みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

⑧ジェニンinパレスチナ/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年09月30日 22時56分25秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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ジェニンの歴史について、ここには詳しく書きません(書けません)
が、パレスチナ側の主張では、21世紀早々、イスラエルによるひどい虐殺行為があったそうです。
ただ、イスラエル側はそれを認めておらず、国連の調査さえも受け入れていません。

ジェニンの町はとても小さく、
世界遺産などはなく、
熱帯魚のひらめく海も、
自然の豊かな山も、
キラキラ輝くも滝や湖も、
最先端の都市も、
お洒落な街角も、
かわいい家も、
ありません。

見ようによっては、旅人にとって「何もない町」と言えるかもしれません。

それでも、行けて良かったと心から思える町でした。

そもそも自分がジェニンを選んだのは、
「ヨルダンの歩き方の地図に地名が載っていたから」
です。

ヨルダン旅行の際にパレスチナに寄る事は決めていたのですが、すでにエルサレム、ベツレヘム、ヘブロンは訪れていたので、どこか違う都市を・・・と考えていました。
また、金曜にヨルダンに戻る予定だったので、アレンビー/キング・フセイン国境は、金曜の午後は閉鎖と聞いており、別の国境からアクセスしたいと考えていました。
(アレンビーは往復で利用するのが鉄則のため)

北の国境から行けそうな都市ということで、有名なナブルスともうひとつ・・・と考えていたところ、ヨルダンの歩き方の広域地図に、ナブルスともう一つ載っていた地名がジェニンだったのです。
ただそれだけの理由でジェニン行きを決めました。

決めてからリサーチをはじめ、その歴史を知った次第です。

それでも、行けて良かったと心から思える町でした。

この町の多くの人が、その歴史を実体験として経験しているにも関わらず、信じられないほどの明るさと親しみと優しさを込めて私に接してくれました。
その理由が、アジア人が珍しいからなのか、外国人にパレスチナのことをアピールしたいからなのか、宗教的な習慣によるものなのか、はたまた私の想像が及びもしない理由からなのかは分かりません。
全員がまったく違う動機や信念からかもしれません。
しかし、これまでに訪れたことのある外国の町の中でも、とびっきりのウェルカムをいただきました。

人に傷つけられ、人に苦しめられてきた小さな町の人たちから、本当の人間力のようなものを教えてもらった気がします。

立ち直ること、信じること、諦めないこと、受け入れること、それらをつづけること、笑うこと。

きっと簡単に身につけたことではないんだと思います。
今も「そうあろう」と努力している人もいるんだと思います。
そしてそれを「当たり前」として体得した人もいたと思います。
生々しい弾痕の残るこの小さい町で、その力強い暖かさに沢山触れて、沢山のエネルギーをもらいました。






ヨルダン~ジェニンの移動の詳細はコチラ
(そちらには未記載ですが、ジェラマのチェックポイントからジェニンまでのタクシーは容易に捕まえることができました。乗り合いで5NISほど。貸切で10NISちょっとです)

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⑦ペトラ→アンマン・ジェラシュ遺跡/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年09月11日 16時33分12秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW

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2019年4月30日(火)
 
○ワディ・ムーサ(ペトラ)からアンマンへ移動
○ジェラシュ遺跡散策


 
当初、ペトラに2日かけようと思っていたのですが、
①1日でもかなり満足できた
②午後からペトラへ移動の場合、バスに乗れるか不安
ということで、朝からアンマンに向かうことにしました。
 
もともとは、1日目にエド・ディル&犠牲祭壇に行き、2日目はエル・ハズネを見下ろすルートに行って、14:00‬頃のペトラ発アンマン着のバスに乗ろうと画策しておりました。
 
しかし1日目、犠牲祭壇のあとエル・ハズネを横から見ることも出来た(上からではない)ので、結構満足してしまいました。
さらに、‪14:00‬頃のアンマン行きのバスというのが大変人気らしく、予約が吉らしいのですが、予約サイトを見ても何を入力すればいいのか分からない項目などもありモヤモヤ。
そして、‪14:00‬のバスに乗れなかった時のプランBがシェアタクシー(またはヒッチハイク?)くらいしかないのも不安。
 
こんな不安を抱えてペトラに行くよりも、とっととアンマンに行くべし!と思い、朝から移動。

 
アンマン行きのバスは、ワディ・ムーサのバスターミナルを‪6:15頃‬に出発します。
値段は7JDかと思われます。
それをよく知らなかった自分は、前日の夕方に宿のレセプションで
「‪明日の朝‬、バスでアンマンに行きたいんだけど」と相談したところ
「‪朝6:00に‬ピックアップのバスが10JDだよ」と言われ予約しました。
 
このバス、‪6:00‬に宿まで来てくれて、私を乗せ、まずバスターミナルへ。
その後、ワディ・ムーサの町をゆるゆると流し、どうやら乗客を探している模様。
町を歩いているバッパーなどに、窓から声をかけたりもしています。
そして‪6:15‬頃、再びターミナルに戻ってからアンマンに向けて出発しました。
で、ターミナルで乗ってる人はどうも7~8JDしか払っていない様子。
 
ここからは推理でしかないのですが、おそらく予約ピックアップだと10JD、自分で乗りに行けば7JDということなんだと思います。
差額3JDはちょっと高いと思いますが、荷物とか多い人はいいかもしれません。
絶対乗れるという安心感もありますし。
 
