eSSay

エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

「フラッシュバック」

2012-01-29 10:04:13 | ショートショート
 あ、お休みのところ済みません。ちょいとお時間、よろしいでしょうか。いえ、押し売りというわけではなく、要らないということであればすぐに退散しますので。
 荷物、この辺に置かせてもらってよろしゅうございますか。あ、恐縮です。やれやれ。

 えー、人が死ぬ時にですね、いえいえ、お葬式の話ではありませんし、変な宗教の勧誘でもありません。まあ科学的、な話です。
 死ぬ時にですね、それまでに体験した事柄がごくわずかの時間に走馬灯のように回想される、というのはあなたも聞かれたことがあるでしょう。〈フラッシュバック〉と呼ばれるもので、いわゆる蘇生した人から、そういう話がよく聞かれるわけですが、それがどういう意味を持っているものであるのか、といったことはこの際置いておきましょう。
 きょうお持ちしたのはですね、そのフラッシュバックを人工的に作り上げるという商品でございます。一時的に臨死の状態になってもらい、その際に現れるフラッシュバックを、こちらのメモリーに記録させるというものです。
 具体的に申し上げますと、このカプセルを飲むことで死んだようになります。いやいや大丈夫、ほんの2,3分で元に戻れます、これは保証します。その間、頭に取り付けた電極からこちらの機械で記憶を取り出し、このメモリーに記録するのです。フラッシュメモリー型のバックアップということで“フラッシュバック”という商品名なのですが、これはまあ冗談半分で付けたものでして。

 それはともかく。小さい頃の淡い初恋、転校のため別れてしまった親友、かわいがってもらった田舎のおばあちゃん、はたまた新婚時代の甘い生活、などなど、今さらながら味わいたい感情というのも、たくさんあるんじゃないでしょうか。もちろん、ツラかったイジメや受験勉強、二度とお目にかかりたくないイヤな上司だって、出てくることになるのかもしれませんが。
 目が覚めたあと、テレビあるいはパソコンにつなげばすぐにご覧戴けますし、そのまま保管して下さっても構いません。ご本人はもちろん、仮に不慮の事故でお亡くなりになった場合、ご遺族の方へのいい形見ともなります。
 いかがでしょう。もちろん、命や健康に別状はありませんし、フラッシュバックされた内容は、目が覚めれば意識の表面からは大方消え去ってしまいます。まあ欠点と言えば、その最後に出てくるのがこの私ということなのですが。もう少し見栄えのいい男であれば良かったのでしょうがね。
 そうそう、あなた様が意識を失っている間にお財布を失敬するなんてことはありませんので、その点ご安心を。

 は? 私ですか? ええ、いちおう実証済みです。幼稚園の頃の好きだった先生の声を聞くこともできましたし、楽しかった遠足をもう一度味わうことができました。憧れだった年上の女性が今見ると大したことなかったり、相手が悪いと思い込んでいたケンカの原因が実は自分だったりというのもありました。当然、苦しかったことの数々も再現できましたが、今見るとまた違った感触を覚えるものです。
 あ、お値段を申し上げていなかったですね。えー、これくらい、ということで。もしお買い上げ戴けるのであれば定期的、だいたい5年おきに更新をするサービスも付けておりまして、その分の費用も込みでございます。ただ不幸にしてお客さんが亡くなるか、あるいは私が死んでしまえばそれっきりなのですが。

 …そうですか、それは残念。まああなたくらいのお年でしたら、まだまだ必要ないかもしれませんね。どちらかと言うとご年配の方のほうが、多いですね。
 ではこれにて失礼。お時間取らせました。


 Copyright(c) shinob_2005

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ありがたい教5(恩返しも)

2012-01-22 10:49:46 | エッセイ
 
 寒いんで、通勤はもっぱら車ということになる。最近は、ABBAのベスト版CDをよく聞いている。その中でも“The Name of The Game”という曲は気に入っている。「大切なこと」とでもいった意味があるようで、何か非常に訴えるものがある。
 ABBAには“Knowing Me, Knowing You”ほか、とてもいい曲がある。いや、ABBAだけでなく、カーペンターズやマイケル・ジャクソン、山下達郎等々、素敵な音楽を提供してくれる人はたくさんいる。
 音楽だけではない。ドラマにしろ映画にしろ絵画にしろ、僕らは数限りない恩恵を被っているし、おいしいお菓子や料理、カッコいい車や建物、便利なスマホにメガネ…数え切れない。ありがたいことだ。

