マレーの師、レンドルの弟子 2013年ウィンブルドン決勝 アンディー・マレーvsノバク・ジョコビッチ その2

2013年07月12日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 2013年ウィンブルドン決勝戦。

 第2セットの第11ゲームで、マレーがジョコビッチのサービスを破ると、これまで微動だにしなかったイワン・レンドルが立ち上がっていた。

 これを見て私は予感した。

 「ああ、もしかしたら、今日はアンディーだけじゃなく、イワン・レンドルにとっても良き日になるのかもしれない」

 テニスファンの、だれにともなく胸に残された小さなしこりが、とうとうほぐれるときが、来るのかもしれないと。

 もしかしたら今のテニスファンにはピンとこないかもしれないが、それにはイワン・レンドルとウィンブルドンとの、浅からぬ因縁について話さなければならない。

 かつての偉大なチャンピオンであるジミー・コナーズは、こんな言葉を残したそうだ。



 「テニス・プレーヤーには2種類ある。ウィンブルドンのタイトルを持っているものと、そうでないもの」



 私個人はグランドスラム大会ではオーストラリアン・オープンが一番好きだし、クレーコートを得意とする選手は、芝のここよりもローラン・ギャロスのフレンチ・オープンこそを「聖地」ととらえているくさい。

 コナーズに関しても、

 「そら、アンタは優勝したから、そう言いたくもなるでしょうな」

 という気にさせられなくもないが、それでもやはり、ウィンブルドンには特別の思い入れを持つ選手は多いだろう。

 この大会で、何度も栄冠に輝いたピート・サンプラスや、ロジャー・フェデラー、それに



 「僕のカレンダーには四季じゃなく3つの季節しかない。ウィンブルドン前と、ウィンブルドンと、そしてウィンブルドンの後だ」
 


 そう言い放ったボリス・ベッカーなどがその代表格だが、彼らに勝るとも劣らないほどに、このウィンブルドンに取り付かれていた男がもう一人いた。

 それがイワン・レンドルである。

 だがレンドルには、同じチャンピオンの中でも、サンプラスやベッカーとは大きく違うところがあった。
 
 そう、彼は芝のコートを苦手とするプレーヤーであったのだ。

 今ではそれほどでもないが、一昔前のウィンブルドンは球速が異様に速かった。

 ゆえに、ビッグサーバーやサビース&ボレーヤーといった、アグレッシブでパワーのある選手が圧倒的に有利だった。

 トップスピンを駆使し、フレンチオープンで6度優勝したストローカーのビヨン・ボルグですら、ウィンブルドンでは積極的にネットを取っていた。

 あまりに試合内容がサービスだけで決まってしまうので(たとえば、1994年決勝サンプラス対イバニセビッチ戦は、なんともっとも長いラリー数が「5」だった)、大会側もボールを変えるなど懸命の努力を重ねるなど試行錯誤を繰り返した。

 結果、今ではテンポのいいラリー戦が楽しめるようになったが、それ以前はビッグサーブに頼らない、純正のグラウンド・ストローカーが大会を制したのは、1992年のアンドレ・アガシくらいだった。

 そんな中、芝では威力を発揮しにくい、スピンの効いたグラウンド・ストロークで果敢にウィンブルドンに挑んだのが、イワン・レンドルだった。

 レンドルはオーストラリアン・オープン、フレンチ・オープン、USオープンのタイトルは何度も取っており、中でもUSオープンの8年連続決勝進出は、ピート・サンプラスをして、



 「目立たないけど、おそらく今後、だれにも真似できない大記録」

 賞賛を惜しませない金字塔ともいえた。

 そんな彼に残された宿題は、ウィンブルドンのカップのみ。

 そのため彼は得意の「バズーカ・フォア」に磨きをかけ、芝に適合するため苦手のサーブ&ボレーを必死に練習した。

 しかし、もともとプレースタイルが合ってないコートで力を発揮することは、トッププロでも難しい。

 たとえば、1995年のフレンチ・オープンで優勝した土の王者トーマス・ムスターはウィンブルドンでは1度も勝ったことがない上に、しまいにはブンむくれて出場すらしなくなってしまった。

 また、やはりクレーコートを得意とするマルセロ・リオスは、ウィンブルドンでみじめな敗北を喫したあと、



 「芝なんか、ゴルフと牛のエサのためにあるもんだ」



 捨てぜりふを残して会場を去った。

 また逆に、サンプラスやベッカーは、土のコートで行われるフレンチ・オープンのタイトルは取れなかった。

 やはりフレンチ・オープンでは無類の強さを発揮したレンドルは、そのスタイル通りに、ウィンブルドンではなかなか思うような結果は残せなかった。

 それでも彼は、どうしてもウィンブルドンのタイトルがほしかった。

 ハナからあきらめていたムスターや他のストローカーよりは、もうちょっとばかし聖地の伝統と、自分の可能性の両方を信じていたらしい。

 その想いは、次第に熱を増していき、ついにレンドルは自宅の庭に1面5千万円の費用をかけて、ウィンブルドンとまったく同じ仕様の芝のコートを2面引くことさえした。

 そこで、ひたすらにサーブ&ボレーの練習を繰り返した。

 端から見ているものにとっては、正直そこまでするかというか。

 別にこれまで、数え切れないほどの栄誉を得ていた彼が、今さらウィンブルドンのタイトルまで取らなくても、いいんじゃないのかとも考えたものだ。

 こういっちゃなんだが、勝てるとも思えなかったし、仮に優勝できなくても、それのことがの彼の栄光をおとしめることにもならないことも、皆が知っている。

 だがレンドルの熱は、なかば狂気すら帯びるようにすらなってきて、



 「ウィンブルドンで勝てるなら、これまで獲得してきた優勝トロフィーすべてと引き替えにしてもいい」



 などと公言し出し、マスコミもおもしろがってこの発言を取り上げた。

 これはどうにも「引き替えにしてもいい」といわれた大会のみならず、それらの大会に勝つためにレンドル自身が行ってきた、自らの努力と汗すら否定する言葉のように思えて、私は好みではないのだけど、もはやそんな正論ではレンドルの気持ちはおさえようもない。

 ついに彼はウィンブルドンに備えるために、得意であるはずのフレンチ・オープンをスキップする、という非常手段にまで出た。

 これまでも、先述のムスターにとってのウィンブルドンや、地理的に遠く、ヨーロッパの選手に敬遠されがちだった一昔前のオーストラリアン・オープンのように、大きな大会にトップ選手がエントリーしないという例もあるにはあった。

 だが、このときのレンドルのように、優勝候補の筆頭がケガでもないのにグランドスラム大会に出ないなど、まずありえない事件である。ほとんど暴挙だ。

 それでもレンドルはどこ吹く風。

 最強の男が不在の中で行われるパリの激戦をよそに、ひたすら自宅でネットプレーの猛特訓を行っていたのである。

 



 (次回に【→こちら】続く)




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