バスターミナル‪6:15‬発が定時なのか、町でそこそこお客さんを拾えたら、ターミナルに戻らずに行ってしまうのかは謎です。
 
この日は結局半分くらいの空席を残して出発しました。




 
道中、砂漠の直線とかは120~130kmくらいでかっ飛ばしていきます。
センターラインを越えながらの追い越しは、対向車も迫ってくるとかなりスリリング。



 
‪8:00~8:20に休憩もありました。‬
田舎のドライブインみたいなところに寄ります。
このタイミングで朝ごはんを摂る人も多数。

 
そして‪10:00‬頃、アンマンの市街地に近いと思われるがよく分からない場所で下ろされました。
「今、自分がどこにいるか分からない」という個人的旅あるあるを発動。
とりあえず大き目の交差点で、タクシーとかもちょいちょい停まってます。
地図上でなんとなく「ここかな~?」って場所に目星をつけるも確証は無く、
「4kmか。‪1時‬間くらいなら歩いてもいいけど、もし違ったらめっちゃ悲しいな」と思い、ここはタクります。
 
値段は失念してしまったのですが、メーターじゃなくて交渉で乗りました。
この運転手さんが実にフレンドリーな方でした。

ちょいなちょいなと寄り道し、
巨大国旗が見えるところを通ってくれたり、
奥さんとテレビ電話しながら私を紹介してくれたり(運転中!)


劇場の前を通りながら説明してくれたり、


地元で有名なクナフェをご馳走してくれたり(激ウマ)


んで自分も食べたり(運転中!)


とっても楽しいドライブとなりました♪
 

ちょっと渋滞などもあり、‪11:00‬頃に宿に到着。

シドニーホテル@アンマン旧市街
1泊7JD
キレイで快適。
GWのためか、日本人もチラホラ。
 
早く着きすぎてしまったので荷物だけ預かってもらおうと思ったら「ちょっと座って待ってろ」とのこと。

とっとと荷物預けて、出かけようと思ってたのですが、なんか不機嫌そうだし、ちょっと疲れてたので、四の五の言わずにロビーでお茶・充電・ネットサーフィン(死語?)。

‪11:30‬頃「ここ、君の部屋」と、お部屋に案内してくれました。
本当のチェックインは‪14:00‬くらいなのに、かなり早く部屋に案内してもらえて楽チン♪言う通りにしてよかった♪ありがとう!
 
 
さて、せっかく半日空いてるので、ペトラ以外の遺跡もみてみたいな~ってことで、午後からジェラシュに向かいます。
 
その前に、旅後半の宿の下見。
アンマンにはコーダホテルという日本人バッパーには大変有名なドミがあるそうですが、あんまり日本人だらけなのもアレなので回避。
しかし、立地などを鑑みて、これまた有名らしいクリフ・ホテルを予約していました。
でも、クチコミにバラつきがあったので、事前に下見をして、あんまりヤバかったら&シドニーがすごくよかったら、後半の宿の変更も検討しておりました。
 
クリフは旧市街のど真ん中って感じの立地で、静けさを求める人にはアレかもしれませんが、雑踏好きな自分は無問題。
宿は建物の3階でもちろん階段ですが、それも無問題。
下見に行くと、ちょうど掃除の時間で、おじさんがモップで床を拭いていました。
ちゃんと掃除をしているっぽくて安心。
(のちに、床まで毎日掃除してるのは個室のみで、ドミの床には綿埃も残ってたりということが判明)
シャワー室もトイレも複数あるし、安いし、宿取り直すのめんどくさいので、後半はココでOK!っと決意して下見完了。
 
今度こそジュラシュに向かいます。
 

‪12:30頃、アンマン旧市街からムジャンマ・シャマーリー(北のバスターミナル)までのタクシーを拾いました。‬
概ね2.5~3JDの距離なのですが、拾ったタクシーが「渋滞してるから5JD」と言ってきます。
この時点で断っちゃえばよかったのですが、「せめて4JDで!」「しょうがないなぁ。OK!」ってことで乗り込むも、「やっぱり5JDくれよ」とゴネだした。
4JDでOKって言ったじゃん!
じゃあ乗せるなよ!
バスターミナルでとりあえず下車して4JDだけ渡して退散しましたが、めっちゃ不満そうでした。
 
ターミナルでは「ジェラシュ行きたい」って言って、教わったバスに乗ります。
 
‪12:45頃、ほとんど待たずにバス出発。ラッキー。‬
このバスが800ピアストルなのか、800フィリスだったのか失念。
とにかく安いのは間違いないです。
 
‪14:00前、「ここだよ~」と言われて降りると、遺跡じゃなくて遊園地が!‬
一瞬、「降りたいところをちゃんと伝えられてなかったか!?」と焦りましたが、遊園地の隣が遺跡です。
(というか、遺跡の隣に遊園地を作ったというのが正解ですね)
 
お天気はちょっと曇り気味ですが、いざ行かん。


 
 
●●ジェラシュ遺跡●●
 
複雑すぎる開園時間。金曜も同じかしら?
(day/month表記)
 

 
ツアーガイド一覧。
どうやら最近中国語も追加された模様。
 

 
遺跡の中には基本的にはお店はないので、入り口手前のキオスクや露店でお水を買うのが吉。
でも、中にも2箇所くらいは出店アリ。
 
 
午後から行ったせいか、この日は人も少なく、のんびりとした様子でした。
団体ツアーも1~2組くらい見かけた程度。
 
遺跡がまあまあ広いので、ツアーと離れたければ違う方面に行けばいいし、もちろんこっそり追跡してガイドに耳を傾けるもよし。(分かる言語ならば)
 
それとは別で、自由に遺跡内を散策していると、無許可のガイドっぽい人が声をかけてきます。
自分はケチなのでお断りしましたが、頼んでる女子二人組みがいて、めっちゃ写真撮ってもらってました。
インスタとかやってる人はアリかも?
 
