなんと日本人に4人も遭遇。
日本人の生涯渡航率が1%を切るというアルバニアですが、黄金週間パワー炸裂&さすが世界遺産。

おかげで夕食は偶然出会った日本人とシェアできることに。







こちらはゴリツァ地区に向かう吊り橋を渡って左側にある坂道を少し登ったところにあるレストラン。
とっても眺めが良かったので、教えてもらえてよかった!

食事を終えて、情報交換などして、22時頃に宿に戻ると、宿前の通りにおじいちゃんが!
「遅いから心配したよ~」と、めっちゃ心配してくれて、撫でこ撫でこされつつ帰宿。
おじいちゃんゴメンネ。ありがとう。おやすみなさい。


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5日目 シュコドラ観光(プチ骨折) →ティラナ(ほぼ観光ならず) →ティラナ泊

2017年05月01日 23時55分56秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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旅の5日目、アルバニアの2日目は、シュコドラ観光(粉砕骨折!?) →ティラナ(ほぼ観光ならず) →ティラナ泊

真っ青な川を見たいシュコドラ。ここはお天気が重要。
と、静かに祈っておりましたが、見事にピーカン!(死語)

自転車を借りて、今日は城塞の上まで行ってまいります。

8:45宿出発
両替をしたり、市場を覗いたり、さんざん油を売りながら行く。



両替所(ちょいちょいあります。ATMも。)
1レク≒1円


ジプシーの子




なんでも路上で売ってます。

商店街と露店と市場の中間みたいなところにきた。





ここでまさかのドッキリに遭遇。
自転車隠されたw



後で色々撮らせてもらってた写真を振り返ったら、しっかり写ってました(^-^;)



市街地は平らな舗装路だけど、崖下から城塞までは一気にものすごい急坂。
自転車を押していくのもつらいし、下りも怖いだけだと思ったので、途中の駐車場に自転車を置いていく。(駐車場は数箇所ありました)
城塞の入り口についたのは10:00頃。
たぶん、寄り道しなけば30分もかからないはず。




入場料200~300レクくらいだったはず。

城塞の中は思った以上に広くて自由。
サッカーしてる少年、シートを広げてくつろぐ親子連れ、学校の遠足らしき団体さんなど、色んな人がいます。
城塞の塀の上にも上り放題&柵なしなので、ここも自己責任で。
それにしても素晴らしい眺めだ!

















来て良かった~っとシミジミ。

しかし、ここでトラブル発生。



この旗の横に立って写真を撮ってる人がいたので、「私もお願い!」と頼んで、周りの人に助けられ、なんとかよじ登って写真を撮ってもらった。
そして、塀から降りるとき、身軽にピョンと跳んだはいいものの、着地の瞬間、足の指におかしな痛みが。
恐る恐る靴と靴下を脱いでみると・・・



キモッ!
なにこれ?勝手に自分で治していいの?そっとしといた方がいいの?分かんないよう・・・
あっというまに老若男女のアルバニア人に囲まれる。
すると、その中のひとりのオバチャマが「こんな感じかな?」と、軽いノリで、指をポクッと折った!
おお!いちを元に戻ったっぽいw ありがとう。

続いてもう一人のオバチャンが「だから言わんこっちゃない!気をつけなさい」と真顔で叱ってくる。なんか妙に沁みた。ありがとう。

とりあえず指の位置は戻ったので、下山して宿に帰ることに。
自転車で本当に良かった。

宿に帰ったら、もうシュコドラとバイバイなので、時間の許す限り寄り道する。


城塞入口までバイクで来てたクレイジーライダー


ケバブのホットドッグ。



前日のスラムとは別のスラムにもお邪魔してみる。










チェスだけじゃなくドミノしてるオジサマも多かった。





景色も人も面白くて、ぜひまた訪れたいシュコドラだけど、
13時くらいにバスがあるっぽいので、ターミナルに急ぐ。

2017年5月時点で、シュコドラからティラナ行きのバスは乗り場は半年前の旅人さんのブログ情報から、すでに移動してた!
新市街の中心部から2キロ弱離れてたかな?
長距離バス溜りは、きちんとした建物があるわけではなく、ターミナルでもないし、バス停でもないので今後も動いちゃうかも。
宿の人に都度確認がオススメです。
でも、近くまで行くとバスが数台停まっているので行けば分かります。
あとは近くの人に聞くのみ。

宿からは結構遠かったので、自分は市バスで移動しました。
「アウトブシ ティラナ」の連呼で乗り切れたw
確実さを求めるなら、タクシーで「○○行きのバスに乗れるところ」って連れてってもらうとかした方がよさげかも。


13:30って聞いてたバスだったのに、13:35くらいについたけど乗れまでした。
結局14:00前くらいに出発だったと思う。少しでも席を埋めてから出発したい感じ。
バスの本数とかは分からないので、少し前に行くのか、あえて遅れていくのかとか、何がいいのか分からりませんorz

バスでは隣の席の女の子と仲良くなれて楽しかった。
医者の卵で、将来はアフリカで人道支援的なことをしたくて、小児科と精神科をメインで勉強中との事。
セーラームーンが大好きで、特にジュピター推しらしい。
タキシード仮面の呼び名など、日本語とアルバニア語で比べたりw
また、彼女のいとこはコソボ在住で、内戦の頃は色々大変だったそう。
自分が恥ずかしくなるくらい、未来への展望や、趣味や、民族愛なんかをキチンと語れる若者が眩しかった。


2時間弱でティラナに到着。お値段失念。



ティラナのバス停からは、印刷したグーグルマップなどを頼りに宿を目指す。
若干迷いかけたところで、バッパーらしき女子たちを見つけ、万に一つも同じ宿かも?と思い地図を見せて聞いてみる。
彼女たちは、この町の住人とのことで、むしろ旅帰りだったけど、宿の場所は知ってるよってことで案内してくれた。ありがたや。


「Tirana Backpackers Hostel」一泊9ユーロ
広々としたつくりで開放感がある建物。
調度品などもとてもお洒落。
共同シャワーも湯量十分&使いやすいつくり。
Wi-fiは部屋によって、かなりムラがある。
朝ごはんは簡素だけど個人的には十分。雰囲気のいい中庭でいただくのが嬉しい。













宿について一息。まずは荷解きを・・・と思ったら、開かない!
ダイヤルロックの番号がズレちゃってる!?
足の指もドンドン痛くなってきた。
悲しい。不安。痛い。
・・・・・・ゥゥゥウワ~~~ン(>_<)

「日本人に会いたいよう」
「誰かと(カンタンに)話したいよう」

こんなこと、海外旅行をしてて滅多に思ったことないけど、てか多分はじめてなんだけど…。
自分でもビックリするくらい弱気になってる。
自分の部屋はwi-fi微妙だったので、共有スペースのソファでSNSに甘えながら、ダイヤルロックをにらみつける。
もう一つずつやるしかない。

と、そこへ人間登場。アジア人だ!何語で話しかけるか迷っていると、「ペコリ」と小さな会釈してきた。日本人!?

「こんにちは」
「あ、日本の方?」
「(あなたも)ですよね?」
「はい。何してるんですか?こんなところで」

あ~~癒される。ちょっと曲者風の人だけど癒される~。

イギリス在住の日本人男性で、英国にいるうちに欧州をあちこち旅しちゃおうということで、今回は3日くらいの旅の一部としてアルバニアに来てるとのこと。
「すごい暇」「こういうの得意」とのことで、鍵を開けようとしてくれる。
が、一周しても開かず、結局自分で空けたw
でも、その間ずっと話し相手になってくれた。

英語ペラペラさんだったので、宿のオーナーに私の状況を伝え、病院の場所を地図に書き込んでもらう。
この辺だと「~キリスト病院」みたいなミッション系の総合病院?と、そこが閉まってたら近くにドイツ人の心臓内科みたいなのがあるとのこと。別に心臓に問題はないんだけどね。
病院に行くときもついてきてくれたり?と期待したが、それはなかったw

場所も分かったし、宿のオーナーいわく「2000~3000円くらいで済む」らしいので、異国の病院行くぞぉ!