 もちろん製作・開発した人たちは自分の務めを果たしただけだし、それなりの見返りも受けていることだろう。でもでも、恩恵を享受している側としては、ただありがたがっているばかりでもいけないだろうと思う。
 つまり〈恩返し〉もしなくてはならないだろうということ。学業や仕事を自分なりに頑張るというのも一つだし、歩行者に道を譲るのでもいいし、倒れている自転車を起こしてやるのでもいい。食堂のおばさんに「ごちそうさま」を言うのでもいいし、しょげてる人を慰めるのでもいいし、部屋の観葉植物をかわいがるのでもいい。
 この世がいい世界であるよう、受けた恩恵の分だけでも、自分にできることを一つでもやっていけばいいのかなあ、と。

 ところで、この「ありがたい教」も5回目。回数行っているせいか、他にあまり唱えている人がいないのか、Googleやらで検索するとトップに出てくる。これまたありがたいこと。
 ここにこうして、少しでも読んでくれる人の為になるようなことを書いていくというのも、僕なりの〈恩返し〉のつもり。
 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年とる楽しみ 死ぬ楽しみ

2012-01-08 12:02:35 | こころ
 
 あらかじめ断わっておきますが、これは悲観的な物の見方ではありません。むしろ前向きな考え方。

 年末年始、帰ってきたうちの坊主たちが冗談半分に「人生とは何か」なんて話をしていて、真面目半分に何やら語り合っていた。酒飲みながらそれを横で聞いていて、もっともだな、とは思いつつ、やっぱりハタチそこそこの言うこと、どこかで見聞きしたのを口伝えにしゃべっているのだろうな、と感じた次第。
 自分が同じような年の頃、小難しいことを考え抜き、目上の人に伝えてもなかなか分かってもらえないことが多かった。それはやはり、経験に裏打ちされていなかったからだろうと、今さらながら思う。
 だから、いろんな苦労しながら年をとるというのは、いいものなのかもしれない。若い頃に言ったことと同じことを言っても、ちゃんと聞いてもらえるものだ。年とった人の言葉には、その分それだけの重みがあるのだ。

 そうしてやがて人は死んでゆく。死ねばそれでおしまい、という考え方もあるし、そのあと別の世界でまた新たな人生が始まる、という考え方もある。僕は後者だと思っているが、それは死んでみなければ分からないことで、これも楽しみ。
 別の人生が始まったとして、この世で会うことのできなかった祖父や吉田兼好、もう一度話をしたかった恩師や親友、それにデール・カーネギーなんかに会えるかもしれないかと思うと、楽しみで仕方ない。

 以上、ひとつの考え方として。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お屠蘇を飲みながら

2012-01-01 15:42:46 | エッセイ
 
 皆さんのお宅ではどうか知らないが、我が家では元日の朝、鏡餅の前で「年取り」という儀式をやる。これは、宮崎の実家での風習をそのまま受け継いでいるもの。
 家の主(僕)が子供やカミさんと一人ずつ向かって座り、お神酒を注いで飲んでもらったあと、取り箸でミカンと甘栗と干し柿と、そして子供にはお年玉とを1つずつ手のひらの上に乗せていく。品物それぞれには意味があるらしいのだが、詳細はよく知らない。風習だから、あまり深く考えはしない。

 さて新しい年の幕開けである。去年は世間的にも非常に大変な一年だったが、何事もない年ってのはあり得ないから、おそらく今年も様々に大変なことがあることだろう。それだけ覚悟しとけば、何てこたあない。
 古代マヤの暦が「2012」で終わっているとかで、滅亡の年だ、てな説もまたぞろ出ているようだが、1999年のノストラダムスと同じく、マスコミが煽っているだけという面も多々あるんで、乗せられないようにしないといけない。

 新聞によれば、今年はロシアやアメリカ、それに韓国でも大統領選挙があるってんで「スーパーイヤー」なんだそうだ。それらの結果次第で、世界の構図も変わってしまうらしい。
 いずれにしても、年が明けると前の年のことは忘れ去られがちになるものだが、東日本大震災にまつわる困難は続いていることだし、まだまだ忘れてはいけないだろうと、少々酒に酔った頭で考えるわけです。
 今年もよろしくお願い致します。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする