みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

イチロー

2019年03月22日 19時14分25秒 | みう・つれづれ
イチローの言葉、沁みた。
自分が思うor自分が憧れてる「旅人」的な姿があった。
 
「外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れた」
 
自分には旅人コンプレックスがある。
正確には出遅れ旅人コンプレックスかな?
・海外旅行デビューが遅い
・英語を話せない
なので、
周囲の旅人に比べると、圧倒的に
・異文化に触れてない
・異文化交流できてない
そして、
それらをしてきた旅人たちって、絶対的に
差別に敏感で、
多様性に寛容で、
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
にいる人たちなんだと思ってた。
てか、
自分の心の中にいる旅人は、そうだった。

けど、
先輩旅人に触れる機会が増えたら、学ぶことも多いけど、
旅人に幻滅する機会も増えた。
もちろんそれは「自分にとっての理想的旅人像」に嵌らなかったってことでしかないから、
善悪じゃないんだけど、でも、
寂しいし、悲しい。
 
って、書いてて思ったけど、
これ他にも当てはまるのかも。
読書下手糞コンプレックスとか
芸術無理解コンプレックスとか
色々コンプレックスがある自分なので、
先輩芸術鑑賞家、先輩読書家、などなどにも同様の現象が発生しがちな気がする。
勝手に自分の理想像と比較して、
勝手に落ち込んでるだけなんだけど。
 
目的は人それぞれなんだけど、
自分的には、旅もフィクションも
摂取したその先で、
人間への理解
みたいなものが深まったらいいなって思ってる。
で、それが、
優しさの原動力になったらいいなって思ってる。

嗚呼
ってか、これ、もう、
自分が思うor憧れてる「旅人」的な姿っていうより、
自分が思うor憧れてる「人」の姿だ。

野球のことはよく分からんが、やっぱイチローすごい。


ちなみに
「できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい」
これも好きだにゃあ

つまずいた人に

2019年03月21日 18時04分54秒 | みう・つれづれ

つまずいた人に、
「ちゃんと足元見なよ」とか、
「ちゃんと靴紐結びなよ」とか、
「なんでそんな靴で来たの」とか、
「自己責任」とか、
「ダメ!絶対!」とか、
多分全部正論。
間違ってること言ってない。

でも、

手を差し伸べたり、
杖を渡したり、
靴紐を結び直したり、
自分の靴と交換したり、
仙豆あげたり、
できたらいいなと思う。

ぜんぶできなくても、
なんもできなくても、
せめて、その人が、
自力で立ち上がるのを待っていたい。

そーゆー人にわたしはなりたい


8年8日

2019年03月19日 14時46分16秒 | みう・震災とボランティア
8年と8日。
あっという間とも感じるけど、ずいぶん経ったなとも感じる。

8年経てば8年分過去になる中で、この8年間言われ続けてきた「風化させない」について考えてみる。

「風化させない」という言葉を、最低100回は見聞きしたこの8年。
もはや定型文になりつつあると感じる。
でも、「風化させない」という言葉は念仏ではないので、ただ唱えてもご利益はない。

何のために風化させたくないのか、今一度再確認。
それは、とりもなおさず
①教訓とし、未来に備える
②復興を被災地に丸投げしないで、出来る範囲で寄り添っていこう
ってことなんだと思う。

んで、
①に関しては、その悲劇性を心に刻むってことは、どうしても避けられない気がする。
②に関しては、やっぱりレジャーとかがパッと思いつく手ごろな手段かな〜って思う。
けど、この両立が案外難しいのかも。
気持ちのバランス的に。

ちょっと嫌な言い方かもだけど、あのカタストロフィを消費しきってしまった人たちにとって、もうそこから得られるカタルシスはない。
だから現地に足を運んだとき、あるいは、行こうとするだけで感じる重たい気持ちを処理できなくて、ドンヨリしっぱなしになる。

「遊びに行く」って言葉に、まだ違和感を覚えてる人もいると思うし。


この辺は、報道とかの責任も大きいのかな〜って思う。
使いまわされる悲劇系感動ポルノの賞味期限には限界があるのに、毎年代わり映えのしない報道。

悲劇を忘れないことと、「被災地」というイメージの払拭って対極。
すごく難しいのは分かる。
どうやっても誰かには批判される。
でも、
忘れちゃいけない過去、知るべき今、なりたい未来。
そこ踏まえて「風化させない」をやっていきたい。
9年目、10年目、ニコニコしてたいしね。