痛い足を引きずりながら町に出て、右足だけ極端なガニ股&左右に揺れるように歩いてたら、クソガキ共が「チャップリンかよ~」と小バカにしてくる。チキショウ!

お!日本大使館できたのね!看板ピッカピカ!


病院がない。
地図の場所は廃墟と駐車場。
駐車場の管理人さんに尋ねるも英語不可orz
でも、それで終わりじゃなく、すぐに通りすがりの英語OKさんを捕まえてくれる。やさしい。
指差されたほうに歩いてみるけど、見つからない。
エントランスにマリア像の置いてある建物があったけど、閉まってる上に、病院なのかもわからない。
地図上では、もう、その先のドイツ人の心臓内科の近くまで来ちゃってるよ。

あきらめよう。
足の状況はよく分からないけど、目の前の薬局に入ってバンドエイドを購入し、足の指を固定してみる。(薬局はやたらある)

観光なんて一切できず、痛みと疲労でドンヨリしてたけど、夕食は宿で会った日本人男性とともにする。
なかなか豪華&ちょぴりだけど、この旅初の魚介もいただけて小さな幸せがしみる夜でした。
おやすみなさい。

zzzZZZZZZ!

寝れるかぁ!
この日は4人部屋をブッチャーみたいな白人男性と2人で使ってたんだけど、鼾がすごい!豚小屋とはよく言ったもんで、なぜ本人が目覚めないのか不思議なレベル。
悪気ないのは分かるけど、つらい!

眠りが浅くなったら鼾も弱くなるかも?と思い、自分の毛布をファサファサして風を起こしてみる。(人間は顔に風が当たると目が覚めるって昔テレビで言ってた)
ついでにササッと懐中電灯でお顔を照らしてみたり。
ちょっと起きかけてきたのでコチラはすかさず寝たふり。
いいぞ!静かになってきた・・・・・・のに!もう!!すぐに爆睡モード再開orz

一度寝るのをあきらめて、踊り場のソファでぐうたら。
でも起きてると足が痛いんだよ。寝ちゃって楽になりたいんだよ。
寝ちゃった。ソファで。

おやすみなさい。

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4日目:プリズレン→アルバニア国境超え→シュコドラ(シュコダル)観光→シュコドラ泊

2017年04月30日 23時55分53秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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ついにアルバニアへ行く日が来た。

思えば、たまたまついてたテレビから
「アルバニア・欧州の北朝鮮・70年代まで鎖国・90年代には国民の7割がネズミ講の被害に」
という刺激的なワードが流れてきたので、「なにそれ?行く!」と決めたのが、この旅のきっかけ。


そして、アルバニアの最初の目的地は「シュコドラ」
歩き方ではスルーされてるけど。
グーグルマップだとシュコダルにされちゃってるけど。
(シュコダルだと、「シュコドラの」みたいな意味になるそう)

でも、そのグーグルマップでなんとなくポチして見た写真の、その風景のすばらしさに一目惚れして、行くことに!


こんな感じ。


で、プリズレンとシュコドラって、地図で見るとすごく良い位置関係で、バスでさくっと行けそうなんだけど、旅猛者さんたちのブログを見ると、3~4回乗り継いで半日がかりの大移動をしたとか、とにかく大変そう。
自分のスキルで行けるのか分からない。
交通機関が間引きされがちと評判の日曜日。
でも、移動だけで1日つぶす覚悟でやってきたのです。


で、前日の話。

プリズレンのバスターミナルから宿まで乗ったタクシーにて
「プリズレンには何日いるの?」
「明日にはアルバニアに行っちゃうんだよ」
「そうかぁ。アルバニアのどこに行くの」
「シュコドラだよ」
「じゃあ、10時のバスだね」

え?ええ~~~?
バス、あるの?

散々検索したつもりだったけど、ブログも読み漁ったけれど、ちっとも見つからないバスがあるの?
しかもシュコドラまで乗り継ぎなしの直行便!

毎日10:00AMにバスターミナルから出てます。
平日も土日も関係なく出てます。
(多分終点はモンテネグロです)

10:00発のバスですが、越境のためにバスターミナルの事務所でパスポートとか渡したりするので、15分前くらいには着けてると良いかと思われます。
(自分は宿の人が「FBを~」「僕の名刺を~」と引き止めるもんでギリギリでした)

このバスの存在は、多分この旅ベスト3の嬉しい誤算。
てか、もっとこのバスの存在を旅人に広めたい!
人気ブロガーさん、お願いします!

そして、ここでもうひとつ嬉しい誤算。
シュコドラ行きのバスに乗るところで、旅ブログを漁っていると、いろんな人の記事にやたらと出てくる「しょうきさん」に遭遇。

自分の予約していた宿にお住まいのようで、めっちゃいいかげんな地図しか用意してなかったけど、おかげで無事に宿まで辿り着けました。ありがとう、しょうきさん!
(なお、しょうきさんはアルバニアからお醤油を買いにコソボまで来ていたそうな)

観光バス的な車両。かなりキレイ。


道中なぞの建物たち。




ここに馬!?



途中の街。どこだ?
ここですごく待った&人増えた。





14:20 シュコドラ到着。
街中からは結構離れたところに降ろされます。
なので、ちょっと歩いて市バスにて移動。30レク(約30円)
一人だったら2キロ以上歩いてたと思う。






開店前のしょうきさんのお店。「SUSHI te SHOKI」



ここに地図をすべて置き忘れてきたorz
この旅は肉ばっか食べてたので、またバルカンを旅することがあったら、是非立ち寄らせていただきたいと思います。

ランチはソフラチェ(って言ってた)。
レク持ってないのでご馳走になる(^-^;)


その後、日曜で両替所休みという危機を人生初のキャッシングで乗り切る。
とりあえず1000レク≒1000円。


この日の宿は「Shkodra Backpackers Hostel」一泊7ユーロだったような・・・
レンタル自転車もあって、2回も借りたのにお値段を忘れてしまったorz
4時間で3ユーロとか、そんな感じだったような・・・


とりあえず自転車を借りて、城塞方面に軽く走ったり(登るのは翌日)、おじちゃまの飲み会に合流したり(ご馳走様です)、スラムっぽいエリアの子供たちに遊んでもらったり(ありがとう)、短時間でも珍道中ごっこができました。(あくまでも自己責任でね)

よく見かけた乗り物。



割と都会?
それとも田舎?



ムスリム多数。


野良馬!?放し飼い!?


渡る気満々だった橋。


おさかな食べたいな~


スラム?






漁やってる。






野良山羊?放牧?




お魚をご馳走になる。日曜といえど、昼間からガンガンに飲んでるw






団地の子




帰ろうとしたら追ってきた。カワイイ!








ゲーセン。といっても置いてあるのはパソコンだけ。




そして、この日はメーデーとかの関係で、バス通りとかとは別の意味でのメインストリートでフリーのジャズライブが開催されてた!
レトロなファッションに身を包んだお洒落さんたちが集まって、思い思いに踊ったり、写真撮ったり、一瞬すごく仲良くなったり、とても楽しかった!










夕食は宿の一人旅さんたちと一緒に食べに行くことに。
コソボはずっと一人ディナーだったので、めっちゃ嬉しい!



