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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

プレゼンのコツ

2019-01-27 08:03:00 | 実用
 
 OHPシートも今は昔。プレゼンではPowerPointがほとんどになりました。ただ、きれいな見た目に対し、説明がイマイチの場合も。
 僕自身決してウマいわけでもないのですが、心掛けていることをちょっと紹介します。
(もちろん世の中には『上手な説明のコツ』とでも称した本やウェブサイトはワンサカあるに違いない)

 そもそも、話される内容/分量を知っているのは演者だけ。聞く方は聞く方で、どんなものなのか気になるところ。そこで、

1.まずは聞き手を安心させる
 ・スライド枚数を言うか、ページ番号を「5/8」と入れておく(全部で8枚なのか80枚なのかで、聞く体勢も違ってくるはず。プロでもこれ言う人はそういない)
 ・おおよそ掛かる時間を言う
 ・結論を先に述べる(もちろん最後にも) だから「結・起・承・転・結」となる
 ・全体像/趣旨/経緯も説明する

2.メリハリをつける
 ・覚えなくていい内容なら「覚えなくていい」と言う
 ・大事な箇所は「大事だ」と言う(当たり前!)
 ・直前に話されたことや職場の方針など他の件と関連付けると、イメージふくらむ
 ・世間のニュース/トピックスも盛り込むと、生き生きしたものになる
 ・画面の文章をそのまま読まない(目で追うスピードの方が速いので、聞く方はイライラする)

3.その他
 ・自分の一番いい、通る声で(声の高さミ~ソ(これがミソ!);部屋に籠って練習を)
 ・一度は〈笑い〉をとる(アメリカではジョークを入れないスピーチはバカにされるらしい)
 ・お坊さんの説法のコツ「初めしんみり、中おかしく、終わりとうとく」というのがあるらしい

4.要するに
 ・せっかく時間とって説明するのだから、聞く人に伝わらないともったいない。
 ・たとえ流暢でなくても、何を伝えたいのかを明確にしておく(何が伝わればOKか)

 …職場の若い衆にも伝えているものの、なかなか。
 以上、参考になりますれば。

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定年後どうするか②

2019-01-20 08:09:20 | 実用
 
 年末年始は大掃除やらおせちやらで、ほとんど家にいることになる。会社行かなくていいのだが、ずっと家にいると別の意味で気を遣うし、どうも“煮詰まって”しまう。そこで先日近くの温泉に行ったら、近所のダンナも1人で露天風呂に漬かっていた。やはり余所の男衆も、年末年始で「お疲れ」らしい。

 既に他界してしまったが、実家の両親は九州で自営業をやっていた。しょっちゅうケンカしていたのをよく覚えているが、一日中顔を合わせていたからだろうと、今になって思う。
 カミさんの両親は健在ながら、二人ともあちらの実家にいて仕事していないからか、これまたよくケンカしているようだ。(こちらがトバッチリ食らうことも)
 …だから、勤めに出るというのは、うまく出来た仕組みなのかもしれない。

 で、定年後どうするかっていう話。
 のんびりしたいと思っていたが、年末年始のたかだか1週間家にいるだけでイヤになるくらいだから、これがずっとということになると、トルストイではないが「家出」したくなってしまうかもしれない。(外に出るのは男の本能なのかも) かわいいカミさんと、ケンカしたくはないし。(すれば負けます)
 ひとり旅も、しょっちゅう行くわけにもいかない。

 自宅と会社と、気分が変わるのもいい点。もちろん仕事は仕事で大変なこともあるんだけれど、いろんな人間観察や発想が出来る時間でもある。「監視」が厳しいのでなければ、ネットもメールも自由。(ここだけの話、この原稿もおおかた会社で作成したもの)
 経済的に助かるという面もあるし、これから労働力が不足すると言うし。
 …だから、定年後も働くかなあ、と思っているところ。

 〔写真は(関係ないけど)Eテレ『0655』の名物「新春たなくじ」で出た〈スター大吉〉〕

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初日の出のあとで

2019-01-13 09:12:44 | こころ
 
 去年何が悲しかったといって、岡山だったか14年前の事件の報道ほど悲しかったことはない。
 容疑者が逮捕されたのであるが、命を奪われたその被害者というのがいたいけな小学生の女の子で、何ともやり切れない気持ちになったもの。縁もゆかりもなく、また知らなかったとはいえ、その子の死を悼むこともできず14年間のうのうと生きてしまったことに、ひどく落ち込んだもの。

 さて、毎年初日の出を拝みに行っている。
 今年の元日も晴天に恵まれ、近くの小山に上って無事拝むことができた。(途中のお寺で甘酒など振る舞ってくれるのもいい)

 その帰り、混雑する下り坂で、脇道から小学生らしき兄妹が僕の前に入ってきた。男の子は5年生くらい、女の子は2年生くらいか。かわいらしく「失礼します」と入ってきた女の子が、かの亡くなった岡山の女の子とダブって見えて、後ろから「頑張って生きてね」と思った次第。
 かの女の子もこんな感じだったろう。そして目の前にいる女の子が代わりに生きてくれているのでは、とも。ご遺族にとっては何の慰めにもならないんだけれど。

 まったく関係のない2人の女の子ではあるが、昨年来のモヤモヤが大きく晴れた気がした今年の元旦でした。

 …少々重い話になってしまいました。m(   )m

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中今を生きる

2019-01-06 10:35:16 | こころ
 
 「なかいま」と読む。神道の言葉で「今、ここを生き切る」という意味らしい。
 昨年末、疲れがたまっていた時に読んだ、矢作直樹氏の『自分を休ませる練習』という本に教えられたもの。

 何かを感じるのも考えるのも、今ここでだけ。はるか彼方から続く〈過去〉、そしておそらく永遠に続く〈未来〉はあるけれど、今ここだけ。遠大な過去の中に生きることも、無限の未来の中を生きることも、誰にもできない。(禅問答あるいは哲学的になってしまうが)
 ちょっと難しいんだけど、この感覚を摑むと、すごくいい感じになれる。今…いや最近はやりの〈マインドフルネス〉にも通ずるものらしい。
 去年だったか、「世界は驚きに満ちている」という一文を載せたことがあるが、それにも近い感じ。

 もちろんノイローゼやイジメ、病苦に貧困など、現時点から一刻も早く抜け出したい人もいるはず(僕もすぐノイローゼっぽくなる)。それでも、何かができるのは今ここだけ。ツラいだろうけど、今しかない。少なくとも「明日やる」ということを今、決めなくてはいけない。

 そうそう、これまた去年『僕らは奇跡でできている』というテレビ番組があった。非常にいいドラマで、高橋一生扮する主人公・一樹が、はるか昔から続く先祖のお蔭で僕ら生きているということを熱く語っていた。(これはまた、かの有名な『いのちのまつり』でもある)
 もう一つ、樹木希林の遺作となった『日日是好日』という映画があった。雨の日は雨を楽しみ、寒い時は寒さを味わう、というような意味だったと思うが、黒木華も上手く演じていて、実にいい映画だった。
 そう言えば、マインドフルネスや「今ここ」をテーマにしたような本や映画が多くなっているような気がする。中今を生きるに通じるような、そんな時代の要請なのかもしれない。
 とまあここまで考えると、今という時がいとおしくなるし、今を同時に生きているすべての人たち/動植物たち/物さえも、いとおしく思えてくる。
 …感覚的なものなので、分かりづらかったかもしれません。

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