みう と 青

みうと青の共同ブログ。
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⑧ジェニンinパレスチナ/ヨルダン&パレスチナ旅

2019年09月30日 22時56分25秒 | ヨルダン&パレスチナ 2019GW
旅の全体図はコチラ

ジェニンの歴史について、ここには詳しく書きません(書けません)
が、パレスチナ側の主張では、21世紀早々、イスラエルによるひどい虐殺行為があったそうです。
ただ、イスラエル側はそれを認めておらず、国連の調査さえも受け入れていません。

ジェニンの町はとても小さく、
世界遺産などはなく、
熱帯魚のひらめく海も、
自然の豊かな山も、
キラキラ輝くも滝や湖も、
最先端の都市も、
お洒落な街角も、
かわいい家も、
ありません。

見ようによっては、旅人にとって「何もない町」と言えるかもしれません。

それでも、行けて良かったと心から思える町でした。

そもそも自分がジェニンを選んだのは、
「ヨルダンの歩き方の地図に地名が載っていたから」
です。

ヨルダン旅行の際にパレスチナに寄る事は決めていたのですが、すでにエルサレム、ベツレヘム、ヘブロンは訪れていたので、どこか違う都市を・・・と考えていました。
また、金曜にヨルダンに戻る予定だったので、アレンビー/キング・フセイン国境は、金曜の午後は閉鎖と聞いており、別の国境からアクセスしたいと考えていました。
(アレンビーは往復で利用するのが鉄則のため)

北の国境から行けそうな都市ということで、有名なナブルスともうひとつ・・・と考えていたところ、ヨルダンの歩き方の広域地図に、ナブルスともう一つ載っていた地名がジェニンだったのです。
ただそれだけの理由でジェニン行きを決めました。

決めてからリサーチをはじめ、その歴史を知った次第です。

それでも、行けて良かったと心から思える町でした。

この町の多くの人が、その歴史を実体験として経験しているにも関わらず、信じられないほどの明るさと親しみと優しさを込めて私に接してくれました。
その理由が、アジア人が珍しいからなのか、外国人にパレスチナのことをアピールしたいからなのか、宗教的な習慣によるものなのか、はたまた私の想像が及びもしない理由からなのかは分かりません。
全員がまったく違う動機や信念からかもしれません。
しかし、これまでに訪れたことのある外国の町の中でも、とびっきりのウェルカムをいただきました。

人に傷つけられ、人に苦しめられてきた小さな町の人たちから、本当の人間力のようなものを教えてもらった気がします。

立ち直ること、信じること、諦めないこと、受け入れること、それらをつづけること、笑うこと。

きっと簡単に身につけたことではないんだと思います。
今も「そうあろう」と努力している人もいるんだと思います。
そしてそれを「当たり前」として体得した人もいたと思います。
生々しい弾痕の残るこの小さい町で、その力強い暖かさに沢山触れて、沢山のエネルギーをもらいました。






ヨルダン~ジェニンの移動の詳細はコチラ
(そちらには未記載ですが、ジェラマのチェックポイントからジェニンまでのタクシーは容易に捕まえることができました。乗り合いで5NISほど。貸切で10NISちょっとです)

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