てか、そんなにドミ暦ないけど思うのは、宿質というか客層って絶対あるなと。
基本的には一期一会のお客さんたちが循環している場所だし、値段も立地も大差ないはずなのに、パリピっぽい人が多い宿、マナーの良い人が多い宿など、差が出るこの不思議。
もちろん色んな人がゴチャマゼのところもあるけどね(新しい宿のほうが、そうな気がする)。
なので、気持ちの良い人が集まる宿に当たったときは本当に嬉しい。


閑話休題

そういうわけで、楽しい皆様に仲間に入れていただき、久々のにぎやかご飯。
超絶どーでもいい話ですが、二十歳の男の子にやんわりアプローチされたのは悪い気はしなかったなぁ。そのあと「私37だよ」って言ったときの少年の驚愕の表情と、「ギリギリお母さんじゃん」という周りのツッコミも良い思ひ出です。









夕食後に町をふらつき、カフェバー?的なところで写真とか撮らせてもらおうと思ってたら、いつの間にやら一緒にスポーツ観戦wそしてビールをおごられるw
「俺がおごるよ」「いやいや俺が」「どうぞどうぞ」という、アルバニアのおじちゃんたちのリアルダチョウ倶楽部、ありがとうございました。

宿は、お風呂もシャワーも清潔で使い易かった。
前日が少し不便だったので、余計にありがたみが沁みます。
身も心もピッカピカ。
おやすみなさい。

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コソボ3日目 後半 ヴィソキ・デチャニ→プリズレン観光→プリズレン泊

2017年04月29日 13時00分12秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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3日目 4/29(土)の後半はヴィソキ・デチャニからプリズレンへ移動&観光です。





ってことで、さらばペヤ。いざ、プリズレンへ。





片道2時間半ちょっと。3ユーロくらいだったような・・・
分かっていたことだけど、このバスはやっぱりデチャニを通るのね。
ちょっと長いからなのか、道中2回も飴が配られた。妙に嬉しい。



道中

なぞの建造物。





日本車も人気?


プリズレンもバスターミナルも市街地から少し離れているので、またしてもタクシー。
17:00過ぎにホステル99というドミに着く。

今夜の宿は、トルコ系の兄弟が経営。
玄関でサンダルに履き替えるスタイル。
Wi-fiは場所によって不安定かも。
シャワーが若干使いにくいというか、着替えが一瞬スリリング?
トイレ兼洗面所も1つなので、混んでたら大変かも。
鍵のかかる大き目のひきだしアリ。

「兄貴は英語ペラペラなのさ」って言ってる弟さんの速さにもついていけませんorz
最初に観光に出る時に、彼が5分ほど一緒に散策しつつ、周囲の案内やオススメのお店を教えてくれました。

プリシュティーナが東京なら、プリズレンは京都って感じでしょうか。
コソボ人にも人気の観光地とのこと。

自分は土曜日に行ったのですが、かなりの人出でした。
で、人が多いと「写真撮ろうよ」もスゴイ。
自分はすべての方に愛想よく対応していたのですが、おかげで観光の時間がかなり削られました。
特にグループに声かけられたら、集合写真1枚で終わらせないと危険。

結果的に最後の中世建造物群であった「レヴィシケ生神女教会」に入り損ねましたorz


これです。

レヴィシケ生神女教会は、基本的に施錠されており、入りたいときは「ゲオルゲ教会」で鍵を借りる必要があります。
が、この二つ、別に隣同士とかじゃなくて、普通にちょっと離れてます。

暗くなる前に城塞に登って、そのあとゲオルゲ教会に行くはずが、道中ホントに時間がかかり、自分も街中などウロウロしていたら、レヴィシケにたどり着くというより、ゲオルゲのOPENに間に合わず・・・。


結局この町で自分がちゃんと観光できたのは、城塞からの景色、古い町並み、有名な橋、モスクくらいでしょうか。
今回は夕方着&翌朝発という弾丸スケジュールだったけど、せめて昼過ぎ着ができていれば・・・とは思う。(または写真おねだりをバッサバサと切り抜けるか?)
小さい町だったのが、せめてもの救いかな。
でも、ご機嫌な人たちとの一期一会を楽しめたのは間違いないので、それは本当に良かった。


どこにでもあるのね、こういうの。




有名なモスクの前では、土曜日らしくお祭りムード。


トルコ風?


めっちゃ懐いてくれて可愛かった。
君があと30年早く生まれていたら、運命だったのに~。


城塞へ

しぬよ?


迷子ってたら案内してくれた少年たち。


上からの景色。








歩き方に載ってる写真。


お祈りも見学できました。






夜もキレイ。




走っていった子が広場でお小遣い稼ぎ。

この泉の水を飲むと、次にこの街に来た時にこの街の人と結婚して住み着くことになる。
という伝説があります。飲んじゃったよ。

夕食はケバブ。
ビールのほろ苦さと、油の甘みがマリアージュ。


プリズレンはナイトライフも充実してる様子でした。




アートも盛ん?


アイス屋さんが多数。


世界でもベスト20に入りそうな小さな教会(?)



明日はついにアルバニアへ!
おやすみなさい。


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コソボ3日目 前半 ヴィソキ・デチャニ観光

2017年04月29日 08時30分32秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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3日目 4/29(土)の前半はヴィソキ・デチャニ観光です。
で、午後はプリズレンへ行く予定。

ヴィソキ・デチャニはペヤよりも少し南の町で、プリズレンはもっと南の町なので、多分一筆書きルートで行けるんだけど、情報が少なくて怖いので、ペヤ→デチャ→ペヤ→プリという少し無駄のあるルートプランです。




宿の朝ごはんはこんな感じ。
右手前の赤い何かが、なんだか分からないけど美味しかった!

英語ペラペラのイタリア人とアメリカ人(?)と3人で食べる。とっても無口で静かな自分。気を使って話を振ってくれるのに申し訳ない・・・。

チェックアウトをし、荷物を背負って朝の街をバスターミナルまで歩きます。
自分の泊まっていたホテルはペヤ地方博物館より300mくらい南にありましたが、バスターミナルまでは徒歩20分くらいでした。


バザール。昨日の夕方より盛り上がってる。
ムスリムは金曜日は安息日とかだったっけ?









こちら時刻表


ターミナルの窓口っぽいところのオバちゃんに荷物預かりを打診するも、完全に不審者扱い。
ちなみに自分以上に英語を話さない人だった。

その後、ターミナルの中の床屋で断られ、バーガーショップではキッチンの床がビショついてないことを確認して頼んでみると、「BOM入ってない?」とジョークかまされ快くOKをいただく。

このBOMジョークが、欧州の火薬庫と呼ばれていた土地ならではの火薬との身近さゆえなのか、昨今のテロなどの影響なのか、自分がたまたまBOM好きな人に遭遇してるだけなのかは不明。


10:30のバスに乗って、30分ちょっとでデチャニのバス停(?)についた。1ユーロ。

ここではもちろんヴィソキ・デチャニ修道院に行く。
自分はのんびり歩いて行ったけど、めんどくさい人はタクシーとかもアリかも。
距離は2キロ弱で、ゆるい登り坂が続きます。





いったん緑に囲まれた道に入れば、あとは道なり。
途中には飲めるらしい湧き水があったり。(汲みにきてる家族がいた)