自分は一人だったので、記念写真を撮りたくなる場所でも、ぼっちだとどうしようもなく(三脚持参せず)、そこまで琴線に触れなくても、人がいたら撮ってもらうって感じでしたw



 
ニンファエウムの目の前に陣取る露店のおじさんが
「写真撮ってあげるよ」というので頼んでみました。
この立地でやってれば、さぞかしお上手かと思いきや、斜度20度の芸術的アングルw
 

 
事前に見ていた写真は周囲に植物などはなく(枯れてた?)、白茶けた荒野に居並ぶローマ遺跡と、その先に霞む現代の町並みという風景が面白かったのですが、GWの頃はお花が咲き乱れていました。
想像とは違う景色でしたが、それはそれで、とってもいい時期だったと思います。















 
‪17:00過ぎまで無計画にウロウロしましたが、ほぼほぼ見て回ったと思います。

草むらに入ったり、ローマ劇場内を探検したり、地元の家族連れとまったりしたりと、そこそこのんびり過ごしても、‪3時‬間で概ね見て回れたことになります。
 
脇道に逸れまくらずに進めば‪2時‬間でも大丈夫だと思いますし、メインどころをチャキチャキ回れば1.5時間でも行けそうです。
 
 
来た時と同様に路線バスとタクシーでアンマン旧市街にもどります。
(実は殆どの路線バスはムジャンマ・シャマリーの前にアンマン・セントラルという高架下的なところを通過しているので、そこで降りればタクシー不要です。徒歩5〜10分で旧市街です。バスに乗るときにムジャンマではなく「アンマン・セントラル」とか言っておくと吉かと)
 

夕食はクリフ・ホテルのすぐ近くにある食堂?へ。





ケバブっぽいロールとシャニーナという塩味の効いたヨーグルトドリンクで2JDだけど満腹!
それなのに店員さんが色々とサービスしてくれてしまうので、遠慮とかじゃなく、美味しいけど本当にもう食べられないよ~!な状況に。
お店の雰囲気が違うとは言え、ワディ・ムーサのレストランで10JD出してた頃が懐かしくなる安さ。
 
鬼満腹だけど、ちょっと飲みたい気分。
軽くウロウロして腹ごなしした後、これまたクリフのめっちゃ近くにバー発見!
 
ちょいお高いけど「ペトラ」のブルー(値段失念)をいただき、気分良く帰宿。
 

シドニーのリビングで日本人女子と少しダベって、それから洗濯。

シドニーの洗濯機は中庭状のベランダにあるのですが、そこにも夕涼みや喫煙のため、数名の旅行者が集まっていました。
洗濯を待つ間、分からない英語で頑張ってカンバセーション。

その際、自分は何気なく
「明日からパレスチナに行くんだ〜」
と言ったら、
そこから「パレスチナって国にだっけ?」みたいな話に発展。

さらに、フランス人が中国人に話を振り、
「中国の少数民族への扱いってどーなん?」
「いや、うちらは彼らに沢山のお金をかけてるよ」
「でも、彼らは独立したがってるんでないかい?」
「そんなんゆうても、中国からの支援がなかったらやってけないっしょ?保護してあげてるんだよ」
云々と、ディスカッションが始まり、そこにヨルダン人、ブラジル人、イタリア人、ドイツ人が参加して、全員英語でやりとりしてて、多分きっかけ投入したの自分なのに完全に置いてきぼり。

母国語以外で議論が出来て、社会の色んなことに自分なりの意見をちゃんと言える若い旅人たちに尊敬の念を禁じ得ない。


ってことで、明日はドキドキの国境越え。
ヨルダン~イスラエル間で、もっともマイナーな北の国境「シェイフ・フセイン・ボーダー」を越え、そのままパレスチナに入り、ジェニンという町を目指します。
(そしてタクシーで盛大にボラれます)


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⑥ペトラ・バイ・ナイト/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年09月09日 22時33分54秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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2019年4月29日(月)夜

○ペトラ・バイ・ナイトに行ってみる



●●ペトラ・バイ・ナイトについて●●
チケットは17JDでした。
通常のチケットではナイトは入れないので、要別途購入。
なお、ナイトのチケットで行けるのはエル・ハズネまでです。
(その先は闇)

バレンタイン・インのレセプションでもチケットを買えます。
お値段も同じ17JDです。
チケットの束がしまわれているのを見ました。
ナンバリングはされてるけど、日付とかも入っていないので、ようするに、人数制限とかしてないってことですね。

宿では無料の送迎もやってくれます。(乗り合い)

送迎のバスは20時発だったと思います。
なので、「もっと早く行って場所取りしたい!」とかでしたら、その限りではありません。
(行きは車に乗らず、帰りのみ乗りたいとかでしたら、キチンと話を通しておかないと置いてきぼりになるかも)


★昼間にペトラに入って、そのまま遺跡内で夜が来るのを待つことはできません。
基本的には全員遺跡を追い出されます。
まぁ、広いんでどこかで隠れてるとかは出来るのかもしれませんが、少なくともエル・ハズネの前の広場で待機は不可です。
暗くなるまで遺跡の中にいるのは危ないし、そこでライトを使ったら居残ってることがバレるし、大人しく一度外に出てください。