定番の野良お墓(御影石に遺影が彫ってあって、ベンチとかで休めるようになってる)があったり。
右手には畑や草原やカワイイお家があったり。



左手には、途中から茂みに隠れて有刺鉄腺が張られていて、その奥からドーン!ドカーン!と大きな音が響いてきます。軍の演習場でもあるのかと思わせる雰囲気。



修道院の敷地らしいものが遠くに見えてきました。

さて、ここの修道院も世界遺産で、他と同様にパスポートチェックがありますが、それよりさらに手前には、修道院に続く一本道を監視している小屋があります。



車とかはいったん止められますが、歩行者はサクッと通れる模様。
写真の三角は高さ1m以上の巨大なコンクリート製。

自分の場合は、小屋や車止めが珍しくて、遠くから写真を撮っていたのですが、それもしっかり見られており、通過時に「カメラみせて」「写真撮ってたよね」「削除して」というオマケつきでした。
(この写真は帰りに遠くからズームで・・・)

彼らに言わせると「修道院は写真撮っていいけど、軍施設はダメ」との事。



修道院の入り口にも軍が待機。

修道院の入り口でパスポートチェックを受けて、いざ門の内側へ。






二色のレンガがさりげなくお洒落。
建物自体は結構大きい。
青々した芝生に囲まれていい雰囲気。
しかも殆ど貸切状態。
しかし、居合わせた数少ない観光客に「写真ダメだよ」と言われたが、
「アーミーがいいって言ってた」と伝えておく。

建物の中に入ろうとすると、係りの人がカメラを見て「写真ダメだよ」と。
「アーミーが写真ノープロブレムってゲートのところで言ってた」と、再び伝えてみるも「ダメなものはダメ」と土井たか子節炸裂。

別にいいんだけどさ。もともと写真NGかな思ってたしさ。
でも軍人さんよ、期待させないでくれい。
それとも自分の英語力のなさによる勘違いなのか?

ただ、外で撮ってた写真のチェック&削除とかはされなかったし、外で撮ってるときに居合わせた庭師のおじ様にも何も言われなかったので、外観はOKっぽい。そう信じてる。


お土産屋さんとかもあって、修道院の模型とか、小さなイコンとか、ここで作ったワインとチーズなんかもあって、すっごく欲しかったんだけど(特にワインとチーズ)、荷物になるので断念。





こういうときグループ旅なら、絶対に買い込んで今夜の晩餐で頂くんだけどなぁ。
あるいは自分が英語達者だったり、バッパー多めの観光地とかなら、ドミでシェアでもいいんだけど、状況が読めず購入断念。



通り沿いの団地からこんにちは。



牛くん、リードなしでも飼い主さんについてゆく賢い子。


本当はデチャニの街も少しうろつきたかったんだけど、この後の移動のことを考えて断念。


デチャニでも、カフェはやっぱり男子のたまり場。

ペヤに戻るバスは、バスを降ろされた交差点の向かい側あたり。
その辺のカフェとかで「ペヤ!アウトブス!」とか聞けば教えてくれます。

バスに乗り込む際には「ペヤ」を連呼して着席。
「ペヤだよ~」と言われて降りると、バスターミナルじゃない。

バスターミナルよりも市街地に近いバス停で下ろされてしまったorz
周りを確認しないでホイホイ言うこと聞いちゃう悪い癖、前日はラッキーパターンだったけど、ここでは裏目に出たorz

バスは20分に一本の割合なので、ここで待っててもいいんだけど、プリズレン行きのバスまでは時間もあるし、せっかく荷物を背負っていないので、ターミナルまで歩こう!
でも、ここはどこ?ターミナルはどっち?
マゴマゴしてたら、女学生風の美女と普通女が声をかけてくれた。
事情を話すと「一緒に行こう!」と。やさしい。

途上国系の旅先では、若い人に向こうから声をかけられることが多いなと感じる。
ひとつは「一緒に写真撮って~」という、よくあるお誘い。
もうひとつは、多分「英語を使いたい!」なんじゃないかな~。
見るからに外国人一人旅なので「英語を話せるに違いない」と思われてるんだろうね。
勉強中の英語を使ってみたくてウズウズしている若者にとっては、道で困ってる外国人(しかも怖くなさそう)は、格好のターゲットでしょう。
そんな勉強熱心で好奇心旺盛な若者の期待に応えられなくて本当に申し訳ないorz

15分くらい歩くと知ってる道に出たので、彼女たちとはお別れ。


知ってる道に出た時の安心感ハンパない。
ちなみにここはバスターミナルまで150~200mくらいのあたりかな?
旧市街と比べるとすごく都会に感じる。


荷物を預かってくれていたバーガー屋さんでお礼を言って、ついでに遅めのランチも。





そして予定通り14:45のバスに乗り込み、予想通り5分ほど遅れて出発。


わりと立派なバス。


目的地が終点だと安心。

さらばペヤ。いざ、プリズレンへ。


コソボ2日目 後半 ペヤ₍ペーチ₎観光

2017年04月28日 14時00分32秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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コソボ2日目の後半はプチっとペヤ観光。

ミトロヴィツァからバスに揺られること約2時間。




ペヤに到着!
ペヤのバスターミナルは中心部から少しだけ離れてますが、元気な人なら普通に歩ける距離だと思います。
自分も最初は歩く気満々でしたが、脆弱な紙地図のみで、バスターミナルを出てどっちに歩けばいいかも分からず結局タクシーに乗ることに。





ここでもメーターではなく交渉タクシー。値段忘れたorz
元締めみたいな人がいて、適当に仕切ってくれます。
運転手さんに宿の場所を伝えても分かってない感じでしたが、元締めさんが地図と宿名を見てくれて、運転手さんに場所を伝えてくれて出発。
迷わず到着してくれました。
てか、並みの地図では辿り着けなかったと思われる場所だったので、疲れてたしタクシーでよかったかも。

宿はSarac Hostelというところに。
ドミを探していたけど、ブッキングドットコムではペヤのドミは見つけられず。
てか、なにげに宿高いエリアかと思われます。
世界遺産や、オールドバザールに近くて、できるだけ安いところを・・・ってことで、ここに決めました。
バストイレなしのセミダブルの個室です。22.10ユーロ。



オーナーはトルコ系で、ウェルカムドリンクにターキッシュコーヒーを出してくれました。
靴は入り口で脱ぐタイプ。
お部屋はかわいいのですが、棚の上には字が書けそうなほど埃がw
窓はちゃんと開かないけど、服とかはいちを干せました。
シャワーとトイレが収まった個室が2つあって、ドミの人と共同使用。
てか、ドミあるじゃん。チキショウ。

荷物を置いて一休みしたら、二つ目の世界遺産「ペヤ総主教修道院」へ。
宿で自転車を5ユーロで借りて出かけます。午後だけのると思うと高いなぁ。
サドルの高さが合ってないけど、サビサビで直せないorz
街から山に向かって行くので、道のりは基本的にゆるく上り坂。運動不足だと、地味に疲れるかも。

修道院に続く長い小径の入り口でパスポートのチェックがあります。
自転車はパスポートチェックのあとも乗り入れOKでした。車はどうだったかなぁ・・・。


パスポートチェックのあとも修道院は見えないほど遠い。



ヨーロピアンと思しき少人数のグループと鉢合わせましたが、みなさま静かでマナーも良く安心。
厳か系のところでやかましい団体さんとかと鉢合わせると、ホントがっかりしちゃうことあるもんね。

歩き方の写真で見てた感じとは、なにげに印象が違ったかも。百聞は一見にしかず。
高い石の塀と、堅牢そうな門をくぐると、広い箱庭といった風情のお庭があります。
右手には建物の基礎だけといった感じの遺跡?あり。左側には現在も使用されていると思しき修道施設。
花畑や家庭菜園風のエリアもある。
メインの赤茶の建物はゲートから見て右手奥に、木々に囲まれて静かにたたずんでます。
その横にはお墓もポツポツ。









建物の中は撮影NGでした。
入場料などはかかりませんが、ドネーションボックスがあるので、お気持ちでチャリンと。

びっくりしたのは、そのあとの記帳で日本人の名前を見つけたこと。しかも今日!
GWではあるけれど、こんなところに一人旅してる日本人女性ミヨコに、ものすごい親近感を一方的に感じてます。

さて、行きは地味に登りだったので、帰りは緩やかな下り坂です。人生下り坂最高!
道の途中にかわいい色合いの教会などありますが、写真を撮ろうと思って近づくと、案外大きくて画面に収まらなかったり。もう面倒くさいのでスルーで。
途中、団地の駐車場などに乗り入れ、子供たちと遊んでもらったりしつつ、街に帰ってきました。

2015-16年の歩き方のコソボのページの扉絵に使われてる写真は、ここペヤのオールドバザールなので、せっかくだから足を伸ばしてみる。





人がいない。すっかすか。こんなんでいいのか?金曜日とか関係あるかな?
適当にウロウロして終わった。
個人的にはちょっとキレイ過ぎて、そこまでときめかなかった。人が沢山いたら感想も変わったかな?
(翌日の午前中はけっこうにぎわってました)

道中のバスで知らないおばちゃんが「ペヤは色んな人種や民族がいるんだよ」と教えてくれましたが、確かに!って感じでした。
教会とモスクが共存して、鐘の音とアザーンが入り乱れて、アルバニア系っぽい目ん玉クリクリの子がいたかと思えば、セルビア系っぽい奥まった目に高い鼻の渋いオジ様、白い肌にふわふわ金髪のThe天使がいるかと思えば、茶色い肌に宝石みたいな瞳をしたジプシー系の少女が笑いかけてくれたり、宿のオーナーはトルコ系、バングラデシュ出身のファミリーにも遭遇。それでも、モンゴロイドには会わずじまいでした。
よほど珍しいのか、好奇心旺盛でシャイな子供たちに、めっちゃ半端に絡まれますw


コソボだけど、アルバニアパワー満載。
マネキンの飾り方は考えたほうがいいと思う。


手に持ってる食事っぽいのが気になる・・・


コソボやアルバニアでよく見かけるチビッコ用のゴーカート。




花の季節。


テレサさまも花背負ってます。


夕食は街の普通のケバブ屋さんで、ケバブのサンドとアイランみたいなヨーグルトドリンクを2.5ユーロでいただきました。





個人的には、町並みの観光よりも自然を満喫するのが良いと思いました。
街のすぐ近くまで山並みが迫っていて、実際トレッキング、川下り、サイクリングなどを目的に訪れる人も多いらしく、宿にはコースマップなどが置いてありました。
連泊して、じっくり自然と触れ合うような楽しみ方をしたくなる町でした。
でも、明日はもう移動orz
早よ寝ねば。
おやすみなさい。

コソボ2日目 前半 ミトロヴィツァ観光

2017年04月28日 09時00分04秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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コソボの二日目はミトロヴィツァ(コソヴスカ・ミトロヴィツァ)とペヤ(ペーチ)を観光し、そのままペヤ泊。
なので、すべての荷物を持って出発。

ミトロヴィツァのバスターミナルに荷物預かりのサービスがあるかは不明だけど、「近くのカフェで預かってもらった」とか、「ホテルのフロントに預かってもらった」とか、旅人ブログで見た気がしていたので、まあ、なんとかなるでしょう。(最悪は担いで歩くしかない)

プリシュティーナ市街地からバスターミナル(スタシオンアウトブシ)まで、メータータクシーで途中渋滞しつつも2.5ユーロ。
前日5ユーロで頷かなくて本当に良かったw
ミトロヴィツァ方面へのバスは1時間に3~4本くらいのペースで出てました。
ミトロヴィツァまでは1.5ユーロで1時間半ほどで到着。

バスの人に「ミトロヴィツァで教えて」と声をかけていたので、ついたら教えてくれましたが、降りたところはバスターミナルではなく、ジャーミーの前。



バスターミナルより1キロちょっと北側になります。
観光したいエリアには近いけど、荷物どうしよう?
もうぶっつけで、その辺のお店に飛び込むしかない!

一軒目は入り口の女性と目が合った洋服屋さんに声をかけてみるもののNG。
いちをお店の上の人にも確認してくれた。やさしい。
二軒目は、その並びのケータイとか小さい電気製品とか飲み物とか売ってる何屋だか良くわからないお店。
店先のお兄さんに声をかけると、「BOMとか入ってないよね?」とジョーク(?)をかまされ、こちらもカバンの中身を見せるべくファスナーを開けるけど、パンパンすぎて全然見せられない。
しかし、こちらの見るからに無害な感じとか、本当に重そうな感じが伝わったのか、預かってもらえることに。
戻りの予定時間などを適当に打ち合わせたら、身軽になって観光へGO!


プリシュティーナほどではないけど、街はそこそこ栄えてる感じ。
でも、ちょっと脇道とかに入ると廃墟とかもあったりする。






山の上にUFO STATION発見!


とりあえずセルビア地区を見学したくて、町の北側にある川へ向かう。
川では新しい橋が絶賛建設中。建設中だけど普通に渡れた。₍2017年4月時点₎
不安定な地域のようなので、これは嬉しい。





川を渡るとなんとなく町の雰囲気が変わった気がする。
民族的な顔立ちの違いのせいか、北側の方がしかめ面っぽく見える人が多い。
工事中のところが多かったりで、町はどことなく埃っぽい。
そういう小さな違いの積み重ねが、自分の中にちょっとした緊張感を生む。

そういえば、この旅で最初に「写真撮ったんだからお金頂戴」って言われたの、この街だ。

あと、プリシュティーナや川の南側に比べて、ストリートアートがすごく増えた。
よく分からないものや、シンプルにカッコイイものもあるけど、政治的な主張を感じさせるものもちょいちょい。
色んな背景を持った人が集まっていて、国とか居場所とか曖昧な感じもあって、ハッキリとは言えないけど、心の中では本当に強く何かを願っていたりするんだろうなって、勝手に思った。













街をうろついたら、いちを観光地っぽい教会へ。









まだ新しくて、重厚感はそんなにないし、中のフレスコ画は下手なのも混ざってるw
新しいせいか中も写真撮影OK。
また、神父さん、牧師さんではないけど管理人さんみたいなおじいちゃんがいて、その方がろうそく(無料)のあげ方や、この地域の歴史などを熱心に話してくれた。
それなのに、何言ってるかわからない自分が悲しい。


この教会からさらに登っていくと、下の街から見えたUFO STATIONに到着。


たぶんコソボ紛争とかの慰霊碑。


山の上なので景色が良い。




鉄道駅も行ってみたかったけど、疲れてしまって足を延ばせず。


丘を降りてウロウロ。
古いほうの橋を渡りたくて放浪していたら、仮設商店街のようなプレハブ小屋群、バス待ちの小学生の群れ、などなどに遭遇。
子供たちは結構やんちゃ。








オンボロ橋を渡って、再び川の南側へ。






商店街と呼ぶには静か過ぎるけど、いちをお店とか集まってる、いかにも地元民御用達っぽいエリアへ。






これもいちをカフェ。お店です。






チャイをご馳走になりました。トルコみたいw


あいかわらずお茶してるのは男性ばかり。
彼らは日本に来たら「カフェ、女子ばっかじゃん」って驚くのかしら?












行き当たりばったりでカワイイ教会を発見。





こちらは川より南側で街の東側。
鍵のかかっていない門扉を勝手に開けて、中のお巡りさんにパスポートをあずけて見学。
建物の中には入れませんでした。
教会と有刺鉄線は、もうペアって感じ。


荷物を預かってくれたお店の人には、15時頃までには戻ると伝えていたけど、歩きつかれたので、まだ14時頃だけど荷物を取りに戻ることに。
バスを降ろされたジャーミーはちょうどお祈りタイム。
建物に入りきらない人達は、その前の広場に持参したカーペット、自分の上着、ダンボールなど、思い思いの敷物を敷いてお祈りしていた。
その前の通りを、ムスリム以外の人はいつもの光景らしく、特に気に留めるでもなく通過していく。
こうもガッツリ宗教が入り混じっている街を歩いたのは初めてだったので、ちょっとしたカルチャーショックかも。





お祈りを見学しつつ、お店に戻ると誰もいない!
が、すぐに朝の彼が戻ってきた。今のお祈りに参加していたとのこと。

お礼を言って、荷物を背負い、おそらく1キロちょっと南にあると思われるバスターミナルを目指して歩きます。
道を聞いた少年たちが「あっちだよ」と教えてくれた後、どうやら同じ方向に進む予定だったらしく、道を行きつつチラチラと振り返り、こちらを確認してくれるw
そんな親切な少年たちのおかげで無事到着。
次のバスも、30分も待たずに出発という運のよさ。




フロントガラスのところに行先と予定時刻アリ。


さあ、ペヤを目指します!

コソボ1日目 後半 プリシュティーナ観光

2017年04月27日 13時00分50秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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旅初日の後半はプリシュティーナ観光。

グラチャニツァから戻り、プリシュティナのターミナルで降りて、今度は市街地まで約2.5キロの道のりを歩くことに。



ランチはその辺のフツウのお店。現地の人にまぎれて食べるのが楽しい。
パニーニとコカ・コーラで2ユーロ。


ちょっと歩くと市場っぽいエリアに遭遇。







生活感あふれるつくりだけど、お土産っぽいデザインのTシャツも沢山売ってる。
野菜、チーズ、靴、時計、おもちゃ、衣服など、なんでもある。
つくりは違うんだけど、ちょっとだけモロッコのスークを思い出した。
でも、全然ウザくはないw

2017年のGWは、たんぽぽの綿毛の季節で、群生してるあたりは鼻に詰まりそうなほど綿毛飛んでます(>_<)


建築中のマザー・テレサ大聖堂(マザー・テレサ教会)に来ました。

マザー・テレサはインドでの活動が有名なので「なぜコソボに?」って感じですが、彼女は実はアルバニア系民族なのです。(実際、インド人には見えませんよねw)
で、コソボはアルバニア人が大変多いのです。
なので、きっとアルバニア民族の星みたいなことなんじゃないかな?と勝手に思ってます。
コソボだけじゃなく、アルバニアでも沢山銅像を見たので、いっそのこと出会った銅像をカウントしてみればよかったかも。










さて、こちらの大聖堂は2017年GW現在は建設中でありますが、時間内(朝不明~16:30)であれば入れます。
聖堂に入るだけなら無料ですが、鐘楼に登るには1ユーロかかります。(エレベーターで行けます)


高すぎないので、眼下の建物などもちゃんと見えるし、街全体の位置関係などもザックリ把握できるので、街歩き前に登れてよかったかも。












国立図書館。
この社会主義色ムンムンのデザインのおかげで、コソボでも1、2を争う有名な建築物ではなかろうか。
営業時間内であれば、旅行者だってもちろん入れます。






凝った内装。ただのエレガントとも違います。
自習室も充実してましたが、入るとかなり注目を浴びます。
(自習室は、デザインはフツウ。みんなお勉強していたので、写真は自粛)






国立図書館のとなりの教会。
Google Mapで見てみたらChrist the Saviour Cathedral(救世主キリスト大教会)と言うそうな。
1995年に建設に取り掛かったものの、コソボ紛争の影響で建設は頓挫。
紛争が終わったあとも、コソボは何気にムスリムが多いこともあり、そのまま放置となり、今に至る。らしい。知らんけど。

廃墟Loverとしては、中に入れないのは残念極まりないけど、外側もなかなかいいムード。
あと、写真だと感じないけど、意外と大きいです。


お次は「若さとスポーツの宮殿」
って、名前がもうどうかしてるw



もう使われてない雰囲気で、窓から中を覗いていたら、中に住んでる(?)ホームレスっぽいおじいちゃんが手招きしてる。
「あっちあっち」と指差す方向に進むと、入り口と簡単な受付発見!
おじいちゃんが受付の人に何か言うと、私はすんなり入れてもらえた。
いざ、廃墟探検へ!













うっすらと奇怪遺産の香りw

入ってみて、色々びっくり。
1階部分は駐車場として活用されている。
その逆サイドは、ちゃんと体育館として使えるようになってる。(この日はハンドボールの練習をしてた)



廃墟じゃないのね。


ここでおじいちゃんから謎のハンドサイン。
指先をすぼめるようにして口元にもっていき、投げキスみたいにしながら指をパッと開く。
おじいちゃんが、このサインを何度もしてて、そのまま自分のホッペをツンツンしたりしてるから「なんだ?チューして。とかか?」と思い、「無理だよ」と腕でバツを作ったりしてたけど、結局なんだったんだろ?

この「指すぼめからの投げキス」って、「おいしい」「いいね」みたいな意味が基本みたい。
「ミール(good)」って言いながらしてたら間違いない。
けど、無言のときとかは「チップくれ」っぽい感じのときもあるような?

あと、こちらが腕や指で「○」「×」を作っても、あちらの人々にはあまり通じないらしい。
所変われば言葉だけじゃなく、ジェスチャーだって変わるのね。
とりあえず「腕で×を作る」=「地獄に落ちろ」とかじゃなくて良かった・・・。









若さとスポーツの宮殿の近くには、これまた有名な「NEW BORN」があります。
こちらはしばしば色を変えてるらしく、今までに誰かのブログで見たことのある、どの色とも違ってた。
しかも、文字倒れちゃってる。

この後は、旧市街のほうへダラダラと歩いてみる。





地図に時計台とか書いてあるから目印にしようと思ってるとアテが外れます。
町のほとんどの場所から見えません。






ゆったりと登っていくような道があって、そっちに行ったらキレイな町並みとかありそうな気もしたんだけど、なぜか少し急な坂道を下ってしまう自分。

市場キター!









ちょっとモロッコのユダヤ人街に似てる気がする。
こういう雑多なムードが嫌いじゃないので、しばしウロウロ。


だいぶ暗くなってきたので、とりあえずメインストリートの方に戻ってみる。
すると、なんだかお祭り騒ぎ。



沢山の人がアルバニア国旗を持ってたり、少しの人がコソボ国旗を持ってたり、中には軍服みたいなのを着てる人もチラホラ。
太鼓とラッパで勇壮な音を鳴らしながら、広場の方へ歩いていく。
一瞬迷ったけど、その流れにわざと流され、巻き込まれながら進んでいく。









人がわんさと集まっている様子を撮りたいけど見えない!と、カメラを構えていると、周りの人が「前へどうぞ」と場所をあけてくれる。
本気で祝ってる人たちを押しのけていくのも気が引けたので、ちょっと撮ったら引っ込む。この繰り返しw



気になって仕方ないので、近くの人に「これ、なんのお祭り?」と聞いてみると、なかなかのハイテンションで「ラムシが帰ってきたのよ!」とのこと。
「なんか歴史上のラムシって人が凱旋した記念日とかかな~」と思いつつ、盛り上がりを眺めていると、
「彼よー!」と指差す彼女。
「え?現在進行形の人なの?」とビックリ。



ラムシュ・ハラディナイ Wiki
振る舞いはなかなかのヒーローっぷり、ビジュアルも上手に年を重ねたカッコイイ中年。
コソボのゲバラか?って感じで、本当に盛りあがってた。







この喧騒の中、10代半ばと思しきヒジャブ女子と仲良くなって、向こうから「写真とろうよ」って言ってきてくれたんだけど、撮ってたら彼女のお母さんが現れて、彼女はめっちゃ怒られてたので、ここには載せないことにしておきます。

最後は花火が上がって、その花火が目の前のビルの屋上からあげてるので、火の粉がジャンジャン降ってきて熱かったw
こういうワイルドさ、日本も昔はあったと思うんだけど・・・






夕食はビール(ペヤ1.5ユーロ)とピザ(2ユーロ)をテイクアウトすることに。

宿の共有スペースで、二枚目のフランス人ジャーナリストと淡い交流を楽しみつつ、最後にはウサギまで登場して、コソボの初夜は楽しく更けていくのであります。



初日からテンコ盛り。
おやすみなさい。

コソボ1日目 プリシュティーナ着 グラチャニツァ観光

2017年04月27日 08時35分38秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
旅の全体図はコチラ

旅の初日はコソボから。
グラチャニツァとプリシュティナ観光です。


2017年4月26日、世間のGWより2.5日も前倒しをして、会社を早退。
通常は22:35発らしいNRT発IST行きが、すでにGW仕様なのか平日なのに21:35ということで残念至極。
これさえなければ早退はしなくても済んだのに・・・

このGWの少し前に、ユナイッテド航空でオーバーブッキング、からの乗客をぶん殴って降ろしたという事件があったので、「くわばらくわばら」などと思っていたら、チェックインカウンターで「実はこの便、オーバーなんですけど・・・」と打診されたが、「やだやだムリムリ」と即座にお断り。先方も「無理やり降りていただくような事はありませんので」と苦笑い対応。こうして無事出国。

イスタンブールでの乗り継ぎは、時間に余裕があったので、出入国審査はゆっくり行くことに。
途中の椅子で仮眠して、流れてくる人並みが途絶えた頃にジワジワと移動開始。
おかげで審査はスムーズに通過。
あと、乗り継ぎのための審査場所が二箇所あるらしい。
手前はすぐ行列だけど、奥は空いてるとか。知らんけど。

コソボ行きの飛行機は72番搭乗口(だったような・・・)。
アタトゥルク国際空港の中でも僻地感が漂う最果ての地。
でも、近くに売店はありました。



アナウンスとかも聞いた気がしない。
そこから機体までは、さらにバスで10分弱。

飛行機は遅れることなく離陸。
小一時間飛べばもうコソボ上空。
初めての国、そして多分2度目はない。
そう思うと、何てことない風景でもついつい写真を撮ってしまう。











さて、今回は荷物をすべて機内持ち込みにしていたので、ターンテーブルはスルーしてイミグレ(イミグレーション/Immigration Control/入国審査)の列へ。

イミグレは色々ドキドキした。


まず、機内でそれっぽい書類(入国審査とか税関とか)を配られることなく着陸。
空港内でもそれらしい書類を見かけることなくイミグレの列にたどり着いてしまった。
そして、外国人の列がどれかも分からない。
いつもならアジア人っぽい人のいる列とかで少しはアタリをつけられけど、ここでは周りは白人ばかり。とりあえず、各々が持っているパスポートの多様性を信じて適当に並んでみる。

手ぶらのまま自分の番が来てしまった。
見るからに外国人な自分を手招きしている。
列はあっているらしい。
そして色々質問される。英語で。
たぶん半分もまともに答えられてない。
けど、向こうも面倒くさくなってきたっぽい。
色々うやむやなまま通してもらえた。
紙の方がよっぽど楽だ。

今更ながらプリシュティナの空港はイミグレの列、もともと分けてなかったのかも?って気もする。


8:30着の飛行機で、9:00前には出られた。
飛行機ほぼ満席だった割りにサクサク。
荷物を預けていないおかげ?

宿に空港からの送迎を頼んでおいた。
が、来てない。
9:20まで待ってみた。
が、来ない。

自分は若干のアナログ人間で、SIMカードとかWifiルーターとか「なにそれ?近未来の大人のおもちゃ?」ってくらいの認識で、外国ではFree Wifiって書いてあるとこでしかネットを使わないのだけど、プリシュティナ国際空港は、Wifi有料です!(入国しちゃったから?)

ほんの一瞬のためにお金払いたくないけど、このまま送迎を待ってていいのか、自力で宿に向かっちゃっていいのか分からない。
困ったときの人頼みを発動すると、こんなところでマゴマゴしている東洋人は相当目立っていたらしく、こちらから声をかけると、待ってましたとばかりの反応w

出待ち風の若者3人に声をかけてみたが、うまく意思相通が図れないとみるや、若者たちが近くの大人に声をかけてくれて、その大人からケータイを借り、かけ方が分からず番号も押してもらい、電話口で宿の人が何言ってるのかも分からず、結局すべて話してもらい、
「迎えは来れなくなったからタクシーで来てってさ。乗り場はあそこだよ」
と的確な指示をもらう。皆親切で本当に助かった。




予約していた宿は「PRISHTINA Center Hostel」
運転手さんに情報を見せるも「知らない宿だな~」とつれない反応。
地図を見せると「ホステル・ハンじゃん!」
違うんだけど、お隣ってことは調べがついてたので「じゃ、そこで」と。

ホステル・ハン(歩き方とかだどハン・ホステルって書いてある)は有名っぽいので、PRISHTINA Center Hostelにタクシーで向かう際は「ホステル・ハンで!」って言ったほうが早そうです。

宿の送迎と同額の15ユーロで無事到着。
宿自体は10ユーロ/泊です。

宿の看板(上です。下はハン)


建物の裏手に回って、団地の入り口みたいな普通の階段をガシガシ登っていくべし。


チェックインするなり「電話番号あってる?」と聞かれる。
「車壊れちゃって、迎えにいけないって連絡したかったんだけど、全然電話つながらないじゃ~ん」とのこと。
最近は外国人旅行者でも電話できるのが当たり前なのかもだけど、こちとら極東の島国から来てるアナログ人間なわけで「ご近所の異邦人と一緒にしないでくれよ。やれやれ」と、ひとりでハルキ・ムラカミごっこ。

荷物を降ろして気を取り直したら、書を捨てよ 町へ出よう!

4月末のコソボ。
ジャケット、パーカー、ロンT、長袖ヒートテック、Gパンで出発。
5分で暑い!
爽やかな青空=突き刺さる日光という図式にやられ、即座に宿に戻ってパーカーを脱ぎ捨て、ヒートテックを綿のタンクトップに交換。
エレベーターなしの4階は、こういうときはツライ。

最初の目的地はグラチャニツァ修道院。

コソボには「コソボの中世建造物群」という世界遺産があります。
これはその名のとおり建造物「群」がひとつの世界遺産という考え方。
コソボ各地に散らばる4つの建物をセットにして「コソボの中世建造物群」という世界遺産になります。

「コソボの~」と言っておりますが、ユネスコではセルビアの世界遺産って扱いになっているそう。(2017年4月時点)
そこには「コソボを国として認めるかどうか問題」があるわけですね。

ざっくり言うと、コソボはもともとセルビアの南端の一部だったわけですが、その辺りは主にアルバニア系の民族が暮らしており、セルビアの多くを占めるセルビア系民族とは、なんやかやゴタゴタするエリアで、コソボ紛争などを経て、2008年に独立を宣言。
でも、セルビアはそれを認めておらず、今でも「いや、あそこは自治州っていうか、要するにウチの一部ですから」というスタンス。

日本とかはコソボを国として認めていますが、セルビアはもちろん、ロシアやスペインや中国などは国としては認めていないそう。
ここでコソボを認めちゃうと、自国の領土問題との整合性が取れなくなっちゃいそうな国ってとこでしょうか。

そんなわけで、今ユネスコを誰がどう仕切っているのかわかりませんが、この「中世建造物群」が、どこの世界遺産なのかという問題はカタがついておらず、よって、これらの建造物を訪れるときはパスポートが必須です。ここ大事!