★★ナイトの入場は、20時過ぎにゲートについたらすでに長蛇の列でした。
本気で場所取りしたいなら、ペトラ遺跡入り口近辺の高級エリアに宿を取るとか、ワディ・ムーサに宿泊する場合は、宿に戻らずゲート近辺のお店でサクッと夕食を食べて開門待ちをしたり、タクシーで早めに向かったり、とにかく送迎は使わない方がいいと思います。


でも、現地ではそんなことは知らない自分たちなのです。
大満足のペトラ遺跡の散策を終え、18:00の送迎バスで宿(バレンタイン・イン)に帰ってきました。
遺跡から宿までは、バスだと5分ちょっとって感じです。

宿に戻ったらマッハでシャワーを浴びたかったのですが、同じことを考える人が多数w
とりあえず膝をケガしているフユさんに先に入ってもらいました。

一瞬「もうシャワーは後にするか?」と思いましたが、宿に戻ってきてしまうと、汗と土埃を流さずにはいられません。

しかし、風呂あがりに着るべき服が無い。
さっきまで着てた服をまた着るのはイヤ。
明日の服をこれから汚すのもイヤ。
パジャマは絶対イヤ。
と悩んでいたら、昼間一緒にペトラを歩いたナツさんが
「このズボンあげるよ~。東南アジアで200円くらいだったし、パジャマとして着てて、ここで捨ててく予定の服だし」
と、ズボンを恵んでくれたw

ありがたく頂戴し、上はきれいなTシャツの上からウィンドブレーカーを着て埃をシャットアウト。
完璧です。

宿のディナー・ビュッフェはすでに始まっているので、シャワー後に飯をマッハでかっこむぞ!
と、思ったのですが、この時ちょうど宿にいる日本人が全員集合(といっても6人)となり、ナイトに行く人も行かない人もゴチャマゼで、宿で売ってる残り少ないボトルワイン(赤2・白1)を買い占めてプチ宴会。



赤も白も美味しかったです!
ここでワイン飲めると思ってなかったから余計に嬉しかったなぁ。
絶対飲みたい!って人は事前にメールとかしておくと良いかと。

送迎の時間まで食べられるだけ食べて、飲めるだけ飲んで、ササッと歯磨きとトイレを済ませたら、いざ出発です。


持ち物
貴重品、ケータイ、カメラ、カメラのブラシ、100円ショップのミニミニ三脚(使うのか?)、チケット!などなど。


宿の送迎車は、昼間はマイクロバスでしたが、ナイトのときは砂漠のテロリストみたいな車で、中の座席に乗れない人は荷台に乗り込みます。
もちろん率先して荷台に乗りこみますが、運転はワイルドだし、つかまるところもあんまりないので、みんなでワーキャーぶつかり合いながら、日本人韓国人イタリア人などなど一気に仲良くなる感じが楽しかったです。



20:10くらいに遺跡の入り口に着くと、すでに長蛇の列。
これはちょっと予想外の展開でした。
なんか警察車両とかも来てて、やや興味深い。

ナイトでは移動で馬や馬車に乗るという選択肢はありません。全員ひたすら歩きます。
行きは下り、帰りは登り。
遺跡内なので街灯とかはもちろんなく、ロウソクのランタンが並べられているだけ。
そこそこの暗闇と混雑と砂利道、岩道、土埃なので、足元注意なのですが、足元ばっか気をつけてると迷子必至です。


バレンタイン・インからの日本人は4人。
ペトラを一緒に歩いたアキさん。
ペトラで犬に追われてたフユさん(仮名)
宿で見かけたときはコリアンかなと思っていた山ちゃん(仮名)
我々全員一人旅。

フユさんは、空港から宿まで山ちゃんと一緒に来たけど、昼間の遺跡の散策は別行動だったそう。
そしてトラックの荷台の時点でアキさんに若干ロックオンw
若いな~。早いな~。迷いないな~。
そして、その影響なのか、遺跡についてからは結構早い段階でアキさん&フユさんを見失ったので、私はもう絶対に山ちゃんとははぐれないぞ!


シークの入り口でペトラ・バイ・ナイトの際の注意点みたいなのを伝えられます。
自分が聞き取れたのは
・静かに
・懐中電灯とかはダメ(多分フラッシュの撮影も?)
ってことです。

このルールがエル・ハズネについたらなのか、シークの中でもってことなのかは分かりませんでしたが、シーク内で少し大きい声で喋ってたり、スマホで足元照らしたりしてて、他のゲストに注意されている人もいました。
シークの移動中から、暗さや静けさ込みで、雰囲気を味わうのが吉みたいです。


なお、シークの中もたくさんのロウソクが並べられてて、すごく神秘的なんだけど、写真を撮るなら三脚ナシじゃ話になりませんでした。
(SONYのRXとかなら違うのかしら?)



人もたくさん通るので心霊写真みたいのも沢山撮れそうです。





21:00過ぎにエル・ハズネに到着。
辿り着くと、すでに人がいっぱい!
てか、一体いつからやってたんだろ?

前の方とか、語り部さん周辺の人は、それぞれがランタンみたいなのを持ってます。
なんか昔語りとかしてるっぽいけど、言葉も分からないし、そもそも全然聞こえない。

ウードの演奏があると聞いていたけど、もう終わったのか、端っこでひっそりやっていたのか、自分は全く耳にしませんでした。


シークを抜けたところでぼんやり立ってると、後ろからドンドン人が来るので邪魔になります。
とにかく前に進むなり、横に進むなりが必要です。

で、日本人の本気で写真撮りたいっぽい人が、その入り口の少し横っちょに三脚を立ててカメラを構えていたのですが、非常に苦労をされてました。

エル・ハズネの全景を入れたくて、なるべく後ろに陣取ったのでしょう。
角度的にも、ほぼ正面から遺跡を臨む形となり、本人的には、いたくお気に入りのポジションかと思われますが、いかんせんシークの出口のすぐ横なので、ずーーっと人が通ります。
で、入ってきた人もすぐには座れないので、ウロウロしたりするわけで、それが非常に邪魔に感じてたんだと思います。
周りに日本人なんていないと思ってたのかもしれません。
ずーーっとそこそこのボリュームの独り言、もとい文句を言い続けてました。
「そこに立ち止まるんかい」
「おいおい、邪魔だって気づけよ」
「いいかげん座らんかい」
ちょっと面白かったのですが、ずっと聞いていたいものでもなかったので、ササッと移動。

後ろの岩壁沿いにはちょろっとベンチがあったので、ちょいと座って一休み。すると甘~いチャイが振舞われ、ほっと一息。

ベンチは楽だけど、写真は上手くとれないので、山ちゃんをベンチに残し、横の岩壁をよじ登ります。

暗闇で崖によじ登る酔狂な奴なんていないと思っていけど先客がいました。
仕方が無いので、もうひと登り。
落ち着ける場所を見つけたのでステイ。
高さを稼いだことで、無意味だと思っていた100円ショップの三脚がも役立てることができました。
でも、誰にもオススメはしません。


●参加して思ったこと●

★遺跡のライトアップは語りとかとは全く関連無く、坦々と色が変わります。
そのペースがけっこう速いので、「この色で撮りたい」と思ってからシャッターを切ると、自分のコンデジでは間に合いません。
もうちょっとスローペースだと嬉しいのですが・・・








★歩き方などに載っている「無人の地面にランタンが並べられ、その奥に鎮座するエル・ハズネ」的な景色は見ることができませんでした。
入り待ちをして一番乗り!、または帰りのピックアップなどを気にせずラストまで粘るとかしたら見られるのかもしれません。

ただし、終わったら割りとすぐ明かりが消されるという話もあります。
また、アレだけの人が去ったあとに、ガイドブックで見たような景色が現れるとは思えないので、やはり早めに入るのが吉?


★前述しましたが、自分のタイミングで入場したら、演奏も聞こえなかったし、語りとかも聞こえませんでした。
語り部さんの近くでランタンを持って参加するには早めにインすればいいのか?
もしかしたら団体ツアーの人の優先入場とかもあるのかも?
ただ、あの位置に座ったらエル・ハズネ全景は撮れないと思います。

広角気味のレンズなどを用意して、語り部さんから少しだけ離れた位置を確保すると「語り部さんやランタン(とスマホとタブレット)を持つゲスト越しのエル・ハズネ」とかを撮れるかも?


★座る場所や入る時間にもよるかもしれませんが、(無駄に)カラフルなライトアップと、少しは入場制限とかした方がいいのでは?って感じの人出なので、神秘や静けさは期待しないほうがいいです。
「ちょっとしたお祭り」「記念」「写真撮影のため」と割り切って行くと楽しいと思います。


ってことで、一通りナイトを鑑賞。
21:40頃、イベント終了。

イベントがお開きになるとフラッシュ解禁!おしゃべり解禁!
怒涛の撮影タイムです。
あっちこっちで記念撮影が始まります。

高性能なカメラならフラッシュとか無くてもキレイな夜景ポートレートが撮れるのかもしれませんが、自分のカメラはそこまでの威力はありません。
しかし、フラッシュを炊くと埃だらけの画になります。
そんなわけでオススメは
【スマホなどの懐中電灯で自分をライトアップする】
です。

セルフィーだと少し大変だと思うので(光源が近すぎるとイマイチだし)、先に誰かをそんな風にして撮ってあげると、相手も同じようにしてくれますよ~♪




あんまりダラダラしてると送迎車が行っちゃうかもしれないので、そこそこで引き上げます。

案の定、帰りの車は行きと面子が若干異なる。
絶対人数数えたりしてないもん。

てか、アキさんとフユさんがいない!?
ドライバーさんに声をかけて待ってもらうも、なかなか現れず。

22:40くらいになり「先に出た車に乗ったのかもね~。もう行くね~」
と、車が動き出したところで、向こうから駆けてくるアキさん発見!
荷台からドライバーさんに大声で呼びかけ、なんとか車を止めてもらえました。

まあ、頑張れば歩いて帰れない距離じゃないし、タクシーとかも拾えそうだから無問題ではありますが、やっぱ治安とか少し不安だし、いちをご注意ください。

出発前は「宿に戻ってきたら飲みなおそう」と言ってくれてたナイト行かない組は、当然すでにベッドに入っており、こちらもそっと就寝の準備。

23時近いのでシャワーを使うのも憚られます(部屋の中にあって、シャワーカーテンのみで区切られてるので割りとうるさくしちゃいそう)
夕食の前に浴びといて良かった~とシミジミ。


明日はアンマンに移動してジェラス遺跡に向かいまーす!


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⑤ペトラ遺跡・後半/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年09月04日 11時40分59秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
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2019年4月29日(月)
 
○ペトラ遺跡を歩き回る・後半
○犠牲祭壇を通るトレッキングルートでエル・ハズネに戻る
○エル・ハズネを横から見られるところまで登ってみる



 
ペトラ散歩前半では、エド・ディル往復予定のみの女子に合わせていたので、かなりのノンビリモードだったけど、自分はトレッキングルートも行きたかったので、レストランでまだダベりたそうなハルさん&ナツさんに「私は先行くね!」と別れを告げると、アキさんが「じゃあ俺も」と、ついてきてくれました。
ガイドを雇う気はないけど、一人で行くのは少し心細いかも…?って思ってもいたので、これはかなり嬉しかったです。
そして、本当に楽しかった!
 
ってことで、‪14:30‬過ぎ、ちょっと出遅れ気味ですが、犠牲祭壇を通るトレッキングルートへ突入です。
 
歩き方の地図を頼りに、ステージの裏手当たりから入ります。
 

ときどきある道標は、どこを指しているのか分かりません。
(この場合、正面の道?っぽいのは不正解)

が、見渡してみて遺跡のある方につながってそうなルートに乗れば大丈夫でした。
一度ルートに乗ってしまえば、あとは殆ど迷うことなくいけました。


 
犠牲祭壇の近辺で一瞬「どこが道だ?」となりましたが、反対側から人が来る方に進めば大丈夫でした。
 
広大なトレッキングルート
 
 
よく見るとそれっぽいものがある。


中から見る。


兵士のナントカの近くのナントカ。
内壁がとてもキレイだった!




右上の遺跡でも、ちょっとしてお店出してる人がいました。




ここにいるよ〜!


犠牲祭壇の近くのワールズエンドとかいうカフェ辺りからの眺めは素晴らしい。


生首置き場




かなり降りてきた


前半に見た墓穴まみれのエリアに復帰


 
そんなわけで、意外にも順調なトレッキングコース体験となりました。

そして、エル・ハズネには17:00前には戻ってきました。

歩き疲れた観光客を待つ馬車たち。

 

‪18:00までの送迎バスには、まだちょいと時間的な余裕があるので、もう一つオマケを追加。‬
 
エル・ハズネを上から見るのはとっても有名なフォトスポットですが、これからシークの天辺まで行って戻ってくるのは厳しそうですが、ふと見ると、崖の中腹まで登っていく人々がいました。
体力は少し余っており、比較的身軽な二人だったので、迷うことなく「あそこまで行ってみよう!」とない、ひょいひょい登っていきます。
 
ここは、ちゃんとしたアレでもないみたいで、自分がこの日に歩いたルートの中で、もっとも自己責任要素が強いルートでした。
狭くて急峻で、頂上まで一度も手を使わずに登るってのは厳しいかなって感じです。
そこを、「あんたはちょっと無理なんでないの?」的な人もトライしているので、内心では「この人が降ってくるのが一番怖い」などと思っておりました。
 
5〜10分くらいで登りきると広くはないテラスっぽくなっているので、皆さん交代で迅速に写真撮影をしていました。



こういうところで、撮ってもらったり、撮って差し上げたりという交流も楽しい。
 
忍者のごとく素早く下山したら、今度こそ送迎バスを目指します。
 
自分はちょいと疲れており、駆け足や早歩きは自信がなかったので、シークを抜けたら馬に乗ります。
が、馬が遅い!

夕方になると馬も疲れているのか、お腹が空いているのか、アキさんの早歩きよりも馬が遅いw
お兄さんがムチを入れると急に駆け足になり、またダラダラ、ムチ入れて・・・の繰り返しで、なんとか馬に乗った効果を感じられましたw
 
送迎バスは、ほぼ時間通りの運行で宿に戻ります。
この日は夜のライトアップ「ペトラ・バイ・ナイト」にも行くのですが、それはまた別のお話。
 
 
旅の全体図はコチラ

④ペトラ遺跡・前半/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年09月02日 22時55分07秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
旅の全体図はコチラ


2019年4月29日(月)
 
○ペトラ遺跡を歩き回る
乗馬→エル・ハズネ→プチ脇道→エド・ディル→戻ってランチ


 
この日は同じ宿にいた日本人3名と一緒にペトラ遺跡に行きました。
気づいたこと、良かったこと、グチなど、とりあえずランチまで色々だらだら書きます。
あくまでも2019年GW時点での、私の個人的体験です。
参考程度によろしくです。
 
 
<メンバー>
前日の午後にもペトラに行ったという女性2人組。
ハルさん(仮名)は「旅慣れてますよ」感が強め。
ナツさん(仮名)は英語が堪能。
二人とも気合の入ったカメラを持参。
山用パーカー、ジーパン、トレッキングシューズという装備。
頭からストールをかぶり日焼け対策は万全。
 
昨夜、夕食をともにした男性=アキさん(仮名)
ペラッとした半袖のシャツ、長ズボン、GUの1500円のスニーカー。
どちらかというと大人しそうな、ザ・いい人の空気を出している。
 
そして自分。
ペラい長袖シャツ、無印のリネンワイドパンツ、通販で買った3000円弱のサンダル、頭には昨日買ったカフィーヤ、カバンはウエストポーチのみ。
現金、チケット、パスポート、手ぬぐい、ウェットティッシュ、‪バンドエイド‬、歩き方、スマホをカバンに入れ、首からコンデジをさげ、水1.5リットルは手持ちです。



 
<ルート>
ハルさんとナツさんはエド・ディルまでのメインルートを往復予定。
自分とアキさんはメインルートでエド・ディルまで行き、帰りは途中から犠牲祭壇を通るトレッキングルートに入る予定。
 