閑話休題

グラチャニツァ修道院へは、近くまでバスでいけるはず。
なので、まずはプリシュティナのバスターミナルをめざしますが、若干市街地から離れている(といっても2キロちょっと)ので、到着早々で土地勘もないし、ターミナルまではタクることに。

タクシーは黄色いメータータクシーもあるけど、交渉するタイプのタクシーの方が台数は多い感じ。
ここで利用したのは交渉タクシー。

「ターミナルまで5ユーロでいいよ」と吹っかけてくる。
「2で!」「は?」「2で!」「4なら」「3で!」「は?」「じゃあいい」「3でいいよ、もう!」
ということで乗ってみる。
「どこ行くの?」
「グラチャニツァ」
「バスないよ」
「あるって」
「ないよ」
「GJILAN(ジラン)までのバスがあるでしょ?」
「うん」
「それで行くから大丈夫」
「いやムリだ。俺が乗せていってやる。10でどーだ?」
「いや、そういうのいいから」
「グラチャニツァ行って、またプリの市街地まで戻ってくる。これで20。どーだ?」
「はいはい。とりあえずターミナルで降ろして。ホントにバスなかったら乗せてもらうから」
って事で、ターミナルで降りる。

最初バスターミナルまで5ユーロとか言ってた、あの価格とまったく整合性とれてない金額の提示はなんなんだ。
ちなみに、こんな鬱陶しい人は今回の旅の中でこの人だけ。

狙ってたGJILAN(ジラン)行きのバスはちゃんとありました。







↑バスターミナルに歩き方に載ってる人が働いてます。 

このバスは20分に1本の割合で出てます。
グラチャニツァまでは0.5ユーロ。
「グラチャニツァ」って言って、料金を払ったからか、降りるときには頼まなくても「ここだよ~」って教えてくれたし、バスにして本当によかった。

グラチャニツァのバス停で降りたら、道を渡り、バスが走り去っていった方向に5分も歩けば、グラチャニツァ修道院につけます。それっぽい看板などもあり、なかなか親切。






なお、ここまで来たら、人に場所を聞くときは「モナステリ(修道院)」が吉。
ここで「グラチャニツァは?」って聞くと、浅草寺に行きたい人が浅草で「浅草はどこ?」って聞いてるみたいになっちゃうので。
てか、マゴマゴしてると「モナステリ?なら、あっちだよ」って教えてくれたり。




見るからに頑丈そうな門。メインの通りに面してます。


横の塀の上は有刺鉄線がビッシリ。
先にこれを見に行って、入り口が分からず迷っていたら、親日家の親子が助けてくれた。


この看板に意味あるのか?


中庭が広くて気持ちいい。


銃弾の跡だという説も。
そう言われればそんな気もするし、石の劣化といわれればそうも見える。

ちなみに中は撮影禁止。フレスコ画は見事です。

たまに修道女がウロウロしてたりして、現役の修道院なんだなとシミジミ。
そして修道院なので、入場料などはかかりません。
(パスポートに関する記憶がない)

ついでに修道院の近辺もウロウロしてみて分かったのだけど(単に下調べ不足?)、グラチャニツァの町は、どうやら若干セルビア人地区なご様子。
セルビアの国旗が舞い、セルビアナンバーの車が増え、ちょっとしたところがセルビアンカラーに彩られていたり。
旅の初日の午前中だったので、辺りにいる人の顔立ちの違いとかはよく分からなかったけど、いきなり興味深い。








伝統的な家屋?





行き止まりでウロウロしてたら人が出てきて、怒られたりするかと思ったけど、「うちのワンちゃん見てってよ」とな。
庭に上がりこみ、しばしワンさんと戯れる。







バス通りをプリシュティナ方面に少し歩くと、ミュージアムがあった。



キリル文字は1文字も読めないけど、きっとコソボ紛争とかユーゴスラビア紛争の関連だろうと思わせる看板。



この文字に、たくさんの人の名前とか写真がはってあった。
紛争で亡くなったセルビア人の慰霊碑みたいなものだと思われる。




中には入らず、お外のみウロウロしたので、展示物や入場料などは不明です。

さて、プリに戻りたいのですが、バス停がどこか分からない。
通りすがりのバスでも、手を上げたりすれば乗せてくれるけど、いちをマジメにバス停を探す。






これ、バス停。ここは看板とかまったくなかった。バスが止まれるスペースがあるってだけ。
知っていれば分かりやすいが、知らないとスルーしちゃいそう。
炎天下で20分待つのはキツイだろうな。(10分くらいで来たけど)
向かいのパン屋がちょっと気になったけど、いつバスが来るか分からず行きそびれてしまった。
謎の博物館に興味がなければ、普通に修道院近くでバスに乗るのがオススメです。(結構歩いた)

午後はプリシュティーナ観光です。

2017年 GW 南バルカン旅行 全体図

2017年04月26日 10時10分32秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
こんばんにゃ。
2017年GWの旅行についてまとめます。

行き先:コソボ、アルバニア、マケドニア(バルカン半島の南端)
日程:4月26日(水)~5月8日(月)で13日間っぽいですが、実質11日間です。
旅のスタイル:初バッパー。宿はドミか安めのホテル。移動は基本、公共交通機関。
スペック:英語は中1の一学期レベル(謙遜抜き)、財力は乏しく、体力は中の下の上。
特技:人畜無害ですオーラを振り撒くこと。

両替:¥121.08/ユーロ
旅行代金総額:\149,460(航空券、現地全出費、空港バス)
旅行代金内訳
航空券:¥95,960(ターキッシュエアライン)
空港バス:¥4,500(東京~成田 \900/成田~YCAT \3,600)
現地全費用:\48,000(現地で消費したお金を円換算。宿、食事、交通費、医療費など)

日程
4/26(水) 会社早退 21:35成田発→翌朝イスタンブールで乗り継ぎ→コソボへ

4/27(木) 8:30プリシュティナ着→グラチャニツァプリシュティナ観光→プリ泊

4/28(金) プリシュティナ→ミトロヴィツァ観光ペヤ観光→ペヤ泊

4/29(土) ペヤ→ヴィソキ・デチャニ観光プリズレン観光→プリズレン泊

4/30(日) プリズレン→アルバニア国境超え→シュコドラ観光→シュコドラ泊


5/1(月) シュコドラ観光(プチ骨折!?) →ティラナ(ほぼ観光ならず) →ティラナ泊


5/2(火) ティラナ観光→ベラト観光→ベラト泊


5/3(水) アポロニアとベラト観光→ベラト泊


5/4(木) ベラト→ジロカストラ観光→ジロカストラ泊

5/5(金) ジロカストラ→アルバニア出国・マケドニア国境越え→オフリド観光→オフリド泊

5/6(土) オフリド観光→スコピエ観光→スコピエ泊

5/7(日) スコピエ観光→空港へ20:55スコピエ発→深夜イスタンブールで乗り継ぎ→

5/8(月) 19:30成田着

帰国まで書ききれるかにゃあ