こんな4人で出発です。

 
●●遺跡までのアクセス●●
我々の泊まっているバレンタイン・インは、朝夕2便、ペトラへの無料送迎バスがあります。
朝は‪7:00‬と‪8:00‬に宿発。夕は‪17:00‬と‪18:00‬にペトラ発。
 
タクシーだと2.5~3JDってとこだと思います。
(拾う場所や時間帯で変わります)
バレンタイン・インはワディムーサの中でも特に山の上の方にあるので、乗るならとっとと乗ったほうがいいです。
 
●●遺跡のチケット●●
ペトラ遺跡のチケット購入時には、基本的にID(パスポートなど)が必要です。
でも、忘れても「忘れちゃった」って言えば大丈夫。
 
チケットには自分の名前も入ります。
ファーストネームだったりファミリーネームだったり、まちまちです。
 
2~3日券を購入した場合、翌日以降もゲートでIDを見せて、チケットが本人のものか確認をされます。
でも、IDは忘れても「忘れちゃった」って言えば大丈夫。
(チケットは「忘れちゃった」は通用しないはずw)
 
●●トイレ●●
遺跡のゲート、シークの手前、シークを抜けてから凱旋門辺りまでは、ちょいちょいトイレがあります。
凱旋門より先(エド・ディルへの850段の階段)は、あんまり期待しない方がいいです。
でも、エド・ディルまで行くと、またトイレがありました。
使っていないので、中の様子は不明です。
トレッキングコースも稀に売店があるので、もしかしたら簡易トイレがあるかもしれません。
 
●●食事・お店●●
凱旋門のあたりにレストランが2軒あります。
いずれもビュッフェスタイルですが、片方が25JDとかで、もう片方は12JDでした。
屋外にテラス席を設けている方が高いお店です。
自分は12JDの方に行きました。
別途、ペットボトルの水やジュース(そしてビールらしきもの)も売っていました。
トイレももちろんあります。
 
エド・ディルまでの道のりにも、ちょいちょい小さな売店があり、水やジュースを買うことが出来ます。
どこで買っても缶ジュースが2~3JD、水が1~2JDとかで、奥地に行くほど高いってわけでもなかったです。
 
エド・ディルの売店ではアイスクリーム、フレッシュジュース、軽食、お菓子なども売っていました。
 
カードは試していませんが、現金を用意していくことを強くオススメします。
 
エド・ディルまでなら、水分と食料は途中で補給できるので、トレッキングルートに入らないのなら、荷物はあまり重くしない方が楽だと思います。
奥地・僻地に行かれる方は、それなりの準備が必要だと思います。
 
●●エド・ディルからの一筆書きルート●●
エド・ディルの裏手にもマイナーなゲートがあるそうです。
タクシーなどでそちらに周り、エル・ハズネのほうのゲートまで、一方通行で見て回ることも可能だそうです。
その場合、ルートの7割は下り坂になるので、体力的にはかなり楽だと思われます。
 
ただし、自分は試していないので、チケットなども裏のゲートで買えるのかとか、その場合はカードが使えるのかとかは不明です。
興味のある方は、詳細は現地の宿などで確認してみてください。
 
また、逆周りはオススメしません。
ルートが全部登りになりますし、メインのゲートのようにタクシーが待機しているとも限らないので、最悪つぶしが利かない可能性があるので。
 
―――――
 
さて、長くなりましたが出発です。
我々は当然‪7:00‬の無料送迎でペトラを目指します。
 
遺跡のゲートからシークの入り口までは、馬に乗ることが出来ます。
この馬代はチケット代に含まれていると、チケットの裏にもハズキルーペを踏み潰したくなるほどの恐ろしく小さな文字で書かれていますが、そんなルールはどこへやら。馬に乗るには価格交渉が必要です。
 
自分は往路は3JD、復路は2JDで乗れましたが、復路のお兄さんはものすごく不満そうでした。(2JDでOKと言ったくせに、降りる間際になって「やっぱ3JD」とゴネだす)
なので、3JDが相場なのかな?って思いました。
お高いチップと思って割り切ります。
 
ぶっちゃけ余裕で歩ける距離なので、乗らなくてもOKです。
記念に片道だけ乗れればOKという場合は、帰りに乗るほうがオススメです。
自分も疲れているし、道もシークからゲートに向かって上り坂になっているので。
 
なお、ハルさんとナツさんは前日に1人10JD払ったそうです。
午後から行ったことが関係あるのか、交渉が不得手なのかは不明ですが、自分の価格は言わないでおきました。


 
あと、どうでもいいことですが、自分の乗った馬の名前が「タナカ」でしたw
ベドウィンのお兄さんも、ガツガツしておらず陽気な人でラッキー。
私が手に持っていた水1.5リットルも馬のカバンに入れてくれて楽チン。
なのですが、馬を下りた後に回収するのを忘れてしまいました。
9割がた残っていたので勿体なかった。
仕方がないので、シークの手前で1.5リットルを改めて購入。

 
シークの中は早朝とあって日陰が多く、涼しくて気持ちがいい上に、ゆるっと下り坂なので、とっても楽チンです。
 
たまに馬車が来るので、ちょっとだけご注意ください。


 
シークに入った瞬間から、自分とアキさんは「すごーい!」を連発し、写真を撮りまくろうとしますが、前日にも来ているハルさんとナツさんに「こんなもんじゃないから!」「奥はもっとカッコイイから」と先を促されます。
 
道中、道端のロバや、崖の上のポニョ、もとい山羊なども可愛かったです。







上の方に・・・


 
シークの出口付近。
ガイドブックとかで見る景色。
 

 
やっぱり奥地はかっこよかった!
 

そしてエル・ハズネに到着!
8:15頃で、まだ日は当たらず、やわらかいピンク色がキレイです。
 

 
バエるラクダたちが常に待機しているようです。
乗るにはチップがいるみたいですが、写真だけなら無料です。
 
 
みんなでひとしきり写真を撮ったら、先に進みます。
途中でロバやラクダに乗らないか?と、ベドウィンに声をかけられますが、思ったよりしつこくもなく、特に嫌な感じは受けませんでした。
 

なお、ラクダではエド・ディルまでは行けません。


凱旋門のあたりまでは、割りと平坦な道で歩きやすかったです。
くだらない写真を撮ったりしつつ、ダラダラ進みます。

お土産も売ってます。


これ買う人いるの?


これは・・・


こう!ナイス工夫、


ウユニか?




 
凱旋門あたりでは、昔の甲冑風の衣装を着たおじさんと写真を撮れますが、ここはチップが必要です。
時間帯によって衛兵の交代みたいなことをやっており、遭遇できたらラッキー。


 
10:00〜10:30頃、青い柱やモザイクの床を見に、ちょっと回り道。
このルートに乗ると、さっきまでいたステージなどを一望できて、その大きさを実感できました。
また、遊牧しているベドウィンさんもにも遭遇。
 


さっきまでいたステージを見下ろす。


青い柱はエジプトから運んできたとか。
青い色は天然の石の色とのこと。


モザイク。日陰で助かる〜。


 
10:40頃、再び凱旋門のあたりに戻ってきたら、いよいよエド・ディルへのトレッキング始まります。
(これは鬼スローリーなペースだと思います。要所要所でヘンテコ写真撮りまくりです)
 
これまでのゆるっとした道がウソのように、ひたすら登り、ひたすら階段。
たまにロバに乗っている人も見かけますが、乗れたら楽そうだな~というよりも、「怖ッ・・・」って感じです。


 
あと、めっちゃ道狭いところで、ロバに足を踏まれそうになりました!
ホントにギリギリのところでサッ!っと足をよけたのですが、血の気が引きました。
ハルさんには「サンダルで来てるなら覚悟しなきゃ」と言われ、軽くムカつきました。
 
850段あると言われている階段ですが、事前情報で散々「死ぬほど辛い」「心してかかれ」と読んでいたので、そのつもりで行ったら、それほどでもなかったです。
確かにめっちゃ暑いし、めっちゃ登るんですが、写真撮ったりすることも休憩になるし、疲れたら日陰の茶屋で冷たいジュース飲んだりして、急がずに楽しんで登れば大丈夫でした。
でも「楽勝」って思って行ったら辛かったのかも知れません。

のぼってきたなぁ

 
空気もからっとしているので、汗をかいてもすぐに乾きます。
薄手の長袖シャツと麻のワイドパンツというのは、かなり正解だったと思います。風が抜けるので気持ちいい。
 
ニャンコさんに癒される。

 
そんな感じでのんびりとエド・ディルを目指し、到着したのは12:00頃。
ちょっと遅すぎますが、まぁ、仕方ない。


 
エド・ディルは、エル・ハズネに比べると、建物の装飾はかなりシンプルで、意匠を凝らした・・・って感じではないです。
ただ、やっぱり大きさはすごいな~って思ったのと、頑張った末に見るっていう達成感が良かったです。
 

 
エド・ディルでもへんてこ写真をとったり、ジュース飲んだり、超ノンビリ休憩とったり、かなりのダラダラステイ。一時間以上いました。
 
そして13:00過ぎ、復路に突入。
すると、同じ宿に泊まっていた、もう一人の日本人女子に遭遇。
彼女は‪7:00‬の送迎バスを待たず、‪6:00‬過ぎには宿は出発していたのであります。
なぜ今更ここに?と思い話を聞いてみると、先に犠牲祭壇を経由するトレッキングコースを回ってきたが、その中で‪4時‬間迷い、さらに犬に追いかけられ転んだとのこと。膝小僧が血だらけ・・・。
かわいそうすぎる・・・。
あと、ちょっとおバカでもある。なぜ、傷口を洗わない?
皆でササッと彼女の傷口を洗ってバンドエイドを進呈。
あと5~10分くらいでエド・ディルにつけるはずであることを告げて分かれます。
 

復路はかなり楽でした。
日差しは高くなってきているけど、なんやかんや下りって楽だし、往路ほど写真も撮らないので割りとサクサク進みます。
 
凱旋門の辺りまで戻ってきて、みんなでレストランへ。
時間が少し遅かったのか、席は待たずに座れました。
メニューも色々あって、味も良かったと思います。
そして、食べ終わり、ダベリモードに突入し、ちょっと付き合い、なんとか別れを告げることが出来たのが14:30頃でした。
 

脳内プランより‪1時‬間くらい出遅れてます。
ぶっちゃけ、頑張らなくても‪1時‬間は詰められると思います。
(ちなみに自分は普段、運動などはまったくしていません。全力で走ろうとすると脚がもつれ、喉から血の味がします。それくらいの運動不足人間です)
 
出遅れてますが、ここからいよいよ犠牲祭壇を目指します。
予定より押してるけど大丈夫かしら?と少し心配ですが、頑張ります!
 

旅の全体図はコチラ